ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

明日は高校駅伝2013

2013年12月21日 20時32分03秒 | マラソン

レースに参加することから離れても
レースを見る楽しみは持ち続けている。
なんといっても大好きなのが

「高校駅伝」

年末の都大路を駆け抜ける
次代の全日本ランナーたちの卵の姿に
渾身のエールを送りつつ楽しんでいる。
そのレースが、明日行われる。

明日の京都の天気予報は
「曇りのち晴れ」
降水確率は30%で
予想最高気温は7℃、
同最低気温は3℃となっている。

寒い駅伝になりそうだ。

今年は男女ともとびぬけたチームはいないが、
全体のレベルは高く
予想は非常に難しい。
そこで、今回は見所を中心に書いてみたい。

まずは女子。

頭半分だけ抜け出ているのが岡山興譲館。

1区に起用されると思われるのが、
1年生の大森選手。
興譲館と言えば、
今も全日本レベルで活躍している
新谷の出身校だ。
高校三年間すべて一区の区間賞を取っている。
大森はその先輩が一年生の時に
都大路で出した記録を
1秒上回るタイムを
県大会でたたき出している。
個人タイムでいうと
豊川の関根の方がずっと上であるが、
三年生ということもあって、
慎重にレースを眺めながらの走りになるだろう。
その点1年生の大森は、
初めての都大路。
思い切ったレース展開をすれば、
面白くなるに違いない。

女子駅伝の場合、
1区と次の2区を合わせれば
全体の半分近い距離となる。
そのため、各校2区には準エースを配してくるため、
2区が終わった時点での上位校が優勝する可能性が高い。

あとは走力の高い外国人を
最終5区に残しているチームが
俄然有利になるはずである。

思い切って優勝チームを予想するとすれば、
大阪「薫英女学院」を
期待を込めて挙げたい。

今までは、とっても大阪を優勝候補などとは予想できなかったが、
今年はそれができるくらいに力をつけている。
少なくとも台風の目にはなるだろう。

続いて男子。

花の一区はいつも各校エース級がそろうので、目が離せない。
まだ最終オーダーは決まっていないが、
もし一区に起用されたらぜひ見てみたいのが、
今年の高校生10000mのナンバーワンの実績を持つ
山梨学院大学附属の上田と
小林の2年生エース廣末の対決だ。

ここのところけん制しあうことが多く、
タイム的に面白くない一区だが、
今年は競り合って29分前半、
あわよくば日本人史上2人目の
28分台が出るような展開に
ワクワクしてみたいものだ。
また、西脇工も過去にスーパーエースと
騒がれている逸材が1区を走ったが
なかなかうまくいかず
ここの所は
トップと20秒以上の差をつけられて
タスキを渡すことが多かった。
今年はスーパーエースと言われる選手がいない分
思い切った走りで
1区の呪縛から抜け出てほしいものだ。

続いて2区と言えば
真っ先に浮かぶのが、佐久長聖の頃に
唯一7分台をたたき出した佐藤君。

あの終盤の走りの鮮烈な速さは
今もこの目に焼き付いている。
彼は今頃どうしてるのかなあ。
好きな選手の一人でした。

そして3区は1区に次ぐ長距離区間。
昨年活躍した豊川のズクも卒業したので、
アッと驚く新人外国人の快走が見られるかもしれない。

そしてこの3区が終わった時点での順位が
優勝に大きく影響するだろう。

今年、2時間4分台をたたき出しているのは5校。
そのうちの一校がここでトップなら
そのまま行ってしまう可能性が大である。

doironの予想では、
今年は九州勢の優勝が
濃厚とみているのだがどうだろうか。

ああ~それにしてもワクワクするなあ。
これを見ないと正月を迎えられない。


冬イチゴ狩り

2013年12月20日 21時29分45秒 | ウォーキング

病み上がりではありますが
午前中から結構雪が舞い
もしかしたら雪景色が見れるかも
と思い、仕事を済ませた
午後から冬のトレッキングに出かけた。
行先は泉南の山麓散歩。

