(本文とほとんど関係ないんですけど、まあ気にしないでください^^;)
>>がんは自分の外にいる敵ではない。
自分の中にいる敵だ。
あなたのがんはあなたそのものである。
がんには、生命の歴史がこめられている。
がんの強さは、あなた自身の生命システムの強さでもある。
だからこそがんという病気の治療は一筋縄ではいかない。
がんをやっつけることに熱中しすぎると、
実は自分自身をやっつけることになりかねない。
そこにがん治療の大きなパラドックスがある。
(『がん 生と死の謎に挑む』立花隆著NHKスペシャル取材班/文藝春秋刊)
人ががんになる大きな要因のひとつが「DNAのコピーミスの蓄積」であることはすでに述べたのですが、今も「がん」といえば「やっつけなければいけない悪い奴」、「がんなどという奴は決して存在してはならない」といった基本概念を持っている方は多いのではないでしょうか(^^;)
そして、割と最近……というか、実際は結構前からとは思うんですけど、「がんとの共存」という言葉を時々耳にするようになりましたよね。
これはどういうことかというと、
>>がんという病気は、生命の本質的な部分と不可分に結びついているようなところがある。そのため、人類は(というより正しくはあらゆる生命体が)がんから完全に逃れきるということが期待できないのだ。
たとえば発がん遺伝子(オンコジーン)だが、これはがんという病を起させるだけのただの厄介ものの遺伝子というわけではない。がん遺伝子と呼ばれるものの多くが、生命体の初期発生過程や、細胞活動の最も基礎的な過程に不可欠の役割を果たしている。たとえば細胞内の生理物質から生理物質に情報を伝えるシグナル伝達物質の多くがオンコジーンないしその産物なのである。だから、たとえば、がん遺伝子を全部ノックアウトして、がん遺伝子フリーの生物を作ろうなどと思っても、そんなことはできない。そんなことをしたら、その生命体そのものが死んでしまう(生きつづけられない)からである。
我々(ヒトだけでなく生物のすべて)は生きているかぎりがん遺伝子から逃れることはできないのだ。生きることそれ自体ががん遺伝子のおかげという側面があるのだ。別のいい方をすれば、我々はがん遺伝子と共存してきたおかげでここにこうして生きているのである。がん遺伝子とは、これからも共存していかざるをえないのである。もちろん、がん遺伝子イコールがんという病気ではないから、がん遺伝子と共存しつつがんという病気をコントロールすることが可能と期待され、研究もその方向を向いている。
(『がん 生と死の謎に挑む』立花隆著NHKスペシャル取材班/文藝春秋刊)
と、いうことらしく。。。
……もちろん、この説明ではちょっと難しい気がするので、わたしなりの本を読んだ印象について述べますと(ですから、間違っている可能性もあるということですよ?^^;)、「がん遺伝子」というのは、我々人間の生命の進化史と不可分だということなんですね。つまり、この地球という奇跡の惑星が誕生後、そこには気も遠くなるような長い時間をかけて我々のご先祖となる多細胞生物が誕生しました。そして、この多細胞生物が進化し、海から陸へと上がっていき……という、この多細胞生物に我々のご先祖さまが進化した時点で、実はもうわたしたち人間の体には本来の正常細胞が将来的にがん細胞に変化するというリスクがあるという運命を背負った、ということらしいのです。
>>「がんは進化の長い長い歴史が生んだ病気です。だからしぶといといえます。もし、我々がバクテリアやあるいはアメーバのような単純な生物であれば、がんにかかるようなことは絶対になかったわけです。我々が進化の極致にいる六十兆もの細胞を持つまさに多細胞生物の進化の極致にあるような生物だからこそ、がんにこれほどかかりやすいわけです。
がんの最大の武器というのは、この長い進化の歴史の最も古いところからずっと続いてきた、生命の最も基本的なメカニズムそのものを利用しているところにあるわけです」
(『がん 生と死の謎に挑む』立花隆著NHKスペシャル取材班/文藝春秋刊)
昔、清水玲子先生の「パピヨン」という漫画に、アメーバ(単細胞生物)から進化した人間が出ていた気がするのですが、ということは彼はがんリスクからは無縁なのかな……とか思ったり(笑)
それはさておき、がんという病気が何故こんなにしぶといのかというと、簡単にいうとすればそれは、わたしたちの六十兆個もの日々生まれ変わる正常細胞、それが変異したものががん細胞である、そしてこのがん細胞は不死の細胞であり、正常細胞が「生きよう、生きよう」とするものすごい生命力と同じものを持っているわけですよね。
