昼食でエネルギーチャージをして、
剣豪の里コースに進んでいく。
目指すは柳生の里。
待ってろよ、十兵衛。
相変わらず東海自然歩道の標識に導かれて、
途中、ずいぶんと悩んだ分岐もあったが、
標識通りくねくね道や分岐を越えていく。
どわ~
ここでジダンのブログの
進み具合と比較してみますと
えらいこちらが遅れて
置いてけぼりを食らってるではないですか。
宿題も巻き散らかされているし
ここらで一気に追いつかねばなりません。
シリーズもあと2回で終わらせないといけないし
ということで、すっ飛ばしましょう。
この辺りの素晴らしい
街道の景色をばしばらくお楽しみいただきながら
追いかけていきましょう。
ガイドマップによると、
途中、岩盤に彫られた
「梵石」もあるとのこと。
梵石とは・・・ネットで調べてみると、
中国語のサイトがズラズラッと出てきましたが、
わかりません。
とにかく、ありがたい石なのでしょう。
写真をパチリ。
と、このあたりでdoironの携帯バッテリーが赤くなってきた。
経過報告を求めるメールが頻繁に来るし、
GPSを稼働し続けているのと、
田舎道なので思いのほか消耗が速いようだ。
あ~あ、バッテリーコードさえあれば
柳生一族の陰謀を打ち砕けるのになあ。
ジダンのカメラが頼りだあ。
ということで、ジダンだを踏みました。
途中で道に迷っている一人歩きの男性に道を聞かれた。
奈良から歩いてきているとのこと。
一瞬「へえ~」と驚いたものの、
自分も奈良からきているのだと気がついた。
近頃ボケてるなって思うことがよくある。
ボケながら、夜支布(やぎゅう)山口神社に到着。
最初はこれを「やぎゅう」と読むとは気づかなかった。
調べてみると、「楊生」・「夜岐布」・「養父」も
「やぎゅう」と読むらしい。
ずっと気になっていた
「柳生」のいわれが
ますます混沌としてきた。
それはさておき、
この神社で見たかったのが、
御神体になっているという大きな立磐。
交野市にある磐船神社と似ているが
岩の規模は小さい。
奈良の山間部には、
地形上巨岩が多く、
巨岩巨石に対する信仰が多く見られるという。
実際、平城京の構造物に使われている石の
ほとんどは奈良市内で調達されたといわれている。
そういう意味では、
石仏が多く点在する柳生街道は、
また巨石運搬の道だったのかもしれない。
この先にあった水木古墳の石も
このあたりの山から豊富に切り出される石を
用いて作られたのに違いない。
大柳生群落を見渡せる小高い丘に鎮座していた。
長閑な道を歩いていると、
こんなところが・・・。
「ダッチュ村」
と名付けられた奈良市青少年野外活動センターを
拠点とするNPO法人の施設。
そこにいた人に名前の由来を尋ねたら
「ダッシュ村のパクリや」と笑っていた。
とここでdoironの携帯のバッテリーが消滅した。
iPhoneを使い始めて8か月。
バッテリーがゼロになってしまったのは初めてだ。
何となく心細くなるもんだ。
ともあれ南明寺に到着。
鎌倉中期のモデル的建物だそうだが、
境内には入れず
トイレだけ済ませて先を急ぐ。
この先にあるのが「おふじの井戸」。
ちゃうちゃう。
これ。
この井戸にまつわる逸話が面白い。
文字数が多くなるので省略。
いわれを撮影したので
虫眼鏡で読んでください。
宗矩は柳生藩の初代藩主、
つまり十兵衛の父親だから、
この井戸で洗濯をしていたおふじは
もしかしたら十兵衛の母親なのかもしれない。
ただ側室も多く抱えていたので、定かではないけどね。
大柳生から急な坂道の阪原峠をふうふうと登り、
峠を越えたところからまた走り始める。
下りきったところにあるのが
この柳生街道の石仏の中でも
有名な「疱瘡地蔵」がある。
疱瘡除けを祈願して
鎌倉後期に彫られた地蔵なのだが、
有名になったのは、
この地蔵の右下に借金棒引きをうたった
徳政一揆の銘文が刻まれていたからだ。
(写真の赤い四角の中・・現物はかなり傷んでいる)
これにより農民に課せられた負債が
消滅したことが読み取れるのだそうだ。
そしていよいよ道は
柳生一族の痕跡が色濃く残る地域へと入っていく。
