
「信仰のオリンピックチャンピオンになる!」というのは、わたしの決意表明とか、そういうことではまるでなく(^^;)
もちろん、胸を張ってそう言えるくらい、わたしが信仰深い人間だったら良かったのにな~とは思うんですけどね

「じゃあ、なんでこのタイトルなんだ

ところが、ですね。クリスチャンの方でもノンクリスチャンの方でも「あなたは自分の人生のチャンピオンになれていますか?」って聞かれたとしたら、実は「はい。そのとおりです」と即答できる方というのは――案外そんなに多くないのではないか、という気がします。
なんでかっていうと、わたし自身も自分に対してそう思うからなんですよ。「自分の人生のチャンピオンになれているかって?いつもいいとこいって、二回戦か三回戦で負けてる気がするなあ

それと、クリスチャンの方の場合は、悪魔(サタン)・悪霊といった存在と戦って、相手にボコボコ☆にされながら、最後にようやくかろうじて勝って自分自身の人生のチャンピオンになれた……とかいうのも、あまりよくないことですよね

ところで、ちょっと関係ない話に飛びますが、以前テレビ業界において大変成功されたタレントさんの方について、その弟子というか、大体そうした立ち位置にある方が、そのタレントさんを評してこんなふうに言っていたことがあります。
「△□さんは、成功して番組がうまくいくようになってからは、最後はもう運の悪い奴を嫌ってました。番組に起用するのも運がいいというか、とにかくそんなふうに見える人とかそのような評判のある人で、運が悪い、あるいはそうした噂のある人のことは遠ざけて、絶対近づけないようにしていました」
それで、これはまたまったく別の方がおっしゃっていたことなのですが、容姿のほうがとても美しく、経済的にもリッチなある女性に、「どうしたらあなたみたいになれますか?」とか、「あなたみたいに運が良く生きていけますか?」みたいな質問があった時……その方もまた、笑いながらなんですけど、「運の悪い人、あるいは悪そうに感じる人には絶対近づかないことだ」、「それは成功する人の絶対的な秘訣です」とおっしゃってたことがあって。。。
まあ、わたしが次の瞬間思ったのは、「絶対無理っしょ?

