ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 香り高き区間 5

2014年11月02日 21時50分47秒 | ウォーキング

巡礼橋を渡ると、
道の脇になにやら大きな石が転がっています。



これが、熊野御幸の際に
後白河法皇が腰かけたといわれる、

「腰掛け岩」の跡です。



跡というのは、実は
本来の石は戦後に畑の開墾に邪魔だ
ということで砕かれ(な、なんてことをするんじゃ)
今の石は2代目なんだそうです。

ちょっと腰掛けてみましたが、
ふむふむなかなかの座り心地です。
IKEAで販売してほしいです。

その先にあるのが「弘法井戸」。



弘法大師が杖で地面をトントンと突くと
そこから水が湧き出たといういわれは、
拝ノ峠や大和三山畝傍山の麓にあったものと
全く一緒ですね。
調べてみると「弘法井戸」は
全国各地に散らばっているようです。

その井戸から急な傾斜のベタ踏み坂を登って行くと、



「方津峠」です。



峠には祠があり、



いわくありげな石が三つ置かれていました。



女性と男性と子どもでしょうか。

ここから道は、案内に沿って進むと、
道のないひどい藪の中に入っていきますので、



古い方の車道を下ることにしました。



地図ではこのすぐ下で古道と合流するようです。

ありました。合流です。



それを右に折れると
古道は一気に街の中の道になっていきます。

「飛越橋」に合流してからしばらくは



逆川が合流してからの山田川沿いを進みます。

今はこの川も世界記録の8m95よりも広いように思います。
その記録保持者のマイクパウエルでさえ
飛び越えることは無理でしょう。

このあたりは、税務署や法務局、警察、
ハローワーク、スポーツ施設等の集まる官公庁街になっています。



そのスポーツ施設の一角にあったのが、
「湯浅の一里松跡」です。



糸我の一里松、宮原、蕪坂の一里松と並んで
旅のランドマークになっていた松ですが、
昭和34年の台風で倒れなくなってしまったそうです。

今は跡だけが残っています。

この旧跡を左に見て、
立派なスポーツセンターの裏側に回ると、
そこにデンと置かれていたのが、
河川の改修の際に
川底から現れたクスノキの一部です。



樹齢は推定800年で、
熊野に向かう旅人を長年見降ろしてきた木として
保存されているそうです。

それにしても、無造作な置き方ですね。
置き場所に困っているようにも見えます。

処分したくなったらいい方法を教えましょう。
「この川底から上がった木のかけらを拝めば
人生のどん底から這い上がれる」
という噂を流布すればいいのです。
みんなが削り取って行って
徐々になくなっていくことでしょう。

今もクスノキの香りが残る木だそうです。
さすがに香り高き区間に残っていた木ですね。

そこから川沿いの道に出て、
「一里松橋」や「宮後橋」を眺めながらいくと、



「おふろやさん」と大きく書かれた
「宝栄湯」が現れます。



doironは夏によく湯浅の海に行くのですが、
こんなところに風呂があるとは知らず、
国民宿舎や「ホタルの湯」などに立ち寄っていました。
今度は是非ここを訪ねてみましょう。

このあたりから湯浅の古い街並みに入っていきます。
街道沿いには熊野古道沿いであることを示す
行燈や



藤白あたりから頻繁に見られた提灯



燈明台を目にします。



そしてここ湯浅は醤油発祥の地ということで
醤油蔵の立つこのあたりに来ると
どことなく醤油の香りがするようです。

まったく今回は、いろんな香りに包まれた旅でした。
最後に、横綱級に立派な立石の道標を見て、





古い街並みをぶらぶら歩いて駅に出ました。



doironのトレイル号を駐車してある「湯浅駅」です。
遅い昼食を駅前の食堂に入り、
シラス丼をいただき、
帰路に着いたのであります。

秋の香り、みかんの香り、潮の香り、
松の香り、楠の香り、醤油の香り、
そして何よりいにしえの香りに包まれ、
熊野古道未踏区間の香り高き道を歩いた今回の旅、
これにて終了です。