
【エン・ドルの口寄せの家でサウルに現れるサムエルの霊】サルヴァトル・ローザ
タイトルのほうは「サウルとダビデ」なのですが、お話の流れとしては「キリスト教的観点から読むマクベス【6】」の続きといったところです(^^;)
マクベスがダンカン王を殺害したことが何故いけない、悪いことだったのか……新潮文庫さんから出ている福田恒存さん訳の『マクベス』の解説などを読むと、マクベスには王位を奪ってもいいだけの正統な理由があったというように書かれていますし、実在したマクベスさんというのはシェイクスピアが書いたような暴君ということもなく、>>武勇の誉れ高く、信仰心も厚く、国王として立派な業績を上げた方だったようです
わたし、英国の歴史に詳しいわけでもなんでもないので、このあたりのことはいつか機会があったら調べてみたいと思うのですが、聖書と照らし合わせてみた場合、やはりいかな理由あろうとも、神さまが立てた君主を部下が殺める――というのは良くないことだというのがわかります。
もちろん、相手がどうしようもない暴君であった場合、優秀な部下が君主を殺して天下を取るといったことは民衆にとっていいことだと思うのですが、そのあたりはやはりイスラエルには特殊な歴史的経緯がありますよね。
旧約聖書は、もし一言で一般的にわかりやすく言ったとすれば、『神に選ばれた民の、神に背き続けた歴史的背信の書』と言っていいと思うのですが、その歴史のある時期に、サウルという王さまがいました。
彼は、ベニヤミン族の出のキシュの息子で、当時の一般男性より肩から上だけ背が高く、とても美しい若者だったそうです。>>彼は美しい若い男で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった(サムエル記第一、第9章2節)とありますが、容姿が美しいという以外では特に何か優れた特殊技能を持っていたということもなく、普通の(?)羊飼いとして暮らしている青年だったようです。
このことが書かれているのは、旧約聖書のサムエル記第一で、サムエルというのは神さまから選ばれた預言者でした。そして、イスラエルの人々は、神さまが王としてイスラエルという国を束ねるというのではなく、「他の国々と同じように我々にも王さまが必要だ」とサムエルに言い、このことに対し彼が神さまにお伺いを立ててみると、神さまは民に対し不本意ながらも同意を示されたのでした。
>>彼らが、「私たちをさばく王を与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは主に祈った。
主はサムエルに仰せられた。
「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。
わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのした事といえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。
今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ」
そこでサムエルは、彼に王を求めるこの民に、主のことばを残らず話した。
(サムエル記第一、第8章6~10節)
すなわち、>>「あなたがたを治める王の権利はこうだ。王はあなたがたの息子をとり、彼らを自分の戦車や馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる」、「自分のために彼らを千人隊の長、五十人隊の長として、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や、戦車の部品を作らせる」、「あなたがたの娘をとり、香料作りとし、料理女とし、パン焼き女とする」、「あなたがたの畑や、ぶどう畑や、オリーブ畑の良い所を取り上げて、自分の家来たちに与える」、「あなたがたの穀物とぶどうの十分の一を取り、それを自分の宦官や家来たちに与える」、「あなたがたの奴隷や、女奴隷、それに最もすぐれた若者や、ろばを取り、自分の仕事をさせる」、「あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがたは王の奴隷となる」……ということであり、さらに>>「その日になって、あなたがたが、自分たちに選んだ王ゆえに、助けを求めて叫んでも、その日、主はあなたがたに答えてくださらない」と、そう書かれています。
けれど、それでも民たちが「我々には他の国と同じように王さまが絶対に必要だ」と言い張り続けたため、そこでサムエルは神さまが王さまとして選んだキシュの子サウルに油を注ぎ、王としたのでした。
サウルは王になった最初の頃は神さまに聞き従う形で王としての務めを果たしていたと思うのですが、それでもある時、戦に出る前の生贄の儀式のことで、神さまの御心を損なう行動を取ってしまったことから――サムエルより王の位から退けられてしまいます。
