USTステージ(UST有料配信1575円)モーニング娘。主演「ステーシーズ少女再殺歌劇」(大槻ケンヂ原作)を見た。
平日の会社帰りにわざわざ甲子園球場まで行きナイターを見る人はいるが、わざわざ平日に、明日は会社なのにナイターなんて楽しいのかなと疑問な私デスペア。
ただ今日会社から帰ってきて、19時生配信の娘の舞台を見て、舞台に引き込まれた。パソコン画面の前で一瞬平日であること明日も会社であることを忘れた。日常の中の非日常ほど人に刺激をあたえるものはないね。ナイターの気持ちもわかった。
この舞台のキャッチフレーズは「モー娘がゾンビに!?」。このキャッチフレーズから数年前にスマイレージがCMをしていたゾンビゲームを思い出し、どうせおちゃらけのゾンビが人をびっくりさせるそんなお話だろうとおもっていた私。でもストーリーは全然そんなおちゃらけたものではなかった。
会社からかえtってUSTステージにログインしようとするもIDをわすれてしまい、19時スタートの舞台がはじまってから20分後から見始めた私デスペア。ちょうどれいなが河相我聞(がもんはあまり声がでてないね)と出会うシーンだった。そのあとれいなが楽しそうに歌を歌う「私の親友のサチコが、私のパパとママをころして、パパとママの首をもっていた。そんなサチコを私が凝らした」
異様な世界観の舞台だった。いままでのハロプロ舞台にはない舞台だった。サスペンスのように謎解きがあり、結論に観客がなっとくするという舞台ではないが、しりきれとんぼということでもなかった。
この舞台は大槻ケンヂの少女への強いこだわりあこがれが感じられる。この物語のメタファーは少女性(処女性)の喪失なんだろうけど、それをいやみでなく文学的にしのばせた大槻はなかなか。
デスペア的見るおポイント
1、おっぱいおっぱい連呼の工藤
くどぅーは残念ながら演じることのできる役がかたまってしまったな。ハスキーな低い声だと恋する乙女の役は難しいのかな。だが、そのメンズキャラというか少年っぽさが演じる役にははまっていた。くどぅーはげきっゆう「おっぽい」を連呼し、バスと85センチ以上あり恋人もいる14歳の少女なんてくそくらえ!と叫ぶ。
オッパオも言えない真野恵里菜とは大違いだな。
2、泣いたポイント
・くどぅーがビルの屋上で高校生カップルとやりとりするシーンで泣いた。カップルの男子高校生のセリフに、好きになった人がまもなく死んでしまうのもかまわない、好きになったのだから仕方がない。たとえ彼女がステーシー(ゾンビ)になっとしても、死んだとしても僕が彼女は好きなのはかわらない。
それに対して、くどぅーは「ばっかじゃないの!もうその子は死んでるんだよ、あんたの好きだった子じゃないんだよケッケケー」。
パソコン画面で涙がでた私。というのもこのやりとりの前にくどぅーは母親から捨てられた捨て子であることあり母親がつけた名前「公恵」はなのらず「ドリュー」となのっていることを告白。
涙がでる。ゾンビになっても愛してもらえる彼女と、わが子なのに母親から見捨てられたくどぅー。泣けた。
・もう1シーン涙がでた。くどぅーが幽霊になってホスピス(孤児院)にあらわれて、自分がなぜ裏の仕事に手を染めたのかを告白するシーンでなけた。せつなさに泣いた。愛を手に入れられないヲタのようであり泣けた。
もし大阪で再演があればいってみたいなと思った。リボーンにしろステーシーズにしろもーにんぶ娘の910期メンバーが出演するとなるとどうしてもチープなうすっぺらな舞台を想像してしまうが、リボーンもステーシーズも胸に響くものがありうすっぺらい物語ではない。前宣伝をもっとうまくやればもっと客がつくと思うのは私だけじゃないはず。
平日の会社帰りにわざわざ甲子園球場まで行きナイターを見る人はいるが、わざわざ平日に、明日は会社なのにナイターなんて楽しいのかなと疑問な私デスペア。
ただ今日会社から帰ってきて、19時生配信の娘の舞台を見て、舞台に引き込まれた。パソコン画面の前で一瞬平日であること明日も会社であることを忘れた。日常の中の非日常ほど人に刺激をあたえるものはないね。ナイターの気持ちもわかった。
この舞台のキャッチフレーズは「モー娘がゾンビに!?」。このキャッチフレーズから数年前にスマイレージがCMをしていたゾンビゲームを思い出し、どうせおちゃらけのゾンビが人をびっくりさせるそんなお話だろうとおもっていた私。でもストーリーは全然そんなおちゃらけたものではなかった。
会社からかえtってUSTステージにログインしようとするもIDをわすれてしまい、19時スタートの舞台がはじまってから20分後から見始めた私デスペア。ちょうどれいなが河相我聞(がもんはあまり声がでてないね)と出会うシーンだった。そのあとれいなが楽しそうに歌を歌う「私の親友のサチコが、私のパパとママをころして、パパとママの首をもっていた。そんなサチコを私が凝らした」
異様な世界観の舞台だった。いままでのハロプロ舞台にはない舞台だった。サスペンスのように謎解きがあり、結論に観客がなっとくするという舞台ではないが、しりきれとんぼということでもなかった。
この舞台は大槻ケンヂの少女への強いこだわりあこがれが感じられる。この物語のメタファーは少女性(処女性)の喪失なんだろうけど、それをいやみでなく文学的にしのばせた大槻はなかなか。
デスペア的見るおポイント
1、おっぱいおっぱい連呼の工藤
くどぅーは残念ながら演じることのできる役がかたまってしまったな。ハスキーな低い声だと恋する乙女の役は難しいのかな。だが、そのメンズキャラというか少年っぽさが演じる役にははまっていた。くどぅーはげきっゆう「おっぽい」を連呼し、バスと85センチ以上あり恋人もいる14歳の少女なんてくそくらえ!と叫ぶ。
オッパオも言えない真野恵里菜とは大違いだな。
2、泣いたポイント
・くどぅーがビルの屋上で高校生カップルとやりとりするシーンで泣いた。カップルの男子高校生のセリフに、好きになった人がまもなく死んでしまうのもかまわない、好きになったのだから仕方がない。たとえ彼女がステーシー(ゾンビ)になっとしても、死んだとしても僕が彼女は好きなのはかわらない。
それに対して、くどぅーは「ばっかじゃないの!もうその子は死んでるんだよ、あんたの好きだった子じゃないんだよケッケケー」。
パソコン画面で涙がでた私。というのもこのやりとりの前にくどぅーは母親から捨てられた捨て子であることあり母親がつけた名前「公恵」はなのらず「ドリュー」となのっていることを告白。
涙がでる。ゾンビになっても愛してもらえる彼女と、わが子なのに母親から見捨てられたくどぅー。泣けた。
・もう1シーン涙がでた。くどぅーが幽霊になってホスピス(孤児院)にあらわれて、自分がなぜ裏の仕事に手を染めたのかを告白するシーンでなけた。せつなさに泣いた。愛を手に入れられないヲタのようであり泣けた。
もし大阪で再演があればいってみたいなと思った。リボーンにしろステーシーズにしろもーにんぶ娘の910期メンバーが出演するとなるとどうしてもチープなうすっぺらな舞台を想像してしまうが、リボーンもステーシーズも胸に響くものがありうすっぺらい物語ではない。前宣伝をもっとうまくやればもっと客がつくと思うのは私だけじゃないはず。