春にも何度か来た道を
アウトドアコートとブーツを履いて
歩き回った。

遠くから眺めると
山のいたるところが白くなっている。
これは雪景色が期待できるぞと
いそいそと車を走らせた。

車を止め、装備を整えて歩き始めると
冷たく澄んだ空気がとてもおいしい。
風邪で緩んだ脳みそもシャキッとする感じ。
しかし、歩いても歩いても
雪景色らしきものは見当たらない。
山奥のダム湖から見た景色がこれ。



今にも凍りつきそうな湖面を
冬の風が渡っていた。

こんな景色に出会えただけでも
来たかいがあるというものだ。
ぶらっと思いつきで出かけてくるのも
まんざら悪くないものである。

山麓を歩きながら
枯れすすきや見通しの良い森の中を
眺めながら歩いてみた。
すると、足元に目についたのがこれ。



フユイチゴ

自然に実るイチゴの仲間で
有名なのにヘビイチゴがある。
名前からして、嫌われそうな名前だが
春先に可愛い黄色い花を咲かせる。
実は、フユイチゴのようなキイチゴ属ではないので
肥大した花托の先端に赤い部分をつける実を実らせる。
食べると毒だとか目が見えなくなるといった
俗信が今もあるが、本当は毒もない代わりに
味もないということで
食用にならなかっただけのことなのだ。

そんなヘビイチゴの存在のおかげで
「野イチゴには毒のあるものもある」といった
先入観があるため
他に目立った実をつける植物のないこの季節に
堂々と真っ赤な実をつけていても
あまり人に摘まれることがない。
それはそれで、フユイチゴマニアはありがたい。
山菜で有名なタラノメや
ウドのある場所を知っていても
早く収穫に行かないと
人に採られるんじゃないかという
強迫観念を抱かなくて済むからだ。

あえて今回歩いたところの
場所を紹介しないのも
そういう魂胆があるからである。

とっても寒くて、今日のような日には
山に来る人も少ないだろうと思いきや
少しの間に何人もの歩き人と出会った。
そんな人達は、いぶかしげな顔で
こちらを一瞥していくが
何をしてるのか悟られないように
さりげなく振舞ってやったぜ。

ていうことで、概ね心静かに
フユイチゴ狩りを楽しむことができた。
そうして収穫し続けた
途中経過がこれ



さらに収穫を重ね
帰宅後に水で少し洗って
さあ、これから何にしようかなてところがこれ。



ここからフルーツソースにするもよし
ジャムにするもよしです。
キイチゴ属の中でも
美味しい部類にはいるイチゴだとのこと。
おっと、あまり紹介しすぎても
doironの年に一度の楽しみを奪われそうなので
これくらいにしておこう。

そうそう、ちょうど一年前にはこんなフユイチゴの絵を描いてました


持ちこたえています

2013年12月19日 21時57分21秒 | 生活

風邪は、ビタミンCがたっぷりのはちみつゆずと



アリナミンVドリンクとルルを飲み、
ガッツリ寝たおかげで何とか持ちこたえたようだ。

「あんたが風邪ひくなんて、10年ぶりくらい?」
とミセスが聞く。
そんなことはなかろう。
いくらバカでも風邪くらいひくぜと思いつつ、
自分のブログをさかのぼってみた。
こういうときにブログは便利である。
もし何かの事件のアリバイ証明や
証言をするときに記事を辿れば、
その前後の様子もわかるというものである。

他人のブログやフェイスブックから、
思わぬ事件発覚なんてこともありえるよなあ。
そういうネタでミステリーが書けるかもね。

で、ブログよると、
前回は昨年の3.11前後にダウンをしていたようである。
実に21カ月ぶりの風邪である。

そしてさらに前々回を見てみると、
2010の秋、2009年の春に
風邪をひいていることもわかった。

まるで、太平洋プレートの動きが引き起こす地震のように、
20ヵ月ぐらいごとに定期的に
風邪をひいているわけだ。

てことは、次は再来年の春には要注意ということになる。
ここ数年のdoironは
激動の人生が続いているので、
その頃はいったい何をしているのか読めないですわ。

今日は大きな取材が一本入っていて、
カメラ、パソコンを下げて行ってきた。

聴くことや撮る内容は
あらかじめ周到に準備していたので、
取材内容は完ペキ。
あとは記事にするだけとなって
締め切りはもう少し先だし、ひと息ついた。

そして今日は病み上がりということで、
今年最後となる予定のエイも軽めに済ませて
帰ってきたので、
またまた今夜もアリナミンとルルを
飲んで早く寝ることにしようかね。

おやすみなさい。


やばいぞ!

