ミューズィック(PART 2 OF 4)
音楽は、世界共通の言語か?

音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。
それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、そもそも、いったい何であったのだろうか。
小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、可能性について問われたとき
(そういうことを聞く田舎者が
世界のどこにもいるものである。)、
音楽は、世界の共通の言語であるからと、
(当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、
何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。
壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して
欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。
かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、
一般的にいって、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。
(中略)
いつだったか、小澤征爾と H.V.Karajanの指揮する M.Ravel の “Bolero” を聞き比べたことがあった。
小澤の演奏は、英語で言う too square であったが、Karajanのそれは、なんとも sexyで妖艶ですらあった。
フランス人でもないのに。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。
(中略)
わたしは、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。
大体、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女が肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。
そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。
J.S.Bach は、
前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、
私はここを書いていて、少し、困っているが。
芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。
(注: イラストはデンマンが貼り付けました。改行を加えて読みやすくしてあります。)
pages 5 & 6
『間奏曲集 (主題なき変奏) その2』
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年6月
『お願い、骨まで愛して』に掲載
(2006年10月15日)

でもねぇ、すべての人々とは言わないけれど、八雲のような、ある一部の人にとっては、民族特有の民謡といえども理解できるのですよう。

どうして、デンマンさんに、それが分かるのですか?
あのねぇ~、僕は音楽が専門ではない。 また、音楽は好きだけれど、クラシックは苦手ですよう。 さらに、八雲のように洗練された音楽的感覚というものがないので、ワーグナーやほとんどのクラシックを素直に楽しむことが出来ないのですよう。 でもねぇ、次の文章を読むと八雲が日本の民謡を理解できる素養や感性があったことが、僕にも理解できるのですよう。
神戸で、盲目の門(かど)つけが八雲邸で三味線を弾きながら唄を歌うが、その時に、
「醜い不恰好(ぶかっこう)の唇から奇蹟のような声、即ち、心にしみ通るような甘さをもった若く、深味のある、名状しがたいほどの感動を与える声が、さざ波を打って迸(ほとばし)り出た。一見物人は、『女か、それとも森の妖精か』とたずねた。 だが彼女は、ただの女だ。 恐らく西洋の音譜には書かれていない、非常に細かい節(ふし)で、セミや藪(やぶ)うぐいすから習った声で歌った。 そして彼女が歌っていると、聞いている人々は黙って泣きはじめた。 私には言葉の意味は、はっきり分からなかった。 だが私は、日本の生活の悲しみや、苦しみが彼女の声とともに私の心の中に入り込んでくるのを感じた。 それは決してこの世にはない何物かを悲し気に求めているものであった」
と述べて、名もなき流しの唄歌いの旋律に、人間自然の原点とも言うべき真・美を見出している。
民俗音楽については、八雲はチェンバレンより一歩先を歩いていた。 在米当時、既にこの道のエキスパートであった。 音楽評論家クレイビールと一緒に、世界の民族音楽を収集したり、西インド諸島でも採集した民謡を、『西インド諸島の2年間』に掲載している。 ニューオリンズ万博時、出版した案内書にも、クレオールのリトル・ソングが書かれている。
(中略)
またチェンバレンは、八雲が文中に日本語の感嘆詞「アラッ」や、擬声語の「ピチャ、ピチャ」、その他日本人の生活感覚を表現する言葉「甚よ、甚よ!こっちへ来い こっちへ来い」 「あのね!卵はありませんか」などを、ローマ字化することに批判的だったが、これはハーンが日本語でなければ日本人の感覚が伝わらぬものとして使ったものだった。 かくて対立は年の経過と共に深まる。
234 - 235ページ 『小泉八雲と日本』
編著者:西野影四郎
2009年2月15日発行
発行所:株式会社 伊勢新聞社

つまり、デンマンさんにも八雲のように民謡を理解できる素養や感性があると、言いたいのですか?

