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【最後の審判三部作之三:天国の平原】ジョン・マーティン
ウィキペディアさんによると、リバイバル(revival)というのは、復活・再生・復興といった意味の英単語とのことでした。
映画のリバイバル上映と聞くと、それはもちろん、昔の名作の再上映といった意味だと思うのですが、宗教的な意味では信仰復興運動と訳されるのかなって思います。あと、わたしの持ってる本の中では聖霊回心運動と訳されていることもありました。
また、これもウィキ情報なのですが、
>>キリスト教用語としてのリバイバルは、敬虔な信仰者の急速な増加を伴う信仰運動を指す。
とのことで、日本はキリスト教徒の割合が全体の2%程度……と以前牧師さんのお話か何かでお聞きしたのですが、いずれ日本でもこのリバイバル(大リバイバル)が起きて、この2%という割合が20%、30%、さらには50%60%と終末の時代にはどんどん上がっていくのではないかと思われます。
もちろん、今の日本の状態を見ていると、葬式仏教徒が全人口の大半を占めると思われることから、こうした人々がある日ある時、突然キリスト教に覚醒する――というのは、想像が難しいことかもしれません(^^;)
けれども、聖書の黙示録にあるとおりの厳しい災害・迫害・苦難の時代――艱難時代が訪れる前に、ただひたすらに神さまの一方的な恵みによって、魂の刈り取りが起こるとキリスト教界では一般的に言われているんですね。
この場合の魂の刈り取りというのは、イエス・キリストを信じることによって天国へ行けるようになるということですけれども、黙示録の解釈として、この非常に人が生きのびるのが難しい艱難時代というのは、七年続くであろうと言われています。そして、この艱難時代が訪れる前に、いわゆる携挙が起きるということでした。
もっとも、わたしが救われた先の教会では、艱難前ではなく、艱難中携挙説を信じていて、わたしもそのように思っているため、厳しい艱難時代がはじまって3.5年後、つまり艱難時代のちょうど真ん中あたりで……イエス・キリストが再臨され、彼を主と告白する信者のことを生きたまま天に引き上げてくださるということです(そして艱難前携挙説では、艱難時代がはじまる前にこのことが起きるということですよね)。
ええと、ただしこの場合も、「すべての信者ではない」という解釈がなされている場合が多いのかなって思います(^^;)
何故かというと、欧米諸国では両親がキリスト教徒で洗礼を受け、小さい頃は教会へ通いもしたけれども、その後成長してからは無神論者になったとか、色々な方がおられると思うので……誰が救われて誰が救われないのかといったことは、ただ主のみがご存じということなのだと思います。
>>そのとき、人の子のしるしが天に現われます。
すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。
すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
(マタイの福音書、第24章30~31節)
人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。
天の万象が揺り動かされるからです。
そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです」
(ルカの福音書、第21章26~28節)
まあ、キリストの再臨などと言うと、一般的な日本人の方にとっては「おまえ、頭おかしーんじゃね?
」とか「これだからキリスト教は……ブツブツ☆
」といった感じでしょうけれども、かなり以前、テレビのニュースでアメリカの人々にアンケートか何かを取ったところ、大体全人口の六十数パーセントの方が、「キリストの再臨や携挙を信じている」ということでした。
そして、テレビのアナウンサーの方がこのことに対して少し驚いておられたんですね。だって、言ってみれば「いつか救い主(メシア)が雲に乗って我々を救いにくる」、またそれだけではなくて、そのメシアを信じる者たちを生きたまま救い、空中に引き上げて雲の上に携え挙げてくださる……だなんて、どう考えても起こりそうにないファンタジーとしか思えないというのが、ある意味普通の人々の考えることだと思います。
では、何故キリスト教徒と呼ばれる人々は、イエス・キリストが亡くなって二千年以上になる今も、そんなことをこんなにも確固たる信仰によって信じ続けているのか――そのテレビのアナウンサーの方もとても不思議がっていました。アメリカの人々というのは、ある意味日本人以上に合理的で科学的な考え方をする人々ですよね。けれど、そうした人々のうち六割以上もの人がそんな馬鹿げた……という言葉は使われませんでしたが、そんな信じ難いことを信じているだなんて、といった主旨のことを言っておられたと思います(^^;)
わたし自身にしても、自分が生きている間に<携挙>ということが起きるかどうかというのは、基本的に「主のみがご存じ」のことであられるとは思うのですが、十分ありえることだといったようにも思っています。
>>見よ。わたしは盗人のように来る。
(ヨハネの黙示録、第16章15節)
おそらくこれは、>>「人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように」とマタイの福音書にあるように、携挙というのはおそらく、瞬く間の出来事であるということなのではないでしょうか。
つまり、盗人というのは、昼間でも夜中でも、サッとやって来て自分の望みのものを手に入れたらサッと去っていく……ということですよね。地上に携挙ということが起きた場合――救いにあずかることの出来たクリスチャンは、同じくらいの速さでサッと地上を後にして天上へと挙げられるものと思われます。
そして、このことの起きる前の時のしるしとして、リバイバルが起きると言われているのです。
神さまの哀れみにより、地上からひとりでも多くの人が終末のひどい艱難から救われるため、今のような普通の時とは別の特別な主の霊、神さまの霊が強く働いて、通常はキリスト教なんて信じそうにない人々までもが、聖霊さまに強く触れられ、信じることが出来るようになる……ということなのだと思います。
今回は、祈りの中で聖霊さまから「リバイバルについて書きなさい」という語りかけがあったため、リバイバルについて書いてみたのですが、次回もまたこのリバイバルということについて少し触れてみたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