2013年12月18日 20時19分05秒 | 生活

明日、大きな取材があるので
あらかじめ下調べと
取材内容の検討をしていたところ
どうも鼻水が止まらない。
ここんとこ寒い日が続いたので
ちょっと軽い鼻風邪でも引いたかと思いつつ
ミセスと映画に行き帰ってきたら
ますます鼻水もひどく
ひじの関節までキシキシするではないか。
それでもこらえて
夜までがんばって部屋を思いっきり暖めつつ
仕事の準備の続きを終えたけど
身体全体がだるくなってきた。

ちょっとボウーっとした頭で
横になってると
かたわらのテレビには東京都知事が写っている。
徳洲会との黒いうわさを発端に
いろいろと金の動きなどを取りざたされているようだ。

その都知事のことを言う時に
テレビでは「猪瀬都知事」というのだが
ボーっと聞いてると
「イノセント知事」に聞こえてきたりする。
え~、イノセント(純潔、無垢)なわけないやん。
泥にまみれ、毒を飲んでこそ
一流の政治家というものだ。

清濁の清だけな人間に
濁にまみれた世の中を動かす
政治なんか託せないよな。
それならいっそ坊主にでもなれってもんだ。
なあんて
ちょっぴり熱にうなされたdoironの
世迷言でした。

しかしそれにしてもこの状態は

やばいよ~

明日は大事な取材だというのに
久しぶりの風邪かも~
濁にめっぽう弱いイノセントなdoironですから
仕方ないかね。

薬を飲んで、今日は早く寝ます。


おススメの一冊

2013年12月17日 21時36分21秒 | 最近の出来事

年末年始の過ごし方というと、
これまでは駅伝などのスポーツ観戦、
休みを利用した走り込み、
ちょっぴり家の手伝いと
読みたかった本のまとめ読みなんかが主流であった。

それが今は、時も流れて境遇も変わり、
別に年末年始じゃなくても、
体調と相談の走り込みは別にして
いつでもそれができる環境の中にいるし、
読書も実際読みかけたら
一気に最後まで読み切ってしまうような読み方も
日常的に可能という暮らしになっている。

さすがに、徹夜で本を読むほどの
気力、体力はなくなったが、
いつもそばに文庫本を置いたまま、
ライター仕事の合間や
ジムのエアロバイクをこぎながらなど、
少しでも時間があれば
ページを繰ったりすることはできる。

そうしてもっとも最近に一気に読んだ本で、
一番印象に残っているのが、
田郁が書いた

「銀二貫」



「大阪の本屋と問屋が選んだほんまに読んでほしい本」
を選ぶ「Osaka Book One Project」の
第1回受賞作品で、
大阪の寒天問屋を舞台に繰り広げられる人情話である。

首Dさんに貸していただいた。

この本を読むまでは
寒天というものが
どういうものなのかがはっきりわかっていなかった。
それがこの本を読んで、
今も海藻を原料としており、
「寒天」の名前の由来にもなっているように、
寒空に干して並べるその製造作業が
大変厳しいものであることを初めて知ったし、
その寒天が羊羹の材料であることも
改めて認識した次第である。

ドジ旅日記で書いたように、
最近マイブームになっている
「スポーツようかん」の原料の欄を見ると、
確かに「寒天」の記載がある。



羊羹ひとつとっても深い歴史があり、
その先端でこんな形にまで進化してきたんだと思うと、
口に入れるときの思いや
味わい方が少し変わってきたりするものやね。

この本を読んでからは、
コンビニの羊羹も妙に気になるようにもなった。

「銀二貫」の物語は、
そんな寒天の歴史にまつわる商売の話や、
大火事の話、
恋愛話が絶妙に練りこまれた
上質の羊羹のような話というのが、
ちょうどぴったりくる書評かもしれない。

