神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

なぜ、人はガンになるのか。-【7】-

2017年11月17日 | キリスト教


 では、今回は再び立花隆先生著の「がん 生と死の謎に挑む」より、ここまでのある程度のまとめ(?)としてみたいと思いますm(_ _)m


 >>ヒトの肉体は基本的に六十兆の細胞からできている(もちろん多少の個人差はある)がその数はほとんど一定である。どの細胞も生まれて一定時間がたつと死ぬ。細胞が死ねば、死んだ細胞の数だけ新しく生まれる細胞がでてきて、死んだ細胞の機能を引きつぐ。

 たとえば、風呂に入って体を洗えばアカが出る。あれは死んだ細胞だ。こすり落とされたアカの下から新しい肌があらわれる。あれはしばらく前から表皮のすぐ下にあった新しい細胞だ。その下にも何層かの新しい細胞がある。そのいちばん下の基底層と呼ばれる部分で、間もなくまっさらの新しい細胞が細胞分裂によって生まれてくる。新しく生まれた細胞は、順次階層を下から上に上がっていき、最後は表面に出てアカとなって死ぬ。

 これが新陳代謝と呼ばれる現象だ。新陳代謝はあらゆる生体システムで、生命力を維持しつづけるために使う基本的な仕組みである。大きくいえば、人間社会を構成するさまざまな組織がその活性を維持するために各自行っている人事を通じての世代交代もこれと同じようなことだろう。

 体内のあらゆる部分で、古い細胞が死んでは新しい細胞に置きかえられていく。その際、大事なのは、細胞数を基本的に変えないということである。生と死を厳格に管理する(死んだ細胞の数に等しい数だけ新生細胞に生命を与える)ことで、細胞数のホメオスタシスは維持される。生まれるほうの管理は「細胞は細胞分裂によって新しい細胞を生みだす」という原理が守られている限り、既存の細胞とキッチリ同数の細胞が生まれるわけだからさしてむずかしくない。

 生体の細胞の場合、死のほうも、アポトーシスという生物学的集団死現象によって管理されている。細胞の数が必要以上に多くなると、細胞は集団的に死ぬのだ。集団死は初期の発生・生育過程でよく起きるが、中期、末期でも、さまざまな原因で起きる。生きすぎた細胞がアポトーシスによって集団的に死ぬのはもちろん、なんらかの理由で、細胞数のホメオスタシスが維持されないような事態が発生すると、増えすぎた細胞に集団死をとげさせられる。だから最初期のがんの大多数はアポトーシスで死に、がんの発病にいたるものは少ないと考えられている。アポトーシスは細胞数のホメオスタシスを維持する上でいちばん大切な仕組みともいえる。

 
 >>死ぬはずの細胞が死なない

 この細胞数一定のホメオスタシスをこわしてしまうのが、がんなのである。がん細胞はふえるだけで、死なない。本来ならアポトーシスで死ぬはずの細胞が、死なないで生きのびてしまった(そういう能力を維持してしまった)のががん細胞ということができる。

 いまがん研究でいちばん集中的に研究されているポイントの一つがここのところだ。いかようにしてがん細胞のアポトーシス逃れが起きるのかである。アポトーシス逃れはがん発病のキーと考えられている。アポトーシス逃れを封じることができたら(つまりがん細胞に集団死をとげさせることができるようになったら)、それこそがんの特効薬になること必定である。

 がんは古い細胞を置きかえるために出現した細胞ではなく、突然変異的に全く新しく出現する細胞塊だから「新生物」と呼ばれる。「悪性新生物」というのががんのもう一つの名称である。「悪性」とはどういうことかというと、主として正常細胞にあるまじき、がん細胞の三つの特質、無限の増殖能力(アポトーシス逃れ)、正常細胞の中にどんどん入り込んでいく浸潤(インベージョン)能力、とんでもないところに飛び火して、出先でもう一つコロニーを作ってしまう転移能力をさしている。がん細胞はその成長過程においてそれ自体が恐しい毒素を出すというような悪さはしない。

 だからがんは、初期成長過程では、その存在自体がなかなか気づかれないのだ。僕の場合、最初に気がついたのは、血尿が出たことによってである。しかしそれは血尿以外、他に何の兆候ももたらさなかった。これを無症候性血尿というのだが、たいていのがんの初期過程は無症候性なのだ。ちょっとした症状は出ているが、気にしなければどうということはないという程度の軽い症状でしかない。

 がんも、最初はただ一つのがん化した細胞が細胞分裂で、二倍、四倍、八倍と倍々ゲーム的に細胞数をふやしていくと考えられる。230頁に書いたことだが、倍々ゲームが三十回繰り返されたときに細胞数は十億になり、直径一センチ重さ一グラムのがん細胞の塊になる。そのときはじめて、がんは見えない存在からなんらかの検査に引っかかりうる大きさになる。しかし、検査をしなければ、その存在が気づかれることはない。まだ当分無症候性のままがんは成長をつづけるのだ。
 
(『がん 生と死の謎に挑む』立花隆著NHKスペシャル取材班/文藝春秋刊より)


 まあ、まとめ(?)としては、ただ単純に「だから検査って大切だね☆」というありふれたことなのですが(汗)、わたし自身、この本を読んでみるまで「何ががんの引き金を引くか」についてなんて考えてみたこともありませんでした(^^;)

 話として少し専門的で難しい……と思われるかもしれませんが、わたしの買った単行本のほうには『NHKスペシャル「立花隆 思索ドキュメント 生と死の謎に挑む」』のDVDが付いてきていまして(文庫本には付いてこないのかなって思います。たぶん^^;)、本の内容を読む前にこちらを見ると、さらに理解がサクサク進むんじゃないかなって思うんですよね

 今は日本人のうち二人にひとりががんになり、三人にひとりはがんで死ぬと言われて久しい時代ですが、そういう意味でも「がんという病気に対する基礎知識」として、立花隆先生のこの本はとてもわかりやすく、「がん」という病気について「がん、ここが知りたい!」といったことを網羅した、「がんになったら・あるいはがんになる前に」絶対読んでおくべき本、といった感じがしました

 ではでは、次回は全人的苦痛(トータルペイン)や、その中のスピリチュアルペインということについて、少し触れてみたいと思っていますm(_ _)m

 それではまた~!!





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