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【快楽の園(右扉部分)】ヒエロニムス・ボス
今回はちょっと怖いタイトルですみません(^^;)
実をいうとわたし、「赤毛のアン」で有名なルーシー・モード・モンゴメリ(1874年~1942年)の大ファンで、彼女の著作は日本で訳されているものはほとんど読んでいると思います![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book_mov.gif)
それで、モンゴメリは1911年、36歳の時にユーアン・マクドナルド牧師(40歳)と結婚しているのですが、この牧師の旦那さんが重度の鬱病を患っており、やがてそれは転移のような症状としてモンゴメリのことをも苦しめるようになっていったんですよね。
モンゴメリの死因は、大量の薬物摂取による自殺なのでは……?との疑いが長くあるそうなのですが、はっきりしたことは今もよくわかってないままのようです(※)。
ただ、彼女の伝記や日記などによりますと、夫の耐え難い鬱病気質に加え、自身の体調不良及び神経的な病い(鬱病と思われる)から、モンゴメリの晩年が相当苦しいものであったことは確かなようなんですよね。
日本ってキリスト教文化について知っているようでまるで知らない国だと思うので、職業を聞かれて「牧師をやっています」と答えたりすると、「へー。牧師って何するの?具体的にどんな仕事なの?
」という感じだと思うのですが、牧師さんがその重責から鬱病になる、また周囲の方の無理解などから牧師の奥さまが自殺された……というのは、日本でもあるケースだとお聞きしたことがあります。
>>おそらく、彼女は牧師と結婚するべきではなかったのだ。「神々は破滅させたいと思う人間を牧師の妻にするのです!」と、モードはマクミランに宛てて1927年に書いているが、彼女のこの痛ましい言葉には、冗談ではすまされないものがあったのである。確かに彼女はユーアン・マクドナルドと結婚すべきではなかった。彼の張りつめた、陰鬱極まる性格上の問題――自分は地獄に墜ちるべく運命づけられているという彼の信念――は、ますますつのってゆく憂鬱病という形で、ゆっくりとではあるがモードの目にも明らかになってきたのである。落ち着いた結婚生活というかさの下に居てさえ、おそらくモードは忍耐の限度を試し続けることに困難を感じていたのだろう。しかし、彼女はいったん誓ったからには、妻――しかも、牧師の妻――に要求される誠実さを取り消すような人間ではなかった。
(『運命の紡ぎ車』モリー・ギレン著、宮武潤三・宮武順子さん訳/篠崎書林より)
モンゴメリの夫のユーアン・マクドナルドさんと言いますと、「赤毛のアン」ファンの間では「妻の才能を理解しない愚鈍な夫」という悪いイメージしかない気がするのですが、わたしが思うのはとにかく――彼は重度の宗教的鬱病によって極度にまで苦しみ抜いた人だったのだろうということでした。また、モンゴメリはこの旦那さんのお世話をする傍ら、牧師夫人としての仕事もこなし、またふたりの息子の母親としての務めもあり、さらには作家としても活動し……という、仮に手が八本あっても足りないような大量の仕事を、彼女はたったの二本の手ですべてやり通していたのでした。そして最後は極限まで神経をすり減らしてしまったのではないかという気がします。
この、ユーアン・マクドナルド氏が悩まされていたという、自分は地獄に墜ちるべく運命づけられているという彼の信念というのは、どういうことなのでしょうか。次に、『赤毛のアンを書きたくなかったモンゴメリ』(梶原由佳さん著/青山出版社刊)より、文章を抜粋させていただきたいと思いますm(_ _)m
>>この年(1919年)は、フレッド(モンゴメリの腹心の友。ちなみに女性)の死以外にもモードを驚愕させたことがあった。以前から、頭痛を訴えていた夫が、神経衰弱と診断されたのだ。ユーアンは、自分は神の御許に行けないという恐怖にとりつかれ、永遠の喪失感に悩まされていた。モードは、夫の気が変になるのではと恐怖を感じる。知らなかったとはいえ、こんな男性と結婚し子どもまで産んでしまったとは!夫の症状を世間に知られては、悪いうわさがたち、牧師の職を追われることになる。精神的に不安定な夫を世間の目から隠すために、モードは心をくだいた。
私(著者の梶原由佳さん)が出会ったリースクデイルの当時を知る老人たちのなかには、マクドナルド牧師が精神を病んでいたとは、「たとえ、マクドナルド牧師夫人の日誌に書いてあったとしても、信じられない」と語った人がいた。それほど巧みに、モードは家庭内の不幸を隠し続けたようだ。