現在NHKでドラマ化がすすめられており、
来春4月から全9回に分けて
毎週放映の予定だそうである。

だったらテレビで見たらいいやんと思わずに、
気持ちがほっこりなること請け合いですから、
羊羹とお茶でも用意して、



年末年始のひと時に、
一気読みされることを是非お勧めしたい1冊であります。


残り福

2013年12月16日 21時25分36秒 | 生活

これまで商品の懸賞に当たったものの中で
いちばん古い記憶は、
キョロちゃんの金のくちばしだ。

銀のくちばしなら5枚集めて送ると、
「おもちゃの缶詰」なるものがもらえる。
それが金のくちばしだと
それ1枚でおもちゃの缶詰と引き換えられるというものだ。

子供の頃からこの企画はあって、
ずっと欲しいなあと思っていたのだが、
金のくちばしどころか
銀のくちばしさえ見たこともなく、
大人になってしまった。

でもなんとなく金のくちばしには
依然と憧れがあったのと、
リーズナブルなチョコボールが好きで
たまに買って食べていた。

それはチビがまだ幼稚園に通っていた頃だと思う。

ミセスが休日の仕事だったため、
チビの子守で二人で遊園地に行った。
そして観覧車に乗り、
持参してきたチョコボールを開けた時だ。
な、なんと「金のくちばし」が現れたのだ。

その頃チビもその意味が分かっており、
彼もそれをほしいと思っていたので、
二人して観覧車の中で大はしゃぎした。

その揺れでよくまあ、
観覧車が止まらなかったことだ。

いそいそと帰ってさっそく応募。
数日して缶詰が送られてきたときにもまた、
ふたりして小躍りして喜んだ。
よくもまあ家の床が抜けなかったことだ。

こうして親子二代の悲願は達成されたのであった、
というのが最も古い記憶である。

その後も、ジョージアの巨大座椅子など
小さな懸賞に何度か当たったことがあるが、
あの時ほどの感動はなかった。

そして、相変わらず、
個人情報なんかクソくらえとばかりに、
使わずに余っていた年賀状で
いろんな懸賞に応募していたところ、
そのうちのひとつがヒットした。

実はdoironは昔からきゅうりのキューちゃんが大好きだ。



とっても息の長い商品である。
なにせ、Qちゃんのキャラクターのモデルが
「坂本九」だというくらい古い。



それに、漬物業界で初めてCMを流したのも
キューちゃんなのである。
マラソン練習でよく汗をかいていたので
塩分補給にもとっても良かった。
doironのマラソン実績の何分の一かは
キューちゃんのおかげと言ってもいいかもしれない。
それくらいよく食べたので
今だに、たまにスーパーで特売の時に
まとめ買いをし、ご飯のお供にしている。
冷蔵庫にはキューちゃんを切らしたことがないくらいだ。

この秋頃にそのキューちゃんの
懸賞があったので応募してみたら、
やっぱり長いお付き合いだけのことはあるねえ
見事当選し、先日商品が届いたのだ。

じゃ~ん



中身はキューちゃんの新製品の試供品が2ヶと
北海道産のゆめぴりかとふっくりんこを
ブレンドしたQちゃん新米が2キロ。

わーい、これで正月が越せるってもんだ。

当たったお米を膝に抱きながら
「今回の当選が2013年の最後の残り福かもなあ。」
となでなでしながら言ってたら、
「いやいやまだまだ、最後に年末ジャンボ当選という残り福があるやん」
とミセスにしかられたdoiron。
当選したら、キューちゃん山ほど買ってねと
言っておきました。


遠い国から

2013年12月15日 21時01分43秒 | 最近の出来事

昔からのランニング友達で、
現在アメリカで2年以上暮らしているみほちゃんが、
一時日本に来ており、
大阪に来る機会があるというので会いに行ってきた。

彼女はアメリカでも南部の
テキサス州に住んでいる。
行ったことはないけど、
ロケットの打ち上げで有名な
テキサス最大の都市である
ヒューストンの映像なんかを見る限り、
とても広大なところなんでしょう。
何せ州だけで広さは日本のほぼ2倍で、
人口が2千数百万人というから、
人口密度も10分の1以下。

