22年かあ。
doironが38歳の時に
それは起こったんやねえ。
死者は6434名、行方不明3名、
負傷者43792名とされている
あの阪神大震災だ。
つい最近起こったように思っているが、
もうそんなに経つんですねえ。
あの頃doironは
トライアスロンに燃え始めたころで、
地震の日の朝は、
寒いにもかかわらずバイクで
職場に行ったものだ。
ミセスは家の片付けなど
もう留守番と決めていた。
バイクで家を出たときはまだ、
高齢のおばあさんが、
屋根から落ちてきた瓦で
頭を打って怪我をした
程度のニュースだったのだが、
徐々にビルの倒壊や阪神高速の崩壊などの
おおきなニュースが飛び交いはじめ、
ミセスからのニュースは
どんどんひどくなっていったなあ。
もちろん阪神高速は当然
通行止めになっているから
通勤時の道は大渋滞であったなあ。
(後でわかったのだが
その日は休んでもよかったそうなのだ)
神戸の街には火事の煙も
上がっているとのこと。
これはもう大事件だ。
早く職場に行ってニュースを見なきゃ
と大急ぎでペダルをこいだものだ。
doiron家周辺当たりの震度は
5強でしたが、まあなんとか
風呂場のタイルに
ひびが入った程度で済みました。
まだ立てて10年くらいの家でしたから
被害は軽かったようです。
そう、あれからもう22年が経つのですねえ。
でもねえ、よく考えたら
doironだって10歳の頃だったら、
22年前にはまだ戦争を
やっていたんですよねえ。
その犠牲者なんか大目に見て
300万人ともいわれていたから、
その数の多さから見ても
けた違いの戦争を、
つい最近までやっていたんですよね。
戦争と自然災害を一緒にしてはいけませんが、
犠牲者を出した人々の心の内は、
さほど変わらないのでしょう。
戦争を今の自然災害と
同じくらいには決して
慰霊するためのイベントは
行われなかったでしょう。
当時はそんな戦争も
もう今となっては歴史のかなたで、
ずっと遠い昔と思っていた
自分がいたくらいでしたもんね。
でも今は違うでしょう。
こういう地震のイベントも各地で行われ、
それに参加する小さな子供たちも
そのことを忘れずに
防災に力を入れなきゃって
思っているみたいに見えますもんね。
そう、悲しみに沈むのではなく、
22年前はつい最近のことなんだと
ちゃんと理解し、
しっかりと自分たちの未来を
見つめてほしいですね。
2010年の日曜日にも
この日の神戸に出かけましたが、
その時にはあしぶえコンサートなんかを
見ながら、
「このあしぶえの音は天国にまで
届きそうなくらい響き渡り、
充満する祈りの声に包まれて」
泣きそうになりましたね。
では今年はそんな神戸の街が
今はどうなのか、
それを見に1.17の神戸の街に
出かけてみることにしました。
ネットで事前に見ながら、
今年の交流広場である
「なぎさ公園」から
「阪神淡路大震災1.17のつどい」の
中央区東遊園地を、
今の自分の趣味に合わせて、
テクテクと歩きながら
訪ねてみることにしたのです。
まずはスタート地点と
決めていたJR灘の駅まで
電車で向かいます。
そしてナビをセットして、
駅から歩き始めると、
おやもう何かリュックを担いだ人々が
いっぱい歩いてますねえ。
同じようなことを考えている人が
いっぱいいるのですねえ、
と思っていたら
交差点に旗を持って
道案内している人を見つけました。
旗には
「1.17ひょうごメモリアルウォーク」
と書かれてあります。
その人がリュックの人たちを
しっかりと誘導しているようです。
そうかあ、この日に神戸を歩く
イベントがあるんですねえ。
とりあえずは、
警備員の人にきいて教えてもらった
ウォーカーたちが向かっている、
なぎさ公園にdoironも向かいましょう。
つづく