ここまでで約6時間が経過していた。
少し追いついたかな。
生姜湯、草餅と忍辱(にんにく)の巻
峠の茶屋は、「え?こんなところにお店があるの」
って感じで山の中に突然現れる。
店の前では今風カマドでおでんが炊かれ、
店内のガラスケースには草餅が並んでいる。
名物は「生姜湯」だそうで、
ジダンが朝の遅刻のお詫びにとごちそうをしてくれた。
柳生一族の陰謀に感謝である。
軒先に置かれた縁台も年季が入っていて、
今にも足が折れてドリフのコントのようになりそうなので、
縁側に座っていただいていると、
続々と人がやってくる。
そんなお客さん達に、
店番親父(経営者かも)が、
ここでもう180年お店をやってますねんと言ってた。
ということは、江戸末期の開店ということになる。
十兵衛も又右衛門もこの店は知らないということだ。
この峠の茶屋には古い刀や槍や鉄砲が
たくさん保存されているそうだ。
何でもその昔、武者修行をしていた人たちが
飲み食いのカタに置いていったものらしい。
看板も年季が入ってこの通り。
結構いい値段のしょうが湯をすすって、
草餅を食べてまったり・・・するはずもなく、
汗臭いおっさん二人は早々に
「薄毛の」、いや「峠の茶屋」を出発したのであった。
時刻は10時55分。
茶屋を出たその時、
道になんとジダンの天敵が・・・
この野郎、と死がいをツンツンしていたジダンなのであった。
やがて集落に出る。
さすがに天下の柳生街道とあって、
道沿いにはこんな立派なトイレも点在していた。
このあたりは雪も積もることが、
雪止め瓦が施されていることから推察される。
その後久しぶりにロードに出たので
きっと、ジダンも走りたくてウズウズしてるのに違いないし、
doironの体調もすこぶるよかったから、
このあたりからはランも交えて進むことにした。
街道沿いには「東海自然歩道」の標識が
分岐ごとに立っており、道案内をしてくれる。
けっこう間違えやすそうな道が多く、
「ん?こんなところを曲がるの?」
という分岐もその標識を信じて疑わず
進んでいくことが道を間違えないコツのようである。
そんな標識に導かれ、
ロードや山道やあぜ道をテクテク、スタスタと進んでいくdoiron。
後ろから、ジダンが頻繁に写真を撮ってくれている。
いやーん、襟足アップはやめてちょんまげ~。
この街道沿いには六地蔵が多い。
次の円成寺に向かう道にも
途中にこんな六地蔵もあった。
なぜ「六」なんだろうかというと、
人は、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の
六つの世界に生まれ変わるという仏教の思想を表しているそうで、
蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠を持つ地蔵が
並んでいるとのこと。
確かに一体ずつお姿は異なっている。
おや?カメラを持ってる地蔵も・・・
ジダンでした。
きっとジダンのブログにも、
「肥満姿の地蔵が・・・」
なあんて書いてあるんやろなあ。
そうこうしているうちに、
柳生街道前半(滝坂の道コース)の終点、
円成寺に到着。
庭園は数少ない平安時代の遺構で、
本堂の向いに五重塔が建っていたら、
浄瑠璃寺の庭園とそっくりな造りだ。
え~、ジダンのブログが若干先行しているようです。
先行しながら、宿題をコロコロと
鹿のフンのようにまき散らしておりますが
相手をするのにも限度があります。
あまり興味のないところは
てきとーに流していきます。
では、話を戻して・・・
このお寺が浄瑠璃寺ににているという
その証拠に、境内を歩いているとき
妙齢の女性に「ここは浄瑠璃寺でしょうか?」
と聞かれたほどだ。
ここは忍辱山円成寺(にんにくせんえんじょうじ)。
「忍辱」とは、忍んで辱められると書きますが、
決して変な想像はしないように。
仏教用語のひとつで
「忍耐」を表す言葉だ。
ちなみにあの食べる大蒜(ニンニク)は
漢字と読みが一致しないでしょう。
そのにおいに耐えるところから