>>サウルは、サムエルが定めた日によって、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで民は彼から離れて散って行こうとした。
そこでサウルは、「全焼のいけにえと和解のいけにえを私のところに持って来なさい」と言った。こうして彼は全焼のいけにえをささげた。
ちょうど彼が全焼のいけにえをささげ終わったとき、サムエルがやって来た。サウルは彼を迎えに出てあいさつした。
サムエルは言った。
「あなたは、なんということをしたのか」
サウルは答えた。
「民がわたしから離れ去って行こうとし、また、あなたも定められた日にお見えにならず、ぺリシテ人がミクマスに集まったのを見たからです。
今にもぺリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです」
サムエルはサウルに言った。
「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。
今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。あなたが、主の命じられたことを守らなかったからだ」
(サムエル記第一、第13章8~14節15)
もっとも、サムエルからこのような宣告があったのちもサウルは王さまであり続けたので、その後ダビデの治世へ入るまでは、ダビデもなかなかに大変な苦労を経てイスラエルの王位に就くということになります。
そして実際ダビデには、サウルのことをその王位から蹴落とす機会がありながらも、ダビデはサウルが神の立てた王であるということから、自分で手を下す、あるいは配下の者に殺害させるということはしなかったのです。
>>「実はきょう、いましがた、主があのほら穴で私の手にあなたをお渡しになったのを、あなたはご覧になったのです。ある者はあなたを殺そうと言ったのですが、私は、あなたを思って、『私の主君に手を下すまい。あの方は主に油を注がれた方だから』と申しました」
(サムエル記第一、第24章10節)
神さまが自分の次の王としてダビデを選んだと知った時、サウルは自分の王としての立場が危ういと思い、忠臣な部下ダビデを殺させようとしたのですが、逆にダビデのほうではサウルに手を下す機会がありながらもそうはしませんでした。
このことを『マクベス』のお話に結びつけるとしたら、やはり同じ理由からマクベスはダンカン王を殺害すべきでなかったということになると思うんですよね。
もっとも、スコットランドとイスラエルでは、国の成り立ちといった経緯が当然違いますから、まったく同じとは言えないにしても、何か人生上のことでわたしたち人間が思い悩む時、聖書のどこかにその答え、あるいは拠り所に出来る言葉というのは必ず書かれているといっていいと思います。
そして、神さまの御心から背く道を行くことになったサウルは、マクベスと同じように神さまに顧みられることなく戦場で果てるのですが、やはりサウルもまたマクベスと同じように、神さまに背く罪の道へ入っていった時、神の真理の霊ではない他の霊的存在に頼ろうとして、エン・ドルの霊媒女を訪ねています。
>>サウルはぺリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。
それで、サウルは主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、サウルは自分の家来たちに言った。
「霊媒をする女を捜して来い。私がその女のところに行って、その女を尋ねてみよう」
家来たちはサウルに言った。
「エン・ドルに霊媒をする女がいます」
【中略】
サウルは彼女に尋ねた。
「どんな様子をしておられるか」
彼女は言った。
「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます」
サウルは、その人がサムエルであることがわかって、地にひれ伏しておじぎをした。
サムエルはサウルに言った。
「なぜ、わたしを呼び出して、私を煩わすのか」
サウルは言った。
「私は困りきっています。ぺリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました」
サムエルは言った。
「なぜ、私に尋ねるのか。主はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。
主は、私を通して告げられたとおりのことをなさったのだ。主は、あなたの手から王位をはぎ取って、あなたの友ダビデに与えられた。
あなたは主の御声に聞き従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、主はきょう、このことをあなたにされたのだ。
主は、あなたといっしょにイスラエルをぺリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子も私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をぺリシテ人の手に渡される」
