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神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

この世でもっとも尊いのは、ただ末席だけです。

2020年08月06日 | キリスト教
【最後の晩餐】レオナルド・ダ・ヴィンチ

 >>招かれた人々が上座を選んでいる様子に気づいておられたイエスは、彼らにたとえを話された。

「婚礼の披露宴に招かれたときには、上座に座ってはいけません。あなたより身分の高い人が、招かれているかもしれないし、あなたやその人を招いた人が来て、『この人に席を譲ってください』とあなたに言うなら、そのときあなたは恥をかいて、末席に着かなければならないでしょう。

 招かれるようなことがあって、行ったなら、末席に着きなさい。そうしたら、あなたを招いた人が来て、『どうぞもっと上座にお進みください』と言うでしょう。そのときは、満座の中で面目を施すことになります。

 なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです」

 また、イエスは、自分を招いてくれた人にも、こう話された。

「昼食や夕食のふるまいをするなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。でないと、今度は彼らがあなたを招いて、お返しをすることになるからです。

 祝宴を催すばあいには、むしろ、貧しい人、不具の人、足なえ、盲人たちを招きなさい。

 その人たちはお返しが出来ないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです」

 イエスといっしょに食卓に着いていた客のひとりはこれを聞いて、イエスに、「神の国で食事する人は、なんと幸いなことでしょう」と、言った。

(ルカの福音書、第14章7~15節)


 イエスさまのこの、「上座と末席」のお話は、何かと謙遜したがる文化の日本人にとっては、「そら、最初から上座に座ったりするよりは、末席におったほうがええやろ」という、結構当たり前っぽい話かもしれません(^^;)

 今、アメリカでは「ブラック・ライヴズ・マター」運動で、暴動が起きたりしている……とニュースで聞いたりしますが、自分的にアメリカやヨーロッパでは、白人の方がまず真っ先にこの<上座>に座って(もちろんこの場合は社会的な意味で、ということですが)、黒人の方がずっと<末席>に座らされ続けている――ということが問題なのかなという気がしています。

 新型コロナウイルスのことでも、やっぱり黒人の方のほうがいわゆる3Kと言われる仕事に携わっている率が高いため、黒人の方のほうがより危険にさらされている割合が高いって言いますよね。。。

 このイエスさまのお話では、実はこの末席こそが天国にもっとも近い光栄な場所である……とおっしゃっていると思うのですが、もちろん、イエスさまのお話と現在アメリカで起きている「ブラック・ライヴズ・マター」のことは社会的な意味で問題が別なので、分けて考える必要があるにしても――欧米においては、すでに白人の方が議会の議席的なことからはじまって、社会的に有力な席に白人の方と黒人の方が5:5の割合で、完全に平等に座る、ということはないと思うんですよね(^^;)

 これはあくまで、なんとなくなわたしのイメージなのですが、白人の方の主導によってきちんと「マイノリティ席」みたいのは用意されるようになっては来ているものの……それでもやっぱりそれもまた、白人の方の席が十分確保された上で、残りの座席を黒人の方やわたしたち日本人のような黄色人種、その他少数民族の方などが順に座ることが出来る、というのでしょうか。

 この問題に関して、これはあくまで机上の空論的理想論とは思うのですが、聖書に照らし合わせて考えた場合、「この末席から順に座る」ということと、イエスさまが地上の権威ある者たちに逮捕された時におっしゃられた御言葉――「剣(武力)に頼る者は剣(武力)によって滅びる」(マタイの福音書、第26章52節)というこのふたつのことを自分的には連想しました。

 どういうことかというと、黒人の方やその他、民族的少数派とされる人々が、今後より社会的地位が向上していくのは当然とても大切なことなのですが、ガンジーの唱えた非暴力とまでは言わないまでも、それはそうした方向性によって成し遂げられるべきだ、ということです。

 そして、そうした活動を繰り広げている今現在、黒人の方の社会的保証・さらなる向上といったことが実際に成し遂げられるまでは時間がかかると思うので、その間はもし活動に関わっているのがクリスチャンの方であったとすれば、今現在自分が末席に座らされている、末席の側の人間であることを誇りとし、神さまにあって喜ぶことは出来ないだろうかということです。

 欧米社会において、常に上座に座っているのは白人の方かもしれません。そこにはより手厚い社会的保障といったことや、社会的に影響の大きい座席、もっと言うなら経済的に光り輝く金ピカの座席が並んでおり、これまでずっと「ある特別な理由でもない限り、黒人やその他少数民族などがここへ座るなどもっての他だ」といったような無言のうちの圧力というのか、暗黙の了解的事項があったわけですよね。

 でも、もしすべての人がまずは末席から順に座ろうとするなら、この世の中は絶対平和になると思います。けれども、実際には末席から順に座った人々の間で選ばれた方が勧められて上座に座るというのではなく、最初からこの世の権威の最上席には白人の方が順に座るという無言のルールのようなものが存在しているわけです。

 もちろん、こうしたことを重々承知している知識ある人々でも、香港でのように弾圧を受けたとすれば、血を流す革命しかないというところまでいってしまう気持ちもわかるのですが、アメリカでの「ブラック・ライヴズ・マター」に関していえば、まだ民主主義といったものが健全に生きて働いている中で起きていることなので、より平和的に民主主義的な方法によって解決がなされていくようにと願っています

 ええと、実はこの記事、ここまで書いたのが少し前のことなので――実は今あんまりこのムーブメントについて報道で見なくなっちゃった気がするんですけど、どうなってるのかなと思ったりしてます(アメリカでの新型コロナウイルスのニュースはよく見かけるんですけどね^^;)

 それではまた~!!





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