そして、わたしの望みが<この世においてだけ成功したい!>っていうことだったら理解できるとはいえ、それでもかなり難しいと思います。先に例に挙げたお二方についても、最初のタレントさんについては尋常でないほどの努力と芸の研鑽があって成功されたのですし、そうして成功されて以後は、おそらく「運の悪い奴がいたらそこから綻びが起きる」と用心されていたということなのではないでしょうか(また、福祉的なことにも貢献されている方ですので、「運の悪い奴を遠ざける」というのは、あくまで仕事の面においてということなのだと思います^^;)。
それと、大変成功されている超リッチな女性タレントさんの場合も、やっぱり凄いなと思うのです。というのも、やっぱり綺麗なモデルさんなどで、容姿が良いというだけでなく性格のほうもいいと周囲から評判で、仕事のほうもうまくいっている……それなのに、唯一男運だけが悪い、という話を時々聞くことがあると思うんですよね。そして、その女性に関して言うと「男というのは利用するものであって、自分が利用されるものではない」という態度が徹底しているせいか、絶対的に騙されたりするっていうことがないと思うんですよ。
つまり、「運が悪い男」、「運が悪そうに見える男」には絶対に近づかないという法則がもうこの方の中ではきっちり成立しているんだと思います。でも女性っていうのは大体、ある種の優しさからお金を貸してしまったりだとか、相手の借金を肩代わりして返済してあげたりだとか、そんな何やかやがあったにも関わらず、男のほうでは暴力を奮って借金踏み倒して逃げた――とか、これに類する話というのは実際聞いたりすることがありますよね(^^;)
そして、一度こうした境地に達することの出来たある限られた成功者の方というのは、そこから自分が落ちないためにも、自分と同じレベルの成功者としかつきあわないですとか、そこから落ち目にある人とは交際することを控えるであるとか、自分もまたそこから「落ちないようにする」ために、そのように用心深くなっていくものなのかもしれません。
また、こうした方々というのは、ただ運がよくて成り上がることが出来た……というよりも、やっぱりすごく努力してたり、苦労されたりしていると思うんですよね。そしてそうした末にそのような境地に達されたというのも、心情としてある程度理解できる気がするのです。。。
とはいえ、神さま、イエスさまというのは、こうした「運の悪い可哀想な連中」の味方であられる方なわけです(笑)これはアメリカやヨーロッパなどのキリスト教国ではよく言われることらしいのですが、ようするに社会のセーフティネットをキリスト教が担っているという部分はとても大きいそうです。
つまり、社会を構成するどの階層の方が下へ落ちてきた場合でも、一番下の底に網(ネット)を張って救おうと待ち構えている……というのでしょうか。仮にとてつもなく経済的に成功されていたり、この世的名声を得た方てあっても――次に思うのは、この地位を自分はいつか失うのではないかという不安であったり、いつまでこのお金のある状態を保っていられるだろうかという漠然とした恐怖であったりということがあると思います。
まあ、社会の一番下のネットとは真逆の、そこから見て一番上のとても高いところにいる人々がここまで落ちてくることがあったとしても……イエスさまは貧しい者も富んでいる者も等しく受け止めてくださる方であるわけですが、やはり聖書にもあるとおり、神さまのことを最初に信じるのは、生活の困窮している人々や深刻な病いの床にある人、あるいは娼婦といった一般に汚れた職業と言われる女性たちであったりするわけです。
こうした人々は(わたしも自分がこのあたりに所属していると思ってますが)、ちょっと目を下に向けたら、先ほどまでは絶望の闇しかなかったところに網(ネット)がある、それも自分のような人間を受け止めても破れそうにないほどしっかりした網だ――というのをはっきり見ることが出来るのですが、それよりちょっと上の階層の人の中には「そんなもの、どこにあるんだ!」と言って見えない方もいれば、さらにそれよりずっと上の方でも……「ああ、俺にも今ははっきりそのネットが見える。だから、そっちに降りてみるよ」という方もおり、ようするに<高さ>は関係なく、見える人には見え、見えない人にはこの網が見えないという、どうも神さまの道というものについては、そうした違いがあるようです。
さて、「信仰のチャンピオン」ということについてですが、基本的にはイエスさまのことを信じて聖霊さまを受けることが出来た時点で、すべての方がそうなれる権利を得ると言っていいのではないでしょうか。
>>私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。
競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。
また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。
私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。
(コリント人への手紙第一、第9章23~27節)
賞を得るように走る……それも、朽ちない冠を得るために。
この引用箇所だけを読むと、「なんか面倒くさそうだな


というか、そんなふうに苦しい思いをしてまで賞を取りたいとかチャンピオンになりたいといった野心に欠けた人というのは、わたしだけでなく他にもたくさんいらっしゃると思います。そこでこんなふうに漠然と思うわけです。「とりあえず、イエスさまを信じた時点で天国へは行けるわけだし、まあ、わたしはこんな程度の信仰でいいや☆

けれども、最初はこんな感じでも、信仰界で栄誉を得ようという野心があるわけでもなく、何か人生上の困ったことに背後から襲われて全速力で走ったり、経済的困窮に追われながら息をゼイゼイさせて走っていたところをイエスさまに救われたりすることで――最後には愚かなわたしにもわかるわけです。
「あ、こんなくらいなら、イエスさまのために走ったほうが、絶対全然いい生活を自分は送っていかれる」ということが……。
それに、マラソンは孤独なスポーツとよく言われますが、クリスチャンの方の場合は常に聖霊さま、イエスさまが傍らにいてくださって、水や栄養補給するものをくださったり、休むべき地点ではしっかり休むようにしてくださったりと、ランナーとして理想的な環境を常に整えてくださったりもするわけですよね。
そして、ある時ふと思うわけです。美しい空、輝く雲と太陽、それに緑といった自然がなんと美しいことだろう……こうした肉体的・霊的調和を常に与えてくださる主は褒むべきかな!といったように。
まあ、今回のタイトルは「信仰のオリンピックチャンピオンになる!」ですが、わたし自身は今後もそのようになることもなければ、そこを目指してもいない者であるとはいえ、そのような地位に相応しい信仰心を持っている方のことは、本当に心から尊敬しているのです

わたしのマラソンの信仰的順位は1100998827……位といった、話にもならない感じとは思いますけれども(笑)、それでも十分幸せなのです。ただし、参加賞としてとりあえずギリギリ天国へ入れる――というのではなく、それよりはもう少し上を狙いたいなとは思ってるんですけどね

それではまた~!!

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