すると、サウルは突然、倒れて地上に棒のようになった。サムエルのことばを非常に恐れたからである。それに、その日、一昼夜、何の食事もしていなかったので、彼の力がうせていたからである。
(サムエル記第一、第28章5~20節)
この時、サムエルはすでに亡くなっていたので、このような形でサウルは神さまの宣告を受けるということになったのですが――いえ、サウルってほんと、マクベス同様とても気の毒な王さまだったと思うのです
そもそも、戦の前に生贄を捧げるということについても、サムエルが生贄を捧げる時間に遅れて来たから自分で捧げたということなのに、そのことを責められて王の位はダビデに移ると宣告され……もちろん、カインとアベルの生贄同様、サウルは神さまとまったく心がひとつになっていない、この頃からすでに神さまから心が離れつつあったという背景があったとは思うものの、その後一切神さまの御言葉を聞くということが出来なくなり、不安に駆られた末に霊媒女に頼り――そこでまたとどめとばかり、自分の破滅について宣告されるだなんて……。
イスラエルの初代の王、サウルは最終的に祝福されない人生を選んでしまったわけですが、個人的にわたし、このサウル王にとはとても思い入れが強いのです(^^;)
いえ、やっぱり普通の羊飼いとして暮らしていたところをサムエルによって王に命じられたとはいえ――現代のわたしたちで言うなら、庶民の暮らしをしてたところに、突然総理大臣か天皇になれと言われたようなものだと思いますから、そのような権力の座に一度就いたらやっぱり、少しくらいは贅沢な暮らしをしたいとか、おにゃのこ達とウハウハしたいぜ
とか、なんか色々あると思うのです(笑)
けれど、サウルは何が直接の原因で理由だったかはわかりませんが、とにかく神さまの御心から背く道をいき、預言者サムエルを通して神さまから退けられました。そして、そうした神さまからの守りのなくなったサウルは、やはりマクベスと同じように悪霊に悩まされることになったようです。
女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。
「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」
サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。
「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ」
その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。
その翌日、神からの悪い霊がサウルに激しく下り、彼は家の中で狂いわめいた。ダビデは、いつものように、琴を手にしてひいたが、サウルの手には槍があった。
サウルはその槍を投げつけた。ダビデを壁に突き刺してやろう、と思ったからである。しかしダビデは二度も身をかわした。
サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。
(サムエル記第一、第18章7~12節)
こうして見てくると、サウルとマクベスの人生には結構共通点があると思うんですよね。
神さまの御心に背くことを選択する→ゆえに、神以外の霊的な存在に頼るしかなくなる→やがて破滅の道へと堕ちていく……といった意味合いにおいて。そして、サウルはどうだったかわからないものの、新約聖書以降の恵みの時代を生きていたマクベスには、人生のどの地点においてでも、真に悔い改めて神さまに立ち返るということさえすれば、その重い罪をも主イエスの血潮の力に赦されて、再び天国へと通じる門が開かれる道があったはずなんですよね
けれど、その門前に魔女たちが立ち塞がり、別の道へとマクベスのことを案内してしまいました。
そしてこの魔女たちのやり口というのが、本当に巧みなものだったんですよね。彼女たちは、ほんのちょっとのそそのかしの言葉と恐ろしい魔術によって、マクベスのことを地獄へと通じる門の入口まで案内したのですから……魔女だの魔術だの地獄だのという単語を聞いてしまうと、そんなのは物語世界にしか存在しない何かであるように感じられますが、実際これと同じことが現代を生きるわたしたちの世界でもまったく同じように存在しているのです。
たとえば、<魔女狩り>という言葉を聞くと、ある過去の時代に起きた凄惨な出来事、といったように人は思うかもしれません。けれど、インターネットを開いてみると、ある特定のサイトではまったく同じことが行われているのがわかります。ただ<やり口>が変わったというだけにすぎない、こうしたことが、本当に今もたくさんあると思うんですよね(^^;)
では、次回は、マクベスほどひどいことをしていたら、いくら悔い改めても流石の神さまももはや赦してくださらないのでは……ということについて、少し触れてみたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!
