洗濯もの干し担当にとって寒い朝は辛い。血行の悪い身体には堪える。若い頃から冬には手足の指先を痛く感じたものだ。今朝もタオルを干しながら、ふと、こんな時に父母は『手がやめる』といったことを思い出す。止める・辞める でなく、ヤメルである。私は使わなかったが、痛いと言い表してるのはよく分かった。痛いよりも冬の冷たさにピッタリの表現だなぁと感心する。
ついでに懐かしく父母の言葉を紹介する。
昨日のように、時折小雪が舞うことを『むらだち』と言った。何かの由来かなぁ とWEB頼りしても叢立(群生する。むれだつ。 群をなして飛び立つ。むれだつ。 )がヒットするだけ。すこし粘ると、ようやく天候に関したものに”いせむらだち=愛知県知多地方のことばで、南西方向(伊勢のことか)から降り出す夕立のこと”とあった。これから派生したのかしら・・・
以前どこかに記した記憶だが、東寄りの雨を『こちる』、稲刈りの残暑の頃にフト吹いてくれる涼しげな風を母は『極楽の余り風』と言って居った。ついで言おうか。父はよく『いかくもなく』を使った。突然に の意だが、おそらく、軍隊生活で教えられたと思う。”威嚇(射撃?)もせずに、急に襲撃してくる・ユメユメ油断メサルナ”かな?