【中略】
1920年代になると、モードが「宗教的憂鬱症」と呼んだ夫の精神的な病は深刻さを増してゆく。自分は神に選ばれた存在で、いくら神につかえようとも地獄へ墜ちる運命だと信じる夫の憂鬱症の発作にモードは悩むようになった。発作が起こると夫の表情は凍りつき、性格までもが変化し、自ら口には出さないけれど自殺まで考えていることがうかがわれた。そういう夫の姿を目の当たりにして、自分が結婚した男性と同一人物とは思えない、と怖れを抱くモード。家庭生活に広がる闇は、幼い息子たちの笑顔と、執筆を続けることでどうにか振り払われていた。
(「『赤毛のアン』を書きたくなかったモンゴメリ」より、梶原由佳さん著/青山出版社刊)
その、これはわたしが個人的に思うことなのですが、モンゴメリは「こんな男性と結婚してしまって可哀想
」というより(もちろんそういう部分もたくさんあるのですが)、不幸なことの第一としては、当時は鬱病等の精神的病いについての世間の無理解・偏見というものが今以上に根強いものだった……ということがあるかと思います。
今でこそ、精神科・心療内科といった場所は大分受診するのに敷居が低くなったと言われますけれども、モード自身が言っているとおり、そうした夫の病気が世間に知られたとしたら、牧師の職を追われたことは確実だったろうと思うんですよね。
ところでこの、なんとも奇怪に思われるユーアン・マクドナルド氏の「宗教的憂鬱症」とは、どんなものだったのでしょうか。牧師さんというと、生涯を神さまに献身することを誓った、一般信徒よりも天国では高い地位に就いてしかるべき人々……といったイメージがあると思うのですが(「あの人は牧師だというのにまったくけしからん![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0141.gif)
」という方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれませんが^^;)、ユーアンさんは<自分は神に選ばれた存在で>、<いくら神につかえようとも地獄へ墜ちる運命だ>というのは、一体どういうことなのでしょうか。
いえ、以前牧師さんのお説教の中で、そうしたことが理由で実際に自殺される方がいる……といったことを少し聞いた記憶があります。つまり、<自分が自殺することによって>、あるいは<自分ひとりが地獄へ行くことによって>、<イエス・キリストを信じていない魂が幾人たりとも救われるというのならば、自分は是非ともそうせねばならない>ですとか、キリスト教の正統的教理から離れてそうしたことを信じ込んでしまうということは実際にあるということなんですね。
モンゴメリは男性からもてるタイプの女性だったため、エドウィン・シンプソンというまたいとこと婚約破棄していたり、ハーマン・リアードという男性と恋仲になっていたりするのですが、このハーマンさんとは<めくるめくような恋の炎>を感じながらも、彼の知性が(モンゴメリの基準から見て)低いと思われたため、彼女は理性的に<めくるめくような恋の炎>はなくても、世間から見て立派な職業に就いていると見られる男性と理性的な結婚をしたものと思われます。
モンゴメリにっては(気持ちはわからなくもありませんが^^;)、この世間から見て自分の夫がどう評されるか、またそのことを通し自分はどう見られるかといったことや、自分と釣りあうくらいの知的さを持っている男性……というのは結婚相手の条件として必須だったみたいなんですよね。
小倉千加子さん著の「赤毛のアンの秘密」に、確かモンゴメリがそのように理性的選択によって夫を選び、彼を本当には愛していなかったことが、夫の鬱病の一因だったのではあるまいか……と書かれていた気がするんですけど(本が今手元にないので、引用が不正確ですみませんm(_ _)m)、ユーアンさんのこの鬱病的兆候というのは、神学生の頃からあったようなので、実際に牧師として地域活動をはじめた時にはすでに、同じ物思いに悩まされていたのではないかと、個人的にはそのように思います。
モンゴメリに関しては、彼女がペンフレンドと長年に渡ってとりかわした膨大な量の手紙、そしてこちらもまた膨大な量になる彼女の日記が残されていますから、モンゴメリ自身が夫のことをどう思い、考え、感じていたかという記録は結構残っていると思うんですけど――ユーアンさんの側にはそうしたものが何も残っていないため、モンゴメリの側の言葉だけを取り上げるとすると、彼はおそらく神経症と鬱病の合わさったような病気を持っていたのではないかと推察されます。
