ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

コラムは世につれ

2012年09月10日 22時23分09秒 | weblog

こんなブログをしているからか、
それとも長い小説なんかを
常に読むのはちょっと、
という落ち着きのない性格からくる
生来のものなのか、
簡潔でぎゅっと中味の詰まった
新聞のコラムは好んで欠かさず読んでいた。

読んでいた、と過去形なのは
最近読む機会がうんと減ったからだ。
昨年までは、朝日、讀賣、日経の一面コラムを
一気に読めるアラタニスというホームページを愛読していたのだが、
今年になってそれは閉鎖となった。

さらにさかのぼって、
その前はというと、
仕事柄、全ての日刊紙に目を通していたので
ウィークデーは必ず全部読んでいたけど、
もちろん今はそうもいかない。
だから近頃は、喫茶店に入っても
雑誌ではなくまず新聞を読んでしまうんだよね。

小腹がすいた時にはケーキセットで、
大好きなミルフィーユなんかを食べながら、
新聞をばさばさ読んでいるのだ。
(ミルフィーユって食べにくい。正しい食べ方はどうなんだろう)

時が移れば、読み方も変わるもんだな。

そんな新聞コラムの大体の構成は、
先ず最初にエピソードや引用があって、
中ほどに最近の出来事があり、
最後にその出来事とエピソードを絡め、
2、3行で締めくくるというのが大体のパターンだ。

新聞というメディアの性格から
情報が正確であることに加えて
適度なエスプリも混ざって、
なかなか面白いものだ。

大学の入試問題の例文として
多く取り上げられるということでも有名な天声人語なんかは
まとめて本になって出版もされている。

先日、知り合いが持っている本の処分をするのだけど、
doironさんが読みたい本があれば
と持ってきてくれた本の中に
その天声人語の本があったので借りることにし、
ぱらぱらと読んでみた。

そしたら、あんなに楽しみに読んでいたコラムが
ウソのように面白くない。
これはなぜかというと、

古いのだ。

情報も、言い回しも古くて、
当時の世相を知るという面ではいいかもしれないが、
内容がどうもピンと来ないのだ。
見るとその本の発行は
昭和の終わりごろということで、
もう今から30年近く前の出来事を元に綴られているのだから、
いたしかたないかもしれないけどね。

時代に合わせて文章も変わっていくんだ。
情報は積み重なり厚みを増して、
まるで、食べにくいミルフィーユのように
世相を形成していくんやと
口の周りに生クリームをつけて
考えている近頃のdoironなのであった。


ハッピーバースデイ・グー

2012年09月09日 22時08分35秒 | 生活

今日は愛犬グーの誕生日であった。

彼は2000年生まれの12歳。

そうか、グーが家族になってから
もう12年も経つのかあ。
思い起こせばこの間は
doiron家にとっては激動の12年でした。

doiron的には、250キロマラソンの完走、
仕事の多忙、重責化、
そして病気、怪我、入院。
息子は下宿生活、就職、

そして両親介護の始まり。

またグー自身もかつて腰痛で、
後ろ足が動かなくなり
手術もしたしね。

そんな我が家の歴史の中で
暮らしてきたグーであった。

幼犬の頃、彼はなかなか覚えのいい犬だった。
しつけにはそれほど手間はかからなかった。
ただ、スリッパを噛み潰す癖だけは
なかなか直せず、
一体何足のスリッパを
成仏させたのかわからない。

そんな噛み癖を直す為に、
骨の形をした硬いチューインガムとかを与えても、
すぐに飽きて、やっぱりにおいのついた
スリッパがお好きなようであった。

まあそれはミニチュアダックスという
猟犬の血を持つ犬種だし
仕方ないかと思い、
半分あきらめていた。

やがてグーも成犬になって
そういう癖も陰を潜め、
短足の可愛いスタイルと動作に
介護の両親も
在宅中はずいぶんと彼に癒されたに違いない。

スーちゃんの骨折手術の後なんか、
麻酔のせん妄で、
孫の名前は思い出せなくても、
犬の名前は忘れていなかったくらいだからね。
今でも孫すなわちdoironの息子の名前を、
グーと間違えたりするほどだ。

