今、シリーズで継続して歩いている最中の道は、
熊野古道、淀川がある。
それに加えて最近始めたのが
六甲山麓リボンの道。
始点から始めて、山麓をくねくねと、
そしてかなりのアップダウンをしながら歩き、
前回までに御影までたどり着いた。
そこから今回3回目となる歩行を再開すべく
天気と仕事の頃合いを見て、
盆明けに出かけることにした。
当然パンツは先日買った発汗防臭パンツを
安心してください「はいてますよ」。
コンロはさすがに暑いのでいらないだろう。
秋の歩行に備えて、
固形燃料1個(4g)でどれくらいのお湯が湧かせるのか、
事前に一度家で試してみようと思っている。
さて、前回歩行を終えて、駐車場の位置を
チェックしてあった阪急御影の駅前に
車で向かおう。
湾岸線はいつもすいているし、
眺めも良くて快適だ。
盆が開けて、秋の気配が漂い始めたからか、
空気もきれいに澄んで
六甲の山並みもくっきりときれいに見えていた。
親父に連れられて頻繁に出かけた六甲山には
自分の子どもが小さい頃にも一緒に登った。
思えば親父の思い出と山歩きは重なることが多い。
自分の息子もつれて
もっと山に行けばよかったかもなあ。
マラソン、トライアスロンの応援が多かったから、
自分の息子にとって親父の思い出は、
過激なスポーツでへとへとになってる
親父の姿が多かったかなあ。
この地には他にも学生の頃とマラソンを始めた頃に果たした
六甲全縦、
最近では甲山ハイク、尼崎歩行、少し前のカヌーアスロン、
そして今まさに車で走っている湾岸線で
平成6年に行われた開通記念マラソンなど
doironの足跡もいっぱい残っている。
そんな高速道路を魚崎で降りて
御影の繁華街を抜け、
深田池の横にある阪急御影の駅に着いたのが9時30分。
さあ、ナビをセットして歩行開始だ。
こんな、まるで柳生街道の一刀石のような
デザインの石を見ながら深田池に上がっていくと、
前回同様たくさんの市民が釣りをしていた。
見るとそんなにきれいな池でもないのだが、
池越しに六甲の山並みを見上げながらの釣りは
とても気持ちよさそうだ。
リボンの道はこの池の南側を進んでいく。
あれ?道は?と思って見渡すと、
こんな小錦だったら横を向いて歩かねば
通れないほどの細い道が見える。
これに違いない。
リボンの道を歩き始めた頃は、
まさかこれがコースだとは
気付かなかっただろう。
今は、ちょっとこの道のコース設定にも
慣れてきたので、確信を持って進んでいった。
道が少し広くなったところに、
こんな豪邸があった。
このあたり道は狭いけども、
家はとてつもなくデカい。
デカくて全体が見えないほどだ。
さぞかし家の掃除や庭の手入れが大変やろなあと、
ついついヒガミ満載の庶民目線で眺めてしまう。
リボンの道の道標にも
すぐに目が行くようになってきた。
これまでネットでいろいろ探った結果、
リボンの道についてもいろんなことがわかってきた。
道は全部で12のエリアに分かれていて、
それぞれのエリア名が決められている。
前回まで歩いていたのが「本山の道」で
今回歩いているのは「六甲のやますそ」と
「摩耶山のふもと」と名付けられたエリアだそうだ。
そして道標にもこんな風に
いろんな形があるようで、
楽しみがまた増えた。
このリボンの道の地図が
神戸市役所の関連施設で売られているそうだから、
近いうちに買いに行こうと思っている。
墓場の横の道もまた
リボンの道らしいコース設定だ。
息が切れるほどの急坂を
ハアハアと登って行き、
後ろを振り返ると
きれいな青空の下に、
神戸の街が広がっていた。
高速道路から見える山の景色も、
くっきりスッキリきれいだったけど、
山から見下ろす景色もまた
空気が澄んでいて
ほとんどかすむことなくきれいに見えていた。
絶景かな~と続く。
夏の歩行は山はもちろん街歩きでも
汗で全身ずぶぬれになる。
上のシャツはファイントラックの発汗シャツで
背中はさらさらしているのだが、
往生するのがパンツである。
濡れてくるとごわごわしてくるし、
気持ち悪いことこの上ない。
先日の淀川歩きの時も
ぐっしょりとおもらししたように
濡らしてしまった。
あ、それでふと思ったのが
おしっこが逆戻りしない紙おむつなら、
いつも下半身は爽やかなんだろうか。
試してみたい気もしないではない。
パンパースの山用おむつ
なんか出たりしてね。
それはともかく、
doironはボクサーパンツを穿いているので、
そういう汗ボト状態になると
一刻も早く脱ぎたくなる。
どうせズボンまで濡れるのだから
パンツなんて穿いてなくてもよさそうだ
と思ってしまうくらいだ。
え~そんなことするの?