何分、当時はそうした病気全般に対し<神経衰弱>と言っていたわけですが、今よりも薬物による治療なども発達してなく、世間も当然無理解で、そうした中で『牧師』および『牧師夫人』であり続けたマクドナルド夫妻って、物凄い精神力によってありとあらゆることに耐えたのではないかと想像されてなりません。
ユーアンさんというのは、神学校を卒業された、モンゴメリが知的水準的にも自分と釣り合っていると認めるほどの男性であり、また礼拝でのお説教のほうも上手だったという評判があったそうです。けれど、こうした形で神さまに仕えるというのは、精神的に相当負担なことだったのではないでしょうか。何故といって、<いかにして神に仕えようとも地獄へいく運命>だというのに、教会に集う信徒ひとりひとりのことを気遣いつつ、たくさんある教会行事のひとつひとつをこなしていかなくてはならないのですから![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
実をいうと、この記事の中で何を書きたかったかというと――ただ、前回まで書いていた(たぶんまだ続きます)「神を喜ぶことはあなたがたの力だから」という事柄と少し対比させてみたかったというか。
日々、神さまから聖霊さまを通して恵みをいただき、「すべてのことを喜び感謝する」信仰的態度でもって生活するのと、仮に同じクリスチャン、キリスト教徒であったとしても、本来の信仰からは大きくズレた自分の何かを信奉するのとでは大きく違うというより……ユーアンさんほど極端でなくても、「神を信じて一体何になるのか」というところに留まらざるをえない信じ方をされている方は、キリスト教徒の中にもたくさんおられると聞いたことがあったので![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
思った以上に文章のほうが長くなってしまったので、この記事はⅡに続く、ということにしたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
※=先ほど、モンゴメリのウィキをチェックしてみたところ、>>「死因は「冠状動脈血栓症」とされてきたが、『赤毛のアン』原作誕生百周年の年に、孫娘のケイト・マクドナルド・バトラーにより、うつ病による自殺と公表された」とありました。このあたりのことは以前から言われており、モンゴメリの自殺説は根強かったのですが、モンゴメリの息子さんのスチュアートさんが「母は自殺ではない」とおっしゃっていたと思いますし、詳細な経緯が(わたしに)まだわかっておりませんので、あえて「どちらかはまだわらない」という書き方をさせていただきましたm(_ _)m
今回はちょっと怖いタイトルですみません(^^;)
実をいうとわたし、「赤毛のアン」で有名なルーシー・モード・モンゴメリ(1874年~1942年)の大ファンで、彼女の著作は日本で訳されているものはほとんど読んでいると思います
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book_mov.gif)
それで、モンゴメリは1911年、36歳の時にユーアン・マクドナルド牧師(40歳)と結婚しているのですが、この牧師の旦那さんが重度の鬱病を患っており、やがてそれは転移のような症状としてモンゴメリのことをも苦しめるようになっていったんですよね。
モンゴメリの死因は、大量の薬物摂取による自殺なのでは……?との疑いが長くあるそうなのですが、はっきりしたことは今もよくわかってないままのようです(※)。
ただ、彼女の伝記や日記などによりますと、夫の耐え難い鬱病気質に加え、自身の体調不良及び神経的な病い(鬱病と思われる)から、モンゴメリの晩年が相当苦しいものであったことは確かなようなんですよね。
日本ってキリスト教文化について知っているようでまるで知らない国だと思うので、職業を聞かれて「牧師をやっています」と答えたりすると、「へー。牧師って何するの?具体的にどんな仕事なの?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_full_s.gif)
>>おそらく、彼女は牧師と結婚するべきではなかったのだ。「神々は破滅させたいと思う人間を牧師の妻にするのです!」と、モードはマクミランに宛てて1927年に書いているが、彼女のこの痛ましい言葉には、冗談ではすまされないものがあったのである。確かに彼女はユーアン・マクドナルドと結婚すべきではなかった。彼の張りつめた、陰鬱極まる性格上の問題――自分は地獄に墜ちるべく運命づけられているという彼の信念――は、ますますつのってゆく憂鬱病という形で、ゆっくりとではあるがモードの目にも明らかになってきたのである。落ち着いた結婚生活というかさの下に居てさえ、おそらくモードは忍耐の限度を試し続けることに困難を感じていたのだろう。しかし、彼女はいったん誓ったからには、妻――しかも、牧師の妻――に要求される誠実さを取り消すような人間ではなかった。
