いえ、わたしはラジオじゃありません(笑)
ついこの間、人から薦められて「僕はラジオ」という映画を見たというか
その~、ネットでググっていただくとわかると思うのですが、とても評価の高い映画で、わたしが今見た時点で>>「90%のユーザーがこの映画を高く評価しました」とありますし、アマゾンでは評価が4.5、U-NEXTでも同じくらいだったと思います。
でもわたし、実をいうと自分がクリスチャンだから、「そうしたクリスチャン的価値観」と照らし合わせた場合の評価が4.5くらい、それで、もし自分がクリスチャンじゃなかったらどうかというと……「まあ、4くらいかなあ」という感じなのです、実は(^^;)
もっとも薦めてくださったのはノンクリスチャンの方で、この方自身はまったくもって純粋に映画の内容に感動しておられたんですよね。いえ、なんというかまあ、そこらへん、むしろクリスチャンだというのに素直に感動できないわたしは、人間として薄汚れてるんだろうな~と思います。。。
>>フットボール部のコーチ、ジョーンズは、グラウンドの傍らでよく見かける知的障害を抱える青年にチームの世話係を頼む。ジョーンズは、音楽が好きで片時もラジオを手放さないその青年に"ラジオ"というニックネームを付け、試合や学校の授業にも参加させる。自身の明るさと純粋さで、たちまち人気者になる"ラジオ"。しかし、そんな彼の存在を快く思わない人たちが……人々の優しさ溢れる感動作品!!
いえ、実話が元になっているとても素晴らしい内容を備えた映画で、いわゆる「お涙ちょうだい作品」ということでもなく、むしろそうならないように配慮されているかのような、どちらかというと割と淡々としたストーリー展開のお話と思います。
まあ、日本人的に「アメリカンフットボールが出てくる映画」と聞いただけで、「アメリカ人ってなんであんなにアメフトに狂ってるのか理解できん」といったところがあり、そうした意味で最初のほう見ただけで続き見ない方もいらっしゃるかもしれません。でも、アメフトというより、アメフトを巡る人間関係のほうが主軸と思うので、この部分はあんまし関係ないかなとは思ったり(^^;)
それで、時は確か1960年代のことで、映画にその時代に特有の雰囲気が強く醸しだされているのも素晴らしいと思うのですが、その時代に黒人の方が、それも知的障害を持っていたとしたら、どのような厳しい社会的迫害を受けるか……想像に難くないと思うのですが、高校のアメフト部のコーチ、ハロルド・ジョーンズが、このラジオとあだ名をつけたジェームス・ロバート・ケネディくんのことをひたすら守ってくれるという。
それも特に何か恩着せがましい仕方によってではなく、「そうすることがあまりにも当たり前」といったような、自然な態度によって。このあたり、ジョーンズ・コーチ自身は白人で、こう言ってはなんですが、この時代でいえば白人優位社会に属しているというか、その上アメフト部のコーチって、とにかく一般の人々からも強い尊敬の対象として見られる仕事と思うわけです。ゆえに、周囲にはそのことについて面白くないと感じる人々が出てくる。
たとえば、アメフト部の有力選手ジョニーくんは最初、仲間とラジオくんのことを縛って閉じ込めたりしてますし、アメフト部の応援や手伝いにジョーンズ・コーチがラジオを参加させるのを、「なんであんな奴が……」みたいに感じた部員というのはおそらく、他にもいたはずと思います。でも、コーチの言うことは絶対というわけで、ジョーンズはその後もラジオくんのことを学校という場所に参加させようとする。
このことでジョーンズ・コーチは学校の理事会とも揉めてますし、ラジオくんもいい子なのですが、一度などプレイの暗号を大声で叫んでバラしてしまったり、アメフトって高校の部のものであっても町をあげて応援してますから、選手の両親のみならず、一般の人々にも「ありゃ一体なんだ?」、「ジョーンズ・コーチは一体どうしちまったんだ?」みたいに、疑問に感じた方は他にもたくさんいたはずです。
そんな中、またしてもジョニーくんが、ラジオくんにちょっかいを出し、ラジオくんは騙されて高校の女子更衣室を覗くような真似をしたことで問題になってしまいます。まあ、これがもしフィクションならベタな展開☆といったところですけれど、実際きっと似たようなことがあったのだと思います。けれど、たぶんラジオはアメフト選手として活躍度の高い花形であるジョニーに、尊敬の気持ちや強い憧れの気持ちを持っていたのでしょう。ジョーンズ・コーチに「誰にそうしろと言われたんだ?」といったように問い詰められても、犯人のことは口にしなかった。でも、ジョニーには他に共犯的な仲間がふたりくらいいたことから……ジョーンズ・コーチはそちらから聞いたのだと思います。そこで、ジョニーに次の試合の出場停止を命じるとともに、「ラジオはおまえの名前は言わなかった。だが、このことからおまえは何も学んでおらんようだな」と、強い口調で叱ります。
