33歳
今日は3月6日、元ベリーズ工房の嗣永桃子の33歳の誕生日。自分かわいいキャラの2つ結び、ももち結びとして、よこうテレビやラジオにもでていたけど、2017年に25歳で芸能界をすっぱり引退。
あれからもう8年ほどたつけど、モモチのその後は、まったくファンは知ることができないね。どこかの田舎の小学校で、先生しているのかな?
最近でもハロコンなどで、Buono!の曲がうたわれることがある。どうしても、モモチの歌声をさがしてしまうね。つやっぽいのびやかな歌声ではないけど、くせになる歌声のももち。
最後の引退コンサートでは、涙ひとつながさず、最後に、これからはみなさん、私のことよりも自分のことを考えていきていってねという名言をのこしての引退。ああいうきっぱりとした引退もハロプロアイドルのひとつのロールモデルになったね。
ハロプロOGのその後としては、辻希美、藤本美貴などのママドルみたいなパターン、なっちやあややみたいに結婚してほとんど表舞台にはでないパターン、鈴木愛理、宮本佳林のようにずっと歌をつづけてくれるパターン、須藤茉麻や矢島舞美みたいにお芝居をつづけていくパターン、そして、モモチ、川村文乃のようにきっぱりと芸能界を引退するパターン。ファンとしては、何らかの形でもいいから芸能界にのこって、年に1度ぐらいコンサートしてほしいね。でも、芸能界を引退するとそれもかなわない。
最近は、このOGのパターンに加えて、浜浦彩乃や新沼希空のように独立して、芸能活動をつづけていく人もあらわれた。これは、ファンとずっとSNSなどでつながっているから、こういった活動ができるんだろうね。昔だとどこかの芸能事務所に所属していないと告知すらむずかしかったもんね。そうおもえば、いろんな道がひらけてきたね。
視覚障害者もそうで、昔は、あんまか、オコと走者ぐらいしか職業がなかったけど、今は、全盲でも、ITや福祉サービスを活用して、全盲ヘルパー事業所をひらいている盲人もでてきたね。どんどん活躍の場がひろがっているね。
視覚障害者の偉人としてよくいわれるのが、ヤツハシケンギョウと、スギヤマケンギョウ。ケンギョウというのは、昔の視覚障碍者の位。ヤツハシは、オコとの名人で、たくさんの視覚障害者をオコと奏者にして、生計をたてる道をきりひらいた。同じく、スギヤマも、ハリキュウの手法を考案し、視覚障害者にハリキュウができるということをひろめた。この二人のケンギョウは有名。
そして、もう一人、トリヤマケンギョウという盲人も江戸時代にいた。今やっているNHKの大河ドラマ、ベラボウに、大富豪の盲人が登場している、その大富豪の盲人、トリヤマケンギョウが、おいらんの見受けとして大金を払ったという物語。
このトリヤマけんぎょうというのは実在した人らしく。盲人ながら巨万の富を築いた人らしい。どうやって、お金儲けをしたかというと。金貸し。盲人であるがゆえに、当時の幕府から金貸し業の免許を特別にもらい、それdで金貸し。きびしい取り立てなので、大金持ちになったとのこと。
すごい人がいたもんだね。視覚障害者の世界では、ヤツハシとスギヤマは偉人として今でも語り継がれているけども、このトリヤマは歴史の闇にほうむられていた存在。それがNHKの大河で注目。
でも、ここで、不思議なのは、日本一のおいらん、つまりはいまでいう風俗嬢を、自分のものにすべく、そのお店に大金をはらって、見受けする。今だと人身売買でゆるされないけども、当時は許されたよう。トリヤマは目が見えないのに、なぜ、日本一のおいらん、日本一の美貌を見初めたのか。
目が見えない、網膜色素変性症な私、盲人ウエカジ。目が見えなくなってよかったことは、パチンコをやらなくなったこと、そして、人を見た眼で判断しなくなったこと、女性でいうと、美醜をまったく気にしなくなったこと
なのに、トリヤマはなぜか、美醜に強いこだわりをもっていたのね。不思議。
そして、なぜトリヤマが日本の盲人の歴史から消し去られたのかも不思議。今、私は、自分の障害を元手に、全盲ヘルパー事業所を経営している、障害資本主義の実践。この障害資本主義の実践を、いまから300年ほど前の盲人、トリヤマケンギョウも実践していたのね
自分が目が悪いことを武器にして、金貸し業の免許をとり、それでかねもうけ。トリヤマは目が見えていたなら、金貸し業ができなかっただろうね。
ということで、私も、これから、盲人ウエカジではなく、ウエカジけんぎょうと名乗ってみようかな?