かつて馴染みがあるとはいえ、
大阪の人口密集度には、
さぞや辟易としたことでしょう。

柳生の歩行旅で
ジダンと待ち合わせた
近鉄難波で待ち合わせをした。

彼女は日本では携帯を持っていないので、
連絡はあらかじめのパソコンメールのみ。
なので、少し何かあれば会うこともできない。
携帯が普及していない昔は、
待ち合わせというとそうだったよなあ。
時間と場所をピンポイントで
指定しておかないと会えないし、
ジダンのように電車を一本乗り損ねる
というのも致命傷になったものだ。
なので、久しぶりに
待ち合わせらしい待ち合わせを
したような気がする。

そんな心配も杞憂に終わり、
結果は時間通り、場所通りにうまくいって、
無事に会うことができた。
こちらがニット帽をかぶって、
メガネをかけていたからちょっと心配したけど、
すぐに見つけてくれた。

そんな姿だとまるで「業界の人みたい~」
というので、どんな業界?
て聞いたらどうやら芸人の業界のイメージでしたわい。

こっちは漫画家みたいて思っていたから
ま、ええせんやね。

で、二年間超のアメリカ暮らしをしてみて、
今は何が食べたい?
と訊くと、即帰ってきた返事が

「お好み焼き」でした。

「たこ焼きでも」と言うところを見たら、
向こうにはそんな粉モンはないんやねえ。

早速、ぼてじゅうの本店に行った。

お好み焼きを囲みながら、
アメリカ暮らしの話をいろいろと聞かせてもらったけど、
時に日本語を模索しているような様子が印象的でした。

それにしても向こうに行ったら、
友達もいないだろうから大変やね。
というと
「主人と友達みたいに暮らしています~」だと、

はいはい、お好み焼きよりお熱いですな。

美容講習にいくというみほちゃんとたまを見送って
お別れをしてきました。

現地語で「友人」という意味を持つ
「テキサス」州に住むミホちゃん。

州のモットーがその名前に関連して
「友情」だって知ってるかな?

友達みたいに、おふたりいつまでも仲良くね~。


豊中の世の中2

2013年12月14日 22時25分13秒 | ウォーキング

桜塚の由緒正しい原田神社で
「森のおはぎ」をいただいた後は、
またガシガシと進んでいきます。

豊中市役所前の交差点に出たら右折します。
しばらく交通量の多い
国道176号線の歩道を歩いていきますと、
左手にロードレーサーを主に扱う
シルベストサイクルがありました。



2011ジャパンプロツアーランキング10位の方が
スタッフにおられるというお店です。

皆生のバイクパートで200位以内に入ったことのあるdoironでも、
全く格が違います。
チョロッと寄り道しましたが、
さすがにメジャーなロードバイクが並んでおりました。
トラを始めた頃は
堺にあったこのお店にもよく行ったもんです。
確かその頃は、
女子レーサーの日本の第一人者がいた
と記憶しております。
その店を過ぎ、
中桜塚3の交差点を左折し、
住宅街に入っていきますと、
小学生がウロウロし始めます。