タイトルのほうは「サウルとダビデ」なのですが、お話の流れとしては「キリスト教的観点から読むマクベス【6】」の続きといったところです(^^;)
マクベスがダンカン王を殺害したことが何故いけない、悪いことだったのか……新潮文庫さんから出ている福田恒存さん訳の『マクベス』の解説などを読むと、マクベスには王位を奪ってもいいだけの正統な理由があったというように書かれていますし、実在したマクベスさんというのはシェイクスピアが書いたような暴君ということもなく、>>武勇の誉れ高く、信仰心も厚く、国王として立派な業績を上げた方だったようです

わたし、英国の歴史に詳しいわけでもなんでもないので、このあたりのことはいつか機会があったら調べてみたいと思うのですが、聖書と照らし合わせてみた場合、やはりいかな理由あろうとも、神さまが立てた君主を部下が殺める――というのは良くないことだというのがわかります。
もちろん、相手がどうしようもない暴君であった場合、優秀な部下が君主を殺して天下を取るといったことは民衆にとっていいことだと思うのですが、そのあたりはやはりイスラエルには特殊な歴史的経緯がありますよね。
旧約聖書は、もし一言で一般的にわかりやすく言ったとすれば、『神に選ばれた民の、神に背き続けた歴史的背信の書』と言っていいと思うのですが、その歴史のある時期に、サウルという王さまがいました。
彼は、ベニヤミン族の出のキシュの息子で、当時の一般男性より肩から上だけ背が高く、とても美しい若者だったそうです。>>彼は美しい若い男で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった(サムエル記第一、第9章2節)とありますが、容姿が美しいという以外では特に何か優れた特殊技能を持っていたということもなく、普通の(?)羊飼いとして暮らしている青年だったようです。
このことが書かれているのは、旧約聖書のサムエル記第一で、サムエルというのは神さまから選ばれた預言者でした。そして、イスラエルの人々は、神さまが王としてイスラエルという国を束ねるというのではなく、「他の国々と同じように我々にも王さまが必要だ」とサムエルに言い、このことに対し彼が神さまにお伺いを立ててみると、神さまは民に対し不本意ながらも同意を示されたのでした。
>>彼らが、「私たちをさばく王を与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは主に祈った。
主はサムエルに仰せられた。
「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。
わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのした事といえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。
今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ」
そこでサムエルは、彼に王を求めるこの民に、主のことばを残らず話した。
(サムエル記第一、第8章6~10節)
すなわち、>>「あなたがたを治める王の権利はこうだ。王はあなたがたの息子をとり、彼らを自分の戦車や馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる」、「自分のために彼らを千人隊の長、五十人隊の長として、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や、戦車の部品を作らせる」、「あなたがたの娘をとり、香料作りとし、料理女とし、パン焼き女とする」、「あなたがたの畑や、ぶどう畑や、オリーブ畑の良い所を取り上げて、自分の家来たちに与える」、「あなたがたの穀物とぶどうの十分の一を取り、それを自分の宦官や家来たちに与える」、「あなたがたの奴隷や、女奴隷、それに最もすぐれた若者や、ろばを取り、自分の仕事をさせる」、「あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがたは王の奴隷となる」……ということであり、さらに>>「その日になって、あなたがたが、自分たちに選んだ王ゆえに、助けを求めて叫んでも、その日、主はあなたがたに答えてくださらない」と、そう書かれています。
けれど、それでも民たちが「我々には他の国と同じように王さまが絶対に必要だ」と言い張り続けたため、そこでサムエルは神さまが王さまとして選んだキシュの子サウルに油を注ぎ、王としたのでした。
サウルは王になった最初の頃は神さまに聞き従う形で王としての務めを果たしていたと思うのですが、それでもある時、戦に出る前の生贄の儀式のことで、神さまの御心を損なう行動を取ってしまったことから――サムエルより王の位から退けられてしまいます。
>>サウルは、サムエルが定めた日によって、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで民は彼から離れて散って行こうとした。
