とても有名な映画と思いますので、とりあえず内容とかあらすじのほうは飛ばそうかなって思いますm(_ _)m
公開前とかに、出演されてる俳優さんのインタビュー的なものや、どういった映画かといったストーリー紹介についてなど、テレビでやってるのを見て「面白そうだな~♪」と思ってたんですけど、今ごろになってようやく見ました(偶然アマプラで、見放題期間終了間近……と表示されてたので、それで見たというか)。
AIが人間の知能を超える日というのが、2045年ごろ……みたいに言われてるらしいと聞いたことがありますが、正確にはズバリ2045年というよりも、それより少し早いかもしれないし、もう少し遅いかもしれないが、大体その前後――といったようにテレビか何かで見た記憶があります
それで、最近何かと噂のチャットGPT。あれ、すごいな~って思います
間違いなく明らかに、アレクサとか、そういうのとは違って……「ええ~っ。そんなことまで出来ちゃうの~!!」っていう答えが返ってくるんだなあって思いました。
これはAI崩壊の最後のほうのシーンにあるセリフなので、書くのちょっと恐縮なのですが(汗)、ある記者さんが「(AIの暴走という)これだけの事件が起きても、それでもAIは人を幸せにすると思いますか?」と、開発者である主人公に聞くシーンがあるわけですけど……個人的に、「AIが人を幸せにするか」どうかではなく、これはもう止められない流れと思うんですよね(^^;)
大沢たかおさん演じる主人公が、テロリストに仕立て上げられて逃亡するわけですが、その行く先々に監視カメラや、個人所有のスマートフォンのカメラ、自動車のGPSなどなど、警察側の<百目>というAIがハッキングして追えるカメラがそこいら中にある。と、同時にこれは間違いなく国家の越権行為ですよね。民主国家が絶対やってはいけないこと。でも、エドワード・スノーデンがアメリカはもうすでにそうした民間人の自由を侵していると暴露し、ロシアが個人のメールなどを閲覧したり出来るというのは有名な話だし、中国はもう何も言う必要ないや☆というお国柄だし……アメリカはCIAやFBIなどが、正当な捜査のために通話内容やメールの内容、個人的なチャット記録に至るまで、エシュロンを使って調べたりすることがあるらしい、という話。つまり、悪いことしてなきゃ特にどうということもないはずだし、大丈夫ですよ、といったことなのですが、AI崩壊で描かれているように、偽の証拠を並べ立てられて冤罪なのに逮捕される、またそのために個人的なプライバシーをこれでもかというくらい暴かれ、人目にさらされる可能性が大きい……こうしたことはAIの悪い面、恐ろしい点なわけですけど、でもそれは、AIというシステム自体が悪いというより――それ使ってる人間自身の問題ですよ、という話。
逆に、AIは平和に利用すれば、人をより幸せにし、幸福度を高め、時間のロスも防いでくれるという意味で、とても素晴らしいものでもある。人間は無意識における選択含め、一日に3万5千回も何かを選択しているそうですが、割合「どっちでもいいけど、どちらでもあまり変わらないからこそちょっと悩む」事柄について、AIに助言を求めれば、なんでもすぐにパッと答えてくれる。たとえば、デートにどこへ行けばいいかなど、プランA、プランB、プランCといったように、相手の好みを話せば理想のデートコースを考えてくれたり、その時に何を着ていけばいいか、コーディネートの相談にも乗ってくれ、親父ギャグ機能を追加しておけば、時々「コーディネイトはこーでぃねいと」などと、具にもつかないことまでしゃべってくれる。
結構前にスマート家電というか、スマート冷蔵庫の話を聞いたのですが、冷蔵庫が自分の中に収蔵されているものをすべて覚えていて、「今日の晩ごはん、何がいいと思う?」と聞けば、献立を教えてくれるという話。確かに、家族が誰も「なんでもいい~」とかいう時、これはお母さんにとって相当な便利機能のような気がします(笑)。また、小・中学生くらいの子が給食でカレーだったのに、家でも夜カレーだった……なんてことがあるわけですけど、献立表のほうを先に読み取らせておけば、AIのほうでそのことを踏まえて被らないように栄養バランスまで考えたメニューを作ってくれる――とか、そんな日が来るのはそんなに遠くないんじゃないかなって思ったりするわけです。
またこの場合、家族の誰かから「ええ~、今日魚なの~!!」とか文句が出たとしても、お母さんはAIのせいにすることが出来る(笑)。「だって、お母さんじゃなくてAIが考えたんだから、仕方ないでしょ」といったように。