うしししし。。。小百合さんが僕の言いたいことを言ってくれましたよ。 そうですよう。 僕はかつて記事の中で次のように書いたことがあるのですよう。

クラシックというのは当然の事ですが大衆音楽ではないですよね。
では大衆音楽というのはどのようなものなのか?
まず民謡があげられるでしょうね。
つまり文字通り英語で訳せば“folk song”ということになりますよね。
“民の歌”です。
でも、“歌”と“謡”の違いとは?
歌はあなたにも分かりきっていますよね。
歌謡曲の“歌”です。
でも、この“歌謡曲”の中にも“謡”が含まれています。
この“謡”とはいったい何なのか?
実は僕も詳しく知りません。
“謡”と聞いて、すぐに連想したのがテレビの大河ドラマで見たシーンです。
織田信長が桶狭間の合戦に出陣する前に、
例の“人間~♪~五十年~♪~。。。”と歌いだして踊るあの謡曲のことでした。
これを歌い終わるや、死を覚悟して奇襲に望むというものでした。
現在の我々には、あまり縁のない、あの唸(うな)るように歌う謡曲です。
ちょっとネットで調べたら次のように説明されていました。
つまり、「能」のセリフとコーラス部分を独自の節に合わせて歌うものの事です。
つまり民謡とは、民話や当時の事件や出来事を物語風にして独自の節に合わせて歌うもののようです。
では、クラシックとは何だろう?
ここで、太田将宏さんの本から引用します。
そもそも、昔は、作曲された音楽はorder-madeであったのだ。
それが不特定多数の市民が対象とされるようになって、音楽はprêt à porterとなった。
作曲と演奏が分離、分業になったのは、このころではなかったか。
その方が生産、販売共に効率が良かったのであろう。
現代では、音楽は大量生産され有料、無料で配布されている。
身尺に合わないready-madeのお仕着せに、どのような音楽を聴いてもambivalentな気持ちがするのは、私だけではあるまい。
それはまた、一つ一つの製品に限った話ではない。
私は、演奏会や音楽会を提供する側、製品に付加価値をつけようとする側のarrangement、
つまりprogrameについても同様に感じる故に、めったに演奏会場に足をはこばないのである。
そうした違和感は、皮肉なことではあるが、自分で選択した音楽を、自分で配列した順序でレコードで聴けば、幾分かは軽減される事に私は気がついた。
それ以上を求めるのならば、自作自演をして、つまり自分で作曲をして自分で演奏して自分で耳を傾けるしか手が無いであろう。
私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、昔の民衆の創造性が信じられる。
しかし、私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない。
この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えない、という気持ちである。
だから、私は久しくPacific231に対しても反感すら持っていた。
Arthur Honegger (1892-1955)自身はこの作品について、彼はこの曲で内燃機関の騒音を模倣しようとしたのではなく、むしろ視覚的印象や身体的快感を表現した、と語っていた。
page 69
『前奏曲集 作品1の1』
(あるアマチュアの覚書)
著者: 太田将宏

つまり、クラシックというのは、
昔、ヨーロッパのお金持ちの貴族や王族が
お抱え“音楽士”に作らせた曲だったわけですよね。
当然の事ですが、その“音楽士”は注文してくれた紳士の好みに合った曲を作るはずです。
要するに大衆向けの曲を作るのではなく、
その注文主の好みに合った、趣味に合った、感性に合った曲を作る。
まさに、order-madeだったわけでしょうね。
だから、ある人のorder-madeの服を僕が身につけた場合、袖が長すぎたり、襟首が窮屈だったりしますよね。
僕は、このことを考えた時に、どうしてクラシックが僕のオツムの中に感覚的にすっきりと入ってこなかったのかが理解できたよう気がしました。
要するに、クラシックとはヨーロッパの貴族の感覚と好みに合わせて作った服のようなものです。
そんな服を僕が着たとて身尺に合わないことなど分かりきっていますよね。
まずダブダブだろうと思います。
江戸時代に和服だけしか来たことがない日本人が初めて洋服を身に着けるようなものですよ。
ところが、日本人の中には、いかにもクラシックが分かっているような気になって“高尚な気分”に浸(ひた)っている“文化的田舎者”がたくさん居るように思います。
たとえば、ウィーン・フィルハーモ二ーが演奏するモーツァルトの曲の演奏会が東京オペラシティコンサートホールであるとします。
2万円の特別席を予約した。
何のためか?
この特別席を予約した28才の山田太郎君は26才の花子さんに自分の“文化的な面”を印象付けるために4万円を支払ったのです。
つまり、4万円のデートです。
(すぐ下のページへ続く)