もぉ明日は松飾もとれ正月気分もだいぶんに落ち着くころ(1/9は宮司さんと総代、宮世話とで大麻などの焚き上げ式 が待つ)。ところで正月にお酒はつきものだから少し書いておく。いかにも呑み助のようだが、私には普段の焼酎か缶ビールに毎年暮れになるとJAが配布してくれる小瓶で高価であろう日本酒が加わる程度。あえて正月用にと求めたことが無い。タダだからと文句の訳でないが、頂きものの日本酒も最近の吟醸酒の例にもれず(んなにも呑み比べするわけでありませぬが)ジュースのようで、アルコールがクンッとくる感が皆無である。父が好んでいた二級酒(しか呑めない経済)のような刺激?がない。そりゃ、少し飲める方の喉ならどれだけでも通ってゆくでしょうなぁ~張り合いがないけど、これも商売。
表題のこと。暮れのある日の朝刊に、酒のラベル=酒票 の発祥の地が我が三重県であるとの珍しく嬉しい記事。明治の初期の頃までは酒の流通は酒樽式で、酒造蔵元の印は樽にペイントしたらしい。京や兵庫の後から乗り出した三重の蔵元は、先行流通に負けまいと樽に捲いた菰にラベルとなる酒票を貼って目立とうとしたらしい。酒票ラベルの数例が写真で掲載されていたので、即パチリ。なんとわが市に『鬼笑』酒票を使っていた酒蔵:糟谷さん があったのだ。酒蔵もないほどにゆとりが無かったのか、わが市には とのこれまでの諦観??を微修正しておきます。写真の票には”伊勢鈴鹿郡亀山驛”と明記されておりますな。驛表記がよろしい。
次は現在の一升瓶ラベル。正月用にと(本当は新嘗祭の頃に使うべき らしいby宮司さん)11/Eに神社集会で配布されたもので、しっかりと2,100円也の請求書と共にでした。濁り酒です。現職場時代の前半の頃、当時は醸造課もあり、課職員の手配により正月前には日本酒の斡旋が行われたもので、原酒とか好んで購入しました。が、そういう麗しい行いは時流に添わないようで・・・。
『三重の新嘗』から元旦祭の神前酒器にほんの少しだけ注ぎ、残りは直会で全部いただきました。久しぶりの美味しい味でした。空瓶は持ち帰り、妻が梅酒を詰めるに使うでしょう~溜まりすぎておりますぞ梅酒。
ところでどーでもええこと。ラベルのフリガナが僅かに記憶のニイナメでなくニイナエとあるのですが、脱力のWEBによれば”新嘗”=にいなめ・にいなえ・しんじょう とありました。このニイナエ酒は2012年からは四日市市の宮崎本店が造っておるとのことです。四日市市の海に近い酒造さんですから、西部の鈴鹿山脈からの水(例えばマンボを流れる水)とは離れておるように感じてしまうの残念であります。いっそ、伊賀の酒蔵からが好いかなぁ と勝手思いです。