この忍辱の読みがあてられているのだ。
じゃーん、そしてこれが今日の昼食。
ちゃうちゃう。
これ
一瞬円成寺の横にあるお店に心ひかれたが、
最後の温泉での宴会に備えて
簡単な食事にした。
パンはジダンが持参したもので、
doironはこの羊羹を2つ提供した。
1本でごはん一杯分のカロリーと塩分を
効率よく補給する食品として、
最近ちょっとマイブームなのだ。
さあ、ここで今回の街道のほぼ半分。
食事後は、いよいよ柳生の里を目指して
(剣豪の里コース)に突入だ。
忍辱と体力と気力でがんばろう。
その3 十兵衛の弟子荒木又右衛門の痕跡の巻
春日大社の参道わきには、
春日の森の景色と一体になって、
たくさんの鹿がいる。
今は公園内に全部で約1200頭が生息しているそうだ。
神の使いとして神聖視され、
大切にされてきた名残だそうで、
昔文鎮で誤って鹿を殺めた子供が
鹿の死骸と一緒に生き埋めにされたという
悲しいお墓も残っているそうだ。
もちろん今も天然記念物であるので、
所有者がいないこの鹿たちを
いじめることは禁止されている。
とはいえ、奈良には年間3000万人以上の
観光客が訪れるということなので、
トラブルは絶えず、
こんな標識が建てられ観光客の注意を喚起している。
そんな鹿さんたちに見送られ、
二の鳥居前を右折すると、
道は一気に街道らしくなる。
春日大社の神官である禰宜(ねぎ)が通るという禰宜道、
通称「ささやきの小道」横目に、
奈良県の公式発表でさえ
本数不明とされているほど樹木が密に生い茂っている
春日山原生林の中を進んでいくと、
一旦閑静な住宅地に出る。
そこから新薬師寺は近いのだが、
ここも拝観料を払ってみるほど、
ゆっくりもしていられないので今回はスルー。
「滝坂の道」と呼ばれる山道へと入っていく。
ここからは、しばらく街道というよりは
山道の登りが続く最初の難所だ。
この道では南都七大寺の僧たちが修行をし、
柳生道場を目指す剣豪たちが往来したそうな。
トレイルランナーのジダンの頭が輝きだす。
あ、目か。
最初に目指すのが
「寝仏(ねぼとけ)」である。
寝仏ならぬ、おとぼけコンビが
石畳の山道をガッシガッシと登っていくと、
左手に現れる。
仏様の寝姿が岩に刻まれているということだが、はっきりしない。
虚無僧が尺八を吹いているようにも見えるなどと、
罰当たりなことをいいつつ
おとぼけコンビは進んでいく。
次は木陰の多い森の中でも、
夕日が降り注ぐという「夕日観音」。
このあたりは結構人も多く、何組かが足を止めていた。
そしてこれが立ち上る朝日が真っ先に照らすという「朝日観音」。
鎌倉時代の作だそうだ。
剣豪の往来を見守り続けてきた石仏だ。
そして次に現れるのが、
柳生十兵衛の弟子である
荒木又右衛門が試し切りをしたという
「首切地蔵」
胴体と首が真っ二つに切られている。
どんな刀で試し切りをしたのだろうか。
それとも柳生新陰流の極意がそこにあるのか。
このドジ旅の終盤でも、
柳生新陰流の恐るべき太刀筋を見ることになる。
この首切地蔵のところには
休憩所やトイレも設置されており、
思いのほか多くの人達が休憩をしていた。
道はここで左右に分かれるが、
我々は地獄谷石窟仏のある右側を行くことにした。
大きな池の周りは一段と紅葉が鮮やかだ。
一旦自動車道を横切って再び山中へ。
落ち葉の積もった全くの山道を歩くこと15分。
地獄谷石窟仏に到着したのは、
午前10時15分。
基本的に登り続けてきたが、
体調はすこぶる麗しい。
なのでここから久しぶりの下りを
走ってみることにした。
危険なところは徐行やけどね
ここんところ大峰や丹後の山道歩きには
ヘビーなトレイルシューズを履いていたが、
今回履いてきた靴は、
久々のトレイルランシューズ。
軽くて快適だ。
昔、この街道を行き来した人は
どんな靴を履いていたんだろう。
山道を抜けるとお待ちかね峠の茶屋に到着だ。
その2 これもまた陰謀かの巻
柳生新陰流は古くから
剣術と言わずに兵法であるといわれていた。
単なる斬り合いの技ではなく、
「活人剣」の理想をめざし、
体の動きによって
