四国より帰ってきました。
う~、かなり寒かったです。
また絵を描きつつ報告していきましょう。
まずは中断していた雲雀山からです。
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雲雀山のあちこちにいろんなこん跡と
出来事が刻まれていますが、
あまり解説がありません。
例えば、ここに親子対面岩とありますが、
何も知らずにこの山に来た人には
何が何だかよくわからないでしょう。
星飛雄馬と星一徹がここで対決し、
雑木の陰から姉の明子が
涙を流しながら見ていた
場所なんでしょうか。
それともサザエがワカメをしかりつけ、
それをフネがとりなしていた場所
というのでしょうか。
あれ?
ワカメはサザエの子じゃなかったっけ
いやあ、このブログを
ここまで読んできた人なら
わかるでしょう。
ここは中将姫と父である
藤原豊成が再開した場所なんですねえ。
この岩でしょうか。
そしてここが「行場」
と書かれてあります。
行をしたのは中将姫でしょうか、
伊藤春時でしょうか、
あるいは役行者でしょうか。
岩の上に立ち、
眼下の景色を眺めながら
雲雀が羽ばたく真似をしてみましたが、
さっぱりわかりませんでしたな。
で、この辺りは小さな
仏像の首がおられたりも
していましたな。
こんなことをする人が
いるんですねえ。
あの熊野古道の牛馬童子も
そんな目に合わせられましたねえ。
ほんまに罰当たりな人もいるもんです。
あ、こんな仏像の首も
落ちていました。
ん?ちがうか。
これまではあまり人も来ないからか、
ここは枯葉を踏みしめての
柔らかい道になっていましたが、
どうもこのあたりから
あちこちに岩石が現れる
あらあらとした道に
なってきています。
登っていくコースも
限られてくるようです。
それらをわっせわっせと
登って行ったら、ようやく出ました。
山頂です。
チョットしたヒバリ権現の入ったお堂もあり、
建てられてある石には
「伊藤ヶ嶽」とも書かれています。
たぶん中将姫をかくまった
「伊藤春時(得生)」から来ているのかな。
その横にはちゃんと「雲雀山」の
山の標識もあります。
いやあ、ここからの眺めはいいですねえ。
標高201mと
さほど高くない山なんですが、
今日の朝から歩いてきた道が
ずーっと見えています。
山頂には、雲雀山御廟がたっていますが
実はこの山のホントのピークは
もう少し先なんだそうです。
いずれにしても三角点はないようです。
まあ、長めの良さなどから言っても
御廟のところを山頂としておくのが
いいのでしょうかね。
ではここから糸我峠に向かいます。
こんな古い山の案内に
見送られて次に向かう糸我峠は、
熊野古道との交差点に当たります。
昔はここに茶屋なんかが
あったそうですねえ。
南北に抜けて行くのが熊野古道、
東西に抜けて行くのが今日のコースです。
このコースを何といえば
いいでしょうかと思っていたら、
すでに名前が付けられているのですね。
やまを下りてから湯浅の
観光案内書にいったら
そのパンフレットが置かれてありました。
この道を、地元では
奈良時代の「万葉の道」
と呼んでいるそうです。
熊野古道よりも
さらに古い道なわけですね。
雲雀山から下って行って
次の場所に向かうのが
東西の道ですから、
ここで一度糸我峠で交わるのですねえ。
そこに向かって下りていきましょう。
しかしこの山道は
風がすごく強烈です。
ズラが飛びそうです。
あ、ちがった毛糸の帽子がです。
しばらく山道を行きますと、
こんな道路に出ますよ。
道路と言ってもねえ、
ミカンを山ほど積んで
軽トラがうんうんと
走りそうな道ですねえ。
ここまで山の中を頑張ってきて、
ふと出たところに車が走れそうな
道があるというのは、
ちょっとショックですよねえ。
まあ山に登っていたら
たまにあることですけどね。
やまをランの練習にしている人なら
いいんじゃないですか。
ここで走っていて疲れたら、
ミカン食べ放題ですし。
あっ、登山道の真ん中に
こんなでっかいタンクが
すえられています。
水も飲み放題です。
続く