いやいや、安心してください。
はいてますよ。
そこで、doironのずぶぬれ下半身救済のために、
先日山屋さんに行ってきた。
いつもサラサラで上半身に
さわやかな幸せ感をもたらしてくれる
発汗シャツと同じ素材のパンツを購入するためである。
店に行くと・・・ありました、ありました。
紙おむつ、ではなく
発汗パンツが発汗シャツの横に並んでいた。
見るとパッケージには、
「さらりと涼しい夏用アンダーウェア」とある。
しかも「究極のアンダーウェア」
とまで書かれてあるではないか。
さらによく見てみると、
繊維に銀イオンを練りこんであるので、
防臭効果を発揮して
「制菌効果で臭わない」そうだ。
これで安心して屁もこけるじゃないか。
おまけに伸縮性もあり、
値段も厚手のものに比べて
うんとリーズナブル。
これは買いですな。
カウンターに持っていくと、
店員はいかにも山をやってそうな女性でした。
「これは快適ですよ~」と説明してくれる。
「私も山行の時には欠かせません」とのとこ。
「でもこれはかなり薄いですよ。
もう少し厚手のもありますよ」
と何度もしつこく高い方をすすめてくるので、
「いや、うすかったらこの上に
もう一枚パンツを穿くからいいねん」
と変なゴリ押しをして無事購入。
次回の歩きの際には
ぜひ試してみたいと思っている。
で、この時に見つけた山のギアで、
以前からずっと探していたものとの出会いもあった。
これまで、コンロといえばdoironの初期の頃は、
白ガスで燃やす「ホエーブス」725。
今も納戸の奥の奥にしまってある筈だ。
奥すぎて引っ張り出すのが面倒です。
ネットにあった同型の写真がこれ。
オーストリア製なのである。
そしてそのあと使ったのが、
ガスボンベにバーナーをつけたもので、
以降ずっとこれを使っている。
今ので2台目となる。
このコンロのバーナー部分も
最近はより小さく軽量になり、
高性能化しているので、
そろそろ買い換えようかな
と思い始めた時、
山友と山に行ったときに
彼女が使っているコンロに目が止まった。
マグカップを小さくしたようなものに、
工業用アルコールを注いで
火を点けるというシンプルなものだ。
ガスボンベのようにかさばらず、
しかも軽量。
少人数で行く山なんかにはぴったりではないか。
以後、山屋さんに行くたびに
同様のものを探していたのだが
見つけることができていなかった。
それをついに見つけたのである。
これ。
総チタン製で重量は、
五徳、燃焼缶も含めて約40グラム。
大きさはハンドクリームのビンほどしかない。
使用できる燃料は、
工業用アルコール(メチルアルコール、エチルアルコール)
固形燃料(メタ)、ジェル燃料と幅が広い。
扱いやすさを考えたら固形燃料がいいかもしれず、
それだと燃焼缶の部分も必要がないから
さらに軽量化される。
こちらは、パンツ2枚半くらいの
少々お高い値段であったが、
ここは迷わず購入。
店員のお姉さんも
「こんなのがあるんですね」
と興味深くしげしげと眺めていたな。
さあこれで山のギアも
ライフスタイルにあわせて、
ますます充実だ。
今秋の山は汗取りパンツを穿いて、
このコンロを持って行くんだと、
メラメラ燃えつつ(コンロだけに)
終わり。
ジム友達と山に行った。
あ、まだお盆前の話です。
今回は、来秋に海外の大きな山に
遠征を予定している山友達の
M上さん達の
トレーニングがメインである。
行ったのは、今年春に登った龍門山。
別名は紀州富士という山だ。
8月初めの非常に暑い時期である。
この時期に山に入るときに
注意しないといけないのは、
脱水と虫刺されかなあ。
真夏に和泉葛城山に登った時に
アブが多くてまいったことを思い出す。
たっぷりの水分と
アブの襲来に備えての服装と
虫除けを持参するように指示し、
午前8時に友達マンション前に集合。
交通手段は車である。
今回は登山道の駐車場まで
非常に狭い道を上がっていくことになるため、
小回りの利くジム友の車で行くことになった。
途中、熊取でジム友の友達を拾い、
総勢5名での登山である。
今回登りに選んだ田代峠道は
ほとんどが木陰の登山道を歩く。
足下がじっとりと湿っているのは、
中腹にある「ちりなし池」から
絶えず水が流れてきているのだろう。
雨の多い時期には、
ちょっとした渡渉になるに違いない。
峠に出るまで急登が続く。
メンバーの中にはフルマラソンを
3時間台で走る女性も二人いて、
急登が続いてくると彼女らは
「あ、なんか山を登ってるって感じがする~」