人の潜在能力を引き出すものなのだ。
この柳生新陰流は、
子孫や弟子によって受け継がれ、
現在二十二世宗家を指導者とする
柳生会が今もこれを継承している。
何とかなんばで無事に合流し、
ドジのふたりは近鉄電車で
スタート地点の近鉄奈良駅に向かったのであった。
今回は、体調が許せば
下りの部分と駅と街道間のロードは
しのび走りで走ろうと思っていたので、
どうしても撮りたいところだけ
携帯で撮ればいいかなと思い、
カメラはジダンにお任せすることにして
持ってきていなかった。
携帯の充電用のバッテリーさえあれば・・・
げっ、げげげ~。
その時バッテリーは持っていても、
不覚にも充電のためのコードを
持っていないことに気付いたdoironであった。
むむむむ~、
コースは田舎の山の中。
GPSは作動させておきたいし、
か細い電波を求めて
携帯は基地を探し回るに違いない。
さすれば充電が、
都会にいるときよりも
ずっと早くなくなるのは
目に見えておるではないか。
またしても、街道を穢されまいとする
柳生一族の陰謀なのか。
かくなる上は、
その体の動きを持って
潜在能力を引き出し、
できるだけ早く街道を駆け抜けることで、
バッテリー切れの事態を回避しなければならない。
近鉄奈良駅に到着し、
トイレだけ済ませて
さっそく歩行開始である。
あ、人に握手を求めておいて
よそ見する生意気な
せんと君と写真も撮っておいた。
そして午前8時30分スタート。
柳生街道は、正確には春日山から始まるため、
駅から春日山までは街道ではない。
駅を出てまずは県下最大の商店街
「東向商店街」に入っていく。
なぜ「東向」なのかと言うと、
この商店街の東側には興福寺があるため
お店は全て西側にあり、
店構えがすべて東を向いていたことからきている。
しかし、興福寺の衰退により
東側にも店が作られるようになり、
今は左右にお店が連なっている。
その商店街を抜けて左折すると、
興福寺南側の道路沿いは
紅葉に彩られていた。
おっと、その前に思いもよらぬものを見つけました。
奈良県の里程元標です。
里程元標は明治政府が
都道府県に陸地の道程の調査を命じた際に、
各都道府県に一基ずつの設置を命じたものです。
大阪では以前このブログで紹介したように、
高麗橋のたもとに建てられています。これ。
奈良県里程元標は
台石だけ残っていたものを、
3年前に地元自治会が中心になって
20mほど東の高札場跡に移設して
建てられたものだそうだ。
そしてその足元には、
奈良市道路元標が建っていた。
こちらは、大正時代の法律で
各市町村に一基ずつ設置されることになったもので、
たいていは役場の辺りに設置されているのだが、
ここでは里程元標と同じ場所に設置されていた。
おっと、今日の目的はそういうことではない。
先を急ごう。
奈良市内で引っかかていてはきりがないほど、
あちこちに史跡がある。
ひとつひとつ反応していては、
なかなか先に進めない。
これも柳生一族の陰謀か。
一の鳥居前交差点から、
春日山に入っていく。
なので、ここを今回の街道歩きの起点ということにしよう。
時刻は8時45分。
ジダンは、カメラを持参していないdoironの代わりに
あれ撮って、これ撮ってとの要望に応えて
カメラ片手にこまめに走り回ってくれた。
少し前に、猿沢の池で撮影アングルを思案するジダン。
春日大社に向かう参道わきでは、
doironが御幼少のみぎりに鹿に襲われたという
影向之松に走って寄り道をしてくれた。
時間の節約のため、
写真撮影をジダンにまかせて
doironはとっとと先を急ぎます。
さあさあ、ついに始まるドジ旅日記
ジダンブログとの完全コラボ企画です。
ジダンの方には
多分、もう今頃は3話くらいは
アップされているでしょう。
doironのはここからです。
冬の夜長に時間のある人は
よってらっしゃい見てらっしゃい。
出演者
主演 ジダン&doiron
奈良の皆さん
柳生街道の皆さん
笠置の皆さん
奈良の鹿さん
脚本 doiron
監督 doiron
衣装提供・・・もういい?
