堺市内の熊野街道には、
何度も言うように数種類の経路があります。
ひとつは今回歩いた御陵通までのコースで、
基本的に御陵をめぐるコースです。
そしてもう一つは、
堺の寺町街ともいうべき
チン電の走る道近くを南下するコース。
この道は、もっと北の方で
紀州街道と同じ経路をたどるコースです。
そしてもう一つが
その間の堺東の駅裏あたりを通る繁華街コースです。
このうちどれが間違いで
どれが正解かというと、
実はどれも正解なんです。
熊野詣が盛んに行われ始めた頃は、
京の都から上皇などが
盛んに行き来しました。
そのころだと、きっと
先祖の御霊をうやまいつつ
御陵近くを歩いたでしょう。
そして、開口神社など、神仏信仰が盛んだったころは
チン電近くのコースを歩いたでしょう。
また、堺の文化が盛んとなったころなら
繁華街コースを歩いたのかもしれません。
時代背景に応じ、
人々が行き交う道は変遷しました。
それはとりもなおさず、堺市の歴史の
奥深さを物語っていることにほかなりません。
今回歩けなかった堺市内の道は、
日を改めて必ず歩こうと思っています。
今や数少ないチン電といい、
数々のお寺や神社といい、
独特の商風といい、
堺の奥深い歴史に、
もう少し触れてみたいと思った
今回の街道ウォークでした。
「熊野街道、チン電とともに」 終わり