前回、四国遍路を済ませて
帰ってきてから、今度は
一週間経って次のお遍路に
出かけることになっていました。
12月には何通りかあったツアーも
人が集まらず中止とかもあったようで、
結局12月はみんな月末を避けて
前半に殺到したんでしょうね。
ツアーを申し込んでくれている
首Dさんもいろいろと健闘し、
交渉もしてくれたのですが、
結局こういう日にちとなったため、
少しあわただしく遍路の旅が
続くことになっていたのでした。
え~ということで、もう新年というのに
12月初めの頃のツアーの話です。
この7回目のツアーは
45番岩屋寺から41番龍光寺までの
5寺ツアーでした。
なにせ、バスで四国に入ってから、
横断するように西のほうへと
走っていくわけですから、
片道6時間以上かかるような
ツアーになっています。
なので、回れるお寺の数は
限られてくるのですね。
今回は5寺、そして最も遠方となる
次回なんかは4寺という厳しさです。
まあ、ここを過ぎたらまた
だんだん近づいてきますから、
ちょっと我慢のしどころですねえ。
では今回も天王寺集合の
バスツアーで出発です。
経路はいつもと同じように
阪神高速神戸線へと入っていきます。
最初の休憩地の淡路島で、
添乗員さんに取材をしてみました。
とても美人の添乗員さんでしたね。
「いつも淡路を通っていくけど、
たまに瀬戸大橋やしまなみ海道を
通って行ったりすることはないんですか?」
「ああ、それはないですねえ。
よほどこちらの経路が通行止め
とかの場合はそういうことも
あるかもしれませんが、
まずないと思っていて結構ですよ」
とのこと。
「そっかあ、この経路もあきたけどなあ」
といったら
「すみません」と言っておられました。
経路の時間や費用を考えたら
やはりこの淡路経由になるそうです。
残念!
バスは淡路経由で四国に入り、
どんどんと進んでいきます。
途中以前にも行ったことのある
旧小松町(今は西条氏)のSAの食堂で昼飯です。
バスを降りて、いらないごみを捨てようと
ポケットに入れて歩いていると、
ごみ箱がありません。
あちゃーどうしようと思っていたら
添乗員さんが
「それごみだったら処分しときましょう」と
気を利かせてくれました。
ヒャー、美人で親切な添乗員さんです。
で、お昼ご飯はこれ。
シラスとマグロの入ったどんぶりでした。
じゃこ天もついて
まあまあうまかったですね。
そうそう左上についているミカンが
「紅まどんな」という
名前のミカンです。
甘かったなあ~
農協で選別され厳しい基準を
クリア―したミカンだけが
つけられる名前なんだそうです。
あの和歌山の「有田市認定ミカン」
のようなものですな。
まあ、お参り前にそうして
おなかをふくらせて、
さあでは最初のお寺
45番岩屋寺
を目指していきましょう。
高速道路を降りたバスは
どんどん山のほうへ入っていきます。
途中、ちょっとにぎやかな通りを
通ったら、中学生の団体が
帰宅中だったのですが、
バスが信号待ちで止まっているとき
その20人くらいの団体の学生たちが
みんなバスに向かって
手を振っているのです。
いやあ、四国ってお遍路さんに対しての
教育もよく行き届いているんですねえ。
なんかとっても驚きでした。
バスはどんどん山のほうへと
入っていきます。
そうこのお寺は、
四国詣での中でも最も厳しい難所
と言われているそうです。
事前に見た資料の写真でも、
このお寺はどんなところに
あるんだろうと不思議に
思っていましたが、
まわりの景色に岩の岸壁や
こういう岩山が増えてきて、
なるほどこういう山あいの中に
あるのかあと納得しましたね。
だって帰ってきてから
描いた絵がこんな感じですからね。
バスの中では先達さんが、
ここは難所なので
高齢の方でもうのぼるのは無理
と思われた人は、
私に言ってくださいね。
代わりにお参りしときますから
ということもおっしゃってはりました。
川沿いのバス駐車場について、
