今日は中越地震から10年ピッタリの日です。地元紙の紙面は地震で亡くなった子供たちの周囲の人々のその後がたくさん載ってます。
あの日、朝からカラスの数が異常に多く、1才の息子に「おかしいねぇ。地震でも来たりして」と語りかけたのを覚えてます。
そして夕方。買い物に出た先で知人と建物の外で立ち話をしていた際、大きな揺れが。
とてもゆったりと長く感じた揺れで「震源はどこだろう?」と。
今のようにスマホもなくガラケーに情報も届かないので車へ戻りラジオをつけたら、中越地方で大きな地震が、と。
でもまさかここまでたくさんの人が亡くなったとは夢にも思いませんでした・・・。
その2年後にはまさかの中越沖地震。次はいつ新潟市内が、と思うとしばらく気が気じゃなかったなあ。ちなみにこの時は3才の息子は一人で家の脇で遊んでいて、隣家のブロック塀がヒビだらけなのを思い出して慌てて飛び出しました。びっくりした顔で突っ立っていた姿が忘れられません。
ほんと、いつどのタイミングで起こるかわからないから怖い。
亡くなった方たちもたまたまその時間そこにいたから・・今回の御嶽山の噴火もそうですが。
そう思うと今自分がここにこうして生きているというのもあらゆるタイミングが生きる方向にピタリと合ってきたから、事故にも災害にも合わずに存在できているんだな、と。
あの奇跡的に土砂に埋まった車から救出された皆川優太ちゃん(中学生になり新聞にも最近載ってました)も、あの日我が家の近くの高校の文化祭に親子で遊びに来ていた帰り道だったそうですが、
あとほんの少し出るのが早かったり遅かったりしたら。
文化祭が1週間ずれていたら、ママもお姉ちゃんもいまも一緒にいられたのに・・と、知り合いではないけれどやりきれない気持ちになりました。
いろいろ思う10/23の朝でした。