でははじまりはじまり
その1 のっけから陰謀にはまったかの巻
剣豪で知られる柳生十兵衛。
名前は多くの人が知っているが、
その実態はとなると
たいていの人が良くわからない人物であろう。
doironも今回の街道旅をするまでは
彼のことをよく知らなかった。
柳生家とは、
そして柳生一族の陰謀とは
どんな陰謀であったのか。
まるでそんな激動の歴史を
凌辱するかのような街道旅を、
doironの「ド」と
ジダンの「ジ」からとった
「ドジ旅日記」として
赤裸々に綴るブログがいよいよ始まる。
徳川家光を
三代将軍の座につかすべく、
柳生新陰流の兵法を駆使し
陰謀の限りを尽くした柳生一族。
今回の旅は奈良駅から
その柳生一族の里である
柳生の里に向かい、
さらに笠置まで歩こうとするものであった。
ジダンとメールで交わした打ち合わせでは、
午前6時50分発の電車で行きましょう
ということになっていたので、
当日朝眠い目をこすりつつ
南海本線松ノ浜駅に向かったdoironなのであった。
待ち合わせは駅というだけで、
駅のどこにという指定がなかったため、
とりあえず1本しかない駅の
ホームに上がっていくエスカレーターの上で
待っていれば見落とすことはないだろうと思い、
そうすることにした。
上のホームで待ってると、
下からエスカレーターで上がってくる人は
まず頭が見え、顔が見え、
徐々に全身が姿を現すのを
見届けることになる。
電車が来るまであと5分。
すると・・・見えてきました、
おなじみのあの頭。
「タオルは現地で巻くのか」
と思った次の瞬間、
現れた姿は坊主頭の中学生だった。
違った。
もしや柳生街道だけに、
剣豪の姿でやってくるわけではあるまい。
などと考えていたら、
電車がもう近づいてきた。
あれ?あれ?来ないぞ。
とエスカレーターをにらんでいるうちに
電車がホームに滑り込んできたではないか。
その時ふと気がついたのが
エレベーターの存在だ。
もしかしてエレベーターで上がったのかも、
それとも先に駅についてて、
先頭車両あたりから乗るのかも
とめまぐるしく頭を回転させたあげく、
ドアが開いたのでとりあえず乗ることにした。
乗ってから電話をすれば
電車の中で会えるだろうと思ってのことだ。
ドアが閉まって、まだすいている車両を見通しても
ジダンの姿は見えない。
頭さえ隠さなければ、
いくら尻を隠しても
見つけられないはずはないさ。
きっとシートと同色のタオルを
頭に巻いて身を隠しながら
doironに忍び寄っているに違いない
すぐにあばいて見せようぞと
さっそく電話をしてみると・・・出ない。
ん~、これはどういうことだ、
もしかして日にちを間違えたのか
と思って確認したがあっている。
どうしよう。雲隠れの術を破れないぞ。
とりあえず難波まで行ってみるか、
出張帰りで街道に直行ということかもしれないし、
などと事態が呑み込めないまま座っていると、
携帯が鳴った。
開口一番
「すみません」の声。
自分で時間を決めておきながら、
ボケたことに時間を勘違いしていましたとのこと。
近鉄難波発の奈良行に乗りますから、
そのホームの一番前で待っていてください、
との密書メールもその後で届いた。
雲隠れの術ではなく、
のっけから彼は
すでに我ら二人を神聖なる街道に近づけたくないという
「柳生一族の陰謀」にはまってしまっていたのだ。
その時、車窓から遠く眺めた東の空、
行く手に渦巻く暗雲が
一瞬見えたような気がしたdoironなのであった。
今日は御坊の実家の点検日。
朝からおにぎりを持って出かけました。
向こうの家はガスはとめてあるものの
水道はそのままなので、
電気ポットでお湯が沸かせます。
なので、昼食はカップラーメン。
今日はこんな麺を買ってみました。
日清の「とんがらし麺」。
汗をしっかりかいて痩せようという魂胆なのだ。
超絶激辛オイルも一滴残らず入れてね。
ビタミンは道端の無人100円ショップで売ってた、
おいしそうな完熟プチトマトで補給。
多くが熟しすぎて割れていたけど、
実もまだ固く、その味の甘いこと甘いこと。
まるでフルーツでした。
とまあ、食べる話はこれくらいにして、
今日のメインの用件はというと、
前回草刈りをお願いしていた
気のいい兄さんの仕事の成果の確認だ。
行ってみると・・・
まあ、シルバーに頼むよりは
仕事が少々荒っぽいが、
概ね草は刈られていた。
値段が四分の一の割に、