「正月はグーが帰ってくるのか?」
みたいなね。

そんなグーちゃんも10歳を越えたくらいから
ぼちぼち衰えが目立ち始めた。

元気よく飛び乗っていた椅子にも
介助無しではあがれなくなり、
トイレもたまに場所を微妙に間違えて
用を足すようになってきた。

近頃は目も見えなくなり、
家の中であちこちぶつかりながら歩いている。

過去の記憶なのか、
それともにおいの誘導なのか、
なんとかヨチヨチと
あちこちの部屋を渡り歩いている。

時折、とんでもないところへおしっこを
引っかけたりするが、
その辺の処理は両親の介護で
こちらも慣れているといえば慣れている。

犬にとって12歳といえば、
人間だったら70近い年齢だそうだ。
両親に加えてこちらの介護も近頃は忙しい。

まあ、でも今日ばかりは
グーちゃんの大好きなレタスなどの野菜や
するめを用意して、
しっかりお祝いしてあげたdoiron家なのであった。


見えない努力

2012年09月08日 18時11分34秒 | 生活

不規則に仕事をしていると
曜日感覚がなくなってくる。
朝起きて、新聞を見て
おや?いつもの新聞と
紙面構成が違うぞ、と思って
曜日欄を見ると
土曜や日曜だったりする。

いったい今日は何曜日やねん?と
仕事を退職して
家で介護に専念しているミセスと
言い合ったりしているわけだ。

今日は、そんな不規則勤務の中で
週末の休みと重なった。
確か土曜日のはずだ、今日は。

この時期に、週末と休みが重なると
精力的にこなしていかないといけないのが
あとひと月足らずに迫っている

祭り

そう、だんじり関係の用事である。

朝からの買い物や施設訪問を終えた後は
午後からは、だんじりの様々な段取りだ。

まったくだんじりとは
手間のかかるもので
一年に一度、だんじり小屋から
引っ張り出して
道を曳けばいいというものではない。

もちろん、月に一度の埃落としは言うまでもない。
祭りが近づいてくると
提灯の点検補充
御神灯提灯の設置と
花提灯の設置もある。
そしてまた
花寄せで配る記念品の用意。
車両通行止めのための
看板の点検と用意。
看板は最近は体育の日が
ハッピーマンデイということで
日付が変わるために
その年その年で日付部分を
変えねばならないんだよね。

とまあ、そんな具合に
たった二日間の祭りのために
やらねばならないことが
山ほどある。
加えて今年は年番長なのである。
各町との連絡調整も
それはそれは大変なのである。

そしてさらに加えて
毎年パレードの本部設置用に
お借りしている土地にドラッグストアが
できることになって
代わりの土地探しにかなりの
手間をとられた。
ようやく、パレードのメイン交差点の
近くのガレージに
空きがあることを聞きつけて
所有者と交渉し、なんとかお借りすることが
可能となったので、
懸案はやっと一つ片付いた。

町内の事情としても
花提灯の櫓が老朽化し
それを新調した上に
設置場所を変更したいという意向も集まり
そういったことも担当の人は
色々と苦労をされたようだ。

また、市全体でみると
市制施行70周年ということで
これまで8台と12台に分かれていた
だんじりが、試験曳の朝に集まり
盛大なパレードをしたいとの申し入れがあり
年番長として実行委員会にも駆り出されていた。
こちらも警察との交渉が難航し
行きつ戻りつの押し問答が
際限なく繰り返された結果、
最近になってようやく落ち着き先が
決まったという経過もある。

だんじりを曳く者、操作する者
それぞれにも準備はたくさんあり
週末だけの動きでは
おぼつかないような状況もあるため
毎晩夜に集まって、練習したり話し合ったり
準備したり、ラジバンダリ(ふるっ)
そんな日々が続いているのである。

それはそれで、若者たちの結束、
ひいては村の結束にもつながり
メリットは大きいのだが
いかんせん、やることが多すぎる。

たった二日間。
試験曳きを入れても三日間の
祭りなのである。
その華やかさの陰に
そんな地道な努力があることを念頭に
観客の皆さんは
広い心で協力してくださいと
たまの週末休みを割いて
頑張っている今年のdoironは
特に大きな声で
叫びたいと思っている。

