ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 雨のち晴れの峠越え 2

2014年11月26日 21時26分08秒 | ウォーキング

今回のコースは、
熊野古道紀伊路屈指の難所である
鹿ヶ瀬峠を越えるコースです。

今は道も整備され、さほどでもないのですが、
昔は崖っぷちをよじ登るようなところだったそうです。
そんなコースだというのに、
生憎雨は降り続いています。

今回、雨中歩行でもうひとつ試したのが、これ。



ザックカバーです。

あの桜井の雨中歩行の後で出かけたアウトレットで
たまたま見かけたので購入し、
試してみることができました。

結果は背中の荷物を
あまり意識せずに歩けたという点では上々でしたが、
荷物の出し入れが面倒でした。

まあ、それは仕方がないでしょう。

ナビをセットし、さあスタートです。

時刻は8時10分でした。

こんな狭い道を進んでいくと、



河瀬地区の公民館前に出ます。



トイレもあってありがたいですねえ。



そこに、汗かき地蔵の案内がありました。



行ってみますと・・・

残念ながら地蔵堂はしっかりと閉じられていました。



この汗かき地蔵、
なんでもこの先の鹿ヶ瀬峠を
汗をかきかき辛そうに登っていたら、
背中を押しに来てくれるらしいのですが、
今日は無理のようですね。

この日の気温はとても低く、
新調した発汗に強い長袖シャツの上に
合羽を着ていても、
汗はほとんど出ないほどでした。
歩くのには絶好といえるでしょう。

あ、これが地蔵の後押しなのかな?

このあたりもまだ、
井関に続いて河瀬の旅籠跡です。



屋号から、馬や駕籠などの
交通機関の手配もしていたのでしょう。

このあたりで一旦雨が小降りになってきました。



地蔵の後押しに違いありません。
頭上にうっそうと樹が生い茂っているところの、
地面はあまり濡れていません。
きっと昔は小さな雨なら大木の下は、
雨宿りの休憩に最適だった様子が
連想されました。

ここが「馬留王子跡」です。



案内板にはそう書かれていますが、
峠の向こうにも同じ名前の王子跡があるので、
資料には「東の馬留王子」と記されています。

往路では鹿ヶ瀬峠があまりに急なため、
ここが馬を降りた場所だった
ということからきているようです。

おお、ここにも徳本上人の名号碑がありました。



「右くまの」と刻まれた道標にもなっています。

さて、ぼちぼち峠道の登りが始まるとみえ、



近年新しく建てられた案内看板には、
「鹿ヶ瀬峠まで2340m」と、
親切な案内板がおかれてあります。



さあ、頑張って登りはじめましょう。



ほどなく「立場跡」の看板が出てきます。



立場といっても、嫁と姑に挟まれて
難しい位置にある・・・というような
「たちば」じゃないですよ。
「駕籠はここまで」という“たてば”の跡です。

まだ、なだらかな傾斜なんですが、
「馬留」といい「立場」といい、
徐々に急傾斜に向かっていくという気分が高まってきますねえ。

その言葉通りに、急傾斜が始まりました。



これはちょっとわかりにくい看板でした。



またもやこのあたりで
雨が降ってきたので
道が滑りやすい状態になっています。

気を付けて一歩ずつしっかり
着実に登って行きましょう。

どんどん登って行き、
ふと後ろを振り返ると、
先ほどの河瀬地区が
あんなに小さく雨にけぶっておりました。



お、もう半分くらい登ってきたようです。



このあたりも御多分に漏れず
イノシシ被害が多いようです。
いたるところに電気柵もあったし、
手動で開け閉めする扉も設置されておりました。



ヌタ場の跡があまり見られないのは、
きっと果樹園や畑の野菜の作物が
豊富だからでしょうか。

この案内は、右も左も山火事注意と
いう意味なんでしょうかね。



そうそう、この今登っている峠は
「鹿ヶ瀬峠」と書いてきましたが、
読み方は「しかがせ」ではなく
「ししがせ」ですので、念のため書いておきます。

「瀬」も昔は「背」だったようで、
けものの「背」のようになっていたのかなあと想像されます。

やがて、この峠の特徴の一つである
石畳道が始まりました。



これがでこぼこして歩きにくいだけでなく、
雨に濡れて滑りやすくなっており、
このあと思わぬ苦戦を強いられることになるのです。

続く