きれいにしてくれていたかな。
こんな感じ。
庭の片隅にはツワブキの花が咲いていました。
全く手入れもしないのに、
植物の生命力はすごいですねえ。
雑草もはびこるはずです。
家の中に入ると、
前回の靴下ホイホイはまだそのまま。
本当のゴキブリは一匹も捕まってません。
でもねえ、よく考えるとそれは当然やね。
だって、こんなほとんど人のいない家だから
エサになるような食べ物もないもんね。
外に出て、近所の小川にも出かけました。
恒例のメダカの捕獲です。
しかし、水温が下がっているため、
メダカの学校も冬休み状態で
一匹もいませんでした。とほほ~
みんな水草や、
水際のガサガサの中に隠れているでしょう。
せっかく張り切って、網を持って出かけたのに残念でした。
気を取り直して、
まだまだ残っている不用品を処分しないといけないので、
ごみ袋に不用品を詰める作業もしました。
作業をしているときに気付いたのですが、
どうも先ほど見たごみステーションの
中に入っていた袋と詰めている袋と色等が違っています。
どうも有料ごみ袋のデザインが変わっているようなので、
近くの指定袋を売ってるコンビニに確認に行くと、
分別の仕方まで変わっているようでした。
でも、袋が大量に残っているので、
分別方法だけ考慮して
ステーションに出しておきました。
だって有料で買った袋やもん、
持って行ってもらわないと暴れなくてはなりません。
暴れ方はよく知ってます。
あとは、家の中にある家具の処分です。
今、家ごと売りに出しているけど、
なかなか売れないので、
気長に少しずつ減らしていこうと思っています。
戸棚ボックスは、
あらかじめ測ってきた家の寸法と比べながら、
必要なものだけを持って帰ります。
そうそう、こんな4本足のソファが
どうしても余ってしまいます。
要望がございましたら
お譲りしますので声をかけてください。
サイズは横が110cm、座面の高さが40cmです。
御坊に来たときは
その日の目標の用事が終わったら
すぐに帰路に着きます。
親父がデイから帰ってくるまでに
帰宅しなければならないからです。
ということで、見事な紅葉の中、
慌ただしく帰宅したdoironなのでした。
さて、明日からジダンブログとの完全コラボ企画
「ドジ旅日記 柳生一族の陰謀編」が始まります。
ジダンのyahooブログ
「やっぱりトレイルランが好き!」と
あわせてお読みください~
ショートステイという制度は、
在宅介護をしている者にとっては、
とてもありがたいものである。
退職者でまともに仕事をしていないとはいえ、
どうしても家を空けないと
いけないときがある。
親戚の慶弔ごとであったり、
忘年会が二人重なったりしている時には、
その夜も含めて一泊二日、
あるいは二泊三日で、被介護者を
介護施設に預かっていただくことができるのが
ショートステイである。
あらかじめ予約が必要だし、
間際になっての予約というのは
結構人気のある制度なのでなかなか取りにくく、
日程がわかっている時には
できるだけ早めに申し込んでおく必要がある。
今回は、ミセスが日帰り東京で遅くなるうえに
doironの取材仕事が入っていたのも
早くから分かっていたので、
あらかじめ二泊三日のショートステイを
申し込み、予約が取れていた。
そのショートステイのお迎えが来る日のことだ。
まず準備が大変なのである。
薬をセットして、着替えも用意をする。
親父は携帯を持っているので
その充電器や、読書のための本と
メガネなど旅行と同じように用意をしなければならないし、
そんな持ち物や今着ている服も含めて、
持ち物は全て紙に記入しておかないといけないのだ。
加えて、日常生活の中での注意事項や
必要と思われる医療情報も
そろえておかねばならない。
ちょっと預かっていただくだけでも、
準備はかなり大変なのだ。
その日の朝もバタバタしているうちに、
玄関のチャイムが鳴った。
親父に「お迎えが来たよ」と声をかける。
いつもこの時は少し微妙に複雑な気分になる。
「お迎えが来る」
というのは「亡くなる」ことを
意味する場合もあるからだ。
かねがねそんな風に思っていたところ、
その日はいつもより
お迎えが早いなと思いつつ、
玄関に親父と出て行ったら、
施設ではなく月参りのお坊さんが
ちょうど玄関に入って来たところだった。
こちとらはショートステイの準備に追われていたこともあって、
たまたまその日が月参りで、