ヤツハシ、スギヤマ、トリヤマ、そしてウエカジけんぎょうと後世に語り継がれたいね。
アイドルの生き方も多様化してきたし、視覚障碍者の生き方も多様化してきたね。
今日は3月6日、元ベリーズ工房の嗣永桃子の33歳の誕生日。自分かわいいキャラの2つ結び、ももち結びとして、よこうテレビやラジオにもでていたけど、2017年に25歳で芸能界をすっぱり引退。
あれからもう8年ほどたつけど、モモチのその後は、まったくファンは知ることができないね。どこかの田舎の小学校で、先生しているのかな?
最近でもハロコンなどで、Buono!の曲がうたわれることがある。どうしても、モモチの歌声をさがしてしまうね。つやっぽいのびやかな歌声ではないけど、くせになる歌声のももち。
最後の引退コンサートでは、涙ひとつながさず、最後に、これからはみなさん、私のことよりも自分のことを考えていきていってねという名言をのこしての引退。ああいうきっぱりとした引退もハロプロアイドルのひとつのロールモデルになったね。
ハロプロOGのその後としては、辻希美、藤本美貴などのママドルみたいなパターン、なっちやあややみたいに結婚してほとんど表舞台にはでないパターン、鈴木愛理、宮本佳林のようにずっと歌をつづけてくれるパターン、須藤茉麻や矢島舞美みたいにお芝居をつづけていくパターン、そして、モモチ、川村文乃のようにきっぱりと芸能界を引退するパターン。ファンとしては、何らかの形でもいいから芸能界にのこって、年に1度ぐらいコンサートしてほしいね。でも、芸能界を引退するとそれもかなわない。
最近は、このOGのパターンに加えて、浜浦彩乃や新沼希空のように独立して、芸能活動をつづけていく人もあらわれた。これは、ファンとずっとSNSなどでつながっているから、こういった活動ができるんだろうね。昔だとどこかの芸能事務所に所属していないと告知すらむずかしかったもんね。そうおもえば、いろんな道がひらけてきたね。
視覚障害者もそうで、昔は、あんまか、オコと走者ぐらいしか職業がなかったけど、今は、全盲でも、ITや福祉サービスを活用して、全盲ヘルパー事業所をひらいている盲人もでてきたね。どんどん活躍の場がひろがっているね。
視覚障害者の偉人としてよくいわれるのが、ヤツハシケンギョウと、スギヤマケンギョウ。ケンギョウというのは、昔の視覚障碍者の位。ヤツハシは、オコとの名人で、たくさんの視覚障害者をオコと奏者にして、生計をたてる道をきりひらいた。同じく、スギヤマも、ハリキュウの手法を考案し、視覚障害者にハリキュウができるということをひろめた。この二人のケンギョウは有名。
そして、もう一人、トリヤマケンギョウという盲人も江戸時代にいた。今やっているNHKの大河ドラマ、ベラボウに、大富豪の盲人が登場している、その大富豪の盲人、トリヤマケンギョウが、おいらんの見受けとして大金を払ったという物語。
このトリヤマけんぎょうというのは実在した人らしく。盲人ながら巨万の富を築いた人らしい。どうやって、お金儲けをしたかというと。金貸し。盲人であるがゆえに、当時の幕府から金貸し業の免許を特別にもらい、それdで金貸し。きびしい取り立てなので、大金持ちになったとのこと。
すごい人がいたもんだね。視覚障害者の世界では、ヤツハシとスギヤマは偉人として今でも語り継がれているけども、このトリヤマは歴史の闇にほうむられていた存在。それがNHKの大河で注目。
でも、ここで、不思議なのは、日本一のおいらん、つまりはいまでいう風俗嬢を、自分のものにすべく、そのお店に大金をはらって、見受けする。今だと人身売買でゆるされないけども、当時は許されたよう。トリヤマは目が見えないのに、なぜ、日本一のおいらん、日本一の美貌を見初めたのか。
目が見えない、網膜色素変性症な私、盲人ウエカジ。目が見えなくなってよかったことは、パチンコをやらなくなったこと、そして、人を見た眼で判断しなくなったこと、女性でいうと、美醜をまったく気にしなくなったこと
なのに、トリヤマはなぜか、美醜に強いこだわりをもっていたのね。不思議。
そして、なぜトリヤマが日本の盲人の歴史から消し去られたのかも不思議。今、私は、自分の障害を元手に、全盲ヘルパー事業所を経営している、障害資本主義の実践。この障害資本主義の実践を、いまから300年ほど前の盲人、トリヤマケンギョウも実践していたのね
自分が目が悪いことを武器にして、金貸し業の免許をとり、それでかねもうけ。トリヤマは目が見えていたなら、金貸し業ができなかっただろうね。
ということで、私も、これから、盲人ウエカジではなく、ウエカジけんぎょうと名乗ってみようかな?
ヤツハシ、スギヤマ、トリヤマ、そしてウエカジけんぎょうと後世に語り継がれたいね。
アイドルの生き方も多様化してきたし、視覚障碍者の生き方も多様化してきたね。