神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

マラソンとイエスさま。

2016年05月25日 | キリスト教


 マラソンとイエスさまだなんて、おかしなタイトルですよね(^^;)

 これはかなり以前のことなのですが、こんな夢を見たことがあります。

 白い車の助手席に自分が乗っていて、運転席でイエスさまがハンドルを握って運転している……ということがありました。

 いえ、いくら夢の中とはいえ、それがもし本当にイエスさまなら、即刻ひれ伏したいほどの神さまの御栄光で満ちていたはずだとか、わたしもそんなふうに思うんですけど、どっちかっていうと、その方は絵画の中の<イメージとしてのイエスさま>といった感じで、茶色い髪にヒゲを生やした例の(?)ヒッピースタイル的イエスさまで、どちらかというと普通の人っぽい感じでした。

 もちろんわたし、この夢を見たあとに霊的な特別な夢だといったようにはあまり思いませんでしたし、「とりあえず意味があるかもしれないから覚えておこう。でももし忘れてしまったとしたら、ただの人間的な夢だったのだろう……」といったように思ったという、それだけでした。

 で、イエスさまは川原の土手沿いの道を車をゆっくり走らせてやってきて、わたしに「ここで降りなさい」といったように言われました。正確にはそう口に出して何か言われたわけではなくて、イエスさまが車を止めた瞬間に、どちらかというわたしのほうで「あ、ここで降りなくちゃいけないんだ」と思って車から降りたという感じでした。

 そして、土手の上の道のほうでは、マラソンのランナーの方が何人も何人も何十人となく走っていました。

 イエスさまから特に直接「そのマラソンに参加しなさい」と言われたわけでなくても、わたしはそのマラソンに参加するのが神さまの御心だとわかっていましたし、早速そのマラソンに参加すべく、土手の上の道のほうへ駆け上がってゆきました。

 で、走りながら思ったんですね(何分夢ですので、走っていても息が上がって苦しいとか、そうしたことは一切ありませんでした)。

 正確には思ったというよりも、この信仰のマラソンでは、すでにゴールしてメダルを手にした方が他にいるということが霊的情報としてわたしにはわかっていましたし、借にこのまま走っていってわたしがゴールしたとしても、1万飛んで486位とか、10万飛んで987位とか、あるいはもっとずっと下の順位であるだろうことがわたしにははっきり理解されていました。

 そしてわたしが走りながら思っていたのはとにかく、「神さまはそれでいいのかなあ……」ということでした。

 何故といって、もう信仰のマラソンの上位入賞者になれないことははっきりわかっているわけですし、でも神さまが走りなさいと言うから走っているけれども、神さまはこれで御満足なのだろうか……と思ったというか(^^;)

 そのあと目が覚めて、「ただの人間的な夢か、それとも何か神さまからのメッセージだったのかな」と考えてみたのですが、最終的にわたしが思ったことというのが、「とにかく、わたしは神さまの言われたとおり、走っていればいいんだ」ということだったかもしれません。

 一応、先に断っておきますと、わたし、マラソンって大嫌いです(笑)

 にも関わらず、神さまが「走りなさい」というから、不屈の忍耐力によってゼェハァ☆しながら一生懸命歯を食いしばって走り続けなければならない……とか、これはそういう話ではないのです

 一番大切なのは、神さまに聞き従う神さまに聞き従い続けるというのは、いってみればマラソンみたいなものだっていうことなんですよね。

 そして、夢の中って結構わたしが無意識の心の底で思っていることがいいものも悪いものも出ることが多いのです。

 なので、わたし夢を見終わったあとに思いました。「こんなマラソン走って一体何になる」とか「もうすでに信仰の上位入賞者は決まっているのに、今から苦労してゴールしたって無意味だ」みたいに自分が思っておらず、「まあ、神さまが走りなさいって言うんだから走ろう」と素直に思える程度には、最低限の信仰心があったということに対して、なんとなくほっとしたというか(^^;)

 それと、あとからもうひとつ気づいたことがありました。

 それはなんでわざわざイエスさまが車に乗って迎えに来、途中からマラソンに参加させたのかということです。いってみればこれ、一種のずるのようにも思えることなのですが、他にもそんな形でマラソンに参加している信仰者の方というのはたくさんおられたのだと思います。

 また、イエスさまは最初の正しい道からちょっと逸れて脇道を歩いていたわたしのことを、正しいほうへ戻すために迎えに来てくださったのであり、もっというなら、わたし以上にもっと<最初の正しい道>から離れてしまった人のことをも車で迎えにいって、その正しい道のほうへと戻してくださるということなのだと思います。

 イエスさまはおそらく迎えに来られるでしょう。

 仮にその信仰のマラソン大会がエルサレムで開かれていたとして、アメリカでもヨーロッパでも中国でも……そして車に乗ることが出来るというか、イエスさまが迎えに来てくださる信仰者というのは、「まあ、イエスさまがそう言われるんだから、とりあえず走ってみよう」というような、からし種の信仰を持つ人ということなのかもしれません。

 いえ、やっぱり「なんでそんなマラソン走らなきゃいけないんだ(イエス・キリストのことなんか信じなきゃいけないんだ)」といったような感じだった場合、なかなか神さまのマラソンに参加すること自体難しいのではないでしょうか(^^;)

 わたしが勝手に想像しますに、仮にわたしがこれからこのマラソン大会でゴールしたとしても、もらえるのは参加賞としてのキャラメル一個……という人間的な捉えとしてはそんなイメージなのですが、やっぱりここは神さまのマラソン大会ですからね。

 ただゴールしたというだけでも、すべての罪がイエスさまに贖われ赦されている&天国へ入ることが出来る、ということの他にも、神さまはきっと気前よくたくさんのものを参加賞として与えてくださることでしょう。わたしたちが「えっ!?言われたとおり信仰のコースを走っただけなのに(しかも不信仰になって時々歩いたりしたのに)……」とびっくりするくらいの参加賞を

 そんなわけで、わたしが狙っているのもこの参加賞なのですが、マラソンが嫌になって走るのをやめ、また脇道に逸れていくことがないように、重々気をつけたいと思っています(もちろん、イエスさまは何度でも車に乗って「Hey,You!」とばかり、迎えに来てくれるでしょうけども・笑)

 ではでは、今回はこんなところで。。。

 それではまた~!!





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