お坊さんがお経をあげに来る日でもあったのを
すっかり忘れていた。
なにせ50回忌も済んで、
我が家の仏壇は空っぽなので
それほど重要視はしていないということもある。
施設の人だと思ってたら、
お坊さんが入ってきて、
それを見た親父が、
「え、そっちのお迎え?」
と思ったのかどうかはしらない。
doironがワンコのおしっこシーツを
広げたままだったりしたので、
それを片付けるために
「いや、その、まだ準備ができていないので
少しお待ちください」と言ったのだが、
その返事も取りようによっては、
どちらでも使えるわけで、
なんだかおかしくて、おかしくて。
タイミングが絶妙だった、
とんだ「お迎え」違いに
一人になってから
ケラケラケと笑ってしまったdoironなのでした。
介護をしていると
たまにむしゃくしゃする日がある。
自分に何か気に食わないことがあるとする。
それが友達やお世話になった人になら
面と向かってそれを言うほど
愚かなことはない。
社会人としてそれは失格であると
言わざるを得ない。
それこそ流行語大賞ではないけど
「ろ・く・で・な・し」である。
しかしそれが自分の身内
ましてや親が相手となると
話が微妙に違ってくる。
なんていうのかな
明るく楽しい介護を目指す中で
遠慮せず言える部分と
言ってはいけない部分の境目を
時に見失いそうになるのである。
自分の感情を抑えて
それを見極めようとするとなおさら
怒りでもなくやりきれなさでもなく
やはりむしゃくしゃというのが
一番あってる感情が
エンジンオイルの汚れのように
自分の中に少しずつたまってきて
生活エンジンの動きが
ぎくしゃくと悪くなってくるのである。
そんなときには自分の好きなことを
思いっきりするのもいいが
たまには何かをやろうということではなく
一日ぼうっとする方が良い時もある。
てなわけで、本日親父が
デイサービスに出かけた後
車を飛ばして有馬温泉に行ってきた。
紅葉がきれいだろうし
温泉にのんびりつかるのがエンジンオイルの
浄化になりそうな
そんな気がしたからだ。
けっしてガスチャージではなくてね。
近くにもいろいろと温泉があるが
高速道路で約1時間。
プチ旅行のような日常の延長のようで
むしゃくしゃを晴らすのに
有馬は絶妙な距離感のところにある。
前に行ったのは1年くらい前だろうか
夏の暑い時だったな。
今回は、紅葉がきれいで
気温もあまり寒くなく
絶好のむしゃくしゃ晴らし日和であった。
まず最初に向かったのが
腹ごなしにお蕎麦。
山の方にずんずん上がっていくと
小さいけれど、こじゃれた雰囲気の
蕎麦屋さんがあった。
注文したのはこれ。
ゆばそば
そばの表面に湯葉が敷かれていて
ダシを吸ったその味と食感が
たまらん一品でした。
あ、写っているのはノンアルコールね。
車だし・・・
お腹がいっぱいになった後で
向かった温泉が
銀の湯
有馬の中心街から少し離れたところにあります。
有馬と言えば、湯の色が
まっ茶っ茶の金の湯が有名ですが
ここは透明なラジウム温泉。
持参のタオルが茶色くなったりはいたしません。
ちなみに入湯料は
金の湯650円、銀の湯550円と100円お得です。
近頃観光地に行くと
外国人がやたらと目につきます。
特にアジア系の人たち。
しかし本日の銀の湯には、白人系の外国人が
目立っておりました。
みていると玄関口でタオルを買っていたのに
中に入ると、全員手ぶらでした。
温泉につかってカランのところではシャワーだけ
また温泉につかって
そのまま出ていきます。
そして脱衣所で初めて、買ったタオルの
ビニールを開封しておりました。
あまり温泉の習慣がないんでしょうねえ。
「How do you feel arimaspa?」
と聞いてみたい衝動に駆られましたが
話が複雑になってはかなわないのでやめました。
温泉を出て、身体を冷ましながら
有馬の中をウロウロと歩きました。
おや?こんなところにジダンが・・・
いるはずは有馬温泉。
行基様像でした。
日本書紀にも書かれていることから
ここは日本最古の温泉と言われています。
そこへ奈良時代に、この行基様が
温泉寺を建立して
一躍有名な温泉になった
と言われているそうです。
さらにぶらぶらと行くと
源泉がありました。これ
さすがに源泉だけあって
厳選した硫黄のにおいが
あたりにたちこめておりました。
源泉だけに、厳選ね(しつこい)
そのときふと視線を感じて
後ろを見ると・・・
ドキッ!