ではその難所の山に登ってきましょう。
続く
ここんところ正月には、
毎年書初めをやっておりました。
その目的のひとつは、
どれかの作品を選んで、
義母さんにあげ、
それを一年間家の壁に
貼っておいてもらうということでした。
高齢者の義母さんに
何かいい言葉はないかなあと、
頭をひねりやっていたのですが、
もうこれからはdoiron家の楽しみに
やっていけばいいんやと
少し荷が軽くなった次第です。
そして本日、少し書初めというには
遅くなりましたが、例年通りに
やってみることにしました。
書初めに使った炭はこれ。
義母さんの手持ちの硯を使って見ました。
しかも熊野製。
筆はねえ、あまりいいものを
持っていないので、
先割れしがちだったり、
毛が抜けたりするのを
我慢して使っていきます。
古新聞を広げ、その上に
百均の下敷きを引いて描き始めますよ。
え~っと、まず始めは
今回は絶対書かなきゃ
と思っていた言葉です。
これ。
アトリエの壁に一年間しっかりと
貼り付けて、自分に
言い聞かせるためのものです。
名前の下に押してある「印」は、
中学校の時に自分で彫ったものです。
50年近く引き出しの隅っこで
転がっていたものですねえ。
さて次は2枚目です。
昨年はやはり四国八十八カ所めぐりを
始めたことが大きなニュースでしたねえ。
いまで約半分なので
今年もしっかりと
取り組んで行けたらなあ
と思いつつ、これを書いてみました。
そして四国巡礼といえば、
そうやはりこれですねえ。
空海さんと二人で巡礼。
doironの場合、
家で待ってるミセスとも同行二人。
病と闘う首Dさんとも同行二人。
そしてこれを読んでくれてる読者と同行二人。
でもありますねえ。
これもしっかりと書いておきましょう。
そうそう、作品をこうして並べていますが、
これは一枚ずつ描いて、
はい出来上がりというわけではないのですよ。
文字が割れたり、
バランスがおかしくなったり、
下手したら漢字を間違えたりもありますので、
一作品当たり7~8枚は書いてますからね。
なのでまあここまでで、
もう20枚以上書いている
計算になります。
でもねえ、そうして続けていきますと
ようやく安物の筆の扱いにも
少し慣れてきますね。
それに、こうして半紙に
向かい続けているだけで、
何となく気持ちも
盛り上がってくるんですね。
するとねえ、ちょっとこんなの
書いてみようかなというような
創作意欲がわいてくるのです。
で、ひとつ書いたのが、
これ。
普段の遊びのように、
山を渉り街を歩くことを書いてみました。
うん、これはまあ最近の
doironにはよくある姿ですねえ。
そして最後には、
これ。
歩きに行ったり、麻雀したり、
競馬したり、絵を描いたり、
巡礼したり、ブログを書いたり、
本を読んだり、山のぼったり、
映画を見たり、ジムで汗流したり
とまあ、まるで雑草のような
雑多な人生を送っていますから、
忙しいことこの上ありません。
だから
「本を読みながらエアロバイクを漕いだり」
「麻雀しながら競馬を鑑賞」などという
ながらで遊んでいるのが
とっても気持ちが癒されんですねえ。
寝てるときにヘッドギアつけて、
本が読めるなんて機会は
ありませんかねえ。
まあ、やってることの中には
「仕事をしたり」というのがないのもまた
一興ではありますがね。
いま、アトリエには昨年から
「一筆入魂」と
「大丈夫」
というのが張ってあります。
ワープロに向かったり、
絵を描くときなんかには
時々眺めたりしておりましたな。
でもまあこれらも、
しっかり自分に言い聞かせたので、
貼り付けはもう引退させましょう。
今回の作品の中の、
「雑草・・・」と「減量」に
入れ替えです。
あ、そうやなあ、
雑草の言葉は何か絵をうまくつけたら、
来年のカレンダーにもできそうやな。
そっちの案もゆっくりと
考え始めていくことにしないとね。
何やかやと、楽しくいそがしい
今年の酉年正月はじめなのであります。
今夜しばらくブログがおかしくて