そこでサウルは、「全焼のいけにえと和解のいけにえを私のところに持って来なさい」と言った。こうして彼は全焼のいけにえをささげた。
ちょうど彼が全焼のいけにえをささげ終わったとき、サムエルがやって来た。サウルは彼を迎えに出てあいさつした。
サムエルは言った。
「あなたは、なんということをしたのか」
サウルは答えた。
「民がわたしから離れ去って行こうとし、また、あなたも定められた日にお見えにならず、ぺリシテ人がミクマスに集まったのを見たからです。
今にもぺリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです」
サムエルはサウルに言った。
「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。
今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。あなたが、主の命じられたことを守らなかったからだ」
(サムエル記第一、第13章8~14節15)
もっとも、サムエルからこのような宣告があったのちもサウルは王さまであり続けたので、その後ダビデの治世へ入るまでは、ダビデもなかなかに大変な苦労を経てイスラエルの王位に就くということになります。
そして実際ダビデには、サウルのことをその王位から蹴落とす機会がありながらも、ダビデはサウルが神の立てた王であるということから、自分で手を下す、あるいは配下の者に殺害させるということはしなかったのです。
>>「実はきょう、いましがた、主があのほら穴で私の手にあなたをお渡しになったのを、あなたはご覧になったのです。ある者はあなたを殺そうと言ったのですが、私は、あなたを思って、『私の主君に手を下すまい。あの方は主に油を注がれた方だから』と申しました」
(サムエル記第一、第24章10節)
神さまが自分の次の王としてダビデを選んだと知った時、サウルは自分の王としての立場が危ういと思い、忠臣な部下ダビデを殺させようとしたのですが、逆にダビデのほうではサウルに手を下す機会がありながらもそうはしませんでした。
このことを『マクベス』のお話に結びつけるとしたら、やはり同じ理由からマクベスはダンカン王を殺害すべきでなかったということになると思うんですよね。
もっとも、スコットランドとイスラエルでは、国の成り立ちといった経緯が当然違いますから、まったく同じとは言えないにしても、何か人生上のことでわたしたち人間が思い悩む時、聖書のどこかにその答え、あるいは拠り所に出来る言葉というのは必ず書かれているといっていいと思います。
そして、神さまの御心から背く道を行くことになったサウルは、マクベスと同じように神さまに顧みられることなく戦場で果てるのですが、やはりサウルもまたマクベスと同じように、神さまに背く罪の道へ入っていった時、神の真理の霊ではない他の霊的存在に頼ろうとして、エン・ドルの霊媒女を訪ねています。
>>サウルはぺリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。
それで、サウルは主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、サウルは自分の家来たちに言った。
「霊媒をする女を捜して来い。私がその女のところに行って、その女を尋ねてみよう」
家来たちはサウルに言った。
「エン・ドルに霊媒をする女がいます」
【中略】
サウルは彼女に尋ねた。
「どんな様子をしておられるか」
彼女は言った。
「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます」
サウルは、その人がサムエルであることがわかって、地にひれ伏しておじぎをした。
サムエルはサウルに言った。
「なぜ、わたしを呼び出して、私を煩わすのか」
サウルは言った。
「私は困りきっています。ぺリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました」
サムエルは言った。
「なぜ、私に尋ねるのか。主はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。
主は、私を通して告げられたとおりのことをなさったのだ。主は、あなたの手から王位をはぎ取って、あなたの友ダビデに与えられた。
あなたは主の御声に聞き従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、主はきょう、このことをあなたにされたのだ。
主は、あなたといっしょにイスラエルをぺリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子も私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をぺリシテ人の手に渡される」