アチャー、

下校時刻に当たってしまいました。

子どもがウロウロとしているところでは、
写真を撮りにくいものです。

「変なおっちゃんや~」と言われて
石を投げられかねないからです。
まだまだ市民権を得ていない、
「街道ウォーカー」の宿命です。

その南桜塚小学校の
すぐ横の歩道には
「はにわロード」という名前が付けられてあり、
隙を縫ってすばやく写真を撮りましたが、
この通り。


不審者呼ばわりされたくないばかりに
慌ててピンボケになってしまいました。

その学校の北側の公園内にあるのが

「大塚古墳」



昭和58年に発掘調査が行われた、
桜塚古墳群の東群を代表する古墳です。

高さ18メートルの三段築造の円墳とのことで、
どんな形をしていたかというと、
公園内の砂場に再現されていました。
これ。



そして古墳本体には階段が付けられ、
墳頂に立つことができます。



ハトがたわむれておりました。
この近くの住宅街にも北天平塚古墳があったそうですが、



住宅開発で跡形もなくなっておりました。

公園をぐるっと回って、
再び小学校の方に戻っていくと、
今度は「御獅子塚古墳」があります。



昭和60年と平成2年に発掘調査が行われ、
円筒埴輪や勾玉など多数が出土しています。
中には須恵質のものも含まれています。

「須恵器」とは古墳時代の埴輪の多くが
野焼きで作られている土器であったのに対し、
ろくろ、窯を使って高温で焼き上げたものを
総称していいます。

高温で焼いているので硬いのです。

この御獅子塚古墳は
小学校に隣接してフェンスで囲まれ
とてもよく整備された状態でした。

そこを出て、ふたたび住宅の中を行くと
広い道路に面して
かろうじて古墳の一部が残されていました。



これが「南天平塚古墳」。

これで桜塚古墳群の残存している古墳は
すべてチェックしたことになります。
あとは服部緑地の北っぺりを歩いて、
新御堂に沿って走る
北大阪急行電鉄の駅に向かいます。

で、途中「熊野」という地名の街を通りました。
熊野詣と何か関係があるのか調べてみますと、
やはり関係がありました。

熊野古道のひとつ
中辺路の箸折峠近くに
牛馬童子像と言われる小さな石像があります。



石の文化ではなく木の文化であったといわれる熊野信仰のなかでも
珍しい石像です。
少し前にこの童子の首が
切り落とされるという事件がありました。
決して、柳生十兵衛の仕業でも
荒木又右エ門の仕業でも
ジダンの仕業でもありません。
今は復元されていますが
これは復元前の写真です。

いつかは本物を見たいと
思っているもののひとつです。

この像のモデルになったのが、
「花山法皇」と言われています。
その花山法皇が、
熊野信仰のお寺を
この豊中に築いたために、
「熊野」の名前が残っているとのことでした。

街道歩きが思わぬところでつながりました。

その熊野町を抜け、
桃山台の駅に出ると



その近くに、旧新田小学校の校舎が残されています。



いつか行った小豆島の岬の分教場のようでした。

そして桃山台から、新御堂に沿って
緑地公園駅まで歩く
全長約13キロの歩行旅を終えた
doironなのでありました。

街路樹が風に揺れ
道路の埃が舞い上がる風の強い日でした。
都会の風は何となく寂しげなにおいがしました。

豊中の世の中シリーズこれにて終わり。


豊中の世の中1

2013年12月13日 22時07分45秒 | ウォーキング

コラボ企画もようやく終わり、
またいつもの日常が帰ってきました。
たまっていたブログも載せていきます。
今回は府内でも、
あまり泉州の人にはなじみのない
豊中(と言っても泉0津市内の豊中町ではなく北摂の豊中市です)
を歩いてきました。
風の強い日でした。
doironが見た豊中の世の中
二回に分けてそれを書きます。

大阪府内には、
各地に古墳が点在しています。
これらの古墳が、ある地域に集まっているものを

「古墳群」

といいます。
大阪府では以前このブログで
「古墳に興奮」と題してシリーズを書いた
「百舌鳥古墳群」と、
doironが若い頃に一時期住んでいた
羽曳野にある「古市古墳群」が有名です。

世界遺産登録を
目指しているやに聞いております。

その二つはかなり有名なようですが、
実は大阪北部にも
古墳群があります。
天皇陵などはなく、
地方の豪族たちのお墓ばかりなので
それほど有名ではありません。

明治時代の調査で、
44基あることがわかったのですが、
今は5基しか残存していないということも、
あまり知られていない理由のひとつです。

ただ、出土物は円筒埴輪など
たくさんのものが見つかっています。

それが豊中市にある

「桜塚古墳群」です。

紅葉の季節、
柳生街道を歩いた後は、
街の秋の雰囲気も味わおうと
古墳めぐりで歩きに行ってきました。
トータル13キロくらいのコースなので、
歩き始めたのは午後1時頃でした。