と余裕のコメントを出していた。
「ふぅ~、そうですかいな」
とこちらは息も切れ切れ、
吹き出す汗にズボンまで濡れはじめたぞ。
春に来たときに見た、
ギボウシ(山菜名:うるい)も
ずいぶん大きく育っていたし、
気になるミヤコアオイの葉の裏を見てみたら、
ちゃんとギフチョウの卵がついていた。
さすがに、和歌山県唯一の
ギフチョウ生息地だ。
日本におけるほぼ最南端の生息地でもある。
そうして、急坂を上ること約50分。
ようやく田代峠に到着だ。
いつかはこの峠を左折して、
飯盛山の方に行ってみたいものだ。
「doironの登ってみたいご近所の山ベスト20」
に登録しておきましょう。
この20の中には今のところ、
旗尾岳、南葛城山、俎板石山(大阪)、
額井岳、高見山、桧塚劇場、白髭岳、音羽山(奈良)、
麻生山、鷹ノ巣山、祇園岳、笠松山、三尾山、羽束山(兵庫)、
雲雀山(和歌山)
竜王山(滋賀)
とこの飯盛山が登録されている。
少し前まで名草山(和歌山)、
三上山(滋賀)、高取山(奈良)も入っていたぞ
少しずつ踏破していった
(ただし、興味の度合いでどんどん入れ替わります)。
今回は目的地に向かって右折だ。
これはどうやらコオニユリのようだ。
葉脇にむかごもついてないし・・・。
そんな山道を30分ほど歩くと、
磁石岩に到着である。
先日、モンベルに買い物に行って
店の人と話をしたときに、
龍門山といえば磁石岩ですね、
と言ってたな。
「コンパスで試してみましたか?」と聞かれたので
「もちろん」と答えておいた。
友達も珍しそうに眺めていたな。
そこから山頂まではほんのわずかである。
ここが三角点。
春に来たときにはすっきりしていたのに、
今回は草に覆われそうになっていた。
国土交通省が
定期的に整備に回ってたりするのかなあ。
ふもとのスーパーで買ってきたおにぎりで昼食にし、
写真を撮ったりしながら
山頂でゆっくりと過ごした。
帰りは中央コースである。
途中、蛇紋原や明神岩により紀ノ川沿いの眺めを堪能した。
お、トンボも景色を楽しんでいるぞ。
海外遠征組の一人ふーみんさんが
高いところ大好きで
岩から身を乗り出すようにして
写真を撮ってくれました。
見ているこっちがハラハラしたぞ。
一気に下って林道に出たら、
車まであと一キロ。
ワイワイと楽しく過ごした
予定通り4時間の龍門登山でした。
マラソン娘にはちょっと物足りなかったかな。
しかしやっぱり大勢で行くと楽しいもんやね。
帰りには結局「ほの字の里」で温泉タイム。
ここから車の運転を替わってくれるというので
安心して風呂上りに缶ビールをプシュッとすることができたぞ。
真夏の登山で暑いのを覚悟していったけど、
コースはほとんど木陰の中だったので、
さほど暑くもなく、
またアブや虫も意外に少なく楽しかった登山。
山歩き入門にはピッタシで、
「いい山やったね~」という声を聴いて、
鼻を膨らませたdoironなのでありました。
家族連れでにぎわうほの字の里でプハーッとやって
龍門山に入門完了です。
今年のお盆は格別でした。
いつもなら、13日にお迎えに行って
15日に送るという日取りで
お盆を過ごしていたのですが、
今年は7日のお迎えから
15日の送り火まで、
長い9日間をお盆構えで過ごしました。
当然ほっつきは自粛でした。
まあ、お盆じゃなくても
休みはふんだんにとれる零細自営業なので、
このあと夏の名残をしっかり楽しめばいいんだと
自分に言い聞かせつつ、
まんじりともしないお盆を過ごしていました。
発注をいただいている新聞社も、
お盆は編集員もお休みを取りますから、
毎日働きづめのマックも
この時ばかりはきっとのんびりと過ごしながら、
腹いっぱい充電したりしているのでしょう。
そんな時に、自分でフィルターなんかの
お掃除をするエアコンみたいに、
パソコンにもメモリーに詰まった不要なデータを
自分でお掃除するような機能があればいいんやけどなあ。
パートの編集員は時給で働いているので、
その間は無給になる・・・と思うんだけど違うかな。
有給休暇のようなものがあるのかもしれません。
成果品を納入していくらのdoironとは
給料体系が全然違うので、
その辺はよく知らないんです。
以前働いていた頃は、
ちゃんと有給で夏休みがあったりして
気楽な稼業ときたもんだでしたがね。
フリーライターはそうはいきません。
でもって、人の話を聞いて、
パソコンを叩いて作り上げる成果の報酬はというと、
これも全くたいしたものではありません。
ひと振り数十万といわれる