(『運命の紡ぎ車』モリー・ギレン著、宮武潤三・宮武順子さん訳/篠崎書林より)
モンゴメリの夫のユーアン・マクドナルドさんと言いますと、「赤毛のアン」ファンの間では「妻の才能を理解しない愚鈍な夫」という悪いイメージしかない気がするのですが、わたしが思うのはとにかく――彼は重度の宗教的鬱病によって極度にまで苦しみ抜いた人だったのだろうということでした。また、モンゴメリはこの旦那さんのお世話をする傍ら、牧師夫人としての仕事もこなし、またふたりの息子の母親としての務めもあり、さらには作家としても活動し……という、仮に手が八本あっても足りないような大量の仕事を、彼女はたったの二本の手ですべてやり通していたのでした。そして最後は極限まで神経をすり減らしてしまったのではないかという気がします。
この、ユーアン・マクドナルド氏が悩まされていたという、自分は地獄に墜ちるべく運命づけられているという彼の信念というのは、どういうことなのでしょうか。次に、『赤毛のアンを書きたくなかったモンゴメリ』(梶原由佳さん著/青山出版社刊)より、文章を抜粋させていただきたいと思いますm(_ _)m
>>この年(1919年)は、フレッド(モンゴメリの腹心の友。ちなみに女性)の死以外にもモードを驚愕させたことがあった。以前から、頭痛を訴えていた夫が、神経衰弱と診断されたのだ。ユーアンは、自分は神の御許に行けないという恐怖にとりつかれ、永遠の喪失感に悩まされていた。モードは、夫の気が変になるのではと恐怖を感じる。知らなかったとはいえ、こんな男性と結婚し子どもまで産んでしまったとは!夫の症状を世間に知られては、悪いうわさがたち、牧師の職を追われることになる。精神的に不安定な夫を世間の目から隠すために、モードは心をくだいた。
私(著者の梶原由佳さん)が出会ったリースクデイルの当時を知る老人たちのなかには、マクドナルド牧師が精神を病んでいたとは、「たとえ、マクドナルド牧師夫人の日誌に書いてあったとしても、信じられない」と語った人がいた。それほど巧みに、モードは家庭内の不幸を隠し続けたようだ。
【中略】
1920年代になると、モードが「宗教的憂鬱症」と呼んだ夫の精神的な病は深刻さを増してゆく。自分は神に選ばれた存在で、いくら神につかえようとも地獄へ墜ちる運命だと信じる夫の憂鬱症の発作にモードは悩むようになった。発作が起こると夫の表情は凍りつき、性格までもが変化し、自ら口には出さないけれど自殺まで考えていることがうかがわれた。そういう夫の姿を目の当たりにして、自分が結婚した男性と同一人物とは思えない、と怖れを抱くモード。家庭生活に広がる闇は、幼い息子たちの笑顔と、執筆を続けることでどうにか振り払われていた。
(「『赤毛のアン』を書きたくなかったモンゴメリ」より、梶原由佳さん著/青山出版社刊)
その、これはわたしが個人的に思うことなのですが、モンゴメリは「こんな男性と結婚してしまって可哀想
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
今でこそ、精神科・心療内科といった場所は大分受診するのに敷居が低くなったと言われますけれども、モード自身が言っているとおり、そうした夫の病気が世間に知られたとしたら、牧師の職を追われたことは確実だったろうと思うんですよね。
ところでこの、なんとも奇怪に思われるユーアン・マクドナルド氏の「宗教的憂鬱症」とは、どんなものだったのでしょうか。牧師さんというと、生涯を神さまに献身することを誓った、一般信徒よりも天国では高い地位に就いてしかるべき人々……といったイメージがあると思うのですが(「あの人は牧師だというのにまったくけしからん
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いえ、以前牧師さんのお説教の中で、そうしたことが理由で実際に自殺される方がいる……といったことを少し聞いた記憶があります。つまり、<自分が自殺することによって>、あるいは<自分ひとりが地獄へ行くことによって>、<イエス・キリストを信じていない魂が幾人たりとも救われるというのならば、自分は是非ともそうせねばならない>ですとか、キリスト教の正統的教理から離れてそうしたことを信じ込んでしまうということは実際にあるということなんですね。