昼間の段取りの集まりはいったん解散して
この後また寄合に行きます。
10月7日のパレード本番に向けて
最後の決め事の詰めが待っているので
遅くなるでしょう。
わずかなスキをみてブログアップだあ~


介護の日々2012初秋その2

2012年09月07日 22時20分49秒 | 生活

昨日も書いたように、
親父はバルーンを装着し
蓄尿バッグをぶら下げている。
なのでたまに雑菌が入って発熱したりするが、
それにもめげず概ね自らのライフスタイルは貫いている。

その辺は息子としても理解をもって、
できるだけそんな気持ちを
抑制したりしないようにしたいと思っている。
そういう想いの中で今考えているのは、
バッグをつけていても
できるだけ行動しやすいようにしてあげようということだ。
そのためにもぶらぶらとぶら下がっているバッグを
見栄えのいい鞄に入れて
肩からかけるようにできないかと考えている。

いってみれば、
ロードバイクの選手が
レース中に食料や水分を補給する時に
飲食物を入れるサコッシュのようなものね。

まさか、蓄尿バッグ収納用の
アディダスやナイキはないだろう。
もしかしたら100均にあるかも・・とも考えたが、
そんなコアなグッズは
さすがにないはずである。
では、プラダやシャネルにそういうバッグが・・・
まあこういう病気は万国共通だから、
現地に行けば手に入るかもしれないが、
これもまずないだろうて。

なのでやはり、
手作りをすべきなのかと今考えている。
doironのスポーツ遍歴の中で、
買って少し使って放置してあるバッグも多いので、
それを工夫してみようと思う。
上手くいけば実用新案ぐらいはとれるかもね。

トライアスロンのロゴの入った
蓄尿バッグ入れの鞄を持って、
ひょこひょこ散歩する90歳なんて、
めったに見れるものではない。

これが上手くいけば、
将来doironがそうなった時に、
蓄尿バッグをつけて水泳もできるかもしれない。
クロールで泳ぐdoironの後ろから
ぷかぷか浮かんでついてくるバッグ。
これは何?
と人に聞かれたら、
「負荷をかけて泳いでいるねん」
という為に、
「SPEEDO」
のロゴの入った鞄がいいかもね。

バイクに乗るときは
サドルの下に装着できるように
工夫したやつだとすると
ブランドは「パールイズミ」かなやっぱり。

ランはやっぱり「キャメルバッグ」風のやつね。
チューブは口につながっているのではないよもちろん。

なあんて
友達とそんな話をしてたら、
そんな元気な人は
バルーン不要だろうってことになった。

最もな話である。

でも親父のバッグの製造には
早晩とりかかろうと思っているんだぜ。

介護だろ~。


介護の日々2012初秋

2012年09月06日 22時02分15秒 | 生活

腸の調子が悪く、
入院して検査をしていた親父。
1週間ほど前に、
バルーンというのを装着されて帰ってきた。
腸の方は継続入院となるような結果ではなかったのですが、
排尿の力が弱っているということで
つけられた、いわゆる導尿用の管を
バルーンと呼んでいる。

これが正常な人なら扱いやすいのですが、
高齢者となるとなかなか扱いが難しい。
といっても正常な人なら
そういうバルーンが入っているだけで、
病人のように萎れてしまいますけどね。

doironもそうでした。
数度にわたる手術と検査で、
その度にバルーンが挿管された。
さっきまで看護師と談笑していたのに、
これが挿管された途端に
塩をかけられたナメクジみたいに
気持ちが萎れてしまう
という経験をしている。
あの感触は忘れたくても忘れられない。

それは、排尿時に傷口に
雑菌がつかないようにするための措置なんだろうが、
高齢者の場合、
逆にこのバルーンを通じて
雑菌が入る場合がよくある。
そうなると高熱を発したり、
腎臓に負担がかかったりするそうだ。
そのため排尿時には、
その排尿口を丁寧に消毒する必要があるわけだ。