プロ野球選手のバットひと振り分を稼ぐのに、
キーボードを100万回はたたかねばならんでしょうな。
バットでは叩かんけど・・・
こちらの方が肉体労働だろうて。
それでも自分の書いた文章が世間に出て、
それによって一人でも知りたいことを知ることができたり、
謎のひとつも解くことができたのなら、
いいんじゃないかという
満足感は捨てがたいものがあります。
そのへんはまあ選んだライター稼業の
醍醐味ではありますがね。
編集の方には先日の動画取材に対する
読者のお手紙も、ドンドン届いていることでしょう。
今度ゆっくり読ませていただこうと思っています。
でも最近はYouTubeなんかで
読者の目は肥えているから、
きっと露出の設定が良くないとか、
撮影角度が悪いとか、
余計なものが写って目障りだとか
あまり意味は分からんけど
ホワイトバランスが悪いとか
そんな感想もきてるんやろなあ
とちょっとドキドキしています。
初心者なんだから大目に見てほしいなあ
とか思う一方で、
そういう意見を参考に、
動画の取材者としていっそう撮影技術を
高めて行かねばなるまいて。
考えたらこんな仕事も
両親の介護をしながらできるということで
始めた仕事だったのだから
今の充実&満足している日々を
与えてくれたのも両親だった
ということなんですな。
と、お供えのせんべいをポリポリいただきながら
そんなこともつらつら考えていた
初盆の日々だった。
道の脇にわき出ていた水で顔を洗い、
タオルを冷たい水で濡らした。
飲むのはやはりちょっと抵抗がある。
資料によるとこの先で橋を越えると
喫茶店があるそうなので、
そこまで我慢しよう。
ここまで一台もなかったのだから、
その内自販機もあるだろう。
持参の水もまだ二口ほどは残っているしね。
やがて道は大峯橋にさしかかる。
かつてこのあたりの湖面には、
湖底に沈んだ集落から立ち上がる
1本の電柱がニョキっと突き出ていたと
昔の資料には書いてあったが、
見つけることはできなかった。
もう資料が出てから13年以上経つのだから
これも果ててしまったのかもしれない。
大峯橋は車では渡れないが、
徒歩なら渡れる。
しかし、橋の対岸のあたりはうっそうと暗く、
不気味感を漂わせていたのに加え、
そんな山道には
自販機など全くなさそうなのでスルーしたよ。
そこからしばらく行くと、喫茶店が現れ・・・
ん?ひょっとして店じまいしてる?
たとえオープンしていたとしても
何となく入りにくい店構えだ。
仕方がなくここで最後のひと口を残してお茶を飲み、
さあ天ケ瀬ダムまでもうひと踏ん張りだ。
湖もかなり深くなってきたようだ。
川の流れも停まっているようで、
その湖面になんか浮かぶものが見える。
近づいてみると、放流設備を作っているとのこと。
工事現場の中に自販機がないか
覗き込んでみたが、見当たらない。
こんな看板が自販機に見えてしまったぜ。
もうペットにはしずくほどのお茶しか残っていない。
ううっ、doironはついにここで干上がってしまうのか~
doironの一夜干しあるいは
doironのミイラができてしまうのか~
と思っていたらダムが見えてきた。
おお~あそこまで行けば自販機はあるだろう。
最悪バス停もあるようだから、
バスに乗って街に出て、
コーラを浴びるように飲めばいいか
と思いつつ、いやがうえにも速度は上がる。
競歩の選手のように
お尻をフリフリ、近づいていくと・・・
おお~休憩所のところに輝く
深紅の物体が見えているではないか~。
いや、待て、待て。
人生そんなに甘くないぞ。
こんな田舎の施設だ。
訪れる人もあまりないだろうから、
お金を入れるところに「故障中」
とか貼ってあったりしがちだ。
ぬか喜びで体の水分を使ってしまっては
ショックが大きすぎるぞと警戒しつつ、
下りて行くと
「やややや、やったあ」
動いている。
しかもこの時点のdoironにとって、
究極に理想、ジェット機にケロシン、
熊にはちみつ、タヌキにだんごの
ゼロコーラもあるではないか~。
手持ちのおにぎりとコーラで
お腹とノドを満たして落ち着いてから、
ダムを見回してみた。
なんでも下流から見たら
鳳凰が羽を広げているみたいに見えるから
ここのダム湖を鳳凰湖と呼ぶらしい。
トイレを済ませて、
あと宇治までひと踏ん張りである。
川沿いの道が荒れていて通行止めになっており、
ここからしばらくまだ車道を歩く。
これは「宿木の古蹟」。
源氏物語の宇治十帖に登場するゆかりの地である。
そこから続くのが「あじろぎの道」。