たとえば、わたしたちが何かの事故などで「もう死ぬか」という時にも奇跡的に生き延びた、医者でも何故なのかわからないが患者は奇跡的に治った……という、ものすごいわけのわからない生命エネルギー、それと同じものをがん細胞も持っているといっても過言でないということなんだと思います。
だから、このがん細胞がどんどんと増殖していくその過程で、抗がん剤治療や放射線治療をがんばって施そうとも、このがん細胞もまた我々の正常細胞と同じく「生きよう、生きよう、あらゆる手段を尽くしてとにかく生き抜こう」という生命力の恐ろしいばかりの強さを持っているということです。
そして、この人間が持つ生命力の強さの歴史を紐解いた、すでに最初期の頃からこの「がんになるリスク」というものを抱えつつ、わたしたちは多細胞生物から万物の霊長と呼ばれる存在にまで生命の進化を遂げてきた……ここまで来るともう、「えい、がんよ。この悪い奴め。おまえなぞひとり残らず成敗してくれるぞ!」と一刀両断に出来ない側面がどうしても出てくる、ということなのではないでしょうか。
もちろん、一度「がん」という病気になってしまったら、それはもう「がん細胞なぞ、我が身からひとつもなくなってしまえ!」と願うのが当然のことです。でも、立花隆先生が本の中でおっしゃっておられるように、「検査で検出できないがんの微小細胞までもまったくなくす」というのは不可能なことですし、がんというものとは「ほどほどの距離」を保ってつきあっていく……というのが、がんという病気と闘うに当たって大切な心構え、気構えということになるのではないか、ということなんですよね(^^;)
では、次回はここまでのある程度のまとめ(?)としたいと思ってるんですけど、なんか結構真面目な話が続いたので、息抜きにがん漫才(?)でも軽く挟んでおこうかと思います(そんなもんいらんわ!という方は読まないでくださいね。めっちゃくだらないですのでwwm(_ _)m)
~がんちゃんとキャンサーくん☆~
がんちゃん:「キャンサーくん。がん遺伝子ってな、英語でオンコジーンっていうんやて」
キャンサーくん:「へー。オレ、たまにオンコの木を見ながらジーン☆とすることあるで。それとはちがうの?」
がんちゃん:「はて。どうやろな。ぼくはオンコの木なんか見ても、ちっともジーンとかせえへんもん」
キャンサー:「ほんなら、自分のウンコ見てジーンとしたことは?」
がんちゃん:「せやな。たまに、ウンコしたあとに便器見て、ジーン☆……って、なるわけないやろ!このアホが!!」
(がんちゃんにハリセンで殴られるキャンサーくん。)
キャンサーくん:「うわーん。いたいよう。ママー。がんちゃんが同じがん細胞なのに、オレのこといじめるー」
がんちゃん:「アホ!がん幹細胞に向かってママとか言うな。それより、仲直りや。最近流行りのウンコ漢字ドリルでも一緒にやろ」
キャンサーくん:「……うん!あ、そういえばがんちゃんって、形がなんかウンコか鼻クソみたい」
がんちゃん:「ぼくがウンコか鼻クソなら、同じがん細胞のオマエもウンコか鼻クソや!」
キャンサーくん:「ううん。オレのほうがキャンサーって響きからして、なんかちょっと格好ええもん。一緒にせんといてや!」
がんちゃん:「ふふん。オマエはなんもわかっとらへんな。人が医者からガンや言われたら、「がーん!!」とくるものなんや。「残念ですが、あなはたがんです」、「ガーン!!」だとしっくりくるやろ。ところがこれが「キャンサー!!」とはならんのや。それが日本人というもんや」
キャンサーくん:「ふうん。そもそもキャンサーって蟹って意味でしょ。じゃ、あじゃぱあ!!でいいんじゃないの?「残念ですが、あなはたがんです」、「あじゃぱあ!!」っていうのじゃダメ?」
がんちゃん:「……オマエの言いたいのは、聖闘士星矢に出てくるキャンサーのデスマスクのことやな?知らん人にはわからんようなネタだすなっちゅーの!!」
(がんちゃん、キャンサーくんをまたハリセンでぶん殴る☆)
キャンサーくん:「うわーん。いたいよう。ママー。がんちゃんが同じがん細胞なのに、オレのこといじめるー」
がんちゃん:「だから、がん幹細胞に向かってママとか言うなて言うとるやろ!!……なんつって、ありがとーございましたーm(_ _)m」
キャンサーくん:「バイバイキーン!!」
あー、ものっそくだらなくて、ほんとに申し訳ないです←
それではまた~!!
