神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

神さまの愛、プライスレス。

2021年11月10日 | キリスト教

 プライスレス、なんて聞くと、もしかしたら「お金のかからないこと」、「お金がかからなくてラッキーなこと」と思ってる方もおられるかもしれません


・プライスレス(priceless)

 お金では買えない、金銭には換えがたいほど貴重な、きわめて価値が高い、といった意味の表現。

(Weblio辞書さまよりm(_ _)m)


 なので、タイトルの「神さまの愛はプライスレス」というのは、そういった意味と思ってくださいね(^^;)

 ところで、さっきラジオで「子供のお小遣い」云々といったことが話されていて、そのDJさんが話されていたこととはまったく関係ないものの、ふと思いだしたことがありました。

 小学生くらいの時、「道徳」の授業で、その時に配られた本の中で読んだことです

 わたしが小学生の頃、「道徳」の授業といえば、ただ「道徳」と書かれた本が配られて、あとはただ友達とくっちゃべるだけで、「こんな無意味な授業、一体なんのためにあるんだろう」、「それよか1時間早く帰らせてくれたほうが絶対よくね?」といったような感じだったと思います。

 でもたまたま、何かの拍子に、道徳の時間に配られた本をぱらぱら読んだことがあって――それは大体次のような内容だったと記憶しています(※細かいところは正確性を欠きます。小学生の時に一度読んだというくらいの記憶なので^^;)。

 名前忘れましたが(当たり前・笑)、主人公の名前を仮にワタルくんとしてみたいと思います。で、このワタルくん、何か欲しいものがあって、「お小遣いを稼ぐ」ということを思いつくんですね。そこで、大体次のような表を作って、お母さんに渡しました


・茶碗洗い=1回100円。

・お風呂掃除=1回100円。

・お使い=1回100円。

・ゴミ捨て=1回100円。

・肩たたき=1回100円。


 といったように。

 そして、この翌日、お母さんがこんなお返事をくれました


 ママの仕事。

・朝起こしてあげる=1回0円。

・朝ごはん作り代=1回0円。

・お掃除代=1回0円。

・お弁当作り料=1回0円。

・トイレ掃除料=1回0円。

・お風呂掃除料=1回0円。

・夕ごはん作り代=1回0円。


 このお話の続き、忘れてしまいましたが、確かお母さんが「このことをわからせた上で」、結局のところワタルくんがお風呂掃除したりお使いに行ってくれるごとに、100円くらいあげた……ということじゃなかったかなあと思います(たぶん)。

 それで、このことがすごく、神さまの、イエスさまの愛に似ているなあと思ったというか

 たとえばわたしが何か小さな善行をした場合、なるべくその報いとしてのリターンが早く欲しいとか、何かそんなようなことですよね(笑)。

 で、このあとわたし、家のネット環境を変えたいと思ってたので、少し調べたりしてたんですけど――まあ、よくありますよね。初月0円。とか、そういうの。それで、イエスさまのことを信じると、罪のすべてが許される+ただで天国へ行けるコースが当たり前のように選択され、さらに生きている間は聖霊さまが無料で与えられ、人生を導いてくださることになるわけで――まあ、こうした書き方は何か不敬な感じがしますけれども、そんな些細なところからイエスさまの十字架と復活について、あらためて心から褒め称えたという次第でありますm(_ _)m(プレイズ・ザ・ロード!!

 あと、思い出したのが、たぶん前にも書いたことのある『赤毛のアン』の名言。


『「一番、幸福な日というのは、すばらしいことや、驚くようなこと、胸の湧きたつようなできごとがおこる日ではなくて、真珠が一つずつ、そっと糸からすべりおちるように、単純な、小さな喜びを次々にもってくる一日一日のことだと思うわ」

(『アンの青春』モンゴメリ著、村岡花子さん訳/新潮文庫より)


 そうなんですよね。ものすごおおく不幸だったところ、それまでの不幸の賠償金の支払いでもされるように、ある日3億円当たったりするよりも――毎日、神さまから小さな幸福の真珠を……いえ、それが仮に戒めでも、自分にとって嫌な言葉としての示しであったにせよ、毎日イエスさまから聖霊さまを通して御言葉をいただくことが出来る生活のほうが、遥かに貴重と思うのです。

 え?神さまに祈り聞き従いつつ、さらに3億円当たったほうがいい??

 まあ、難しいところですよね。実際のところ、3億円じゃなくても1億円くらい当たったとすれば……ちょっと人生おかしな方向に行っちゃいそうな気もしますし(^^;)

 なんにしても、心配入りません。今年も年末ジャンボの季節が近づきつつありますが、まず滅多に当たるものではないので、当たった人だけ当たった時に、そのことは考えればいいのですから(笑)。

 それではまた~!!






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« この世アレルギー。 | トップ | 神の勝利。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

キリスト教」カテゴリの最新記事