すると、サウルは突然、倒れて地上に棒のようになった。サムエルのことばを非常に恐れたからである。それに、その日、一昼夜、何の食事もしていなかったので、彼の力がうせていたからである。
(サムエル記第一、第28章5~20節)
この時、サムエルはすでに亡くなっていたので、このような形でサウルは神さまの宣告を受けるということになったのですが――いえ、サウルってほんと、マクベス同様とても気の毒な王さまだったと思うのです

そもそも、戦の前に生贄を捧げるということについても、サムエルが生贄を捧げる時間に遅れて来たから自分で捧げたということなのに、そのことを責められて王の位はダビデに移ると宣告され……もちろん、カインとアベルの生贄同様、サウルは神さまとまったく心がひとつになっていない、この頃からすでに神さまから心が離れつつあったという背景があったとは思うものの、その後一切神さまの御言葉を聞くということが出来なくなり、不安に駆られた末に霊媒女に頼り――そこでまたとどめとばかり、自分の破滅について宣告されるだなんて……。
イスラエルの初代の王、サウルは最終的に祝福されない人生を選んでしまったわけですが、個人的にわたし、このサウル王にとはとても思い入れが強いのです(^^;)
いえ、やっぱり普通の羊飼いとして暮らしていたところをサムエルによって王に命じられたとはいえ――現代のわたしたちで言うなら、庶民の暮らしをしてたところに、突然総理大臣か天皇になれと言われたようなものだと思いますから、そのような権力の座に一度就いたらやっぱり、少しくらいは贅沢な暮らしをしたいとか、おにゃのこ達とウハウハしたいぜ


けれど、サウルは何が直接の原因で理由だったかはわかりませんが、とにかく神さまの御心から背く道をいき、預言者サムエルを通して神さまから退けられました。そして、そうした神さまからの守りのなくなったサウルは、やはりマクベスと同じように悪霊に悩まされることになったようです。
女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。
「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」
サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。
「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ」
その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。
その翌日、神からの悪い霊がサウルに激しく下り、彼は家の中で狂いわめいた。ダビデは、いつものように、琴を手にしてひいたが、サウルの手には槍があった。
サウルはその槍を投げつけた。ダビデを壁に突き刺してやろう、と思ったからである。しかしダビデは二度も身をかわした。
サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。
(サムエル記第一、第18章7~12節)
こうして見てくると、サウルとマクベスの人生には結構共通点があると思うんですよね。
神さまの御心に背くことを選択する→ゆえに、神以外の霊的な存在に頼るしかなくなる→やがて破滅の道へと堕ちていく……といった意味合いにおいて。そして、サウルはどうだったかわからないものの、新約聖書以降の恵みの時代を生きていたマクベスには、人生のどの地点においてでも、真に悔い改めて神さまに立ち返るということさえすれば、その重い罪をも主イエスの血潮の力に赦されて、再び天国へと通じる門が開かれる道があったはずなんですよね

けれど、その門前に魔女たちが立ち塞がり、別の道へとマクベスのことを案内してしまいました。
そしてこの魔女たちのやり口というのが、本当に巧みなものだったんですよね。彼女たちは、ほんのちょっとのそそのかしの言葉と恐ろしい魔術によって、マクベスのことを地獄へと通じる門の入口まで案内したのですから……魔女だの魔術だの地獄だのという単語を聞いてしまうと、そんなのは物語世界にしか存在しない何かであるように感じられますが、実際これと同じことが現代を生きるわたしたちの世界でもまったく同じように存在しているのです。
たとえば、<魔女狩り>という言葉を聞くと、ある過去の時代に起きた凄惨な出来事、といったように人は思うかもしれません。けれど、インターネットを開いてみると、ある特定のサイトではまったく同じことが行われているのがわかります。ただ<やり口>が変わったというだけにすぎない、こうしたことが、本当に今もたくさんあると思うんですよね(^^;)
では、次回は、マクベスほどひどいことをしていたら、いくら悔い改めても流石の神さまももはや赦してくださらないのでは……ということについて、少し触れてみたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!

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