>>がんは自分の外にいる敵ではない。
自分の中にいる敵だ。
あなたのがんはあなたそのものである。
がんには、生命の歴史がこめられている。
がんの強さは、あなた自身の生命システムの強さでもある。
だからこそがんという病気の治療は一筋縄ではいかない。
がんをやっつけることに熱中しすぎると、
実は自分自身をやっつけることになりかねない。
そこにがん治療の大きなパラドックスがある。
(『がん 生と死の謎に挑む』立花隆著NHKスペシャル取材班/文藝春秋刊)
人ががんになる大きな要因のひとつが「DNAのコピーミスの蓄積」であることはすでに述べたのですが、今も「がん」といえば「やっつけなければいけない悪い奴」、「がんなどという奴は決して存在してはならない」といった基本概念を持っている方は多いのではないでしょうか(^^;)
そして、割と最近……というか、実際は結構前からとは思うんですけど、「がんとの共存」という言葉を時々耳にするようになりましたよね。
これはどういうことかというと、
>>がんという病気は、生命の本質的な部分と不可分に結びついているようなところがある。そのため、人類は(というより正しくはあらゆる生命体が)がんから完全に逃れきるということが期待できないのだ。
たとえば発がん遺伝子(オンコジーン)だが、これはがんという病を起させるだけのただの厄介ものの遺伝子というわけではない。がん遺伝子と呼ばれるものの多くが、生命体の初期発生過程や、細胞活動の最も基礎的な過程に不可欠の役割を果たしている。たとえば細胞内の生理物質から生理物質に情報を伝えるシグナル伝達物質の多くがオンコジーンないしその産物なのである。だから、たとえば、がん遺伝子を全部ノックアウトして、がん遺伝子フリーの生物を作ろうなどと思っても、そんなことはできない。そんなことをしたら、その生命体そのものが死んでしまう(生きつづけられない)からである。
我々(ヒトだけでなく生物のすべて)は生きているかぎりがん遺伝子から逃れることはできないのだ。生きることそれ自体ががん遺伝子のおかげという側面があるのだ。別のいい方をすれば、我々はがん遺伝子と共存してきたおかげでここにこうして生きているのである。がん遺伝子とは、これからも共存していかざるをえないのである。もちろん、がん遺伝子イコールがんという病気ではないから、がん遺伝子と共存しつつがんという病気をコントロールすることが可能と期待され、研究もその方向を向いている。
(『がん 生と死の謎に挑む』立花隆著NHKスペシャル取材班/文藝春秋刊)
と、いうことらしく。。。
……もちろん、この説明ではちょっと難しい気がするので、わたしなりの本を読んだ印象について述べますと(ですから、間違っている可能性もあるということですよ?^^;)、「がん遺伝子」というのは、我々人間の生命の進化史と不可分だということなんですね。つまり、この地球という奇跡の惑星が誕生後、そこには気も遠くなるような長い時間をかけて我々のご先祖となる多細胞生物が誕生しました。そして、この多細胞生物が進化し、海から陸へと上がっていき……という、この多細胞生物に我々のご先祖さまが進化した時点で、実はもうわたしたち人間の体には本来の正常細胞が将来的にがん細胞に変化するというリスクがあるという運命を背負った、ということらしいのです。
>>「がんは進化の長い長い歴史が生んだ病気です。だからしぶといといえます。もし、我々がバクテリアやあるいはアメーバのような単純な生物であれば、がんにかかるようなことは絶対になかったわけです。我々が進化の極致にいる六十兆もの細胞を持つまさに多細胞生物の進化の極致にあるような生物だからこそ、がんにこれほどかかりやすいわけです。
がんの最大の武器というのは、この長い進化の歴史の最も古いところからずっと続いてきた、生命の最も基本的なメカニズムそのものを利用しているところにあるわけです」
(『がん 生と死の謎に挑む』立花隆著NHKスペシャル取材班/文藝春秋刊)
昔、清水玲子先生の「パピヨン」という漫画に、アメーバ(単細胞生物)から進化した人間が出ていた気がするのですが、ということは彼はがんリスクからは無縁なのかな……とか思ったり(笑)
それはさておき、がんという病気が何故こんなにしぶといのかというと、簡単にいうとすればそれは、わたしたちの六十兆個もの日々生まれ変わる正常細胞、それが変異したものががん細胞である、そしてこのがん細胞は不死の細胞であり、正常細胞が「生きよう、生きよう」とするものすごい生命力と同じものを持っているわけですよね。