なんとシュールな「飛び出し小僧」
ではありませんか。
お、ここにも
おお~、さらに電柱の陰にも
これはブログで紹介しなくては
なんて考えていると
すでにその頃には
むしゃくしゃもどこへやら。
(根が炭酸せんべい・・・じゃなく単純なもので)←無理ありました。
昔は気にも留めなかった
汚水蓋の、モミジとロープウェイのデザインも
最後にご紹介して置きましょう。
(ちなみに有馬ロープウェイは
現在工事で運休中です。)
介護でむしゃくしゃした日に
温泉で束の間を過ごし
それを解消してきたdoironなのでした。
最近ミセスは、以前の職場の仲間たちと
格安航空機やお得な新幹線などに乗って
各地の日帰り旅行に出かけている。
家庭の事情で、泊りとなると
老親や犬の手配をしないといけないので
doironと替わりばんこに出かけている。
夏以降、仙台、広島と続いて
今回の昨日は花の東京に行ってきた。
朝イチの交通機関を利用するため
出かけるときはたいてい4時頃に起きており
今回も関空に6時半に集合だった。
となると必然的にdoironの送りが必要となる。
眠い目をこすりつつ
送って行ってあげた。
自分が遊ぶときのためにも
こんな時に苦労してあげることが
自分の遊びへの投資にもなるしね。
関空から帰ってからは、その日一日
自宅のパソコンに向かって
記事執筆、ブログ執筆に加え
編集ソフトの操作練習
などで、一日書斎で過ごすことにした。
一方ミセスはというと、ジブリの美術館に行き
スカイツリーに20分待ちで登った後は
もんじゃを堪能してしていたのであった。
そして夜。
「飛行機が少し遅れるかも」と
東京のミセスからメールが来た。
何でもバードストライクによる
整備作業に手間取っているそうだ。
離陸がかなり遅れた模様だ。
結局、関空に迎えに行って
帰ってきてよっこらしょと座った時には
午前一時をすっかりまわっていた。
お土産はこれ
波平どら焼きね。
そして今日のdoironは事務所で
長時間缶詰のライター仕事。
とこの二日間はバタバタと過ぎていき
夕方に
ジムで高カロリー運動をしてきて
帰ってチューハイ飲んだらもう
ダウン寸前。
てなわけで、今日のブログはこれくらいで
勘弁しときます。
結局言い訳でブログ書いちゃいました。
おやすみ~
各町のだんじり関係者が集う忘年会に参加してきた。
各町2名と他団体から4名の合計20名。
鍋をつつきながら
親交を深めたわけである。
祭の話を筆頭に様々な話題で盛り上がった。
中でも一番盛り上がったのが
意外にも街道歩きの話だ。
別にdoironから話を振ったわけではない。
地域の発展の話から
この近辺は街道さえきちんと整備されていない
という話になって
紀州街道、熊野街道の話が話題に上った。
先日歩いた勅使道の話も出た。
そんな中で、一緒になって話をしていたら
みんなで盛り上がり
来春、歩いてみようという話になった。
話の成り行きで
doironが世話人になり企画をすることになった。
まあ、その辺はお手の物なのだが
驚いたのは、だんじり一筋の人間ばかりと思っていたのに
街道に興味を持っている人が
結構多いんやなということだ。
意外なところで歩き仲間ができたことが
大変うれしかった。
この分じゃ、街道歩きを企画して
記事依頼をしてくれている新聞社に
売り込んでみてもいいかもしれんなあ
なんて考えてしまいました。
編集ソフトにも触れる環境になったので
試しにこれまで歩いたデータで
案内冊子でも作ってみますかね。
とにかく、話は大変盛り上がり
また、計画の飲み会をということにもなり
楽しみが一つ増えたのでした。
と、これが今年の忘年会第1弾。
このあと、日にちの決まっているものだけでも5件。
うち1件は泊りでの忘年会となる。
そして、あと3件は近々日程が決まるだろうし
予期せぬお誘いも入れれば
毎年同様10件程度の忘年会になるだろう。
まあ、お誘いをいただくのは
とてもありがたいのだが
なりをひそめている尿酸値が
上がらないよう、日頃は極力お酒を控えて
運動もしっかりしなけりゃならんと
心に決めて、師走を迎えている
doironなのでした。