ところが高齢者の場合、
その消毒がおぼつかない。
蓄尿バッグを取り付けたり、
はずしたりする場合は、
わしらが一緒に付添って
消毒もきっちりするのだが、
日常的に横についているわけにもいかない。
病気がちでも親父の行動力はすさまじく
たまに友達と喫茶店にいったり、
整骨院に歩いていったり、
コンビニにいったりするわけやからね。
本人にきっちり消毒手順を教えて、
ひとりでもそれをきちんと
励行してもらうほかはない。
消毒をしなければならない管の先端部、
これはいわば詰めにあたるもので
バルーンキャップと呼ばれており、
それにもいろいろな種類がある。
ネットで販売もしているから、
その中からできるだけ簡単なものを探すのがいい。

doiron家では、簡単に磁石でぱちんととまる
高級品を使用しています。

とまあ、こうしていろいろ書いているのは、
今後このブログをお読みになっている家庭でも
こういう知識が必要となってくるだろうから、
そういう時は介護の先輩として
現在いろいろと五里霧中、
試行錯誤で培っている介護のことを
少しでもお伝えできたら
という気持ちなんです。

え?もうそんなのしっかり使っているって?
はいはい、それはお見それいたしました。


アスリートの血が騒ぐぜ

2012年09月05日 22時43分30秒 | 最近の出来事

夏前に、防火管理者の資格を取ったdoiron。

その資格をいっそう確かなものにするため
10月に開催される表題の
操法を競う大会に出場することにした。

今日はその大会に向けて
大会の概要や手順を説明する
指導大会に出席してきた。

それは午前中いっぱいありました。
いやあ、暑いのなんの。
脱水禁物のdoironは
スポドリ1リットルを
飲み干しちゃいましたね。

この大会は3人一組で競うようになっているので
今日は若い奴二人と一緒に参加である。

しかしまあなんですね
消防訓練というのは
立ち位置が決まっていたり
回れ右があったり
敬礼があったり
あげくに
休めの姿勢が後ろ手となっている左手で
右手の4本指を包むように持ち
腰のベルトより高い位置に置くこととなっているんだと。
加えて整列はひかれた線からこぶし一つ以上離れたら減点とか
掛け声のテニオハまで決まっていたりと
どうでもいいような形式的なことが多すぎます。
それぞれに安全のための理由があるのか知らんが
そんなの実際の火事の時に
いったい何の役に立つんだろうと
はげしく疑問を抱かざるを得ない。

そんな決まり事だらけなのを見て
旧態依然とした訓練なんだなあと
しみじみと思ったりもしました。

しかしまあ、大会だ。
大会と名のつくものに
出るからには高得点をとり
入賞(たしか6位まで)か、あわよくば
優勝を目指したい。
ご存じ金メダルね。
消防の内村クンと呼ばれたいもんじゃ。

大きな会社では
防火担当を仕事にしているような人間もいるようで
練習時に聞いていると
やたら「この前練習したやろ」みたいな
その大会に精通している参加者の声も聞こえてくる。
そんなチームに勝てたら
さぞかし面白いやろなあと思ったりするのです。

久しぶりにアスリートの
血が騒ぎますわ。

大会での得点は
減点方式で採点される。
例えば、掛け声をかける前に
動いたら2点減点とか
ホースをけったら何点減点みたいなね。
加えて時間を競う部分もある。

これらをしっかり押さえて
なおかつ
手順をきっちり覚えるのも
むろん必要であるが

3人の動きをそろえる
大きな声で、号令や応答を発する。
きびきびと動く。

などを心がけて挑むことが
大切だろうて。

そのためには明日から
まずは、電車に乗るときも
ジムに入るときも
便所に行くときも
「回れ右」で動けるように繰り返し練習をしよう。
方向転換はすべて回れ右の要領だな。
そして、横を向くときは
「右向け~右」の要領で向くようにもしよう。

doironを見かけたら呼びかけてみてください。
回れ右で振り返るでしょうよ。

そうして身体にしっかり覚えこませることで
無意識に動けるようにしておいて

いよいよ大会本番というときに
緊張のあまり

「右向け~左!」

なあんて言わないようにしておかないとね。

追伸
今日は大阪880万人計画の日。
携帯がどんなふうに鳴るのだろう。
と前から、ブログネタにしようと
手ぐすね引いて待っていたのに
今日のその時は訓練の真っ最中で
まったく気が付きませんでした。

こんな時に別の訓練の練習するってのも
なんか間抜けたスケジュールだと思うのは
doironだけだろうかね?