いやあ、doironにとっては、
真夏の交通機関もない
自販機もない
「たじろぎの道」じゃったわい。
宇治の詳細は別の機会に
再び訪れて書くとして、
歩行の終わりにこの日は
折角電車なので、仕上げはこれ。
お店で買ったら、川床に案内された。
畳に座るのも気がひけるような
ぼとぼとの状態で、名物の「鰻いい蒸し」を頼み、
ビールをいただいたのだ。
これ。
プハ~、一緒に寄り添って歩いてきた
川の流れを眼下に見ながらの一杯は最高でしたな。
この日は炎天下を19キロ歩いて、
淀川完歩前半の山場を越えた。
これからはコースも近くなってくるし、
余裕の歩行になるだろう。
意気揚々と電車に揺られつつ
終わり。
おとぎ電車の走っていた区間を歩いている。
そしてさらにこの渓谷美を楽しむための
交通手段はもう一つあった。
それが今は府県道の別名にもなっている
「宇治川ライン」と言われていた観光船だ。
今は天ケ瀬ダムによって水没した場所に、
かつて「大峯堰堤」と言われるダムがあり、
南郷あたりから船でそこまで川を遊覧するというもの。
立木観音の手前にあった
「かえる岩」や途中にゴロゴロ転がっていた岩に
名前を付けてそれらを眺めながら巡っていたそうだ。
今歩いているこのあたりにも、
屏風岩という大きな岸壁がそそり立っていて
名勝だったそうだ。
かつては大勢の人で賑わったところだったんやね。
それに比べて、
今はほとんど人影もないし、
車もたまに通るだけの状態。
店などは一軒もなく、
自販機さえ一台もない。
そういえば、強烈な日差しの中を
この辺りまで歩いてくると石山駅で買った
凍らせたスポドリもとっくになくなり、
予備に買ったお茶も
残り半分近くになっているほどだ。
また再び京都府に入った。
ということはつまり、
流れは瀬田川から宇治川へと
変わったことになる。
おお、橋が見えてきた。
これは、川の右岸にそびえる山中にある
「喜撰山ダム」に通じる
発電所関係者しか通れない
「喜撰山大橋」だ。
写真の左の方にちらっと写っているのが、
そのダムの放水口であり、
取水口である。
なぜ、放水と取水が同じ施設で行われるのかというと、
この喜撰山ダムが揚水発電所だからだ。
電気の消費は一日のうちでも
大きく変動する。
消費量の少ない時に、
電力を使って宇治川から
(正確にいえば天ケ瀬ダムのダム湖)
から水を揚げ、
電力消費が多い時に放流して
発電するというもので、
いわば電力使用量の平準化を図るためのものだ。
ダムに水をためるということは、
すなわち電力をためるということなのである。
揚水に使用する電力に比べて、
発電する電力は30%くらいと
効率は悪いが、
苦肉の策として関西電力が初めて作った
揚水ダムがこの「喜撰山ダム」というわけだ。
しかし最大発電量は46万6000キロワットと
あの黒四ダムの33万5000キロワットを大きく上回る。
今は関電管内だけでも
5ヵ所の揚水発電がおこなわれており、
なかでも兵庫県の奥多々良木ダムにいたっては
最大193万キロワットをたたき出すという。
大きなサイズの原発2基分は軽く超える発電量なのだ。
まあ、ダムをつくることによって
自然を失うことを思えば
どちらがいいのかは意見の分かれるところではある。
話がそれてしまったが、
まあそのダムに通じる大橋にも書かれてあるように、
doironの歩行も瀬田川歩行から宇治川歩行へと移っていく。
いつの雨でこうなったのか知らないが、
このあたりところどころで道が崩れている。
これは対岸
これは交互通行の信号機
道はその都度片側交互通行になっているが、
通行量が少ないのでほとんど通行に支障はない。
その設置してある信号をよく見ると・・・
最近はソーラー仕様になっているんやね。
こんな電気のおひざ元なのにね~。
ザアザアと川とは反対の方から水音が聞こえてきたので、
覗いて見ると滝が流れていた。
ああ気持ちよさそうじゃないか。
道路はもう、路面からの照り返しもあって
猛烈な暑さである。
いよいよ水も少なくなってきたし、
自販機などある様子もなく
これはいよいよヤバくなってきた感じだ。
地図を見たら左の山は「大峯山」。
民家も少なそうなので
水は飲めそうである。
いざとなったら山の湧水に頼ることも
可能かもしれないが、できればしたくないな。
自販機はまだかと
先を急ごうとするdoironなのであった。
すたこらさっさと続く。
倒木で埋まった谷を見ながら、進んでいくと、
おお~本日の目的地である
宇治や天ケ瀬ダムの表示が出てきたぞ。
でもあれ?