間もなく師走となる
何となく慌ただしい街のほっつき歩きです。

スタートは阪急宝塚線の「岡町」。



駅に降りたらまず西に向かいます。
目指すは「大石塚古墳」と「小石塚古墳」です。



目指すとはいっても、
駅から入り組んだ住宅街を抜けて
すぐのところにあります。

これが大石塚古墳。



昭和54年の調査で、
円筒埴輪などが出土した
全長80mの前方後円墳で
桜塚古墳群最大の古墳です。

うっそうとした公園の中にたたずんでおりました。

そのすぐ北側には小石塚古墳があります。



大石塚古墳の北にあり、
主軸が南北に整えられているところから、
埋葬されていた人は
身内関係もしくは緊密な主従関係にあったのでしょう。

この二基の古墳には
墳丘に河原石が葺石として、
各テラス面には玉砂利が
それぞれ敷き詰められており、
「石塚」の名の由来となっております。

これらを眺めて再び岡町の駅に向かうところには、
「豊中市立伝統芸能館」がありました。



中に入ってみると、
展示されていたのは「円筒埴輪」。



大石塚古墳で発掘されたものであるとか。

中央は朝顔形埴輪で
両脇が円筒埴輪です。
見た感じはレプリカではなく
どうやら本物っぽかったです。

少しの滞在でそこを出て、岡町駅に戻り、
今度は岡町商店街に沿って
東に向かっていきます。



どこもシャッター商店街となりがちな昨今にあって、
この商店街は賑わっていました。
きけば50年近く前からあった
うどん屋もまだあるそうです。



その商店街の途中にあるのが原田神社。



先の大石塚・小石塚古墳もこの神社の境内にあったんだそうです。
そしてこの神社のすぐ横には
荒神塚古墳もあり、
その古墳の墳頂から、
大きな桜の根っこが出てきたことから、
桜塚の地名が生まれたんだろうといわれています。

その神社がこれ。



本殿は国の重要文化財です。



境内の中央に舞台もあるなかなか由緒ありそうな神社でした。

この神社の近くのスーパーの駐車場のところに
あったといわれる荒神塚古墳の痕跡は見当たりませんでした。

その原田神社の境内で、
ご当地の名物「森のおはぎ」をいただきました。



「おハゲ」じゃありません。
「おはぎ」です。
みそ味がとってもうまいおはぎでした。

続く。


ドジ旅日記柳生一族の陰謀編6

2013年12月12日 21時00分59秒 | ウォーキング

柳生但馬守宗厳は、
徳川家の剣術師範で
石舟斎と言われる剣の名手。
その子、宗矩は後の三代将軍となる
徳川家光の兵法指南であり、
柳生家初代藩主。
そしてその子の柳生三厳(十兵衛)は、
言わずと知れた
江戸初期の剣豪で
若冠にして柳生新陰流の術に
達したといわれている。

かようにも、剣の道に優れた柳生一族は
また権謀術数に長けており、
それはとりもなおさず
柳生新陰流の得意とする兵法であった。

家光を将軍位へ導いた手腕は、
今も「柳生一族の陰謀」として語り継がれている。

その石舟斎が剣の修業をしたといわれるのが、
現在の天乃石立神社のあるあたりである。

疱瘡地蔵を下ってきて、
笠置へと続く自動車道を横切り、
再び山中へ上っていくと、
その神社の鳥居が現れる。



うっそうとした森の中、



不思議な形に屹立する巨岩を



御神体とする神社の奥に、
石舟斎が天狗と思って切ってみたら岩だったという、
真っ二つに切られたような形の巨岩

「一刀石」

が座っている。



なんでも、石の面には
天狗の爪痕も残っているというから不思議だ。

まるで半村良の小説の世界である。

いかに剣の達人とはいえ、
岩を切るなどということはできないだろうが、
その形はまさに一刀両断というものであった。

旅の最初で出会った
首切り地蔵と同じである。

恐るべしは柳生新陰流でござるな。

そこからまた元来た道を少し戻り、
次に柳生一族の墓地があるという

「芳徳禅寺」

へと向かう。

山の日暮れは早い。
まだ三時だというのに、
柳生の里に陽は傾き
夕暮れの気配が漂い始めた。

今回のドジ旅で
初めて入館料を払って入った
境内の奥の奥に、その墓はあった。

とこの時、ついにジダンのカメラも
バッテリーが切れた。

これもまた、聖なる土地を荒らすな
という柳生一族の陰謀か。

バッテリーを取り外し、
こすったりふところに入れてあっためたりして、
ようやく一瞬息を吹き返したバッテリーで
撮影したのがこれ。



矢印が十兵衛の墓である。
そして、その二つ横の墓がこれ。



なぜか墓石が亀の背中に乗っています。
これについては、ジダンから宿題として
フラれておりますので少し書いてみよう。

このような亀の形をした台石は
「亀趺(きふ)」といいます。
江戸時代から始まった風習だそうです。
巨大な墓を築く古墳時代が終焉を告げ
神式のお墓が時にこんな形になっています。
亀は万年生きる動物であることから
永遠に墓所を守るという願いが込められているのでしょう。
このお墓は柳生藩6代藩主 柳生俊平のものです。

