このブログを2005年8月に始めて、
すでに700話を超えた。
単なる日記ではなくて、
そこにあることに
少しずつ自分の思いもちりばめて綴ってきた。
エッセイというにはあまりにも稚拙だけど、
「エッセイ」を「随想」と訳すなら、
「随想」の意味は
「思いつくままを書きとめる」
という意味で、
いわゆるブログも
広い意味でエッセイだろう。
エッセイで、
まず思いつくのは團伊玖磨が綴った
「パイプのけむり」
全27巻からなるこの随想集は
珠玉のエッセイともいうべき作品群だ。
第一に名前の付け方が面白い。
第1巻「パイプのけむり」から始まり、
続「パイプ-」、
続々「パイプ-」、
又「パイプ-」、
又々「パイプ」、
・・・、
どっこい「パイプ-」、
しっとり「パイプ-」
と「パイプのけむり」の上に
毎回異なる副詞をつけ続け、
最後に、
さようなら「パイプのけむり」を著して終わった。
通算約35年をかけて
全27巻
1842編のエッセイを綴った、
随想集の代表のような作品だ。
音楽、演劇、旅、食べ物、人、
日常生活のなんでもない1断面などを
洒脱に描いている。
作曲の世界でも
その秀でた才能を発揮されたこの人の随想は、
この人そのものを
描き続けたものだった。
そんな確固たるその人の随想が、
風が吹けばなくなってしまう様な
「パイプのけむり」
と名づけられているのも
また面白いな。
けむりは消えても香りは残る、
みたいな思いもこめられているのかな。
そんな立派なエッセイと
比較するのは失礼とも言うものだが、
わしもそれなりに自分のこのブログに
愛着を抱いている。
ただ、
このブログも
一事業者のサーバーに保存されているだけなので、
突然廃止になって
けむりのように消えてもおかしくないし、
香りさえも残らないだろう。
そこでそんな時に備えて
先日から、ディスクに保存をし始めている。
「パイプのけむり」ではなく、
わしの場合はさしずめ
「ディスクのほこり」
といったところかね。
すでに700話を超えた。
単なる日記ではなくて、
そこにあることに
少しずつ自分の思いもちりばめて綴ってきた。
エッセイというにはあまりにも稚拙だけど、
「エッセイ」を「随想」と訳すなら、
「随想」の意味は
「思いつくままを書きとめる」
という意味で、
いわゆるブログも
広い意味でエッセイだろう。
エッセイで、
まず思いつくのは團伊玖磨が綴った
「パイプのけむり」
全27巻からなるこの随想集は
珠玉のエッセイともいうべき作品群だ。
第一に名前の付け方が面白い。
第1巻「パイプのけむり」から始まり、
続「パイプ-」、
続々「パイプ-」、
又「パイプ-」、
又々「パイプ」、
・・・、
どっこい「パイプ-」、
しっとり「パイプ-」
と「パイプのけむり」の上に
毎回異なる副詞をつけ続け、
最後に、
さようなら「パイプのけむり」を著して終わった。
通算約35年をかけて
全27巻
1842編のエッセイを綴った、
随想集の代表のような作品だ。
音楽、演劇、旅、食べ物、人、
日常生活のなんでもない1断面などを
洒脱に描いている。
作曲の世界でも
その秀でた才能を発揮されたこの人の随想は、
この人そのものを
描き続けたものだった。
そんな確固たるその人の随想が、
風が吹けばなくなってしまう様な
「パイプのけむり」
と名づけられているのも
また面白いな。
けむりは消えても香りは残る、
みたいな思いもこめられているのかな。
そんな立派なエッセイと
比較するのは失礼とも言うものだが、
わしもそれなりに自分のこのブログに
愛着を抱いている。
ただ、
このブログも
一事業者のサーバーに保存されているだけなので、
突然廃止になって
けむりのように消えてもおかしくないし、
香りさえも残らないだろう。
そこでそんな時に備えて
先日から、ディスクに保存をし始めている。
「パイプのけむり」ではなく、
わしの場合はさしずめ
「ディスクのほこり」
といったところかね。