京滋バイパスはまだ「南郷」だ。
だいぶ来たのになあと地図を見てみたら、
瀬田川は鹿跳橋で大きく右に曲がり、
南北の流れが東西の流れになっている。
いやそれどころか少しUターンするような形にさえなっており、
南郷からの直線距離は案外短いのだ。
複雑な地形の山と山の間を
縫うように流れるこのあたりの瀬田川は、
大きく蛇行しながら進んでいく。
大阪の水源となるエメラルドグリーンの流れが
なぜかとってもたのもしいぞ。
前方に交差点が見えてきた。
ということは左に瀬田川が流れているので、
川を渡るはず
最初の目的地「曽束大橋」かと思ったら、
南大津大橋。
竣工が平成14年9月の橋で、
doironが持っている
古本屋で買った本が平成14年3月発行の資料だから、
道理で載っていないはずだ。
橋を渡ったらいきなりトンネルで、
そのまままっしぐらに
ゴルフ場へとつながる橋と道なのだ。
山の中だから都会に比べて少しはましというものの、
この日もズボンまで汗だくになるほどの暑さ。
しかし、気温は32℃と案外低い
それはやはり山の中だからだろうか。
湿気が高いのかな?
いずれにしても
たっぷり水分を取って進んでいこう。
石山駅で買った凍らせたスポドリがおいちー。
瀬田川に注ぐ川に架けられた橋を越えて行くと、
おお~ついに京都に突入だ。
と思ったのも束の間
この辺りは川が京都と滋賀の府県境となっているため、
しばらく行くと道が左岸になり、
この先の曽束大橋から再び滋賀県にもどるのだ。
前方に今度こその曽束大橋が見えてきた。
これがその橋から上流側を見た景色。
川は穏やかにゆっくりと流れている。
橋を渡って左岸を進んで行く道がこれ。
これまで京滋バイパスに乗る車や、
道の西側にある笠取山への
工事のトラックやらで
交通量の多かった宇治川ラインも
ここへ来ると、ほとんど車の通らない道となって、
歩きやすくなった。
しかもこの道は、
夏休み期間中は二輪通行止めになる。
道端のこんな地蔵は
多分、頻発した交通事故によるものなんだろう。
それゆえの二輪通行止めに違いない。
そしてここからはもう
石山の方へ戻る路線バスもなくなる。
どんどん歩いて進むほかはないのだ。
ちなみに川の表示はまだ「瀬田川」だ。
川では釣りをしている人の姿も
チラホラ見られた。
河原は涼しいのかなあ。
道沿いにはこんな花が咲いている。
これは「コマツナギ」。
茎が丈夫で馬(駒)をつなぐのにも
用いたところからこんな名前がついている。
そしてこれが「センニンソウ」。
よく似た植物に「ボタンヅル」があるが、
葉っぱの形で区別できる。
そしてこれは「ホタルブクロ」。
先日歩いた二上山にも咲いてたな。
それをモチーフに描いた絵がこれ。
なかなか上品に描けたかな?
とまあ、歩きやすくなって
あちこち足下にも目が行くようになった。
川の流れをじっと見ていると、
時折大きな浮草のような塊が流れている。
自分の歩く速さと比べても
ずいぶん遅い。
そうだ。のんびりいこうぜ~
ここでも川にプカプカ浮かんでみたくなる。
このあたりの川の景色は
天ケ瀬ダムができたため
昔に比べて様変わりはしているのだが
相変わらず変化に富んでいて面白い。
実は1950年から10年間、
この渓谷沿いに遊覧電車が走っていたそうだ。
その名も「おとぎ電車」。
ダム建設の資材を運ぶ線路を活用して
この渓谷美を観光の目玉にしようと
走らせていたとのこと。
今もその姿は何枚かの写真になって残っている。
これ。
結局最後まで鉄道事業としての認可が下りず
公園内の遊覧電車、
そう例えば浜寺公園の子ども汽車と
同じような位置づけで走らせていたそうだ。
シュポシュポと続く。
淀川完歩も前半の山場にさしかかった。
鹿跳橋からかなりの区間は、
ほとんど民家の無い、
したがって店などもない山中の、
歩道のない自動車道を歩くことになる。
山の中で、川の流れの姿は変化に富んでいて
見ごたえがあるのに
、
歩く道がこれなのは残念だ。
でもここは越えて行かなければならない。
この日は朝早くに電車に乗って
目的地に向かった。
スタートとゴールでは交通の便がつながっていないために、
いつもの車をやめてそうしたわけだ。
ということは、歩行後のビールも飲み放題てなもんだ。
午前7時過ぎに、満員電車に乗って出発した。
もう最近は、歩く格好で
サラリーマンでギュウギュウの電車に乗っても
ほとんど気になることはない。
人間はこうして厚かましくなっていくのだね。
JRを乗り継いで、
石山駅まで行ったのだが、
大阪駅を出るとさすがに通勤経路とは逆になるので、
席に座ってのんびりと向かったのであった。
石山駅で降りてバスの時刻まで少し時間があった
駅のコンビニで昼食と飲み物を調達。
今回の経路では、
途中の補給が難しそうなので、
いつもより1本多めに
凍らせたスポーツドリンクを買った。
結果的にこれが功を奏したのだが、
それは追々書いていこう。
これは石山駅前の芭蕉の像。
彼はこの近くの幻住庵に4カ月滞在し、
「幻住庵記」を記したそうだ。
あの「奥の細道」に次いで有名な隠遁記で、
彼が自炊などをしながら過ごした日々を綴っている。
彼のゆかりの地は淀川沿いにはないが、
これもまた訪ねてみたい場所のひとつなのだ。