たとえば、わたしたちが何かの事故などで「もう死ぬか」という時にも奇跡的に生き延びた、医者でも何故なのかわからないが患者は奇跡的に治った……という、ものすごいわけのわからない生命エネルギー、それと同じものをがん細胞も持っているといっても過言でないということなんだと思います。
だから、このがん細胞がどんどんと増殖していくその過程で、抗がん剤治療や放射線治療をがんばって施そうとも、このがん細胞もまた我々の正常細胞と同じく「生きよう、生きよう、あらゆる手段を尽くしてとにかく生き抜こう」という生命力の恐ろしいばかりの強さを持っているということです。
そして、この人間が持つ生命力の強さの歴史を紐解いた、すでに最初期の頃からこの「がんになるリスク」というものを抱えつつ、わたしたちは多細胞生物から万物の霊長と呼ばれる存在にまで生命の進化を遂げてきた……ここまで来るともう、「えい、がんよ。この悪い奴め。おまえなぞひとり残らず成敗してくれるぞ!」と一刀両断に出来ない側面がどうしても出てくる、ということなのではないでしょうか。
もちろん、一度「がん」という病気になってしまったら、それはもう「がん細胞なぞ、我が身からひとつもなくなってしまえ!」と願うのが当然のことです。でも、立花隆先生が本の中でおっしゃっておられるように、「検査で検出できないがんの微小細胞までもまったくなくす」というのは不可能なことですし、がんというものとは「ほどほどの距離」を保ってつきあっていく……というのが、がんという病気と闘うに当たって大切な心構え、気構えということになるのではないか、ということなんですよね(^^;)
では、次回はここまでのある程度のまとめ(?)としたいと思ってるんですけど、なんか結構真面目な話が続いたので、息抜きにがん漫才(?)でも軽く挟んでおこうかと思います(そんなもんいらんわ!という方は読まないでくださいね。めっちゃくだらないですのでwwm(_ _)m)
~がんちゃんとキャンサーくん☆~
がんちゃん:「キャンサーくん。がん遺伝子ってな、英語でオンコジーンっていうんやて」
キャンサーくん:「へー。オレ、たまにオンコの木を見ながらジーン☆とすることあるで。それとはちがうの?」
がんちゃん:「はて。どうやろな。ぼくはオンコの木なんか見ても、ちっともジーンとかせえへんもん」
キャンサー:「ほんなら、自分のウンコ見てジーンとしたことは?」
がんちゃん:「せやな。たまに、ウンコしたあとに便器見て、ジーン☆……って、なるわけないやろ!このアホが!!」
(がんちゃんにハリセンで殴られるキャンサーくん。)
キャンサーくん:「うわーん。いたいよう。ママー。がんちゃんが同じがん細胞なのに、オレのこといじめるー」
がんちゃん:「アホ!がん幹細胞に向かってママとか言うな。それより、仲直りや。最近流行りのウンコ漢字ドリルでも一緒にやろ」
キャンサーくん:「……うん!あ、そういえばがんちゃんって、形がなんかウンコか鼻クソみたい」
がんちゃん:「ぼくがウンコか鼻クソなら、同じがん細胞のオマエもウンコか鼻クソや!」
キャンサーくん:「ううん。オレのほうがキャンサーって響きからして、なんかちょっと格好ええもん。一緒にせんといてや!」
がんちゃん:「ふふん。オマエはなんもわかっとらへんな。人が医者からガンや言われたら、「がーん!!」とくるものなんや。「残念ですが、あなはたがんです」、「ガーン!!」だとしっくりくるやろ。ところがこれが「キャンサー!!」とはならんのや。それが日本人というもんや」
キャンサーくん:「ふうん。そもそもキャンサーって蟹って意味でしょ。じゃ、あじゃぱあ!!でいいんじゃないの?「残念ですが、あなはたがんです」、「あじゃぱあ!!」っていうのじゃダメ?」
がんちゃん:「……オマエの言いたいのは、聖闘士星矢に出てくるキャンサーのデスマスクのことやな?知らん人にはわからんようなネタだすなっちゅーの!!」
(がんちゃん、キャンサーくんをまたハリセンでぶん殴る☆)
キャンサーくん:「うわーん。いたいよう。ママー。がんちゃんが同じがん細胞なのに、オレのこといじめるー」
がんちゃん:「だから、がん幹細胞に向かってママとか言うなて言うとるやろ!!……なんつって、ありがとーございましたーm(_ _)m」
キャンサーくん:「バイバイキーン!!」
あー、ものっそくだらなくて、ほんとに申し訳ないです←
それではまた~!!
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