神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

神の勝利。

2021年11月16日 | キリスト教

 これは、前にマーリン・キャロザース先生の文章でお読みしたことなんですけど……ええと、細かい言い回しは忘れてしまったものの、大体の意味としては次のようなことだったと思います。

 つまり、この世の終末には――いえ、今現在そうした戦いの最中にある方にとっても――神さま、イエス・キリスト軍とこの世の軍勢(サタンの軍勢)の戦いというのを野球に例えた場合、1~9回の表まで、まあ向こう(サタンの軍勢)が攻めに攻めてホームランを打ちまくり、999対1とか、なんかもう神の軍勢負けまくりみたいな、そういう究極の状態にまで陥るわけです。

 ところが、9回の裏、イエス・キリスト軍はその後10,000点入れてサタンの軍勢に圧勝するという……まあこれ、たとえ話ですから、もうちょっと現実的な点数の入れ方でいうと、サタン軍が1回から9回表まで、10点くらい入れてるのに、キリスト軍は各回1~2点くらいしか入ってないとか、たぶんなんかそんな感じのことですよね(^^;)

 でも、どんなに精神的に粘り強く信仰心の厚い人でも、9回の表あたりでもう絶望してるのではないでしょうか。ところが、人々が絶望してるその時にこそ、神さま、イエス・キリスト軍の圧倒的な勝利が現されるという。。。

 問題は、「最終的にイエスさまが勝つにしても、1~9回の表の間、わたしたちがどんな信仰的態度でいるか」ということだと思います。マーリン・キャロザース先生の「どんなことも(いいことも悪いことも)神さまに感謝する」ということを実践して、どんなに状況が悪くなっても、いずれ現されるイエスさまの勝利を信じ続けることが出来るかどうか、という。

 もちろんこれはとっても難しいことだと思います。おためごかしでない、そんな信仰的態度でずっと頑張ってきたけれど、9回の表くらいになると流石に「もう駄目だ。終わりだ」となるのが普通と思います。ところが、そこでみんなが片膝をついて絶望していると、イエスさまが現れてべっ!と手のひらにつばきしてバッターボックスに立ってくださるという

 さて、このことを契機として逆転がはじまった――としても、今わたしたちは自分が問題のどこらへんにいるかがまったくわかりません。たとえば、「今は5回の裏だ」とか、「8回の裏だから、9回裏になればイエスさまが来てくださるぞ。それまでみんな頑張るんだ!」とわかっていればまだしも、果たして今人間というのは、神さまの目から見て何回の表なのか裏なのかもわからない……というところがとても悩ましいわけです(^^;)

 とにかく、わたし個人の信仰というのは、99.9%不利な状況にあっても、残りの0.1%、ここにわたしたちの信仰心が働けば、あとのことはイエスさまがどうにかしてくださるという、そうしたものです(からし種の信仰)。

 ええとですね、なんでこうした書き方をしたかというと、ちょっと次回以降また「こういう自己啓発系の本を読んだ」的ネタについて書きますが、そうした記事を書いたとしても、わたし自身に何か二心があるということではない……という、一応先にそう信仰表明として書いておこうかなと思ったと言いますか(^^;)

 では、そういうことでよろしくお願いします(何ヲ?

 それではまた~!!






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