駅前からスタートしたバスは
当然これまでに歩いた瀬田の唐橋、
石山寺、南郷洗堰を通過しながら、
のどかな田舎の道を進んでいった。
そして鹿跳橋の停留所に降り立ったのが、
午前10時。よしよし時間通りだ。
ナビをセットして歩行を開始しよう。
と、はりきって歩き出したものの、
いかんせん暑い。
しかもトラックなんかが頻繁に通り、
埃っぽいことこの上ない。
横でザアザアと流れている瀬田川に
救命胴衣を着けて浮かび、
流されていきたいものだ。
鹿跳橋からの道は、
「滋賀県道・京都府道3号大津南郷宇治線」
と長ったらしい名前だが、
もうひとつの呼び名がある。
それが「宇治川ライン」。
doironが生まれた頃に認定され、
昭和47年に今の道路名となっている。
尾張、あるいは北陸の方からの旅人や商人は
この川を琵琶湖から船で下り、
帰りはこの道を旅して帰ったんでしょうなあ。
また、後述するように
かつてこの川が観光地として
一世を風靡した時代もあったそうだ。
いずれにしても長い歴史と
経緯を持つ道であることには変わりはない。
道沿いにはこんな不動尊もあった。
道はやがて「畑」地区に入って行く。
でもこの名前が気になった。
だって、川のすぐ横まで山が迫り、
「畑」などあまり広がらなさそうな地域にも関わらず
どうしてこんな名前がついたんだろう、
と思っていたら、
そこにあった石碑を見て「ハタ」と気がついた。
石碑に刻まれてあるところによると
畑はもともと「波多」と言われていたようだ。
瀬田川の流れが急流になり、
白波がバシャバシャいってるところやもんな。
納得しました。
石碑には、この先にある天瀬ダム建設に伴い、
村人全員が移転したことが刻まれてあった。
お、これは墓地の最下流側にあった、
集団で瀬田川を見下ろす無縁仏?
眺めのいいところで、
ずっと瀬田川の流れを見つめているんやねえ。
川の流れと共にうまく撮影できたら絵になるのになあ。
ちょっとポジションがとれなくてあきらめた。
さあ、ここからはさらに山の中に入ってきます。
クネクネと続く。
本日はミセスの誕生日である。
60歳。
つまり還暦を迎えた。
いつもより数倍おめでたい誕生日なのである。
だからいつもより多めに
おめでとうを言わねばならない。
この還暦についてちょっとおさらいしておくと、
暦は十干十二支によって分けられる。
十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と
十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)
の組み合わせが暦に重なる。
例えば「丙午(ひのえうま)」
という言葉を聞いたことがあるだろう。
前に十干、後に十二支をつけて分類されている。
「干」は10年でひとめぐり、
「支」は12年でひとめぐり。
したがって10と12の最小公倍数が60なのだから、
暦は60年で生まれた年に還る。
歴が還るから「還暦」なのだ。
まあ、言ってみれば暦も誕生日を迎えるわけであり、
その意味で少なくとも2倍はおめでたい。
ということで、今年はお誕生日の前後賞も設け、
「うるうる還暦ウルトラハッピー期間」
と称して三日に渡りお祝いをしている。
昨日はお寿司を食べに行った。
え~っと、なぜお寿司なのかと言いますと、
単純にお誕生月割引券があったからなのです。
そして、今日はプレゼント。
で、明日はというと、
doironは友達と飲み会なので、
義母の家で二人でお祝いしながら
食事をする予定だそうだ。
問題はプレゼントである。
還暦は赤ちゃんの時の暦に戻るということで、
「赤いちゃんちゃんこ」が定番といわれている。
でもなあ赤いちゃんちゃんこなんて、
ユニクロにもアディダスにもなさそうだし、
モンベルにもきっとないだろう。
あるとすれば、呉服屋さんかなあ。
でも、あっても実用的じゃないしなあ。
そもそも着る機会もないやろし・・・
と、ここんとこ悩んでいた。
そこで思いついたのが、
赤いエプロン。
形もまあ「よだれかけ」に似ているじゃないか。
そこでできるだけ、
あの地蔵さんにかけられている布の
「赤」に近いものを選びたかったんやけどなあ。
なかなかおあつらえ向きなのがなくてこんなのにした。
これはリーズナブルにもかかわらず
なかなか多機能なのだ。
後ろにも大きなポケットがついているから
携帯などの収納にも便利。
前ポケットも3つついている。
また側面にはタオルかけだってついているのだ。
これでしっかり家事をこなしていただこう
という魂胆見え見えなのだが・・・
取りあえずは間もなくやってくる地蔵盆の
おにぎり作りでデビューとなるだろう。
背谷川に架かる上背谷橋を越えると、
要塞のような立派な邸宅が坂道に並んでいる。
豪邸のオンパレード、
豪邸の展示場のようだ。
ではそのうちの一軒に入ってみよう・・・
ってあかんあかん。
あんまりきょろきょろしてると
泥棒の下見みたいやから
気をつけないといけません。
防犯カメラにも写っているようやし、
ブイサインだけしておこう。
やがて道標には「白鶴美術館」の文字が現れ始めた。
日本最大の酒造会社
「白鶴酒造」の美術館である。
も、もしかして飲み放題、
放題じゃなくても試飲自由?