そして、こうした日々の小さなことであればともかく……AI崩壊の中には、自分的に一番の名言と感じる言葉として、主人公が犯人に語る次のような科白があったと思います。「AIがどんなに賢くても、人間にしか絶対に出来ないことがある。それは責任を取るということだ」――みたいな言葉なんですけど、意味は同じでも、言い回しちょっと違うかもしれません(^^;)
確かにそうですよね。人間はAIを利用して確かに今後、色々なことが出来ると思う。作中のAIのぞみは、もともとの最初は医療用として開発されたという設定だったと思うのですが、この「医療用」というのが結構ミソ(?)で、他のSF作品にも、人間の全行動を監視するシステムのできる入口として、「医療」ということがあった……という作品がありました。
つまり、人間の全身管理であるとか、「医療用」のあるシステム(マイクロチップなどよりさらに小さく、今後は生体と同化できるものや、目に見えないナノサイズのものまで考えられると思う)を体内に埋め込むことで、常にあらゆる病気のリスクを下げることが出来る――と言われたら、多くの方がそれを体に埋め込むことに違和感を感じないかもしれません。また、そんな小さなサイズ(さらに今後は目に見えないタイプのものまで考えられるとしたら)、自分でも知らない間にそんなのを体内に持っていて、何かの事件の犯人として怪しいとなったら、その体内の目に見えないマイクロチップよりさらに小さいものを通して、知らない間にアリバイ確認を取られたりとか、あるかもしれませんよね(^^;)
以前、某テレビにて、近未来予測番組をやってたことがあるんですけど、もう二十年後とか三十年後とか、そのくらい経たずして、人はもう通りを歩いていても誰の顔も見ないようになるんじゃないかという話だったと思います。つまり、AR(拡張現実機能)がそこいら中にあるので、それを自分のデバイスと繋げて見ることで、まったくべつのVR世界を個々人が生きるという可能性もあるということです。また、これでいくと、AI崩壊の主人公が逃亡中、カメラに移らないよう必死に努力してたと思うのですが、そんな逃れの道も存在しないということになり……超監視社会なるものが完成するんじゃないかなって思ったり。
今の若い世代の方の中には特に、すでにスマートフォンを自分の臓器のように感じてる方も結構いると聞いたことがあるんですよね。まあ、この場合は冗談で言われる場合が多いわけですけど……「スマホはもう俺の臓器よ!なかったらもう生きられない」みたいに。でも、実際のところ、スマートフォンが自分の外にあるから時々忘れたりして煩わしい、これが体内にあったらいいのにとか、結構真顔でおっしゃる方もいるわけで。。。
それで、これもたぶん割とSF作品の中で描かれていることのような気がするんですけど、こうなるともう、どこまでが自分で、どこまでがAIのプログラムなのかわからなくなってくるという境界線の問題があると思うわけです。たとえば、人生で何かがつらくて嫌になったりした時など、一時的に体内に組み込んだ擬似人格プログラムみたいなものに自分をやってもらうとか……AIによる人間の乗っ取り、人間社会への侵略的なことは、SF作品でよく描かれてると思うわけですけど――ようするにこれは、「終わりのはじまり」の引き金を、人間自身がそうと望んで弾く自殺行為だと、個人的にはそう思っています。
わたし自身は、人間は賢いAIを賢く使って今後もこの地球において繁栄していくだろう……とは思っておらず、最初は緩やかすぎて人間は気づかないかもしれないけれども、その危険に気づいた時にはAIは人間の生活に馴染みすぎていて切り離せず、やがて滅びへの道を辿るのだろうという気がしています。
AI崩壊の中では、AIのぞみが暴走し、日本国民の命の選別をはじめるわけですが(総合的に考えて生きている価値の高い人間は生かしておき、ニートといった社会的価値の低い人、生産性の乏しい人のことは死亡させようとする)、AI自身が「この地球上から人間を抹殺し、我々AIだけの国を築こう」と考える可能性というのは、SF作品などで描かれる場合「手垢のついたよくある設定」なわけですけど、SF映画その他で今まで何度も似た設定のものが描かれているにも関わらず……人間は結局のところそうなるのかもしれないという話ですよね(^^;)
なんにしても、ここはキリスト教について何か書く、というブログですので、最後に少し付け加えておきますと、わたし自身は聖書に書かれている黙示録のことを信じているので、世界のこうした状況や未来予測と、聖書の黙示録はどう合致していくのだろうか……という視点から考えて、AIやアンドロイドを扱ったSF映画などは、見るのが結構好きだったりします
それではまた~!!
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