食べ物を通じて

2012年09月04日 23時11分11秒 | 生活

先日、白浜に行ったときのことだ。
TれTれ市場に寄ると、
海ぶどうが結構売られていた。

この食品を知ったのは、宮古島のトライアスロンに
初めて参加したときのことだった。

前年にその大会に出た者に
かの島にはそんなのが売られている
と教えられ、現地で見つけたのが
海ぶどうとの初対面であった。

お土産用に売られているのは塩漬けだから、
食べるんだったら是非とも生(なま)がいいと勧められていた。
確かにその通りですね。
今は物流が発達し、
関西のスーパーでもたまに見るようにはなりましたね。

この海ぶどう、
正式名称で言うと「クビレズタ」というそうです。
なんとなくまずそうなイメージですね。
まあ、たいていの人は食べたことがあるとは思いますが、
あの粒々の食感と
ポン酢の味はなかなかのものですね。
最近は沖縄といえば
うみぶどう、みたいな感じですよねえ。

そんな地方独特の食べ物で、
これまで食べて美味しかったなあ
と思うものが、他にもある。

例えば、この夏に行った皆生の旅で食べた

「十六島海苔」

島根県の宍道湖の日本海側に
「十六島町」というところで
多く採れるそうなんです。

で、「十六島」と書いてなんて読むと思います?
これが非常に変った読み方で、

「うっぷるい」

と読みます。

いわれはというといろいろあるらしいのですが、
蝦夷、つまり北海道の方に
その語源があるとする説が
もっとも有力視されているようです。

“うっぷ”は「鵜が集まるところ」で
“るい”が「高いところ」を意味するらしく、
この十六島でたくさん採れる岩海苔を
「ウップルイ海苔」と呼んでいるそうです。

よく、冬の寒い時に、
磯で摘んでいる光景をよく見ますよね。
あの海の岩に付着している海苔です。

瀬戸内や九州などでも
この「ウップルイ海苔」は採れるとされていますし、
九州では「有明産のウップルイ種」
といった海苔の分類も見られます。

そういった記述もあって、
海苔の種の名前のような気もします。

果たして地名が先なのか、
分類学的な種名が先なのか、
はたまた蝦夷の呼び名が先なのか、
ネットでは調べきれませんでした。

なんとなく謎めいた名前ですねえ。

こういうことを追及するのが、
かの熊楠が興味を抱いた分野の一つなんでしょうねえ。

このウップルイ海苔、
島根県では結構高価な海苔として売られています。
この前食べてみたけど、
確かに磯の香りと旨みが強く、
歯ざわりもいい美味しい海苔でした。

ほかにも海苔というか海の植物として、
不思議な名前なのが

「ぎばさ」

先日イオンのお店で売ってたので買ってみました。
これ。



めかぶのようにとろとろで
「海の納豆」と呼ばれるその名のごとくネバネバでした。

ポン酢と七味を加え、
納豆のようにグルグル混ぜて
ご飯にかければ最高。

秋田の名物らしく、
男鹿半島のそれが有名なんだそうです。
ところが、こちらの「ぎばさ」という名前は
どうやら隣の山形で呼ばれている
「銀葉草(ぎんばそう)」からきているようなんですね。

その呼び名が、
生まれた地域よりも、
多く収穫される地域で名前を変えて、
より親しまれているという一つの例なんですね。

食べ物を通じて、
人々の暮らしを知ること。

これを「文化人類学」というのかな?

違う?