芸術品も観賞し放題?
いやがうえにも期待は高まるじゃないか。
校舎が居並ぶ甲南大学界隈を抜けて行くと、
おっ「飛び出し坊や」ですか。
なんとなくお上品な感じていうか、
顔に覇気がない。
とおもったら裏面は元気だった。
これだからお金持ちの坊ちゃんは
油断ならないんだよね。
と、ひがみながら進んでいくと・・・
あ、これがどんぐりバスだ。
残念ながらどんぐりの形をしているのでも、
猫バスでもなかったぞ。
料金もどんぐりではなく普通のお金かもね。
お、大きな川に出た。
これが住吉川。
六甲最高峰の山から流れ出す
この地域きっての急流で、
この川が神戸の街東部に
豊かな扇状地を形成したという川だ。
生活排水もほとんど流入しないので
清流を保っており、
川遊びをしている人の姿もあった。
しかし急流なので、
上流に雨でも降ると
いっきに増水するので要注意の川なのだ。
リボンの道が通るのは「新落合橋」。
たもとには道標も建っている。
橋を渡って右岸を登って行くと、
白鶴美術館に到着だ。
さあ、飲み放題かなあ。
入り口はどこかなあ・・・
あれ?え~、休館ですと。
しかも9月まで。
ここまで川沿いにぐりぐり登ってきたのになあ。
え~ん、ぐれてやる~。
あ、有料ですか。
しかも飲み放題付きじゃない?
最寄りの駅が阪急御影だけに、
「御影だおし」の美術館ですな。
え?ハイソな街のハイソな美術館?
はいそうですか。
きっぱりあきらめて先に進もう。
山麓の静かな道を歩いていくと、
道標では左折だが、
突き当たりに神社が見えてきたので寄ることにした。
神社はタダだし・・・。
その神社は「若宮八幡神社」
あれ?どこかで聞いた名前だぞと思ったら、
名草山の麓にあった神社と同姓同名だ。
どちらも主祭神が応神天皇の八幡様で、
とくに神戸の方はその応神天皇の息子、
つまり「若宮」(仁徳天皇)も
主祭神としていることからこう呼ばれている。
多分「若宮八幡社」という名前の神社は
全国各地にあるに違いない。
この先、甲南大学までの道も
気温もグングン上がっていく。
このあたりでちょうどお昼になったのだが、
メインの昼食は帰りの駅前で食べることにして
ここではちょっとだけ腹ごしらえ。
う~ん、このあたりは高いだけあって、
見晴らしは絶好だ。
そしてこのおにぎりも高くはないけどうまい。
ま、外で食べたら
たいていうまいんだけどね。
甲南病院を過ぎたあたりで、
山麓リボンの道は阪急御影駅方面へと下っていく。
風見鶏のある立派なお屋敷があったり、
芙蓉の花が咲く素敵な散歩道を下っていくと、
深田池公園に出る。
あずまややトイレもあって、
釣り人や散歩をする市民で
この憩いの公園はにぎわっておったぞ。
あ、ここにも「山麓リボンの道」の案内看板があった。
この道の難点は、
たまに駅前を通過することじゃな。
暑かったりすると、ついつい里心が出て
歩きを止めてしまうんだよねえ。
今回もこの阪急御影の駅でギブアップしよう。
汗でぼとぼとになったシャツを着替え、
家路についたdoironなのであった。
次回はまたこの駅からスタートの予定だ。
さてどんな道が待ってることやら。
期待をプクプクふくらませつつ、
7キロ歩いて
今回は終わり。
ナビをストップさせるのを
忘れていました。ポリポリ