町石道を走ってきた。
高野山町石道は
弘法大師空海によって高野山の開創直後に設けられた参詣道で、
紀ノ川流域の慈尊院(海抜94m)から
高野山大門を経て
根本大塔または奥の院弘法大師御廟に至る
高野山へのいわば表参道にあたる。
参道とは言っても、
標高差は約700m、
距離約23キロの山道だ。
町石道の名前はこの道180町の間に
1町ごとに石が建てられているからで、
その石には高野山に至る残りの町数と
密教の仏尊を示す梵字が刻まれ、
それらをたどる人々を
曼荼羅の世界へと導くという仕掛けになっている。
この道、レースでは3回走ったことがあるけど、
レースだったので景色を楽しむこともほとんどなかったから、
一度ゆっくりと町石道をマラニックしてみようと思い、
天気が良かった土曜日に出かけてみた。
午前7時半に車で家を出て、
紀見トンネルを越え橋本から高野山まで一旦登った。
ゴール後の着替えを車においておいたほうが
身軽に走れていいと考えたからだ。
大門横の「名物力餅」の店の人に車を止める場所を聞いてみた。
「あの~、この近くに車止めるとこありますかねえ」
「駐車場はあるけど、どこ行きはるの?」
「今からケーブルと電車で九度山まで降りて、
町石道を登ってこようと思ってるんやけど」
「ほな、明日までとめるんやな」
「いえ、きょうの夕方には戻ってくるつもりですが」
「今日中ってあんた、歩いたら6時間かかるで」
「いえ、走りますから」
「ま、今日中にもどるんなら、そこの観光協会の横に停めといたらええわ」
最後は好きにしたらええけどわしは知らんで、
みたいな感じでしたな。
車をとめてから駅まで走って、
乗り継ぎの悪いケーブルと電車で九度山に着いた頃にはもう12時。 九度山駅にて
駅で一発記念撮影をしたあと、
ようやく本日のランが始まった。
慈尊院に着いたのは12時10分。
参道の小さな駄菓子屋で食料
(バームクーヘン、チョコクッキー、おかき) 町石道、のぼりの起点。180町石
を買って、慈尊院の中にある最初の町石(180町石)を
スタートしたのは12時20分だった。
この道を、
これまで最短時間で登った人は和歌山の水本という人で、
時間は1時間33分。
「高野の小天狗」の称号をいただき、
今も社殿に大きな木の札に書かれて掲げられてある。
私のベストタイムは1時間50分。
高野のコテコテ天狗と呼んでください。
ですが、今日はそんなに飛ばすつもりも体力もない。
目標を4時到着とし、登り始めた。
泉大津の駅にあった町石道のガイドパンフレットをもってきていたので
そこに書かれたコースタイムと比べながら、
速さや休憩時間を調整。
途中、頑張って走ったところもあったけど、
ほとんどの部分をのんびりと歩いたり、
写真も撮ったりしながら、
春の風景を満喫した。
心配していた身体の不調も出ず、
すこぶる快調。
花が咲き、木の芽が膨らむ本当に気持ちいい道でした。 土筆
途中、フキノトウ、クレソン、土筆もゲット!
これでかきあげ天ぷらにしたらさぞかしうまいやろうなあ
名づけて
「春の高野山かきあげ」
後半はさすがに足もだるくなったけど、
そんな疲れも練習になっているんやと思えば気持ちよかったなあ。
大門に到着したのは、
予想タイムと1分しか違わない3時59分。 高野山大門
車で軽く着替えて、
車の件のお礼に力餅を買いに行ったら、
朝の店主が「え~、もう着きましたんか」と驚いてましたわ。
まだ暗くなるまで時間があったので町石道の終点、
根本大塔と奥の院弘法大師御廟に行った。
奥の院には実にいろんな人のお墓があるねえ。
織田信長、豊臣秀吉、武田信玄、伊達政宗といった歴史上の人物から
花菱アチャコの墓まで、約30万基があるらしい。
一番奥にある御廟は、
淡い光を灯した燈籠が整然と並べられた厳かな空間でした。
ほとんど人がいなかったのに、
大勢の人々の思いに圧倒されそうでしたな。
ここならどんな願いも叶いそうで、
渾身の護摩木を奉納してきました。
御廟の前で一心にお経を唱えている人がいましたが
あんなふうに心を無にして
お経を唱えられたらと、
実はひそかに思っているのです。
日が落ちて、
すっかり暗くなったワインディングロードを下り、
橋本で今下ってきた山並みを見渡せる温泉
「湯の里」で露天風呂に入ってきました。
ほんとに贅沢な休日でしたあ。