ジャンル的には
なんていう学問になるんでしょうかね。熊楠さん


健康診断

2012年09月03日 22時43分31秒 | 生活

4,5日前に流れたニュースで、
妊婦の血液を調べるだけで、
胎児のダウン症などの染色体異常を
診断できるというニュースが流れた。

ホントに血液というのは、
身体の状況を把握するための
情報の宝庫なんですね。
そのうち、血液を調べるだけで
「この人はいじわるな人です」
とか
「昨日、ゴーヤを食べましたね」
なあんてこともわかるようになるかもしれませんね。

「将来、この子は大物になるよ」とかもね。

でもそうかあ、そういう診断を
出生前にしたら、
勝手な選択を助長し、
無用な中絶につながっていくから
いかがなものかということがあるんだろうね。
だから、この医学の発達した現代で、
なぜ今までそういう診断ができなかったのか
という疑問のそれが答えなんだろうね。
分析機器の発達ということもあるだろうけど
出生前診断の倫理性につながるために
真剣に研究されてなかったのでしょう。

さて実は、今日はdoironの健康診断の日でした。
今の仕事を続けていくために
必要な診断なのです。
前から予定されていたのですが、
すっかり忘れていて
昨日はブログに書いた通り、
ていうかブログもろくに書けないほど
しっかり飲んじゃいました。(汗)

結果はまだ先になるのですが、
γ―GTPの値や尿酸値が心配です。
どきどきしながら血を抜いてもらいました。
マラソンをやってた若い頃は、
心電図はいつも問題ありなのは仕方ないけど、
血液検査なんかは
「異常なし」を確認する為のものだと
思っていたくらい健康優良児だったのになあ。
通知表でオール5みたいな感じね。
だけどやっぱり齢をとってくると
いろいろ出てくるもんですな。
心臓は相変わらずですが、
血圧、肝機能、腎機能、
前立腺に尿酸値なども
結果が出るまでどきどきですもん。

最後の診察では心電図と
既往歴を見て医者ともりあがりました。
「なんとまあドラマのようやね」
と、doironの話を聞いて驚いてはりました。
医者でもたいてい初めて聞くと
驚きはります。
その結果の今の身体にしては
驚くような状態だそうです。
そういう内申書も含めて

身体の通知表、
せめてオール3くらいに
とどまってくれたら嬉しいのですが、

よもや落第ということは・・・ないことを祈ろう。


花火見物

2012年09月01日 23時14分13秒 | 最近の出来事

今日はりんくうの花火大会であった。
職場がりんくうの方にあるので、
居残りをして鑑賞をした。





見たのは打ち上げ場所の間近で、
記憶にある限りあんなに近くで
大きな花火を見たのは、
学生の頃に金沢で行われていた

「百万石夏祭り」

の花火大会以来だろう。

当時は、友達の下宿の二階から
屋根の上に出て鑑賞した年もあったり、
高台にある風呂屋の窓から
大またおっぴろげて見ていた年もあった。

もう今から30年以上も前だ。
今は確か

「北國花火」

と名前が変っていると思う。

毎年8月1日に行われる大阪のPLの花火は
doironが生まれる前からあったようで、
そう考えていくと、いつから花火ってあったんだろう
と調べてみたくなった。

ネットで探ると、
その歴史は意外に古い。
花火はもともとは中国で生まれたようですが、
それが伝わり日本でも
狼煙なんかに使われたりしていたようです。

そして、「花火大会」として記録に残っているもので
最古のものは
隅田川花火大会の前身である

「両国の川開き」であることがわかりました。

今から280年くらい前だったとされており、
歌川広重の浮世絵にも描かれているそうです。

「玉屋」「鍵屋」の掛け声は
その頃の花火屋の屋号だそうです。

また、先日ブログに書いた南方熊楠が
筆写したという和漢三才図会にも、
その両国花火より50年位前に
編纂されたにもかかわらず、
その中にも花火の記述があるそうです。

花火はずいぶんと前から親しまれてきたんですねえ。

ついでに外国はというと、
先のロンドン五輪でも
開会式で多くの花火が使用されたように、
あんな日本の花火のように
丸く咲くようなやつではなく、
火花を飛ばすだけのようなものが多いそうです。

何年か前に、パリのエッフェル塔から、
盛大に幾筋もの火花を
吹っ飛ばした映像も記憶に残っている。

そんな人々の楽しみの一つである花火も
使っているのはもちろん火薬です。
そして火薬といえば武器。
そう、娯楽の発展と共に武器も発展し、
いわゆる“核爆弾”が生まれるまでは
主役の座を占めていたんですね。

盛大な花火もそれは楽しいけど、
doironには気の合った者達と楽しむ
小さな線香花火の方が楽しいかも
と思ったりした花火鑑賞でした。