この墓所のある芳徳禅寺を創建したのは
柳生藩初代藩主の柳生宗炬。
そして開山した、すなわち初代住職が
あの「沢庵和尚」である。
武芸のみならず、文芸にも秀でていた
十兵衛が最初の著書である
「昔、飛衛という者あり」を書いた時
宗炬に一旦認められなかったのであるが
その沢庵和尚が教示したことで
十兵衛がようやく柳生新陰流の印可を得たという
逸話を残している。
その和尚の顕彰碑が
東京の「品川寺」にあり、それも
亀趺の上に置かれてあるというのも
何か関係があるかもしれませんが
そこまで調べることはできませんでした。

と、亀趺に関してはこんなものでいかがでしょうかね。

ああ~、それにしてもバッテリーコードさえあれば
doironの携帯も復活するのに
と思うと残念なことこの上ない。

この後も陣屋跡、八坂神社、家老屋敷と続くのになあ。

そしてなんといっても旅の締めくくりに
終了後の宴会の様子も撮れないのは悲しい。

「芳徳禅寺」を出て山を下っていく間、
バッテリーをパンツの中にいれ
温め続けたジダンであった。(くさそー)

山を下りてすぐにあるのが

「陣屋跡」。

石段をトコトコ登っていくと、
開けたところに敷地の石組だけが残っていた。

パンツの中で温めて
息を吹き返したバッテリーで何とか一枚パチリ。



八坂神社でも、またその先の家老屋敷跡でも





あと一枚だけ!とカメラに頼み込んで
何とかだましだまし撮影をすることができた。

しかし、もうこれ以上むやみに
バッテリーをだまし続けてはいけない。

最後の宴会とあわよくば笠置駅でも撮りたいから
大切に大切に扱った・・・そうな。
柳生のバス停で、
大勢の人が待っていたので訊いてみると
あと4、5分で奈良行のバスが来るとのこと。

でも奈良に帰るのは引き返すようで嫌じゃ
とジダンがごねたので
笠置まで4、5キロの道のりを走っていくことにした。

途中、山の中腹にそびえる十兵杉をパチリ。



ズームをしようとすると
たちまち電源がOFFになってしまうので、
遠景のまま撮影。

ひときわ高く、ちょうど落雷を受けて
白く枯れたようになっているのが
十兵衛杉である。

山の中のクネクネロードをひた走り、
40分ほどで笠置駅に到着。
電車の前にやっと待望の温泉である。



笠置温泉は、入っていると
つるつるしてくるとってもいい温泉だった。

ただねえ、露天風呂にざらざらの石があって
それでお尻をこすって
傷を作ってしまったんだよね。

隻眼の十兵衛に対抗して
隻尻のdoironになってしまったわけだ。

もし、お尻じゃなくて前だったら
これぞ「柳生一族の陰毛」
下ネタですみません。

カメラが元気だったらお尻の傷を撮ったのになあ。

使えないけど・・・。

そしてついにお待ちかねの宴会だ。





おつくり弁当と生ビール、

うう~最高!

やめられませんな。
しかも、何とも絶妙なトリミング。
(すでにジダンブログにまんま掲載され
二人のサムライ頭はばれているがね・・・)

そして笠置から乗った電車内でも



こんなおつまみで乾杯。





この時点でバッテリーがついにご臨終。

柳生十兵衛の痕跡を訪ね、
最後の最後にこんな写真とは。

タイトルを「柳生呑兵衛」にしとけばよかったかな。

このシリーズ、完。
お付き合いありがとうございました。
ジダンブログから流れてきた人、
今後もハブ ア ナイス doi!をご贔屓に~

柳生街道完全制覇
歩行日 平成25年11月24日
歩行距離 約25キロ

歩行時間 約8時間(休憩・ラン含む)
歩行歩数 約3万4千歩
撮影枚数 446枚
おもいで プライスレス