モンゴメリは男性からもてるタイプの女性だったため、エドウィン・シンプソンというまたいとこと婚約破棄していたり、ハーマン・リアードという男性と恋仲になっていたりするのですが、このハーマンさんとは<めくるめくような恋の炎>を感じながらも、彼の知性が(モンゴメリの基準から見て)低いと思われたため、彼女は理性的に<めくるめくような恋の炎>はなくても、世間から見て立派な職業に就いていると見られる男性と理性的な結婚をしたものと思われます。
モンゴメリにっては(気持ちはわからなくもありませんが^^;)、この世間から見て自分の夫がどう評されるか、またそのことを通し自分はどう見られるかといったことや、自分と釣りあうくらいの知的さを持っている男性……というのは結婚相手の条件として必須だったみたいなんですよね。
小倉千加子さん著の「赤毛のアンの秘密」に、確かモンゴメリがそのように理性的選択によって夫を選び、彼を本当には愛していなかったことが、夫の鬱病の一因だったのではあるまいか……と書かれていた気がするんですけど(本が今手元にないので、引用が不正確ですみませんm(_ _)m)、ユーアンさんのこの鬱病的兆候というのは、神学生の頃からあったようなので、実際に牧師として地域活動をはじめた時にはすでに、同じ物思いに悩まされていたのではないかと、個人的にはそのように思います。
モンゴメリに関しては、彼女がペンフレンドと長年に渡ってとりかわした膨大な量の手紙、そしてこちらもまた膨大な量になる彼女の日記が残されていますから、モンゴメリ自身が夫のことをどう思い、考え、感じていたかという記録は結構残っていると思うんですけど――ユーアンさんの側にはそうしたものが何も残っていないため、モンゴメリの側の言葉だけを取り上げるとすると、彼はおそらく神経症と鬱病の合わさったような病気を持っていたのではないかと推察されます。
何分、当時はそうした病気全般に対し<神経衰弱>と言っていたわけですが、今よりも薬物による治療なども発達してなく、世間も当然無理解で、そうした中で『牧師』および『牧師夫人』であり続けたマクドナルド夫妻って、物凄い精神力によってありとあらゆることに耐えたのではないかと想像されてなりません。
ユーアンさんというのは、神学校を卒業された、モンゴメリが知的水準的にも自分と釣り合っていると認めるほどの男性であり、また礼拝でのお説教のほうも上手だったという評判があったそうです。けれど、こうした形で神さまに仕えるというのは、精神的に相当負担なことだったのではないでしょうか。何故といって、<いかにして神に仕えようとも地獄へいく運命>だというのに、教会に集う信徒ひとりひとりのことを気遣いつつ、たくさんある教会行事のひとつひとつをこなしていかなくてはならないのですから
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
実をいうと、この記事の中で何を書きたかったかというと――ただ、前回まで書いていた(たぶんまだ続きます)「神を喜ぶことはあなたがたの力だから」という事柄と少し対比させてみたかったというか。
日々、神さまから聖霊さまを通して恵みをいただき、「すべてのことを喜び感謝する」信仰的態度でもって生活するのと、仮に同じクリスチャン、キリスト教徒であったとしても、本来の信仰からは大きくズレた自分の何かを信奉するのとでは大きく違うというより……ユーアンさんほど極端でなくても、「神を信じて一体何になるのか」というところに留まらざるをえない信じ方をされている方は、キリスト教徒の中にもたくさんおられると聞いたことがあったので
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
思った以上に文章のほうが長くなってしまったので、この記事はⅡに続く、ということにしたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
※=先ほど、モンゴメリのウィキをチェックしてみたところ、>>「死因は「冠状動脈血栓症」とされてきたが、『赤毛のアン』原作誕生百周年の年に、孫娘のケイト・マクドナルド・バトラーにより、うつ病による自殺と公表された」とありました。このあたりのことは以前から言われており、モンゴメリの自殺説は根強かったのですが、モンゴメリの息子さんのスチュアートさんが「母は自殺ではない」とおっしゃっていたと思いますし、詳細な経緯が(わたしに)まだわかっておりませんので、あえて「どちらかはまだわらない」という書き方をさせていただきましたm(_ _)m
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