いえ、自分的にほんと、運動部のコーチってすごいなあって思います(^^;)特にアメリカの高校生って、ガタイもでかいし、運動部に所属してるってだけでもう、わたしが文系か理系のガリ勉男子だったら、「こわいよママ」って感じと思うんですよね(笑)。しかもアメフト部。このやんちゃな年ごろの青年たちをまとめ、試合で勝利に導くことでさらなる尊敬を勝ち得なくてはならないわけですし……ところがこののち、ジョーンズ・コーチはさらなる窮地に。
そもそも、理事会のほうに訴えをだしていたのもジョニーのお父さんだったらしく、ラジオくんを排除するようジョニ父は働きかけようとするわけですが――最終的に、ジョーンズ・コーチは町の関係者の人々が集まった中で、コーチを降りることを宣言します。
まあ、普通だったら「他の奴に首すげかえようぜ」で話は終わりかもしれない。でも、アメフトって誰もがコーチできるような簡単なスポーツじゃないらしいんですよね。やんちゃ盛りの青年たちを一言の元に黙らせるような威厳や手腕やコーチとしての経験が必要なのはさることながら、戦術を練るという部分でも、この部分が勝敗を大きく左右することから……そう簡単に「じゃ、違う奴に来てもらおうぜ」とはならないらしい。また、優秀なコーチに仮に来てもらえたところで、そのチームになじんだり、勝利へ導くまでには――プロの世界でも一年くらいではそう簡単に結果の出ないような厳しい世界。
これはわたしの想像ですけど、ジョーンズ・コーチはそもそも、お給料的にもそんなに高いものをもらってないんじゃないかと思います。町の支援者たちの支援金といったものも、試合の遠征やその他でどんどん消えてゆくことでしょうし、にも関わらずジョーンズ・コーチがアメフト部を率いているのは、「アメフトが好きだ」という強い情熱があるから。そして、アメフト好きな人々はこの異常なまでの狂熱によってひとつの絆で結ばれていると思うわけです
アメリカのアメフトを扱った映画などを見ていると、このあたりはほんと、「そんなもんたりめーだろ!!」くらいな価値観らしいので、「僕はラジオ」の中ではそんなに詳しく語られてないとは思うものの……でも、ジョーンズ・コーチが「コーチを降りる」と言って以降、周囲の人々は「だから言わんこっちゃない」というか、「あ~あ」といったような雰囲気となり、悪者はそんなふうに仕向けたジョニーのお父さん……といった空気に支配される。
また、ジョニーくんもこの父親のほうが間違っているとわかり、ラジオの寄せてくれる友情の気持ちに彼自身気づくようになっていく。このあたりが、決して大袈裟でなく、あくまでさり気なく描かれているところが、わたし的に好感度大だったと思います
なんにしても、これが「実話」だというところがとにかくすごいと感じましたなんでかっていうと、映画の最後のほう、本物のラジオくんとジョーンズ・コーチが出てきて、ラジオが今も同じ高校でアメフト部の応援をしていること、学校とも関わりあいを持っていることが伝えられて終わるので
いえ、何に驚いたって、わたし的にはこの点に一番驚きました映画の中でも、「彼には他の施設に入ってもらえばいいじゃないか」的な話は出ていました。ですから、最後のほうでいくら校長先生が「ラジオくん、これからも好きなだけこの学校にいてください」みたいに卒業式の場面で言っていたとしても……わたし、その後数年くらいラジオくんは高校にいて、それからそうした施設のほうへ移ったとか、そういうことだったのかなと勝手に想像していたというか。
ところが違う!!映画の公開されたのは2003年くらいのようなのですが、ラジオくんはその後も本当に同じ高校にいて、ずっとアメフト部の応援をするのみならず、高校の生徒や先生たちと関わりを持ち続けたということでしたから!!
その~、確かにラジオくんは純真な青年で、「むしろこちらが学ばされる」といったところのあるいい奴ではあります。でも、流石にその後五~六年か、あるいは十年もいれば、「そろそろ出てってくんねえかい?」と、校長先生が代替わりしたあとにでも言われてそうだと思いませんか?
と、ところが……もうラジオくんはある種の伝統としてこの高校の中に組み込まれ、なくてはならない大切な存在になっていったということなのだと思います。ジョーンズ・コーチとラジオくんが日曜日に礼拝を守って教会から出てくる場面がありますが、「それがキリスト教徒としての義務ってもんだよ」といったような堅苦しいことでもなんでもなく――やっぱり、クリスチャン的価値観とまるきり無縁ではないと言いますか、そうしたところが間違いなくあると思いましたので、ちょっと映画の感想書いてみようかと思ったのです(^^;)
それではまた~!!
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