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全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野街道、チン電とともに4

2013年06月23日 21時17分00秒 | ウォーキング

またまた街道話の続きです。

堺市の遠里小野町1の交差点から
数本東側の道を、
資料を見ながら探します。

どうやら、3本ほど先の
一方通行順行の道をゆくようです。

しかしそもそも、大阪市内を南下してきて、
遠里小野橋に迂回すること自体が、
熊野御幸が盛んだったころにはあり得ませんでした。

それは、大和川が今のルートに付け替えられたのが
今から300年ほど前だったからです。
熊野御幸の頃には
そこに川はありませんでした。

では、それまでの大和川はどうだったかというと、
今の石川との合流点あたりから
北西に伸び、様々な川と合流しながら
最終的に淀川と合流する
というルートで流れていました。

それを今のルートに付け替えることで、
摂津や河内地域のひどい水害をなくそうとしたわけです。

当然付け替えられた地域では、
村は分断され、田畑は川の底になってしまいますので、
大反対がありました。

摂津地域の促進の上申書と
川になってしまう地域の反対の上申書が
ともに残っているそうです。

もし今の時代にそんなことをすれば、
政権をも揺るがす大騒動でしょうね。
橋O市長が出てきて
選挙で民意を問いましょう
なんてことになるかもね。

だから、熊野街道そのものが、
この川の付け替えで部分的に消失していることは明らかで、
今の時代にそれをたどろうとすれば、
解明されている他の区間のルートとの
連続性などで推測するほかに手立てがありません。

そういう意味で、
堺市の浅香山あたりは、
地形的なもの、
電車の軌道敷きによる道の寸断などを考慮して、
現代は無難なルート設定をしている
といわざるを得ません。

そしてまたこの先の堺市内の道も、
中世環濠都市の発展と
戦後の都市整備とで、
経路が定かでない部分が大半です。

それはその都度検証しながら歩いてみることにして、
とりあえずそのようなことを念頭に、
先に進んでいきます。

堺市内はこれまで
紀州街道は歩いたものの
熊野街道はまだ歩いていません。

どんな道しるべがあるのでしょうか。

浅香山駅の南側で線路をくぐって右側、



線路沿いではない、二本目の広い道を
南下していきます。

この道はけやき通りへと
つながっていく幹線のひとつです。

資料によりますと、
この先の今池町3の交差点には
道標があるはずです。

しかし交差点を中心に
ウロウロと探してみましたが
なにも見つかりませんでした。

仕方なく、先を歩きます。

真っ直ぐ南下をしていき、
大阪刑務所の高い塀のある交差点を右折し、
公園に突き当たったところに境王子跡がありました。



これは大阪府が平成4年に建てたもので、
諸説ある中でひとつの
「伝境王子跡」とも言われています。
その境王子跡を左折すれば、
まっすぐ伸びた道の先に、
方違神社の森が見えていました。



このあたりは道は碁盤の目のようになっているのですが、
一方通行の道が多く
ややこしそうなので車も少なく快適に歩けました。

そして道は方違神社へとつながってまいります。



方違神社には間違いなく道標があるだろうと探してみると、
歩道の片隅、電柱の陰にありました。



なんかいじけた感じでした。

それに比べて
堺市が設置したと思われる
歴史めぐりの案内は
大変充実しているようです。


この方違神社から、
熊野街道は何本かに分かれていきますが、
今回は大阪府の資料に基づいて
最も東側の
古墳近くのコースを歩くことにしました。

方違神社のすぐ南側にあるのが、

「反正天皇陵」

御陵の横に沿って、



こんな狭い道を歩きます。



突き当たりに三国ヶ丘高校が見えてきたところで、
御陵の南正面に戻り参拝です。



そして街道は、高校の教室エリアとスポーツエリアを隔てる
あいだの道を南下していきます。

住宅街を抜けていくと、
やがて道は竹内街道と交わり、
その後西高野街道との分岐へと出ていきます。



竹内街道は、日本最古の官道と言われており、
西高野街道は高野山へ向かう長い街道のひとつです。

熊野街道はしばらく、
西高野街道と同じ経路となりますが、
中央環状線に出て歩道橋を渡る手前で別れていきます。



仁徳天皇陵に出ると、
ホテル街をかすめる
堺シティマラソンのコースを
しばらく歩くことになります。



支援学校でマラソンコースと別れて、
小さな古墳の点在する
御陵沿いの遊歩道を歩き、
御陵通へと出ていきます。

そしてここからは、
御陵通りを西進し、
往路で乗車し
途中で何度か右に行ったり
左に行ったりしながら
ともにやってきた感のある
チン電も越えて



湊駅から帰宅したdoironでした。



またまた続く。

堺市内のコースについて、あと1回おまけで書きます。