ウィキペディアさんによると、リバイバル(revival)というのは、復活・再生・復興といった意味の英単語とのことでした。
映画のリバイバル上映と聞くと、それはもちろん、昔の名作の再上映といった意味だと思うのですが、宗教的な意味では信仰復興運動と訳されるのかなって思います。あと、わたしの持ってる本の中では聖霊回心運動と訳されていることもありました。
また、これもウィキ情報なのですが、
>>キリスト教用語としてのリバイバルは、敬虔な信仰者の急速な増加を伴う信仰運動を指す。
とのことで、日本はキリスト教徒の割合が全体の2%程度……と以前牧師さんのお話か何かでお聞きしたのですが、いずれ日本でもこのリバイバル(大リバイバル)が起きて、この2%という割合が20%、30%、さらには50%60%と終末の時代にはどんどん上がっていくのではないかと思われます。
もちろん、今の日本の状態を見ていると、葬式仏教徒が全人口の大半を占めると思われることから、こうした人々がある日ある時、突然キリスト教に覚醒する――というのは、想像が難しいことかもしれません(^^;)
けれども、聖書の黙示録にあるとおりの厳しい災害・迫害・苦難の時代――艱難時代が訪れる前に、ただひたすらに神さまの一方的な恵みによって、魂の刈り取りが起こるとキリスト教界では一般的に言われているんですね。
この場合の魂の刈り取りというのは、イエス・キリストを信じることによって天国へ行けるようになるということですけれども、黙示録の解釈として、この非常に人が生きのびるのが難しい艱難時代というのは、七年続くであろうと言われています。そして、この艱難時代が訪れる前に、いわゆる携挙が起きるということでした。
もっとも、わたしが救われた先の教会では、艱難前ではなく、艱難中携挙説を信じていて、わたしもそのように思っているため、厳しい艱難時代がはじまって3.5年後、つまり艱難時代のちょうど真ん中あたりで……イエス・キリストが再臨され、彼を主と告白する信者のことを生きたまま天に引き上げてくださるということです(そして艱難前携挙説では、艱難時代がはじまる前にこのことが起きるということですよね)。
ええと、ただしこの場合も、「すべての信者ではない」という解釈がなされている場合が多いのかなって思います(^^;)
何故かというと、欧米諸国では両親がキリスト教徒で洗礼を受け、小さい頃は教会へ通いもしたけれども、その後成長してからは無神論者になったとか、色々な方がおられると思うので……誰が救われて誰が救われないのかといったことは、ただ主のみがご存じということなのだと思います。
>>そのとき、人の子のしるしが天に現われます。
すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。
すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
(マタイの福音書、第24章30~31節)
人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。
天の万象が揺り動かされるからです。
そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです」
(ルカの福音書、第21章26~28節)
まあ、キリストの再臨などと言うと、一般的な日本人の方にとっては「おまえ、頭おかしーんじゃね?
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そして、テレビのアナウンサーの方がこのことに対して少し驚いておられたんですね。だって、言ってみれば「いつか救い主(メシア)が雲に乗って我々を救いにくる」、またそれだけではなくて、そのメシアを信じる者たちを生きたまま救い、空中に引き上げて雲の上に携え挙げてくださる……だなんて、どう考えても起こりそうにないファンタジーとしか思えないというのが、ある意味普通の人々の考えることだと思います。
では、何故キリスト教徒と呼ばれる人々は、イエス・キリストが亡くなって二千年以上になる今も、そんなことをこんなにも確固たる信仰によって信じ続けているのか――そのテレビのアナウンサーの方もとても不思議がっていました。アメリカの人々というのは、ある意味日本人以上に合理的で科学的な考え方をする人々ですよね。けれど、そうした人々のうち六割以上もの人がそんな馬鹿げた……という言葉は使われませんでしたが、そんな信じ難いことを信じているだなんて、といった主旨のことを言っておられたと思います(^^;)
わたし自身にしても、自分が生きている間に<携挙>ということが起きるかどうかというのは、基本的に「主のみがご存じ」のことであられるとは思うのですが、十分ありえることだといったようにも思っています。
>>見よ。わたしは盗人のように来る。
(ヨハネの黙示録、第16章15節)
おそらくこれは、>>「人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように」とマタイの福音書にあるように、携挙というのはおそらく、瞬く間の出来事であるということなのではないでしょうか。
つまり、盗人というのは、昼間でも夜中でも、サッとやって来て自分の望みのものを手に入れたらサッと去っていく……ということですよね。地上に携挙ということが起きた場合――救いにあずかることの出来たクリスチャンは、同じくらいの速さでサッと地上を後にして天上へと挙げられるものと思われます。
そして、このことの起きる前の時のしるしとして、リバイバルが起きると言われているのです。
神さまの哀れみにより、地上からひとりでも多くの人が終末のひどい艱難から救われるため、今のような普通の時とは別の特別な主の霊、神さまの霊が強く働いて、通常はキリスト教なんて信じそうにない人々までもが、聖霊さまに強く触れられ、信じることが出来るようになる……ということなのだと思います。
今回は、祈りの中で聖霊さまから「リバイバルについて書きなさい」という語りかけがあったため、リバイバルについて書いてみたのですが、次回もまたこのリバイバルということについて少し触れてみたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!
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