ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ルーツ

2011年06月10日 23時54分02秒 | スポーツ全般

高校2年の頃
体育の授業で
K和田城の周りを2周する
マラソン大会があった。
その頃doironは化学部でありながら
山岳部の連中と走りこみの
トレーニングをしていたので、
走ることは嫌いじゃなかった。
いや大好きだった。
走っても走っても
いくらでも走れるくらい元気でした。
体育の授業なのでクラスのみんなは
適当に走ればいいや、
必死に走る奴は馬鹿だ、見たいな空気があった。
でもdoironはそんな体育の授業が
とっても好きで、
空気も読まずに
思いっきり走ったことがある。
一周2キロくらいのコースを
よーいドンで走り、
一周を終えた時には
ダントツで走っていた。
ここから陸上部の連中が
追い上げてくるんだろうと
2周目も力を抜くことなく
思いっきり走ったら、
超ダントツの一位だったという思い出がある。

マラソンの”マ”の字も
知らなかった頃の
記憶にくっきり残っている思い出だ。

それから大学に進んでからは
山登り三昧で
楽しい学生生活を送らせていただいた。

3週間も山にこもったり
大雪の山を単独行したり
雷が降り注ぐ雪山で
雪洞を掘ってやり過ごしたりしていた
無茶な登山をみて
山岳部やワンゲルの連中に
一目置かれているというのを
人づてに聞いた。

そんな青春を過ごして
いろいろ紆余曲折も経て
今の仕事を始めるようになった。

でもその頃はまだランニングレースには
興味がなく、山登りと共に
下手くそなサッカーに
興じていたdoiron。
当時はボール扱いは下手くそだったけど
やたら走り回るおかげで
フォワードとバックも兼ねる
”ウイング”というポジションをやってた。

これまで試合で入れた得点は
今でもはっきり憶えている。
初得点は
コーナーキックを膝でトラップしようと
したところ、
それが偶然にもボレーシュートになり
見事にゴールに突き刺さった。

そのころのチームは
本当に弱小で
地域のサッカーリーグの
いつも最下位にあったから、doironのその
ボレーシュートという
衝撃デビューにはみんなが目を丸くしたもんだ。

試合後にみんなで
チョコパを食べに行ったことも憶えている。

また、別の得点は
味方が蹴ったゴール前へのパスが
doironのおでこ(まだそのころはクールビズではなかった)
にぴったり合って、
見事なヘディングが決まったことがある。
ただそのゴールは見れてないのだ。
ヘディングの瞬間に
軽い脳震盪を起こし、気がついたら
グランドに仰向けになってて
得点が入っていた。
というものだった。
その頃にビデオなるものが
なかったのは非常に残念だ。

さらに別の試合では
こちらのチームの弱小振りを
あざけるように
相手キーパーまでが
フィールドに出てきてるとき
たまたま相手選手のドリブルの前で
フェイントを見破って
ボールを奪い、
無人のゴールに
思いっきり蹴りこんだことがある。
50m以上の超ロングシュートだった。
この試合、相手はやがて、
関西学生選手権で
優勝することにもなる
某大学の3軍チームで、今でも憶えている。
その時のスコアは9対1の
歴史的大敗だった。

試合後、メンバーみんなで
一矢報いたdoironの得点を
まるで、ワールドカップ出場を決めた得点のように
絶賛していただいた記憶がある。

もし、今風にその試合にタイトルを
つけるとしたら

「河合グランドの奇跡」

きっとこうなるだろう。
それにしても
1点とって大騒ぎするのだから
弱小ぶりは推して知るべしである。

なんて書くと
まるでdoironはエースストライカー
なのだが
ゴール正面でキーパーと1対1になるという
決定的チャンスで
空振りした試合もあるし、
ルールを知らずに
ボールを持ってる相手キーパーの
手の中にあるボールを蹴りに行って
キーパーチャージをとられるばかりではなく
相手チームを激怒させて
乱闘寸前になったこともある。

クレージーストライカーである。

そのうちに、メンバーの骨折などの
事故が続き
サッカーは下火になっていったが
相変わらず走ることが大好きだったdoironは
この後マラソンにのめりこんでいくのであった。