なかなかつながらなかったが
やっと、接続できるようになった。
きょうは歩く時の大切なグッズ
靴を購入したのでそれを描いてみよう。
和泉の山奥に少し前から
ララポートができている。
オープン時には、
新聞記事のライターをしており、
オープン前の取材にいかせていただいた。
大手新聞社なんかも来ている中で、
ちょっと緊張の取材であったが、
まあまあ思えるような
記事を描いたので
仕事的にはうまくいったかな。
で、それから何かと折に触れ、
そこへ行くことは多くなった。
よく行くのは、スポーツの靴屋さん、
モンベル何かが多いかな。
で、新年になってから
一度そこに行ってみたのだ。
目的は歩く時のシューズを買いにである。
山用は重い登山靴から
モンベルのトレッキングシューズ
まで持っている。
でも町や軽い山用の靴が一足、
熊野の結願とともに
廃棄になってしまっているのだ。
以前から、何度か買おうと
あちこちで見ていたのだが、
なかなか思うようなのが
見当たらないんだよね。
いいなあ、と思ったら値段が高かったり、
重さがありすぎたりとね。
仕方ないので、すり減ったかかとを
引きずりながら、
引き続きはいていたのだが
もうほんとに限界がやってきた。
ミセスももう早く履き替えたら
とその靴を見つついうようにもなってきた。
でもねえ退職後に買い、歩くことが
趣味になってからあちこち
一緒に歩いた靴なので、
捨ててしまうのは惜しいのだが、
まあしっかりと
ほおむってやろう。
捨てるときは、神棚にあげて
靴底にごくろうさんと書いてあげたのだ。
こうしておけば、新しい靴も
もっと真剣に探すだろう。
で、よしと新しい靴をあちこちで
探し始めたのだが、
これがねえなかなか見つからない。
アウトレットやモンベル、
好日山荘は山用が多く
中々思っているようなシューズがない。
タイムやステップなんかも見たのだが、
そちらはたいていがランニング用だ。
で今回行ってみたのが、
和泉ララポートの
「SuperSports」
というお店だ。
「ゼビオ」という名前も付いている。
そこでいろいろ探してみて、
軽さ、柔らかさ、値段を検討して、
やっとこれを買おうかな
という品に出会ったのだ。
それが、これ。
好きな緑に、ちょっとにぎやかな
黄色が入っている。
歩く靴というと何を目安にしていいのか
よくわからないのだが、
はいた感じも足にしっかり
フィットしているようなので、
買っちゃえ、と決めたわけだ。
アディダスの靴やね。
ウォーキング・アディダス
近頃、高校駅伝や実業団を見ていても、
けっこうアディダスが目立っているから、
履物に力を入れているのかな。
とりあえず、今年の最初の買い物として、
この靴を買うことにした。
古い靴は、あしたのごみ収集で
お陀仏というわけだな。
近々これを履いて歩いてみようと思っている。
使った感じはまた報告いたしましょう。
最近、我が村ではやっているのが
麻雀
雀士、doironも参加している。
通常メンバーは9人で
都合に合わせつつ
メンバーに入って遊んでいる。
麻雀のことを知らない人もいるでしょうが
まあ我慢して読んでください。
麻雀の点数は、
できた上がりの状態に応じて
決まっていきます。
一番安いのは1000点で
次が2000点、その次が4000点と
上がっていきます。
通常の勝負で大きいのは
「満願」といって8000点ですが
そこからまだまだ点数は
12000点、16000点
24000点と上がっていきます。
そして、その上に「役満」といって
子どもなら32000点
親なら48000点となっていきます。
これはまあ、かなり偶然が重なって
出来上がる手で、
doiron自身は昨年一年間
そんな手で上がったことはありませんでした。
上がる直前まで行ったのですが
何回も終わったり、他人が上がったりして
あと一本のところまでは
数回行ったのですがねえ。
で、我々の場合
そんな役満を上がると
ボードにその記録が残されるという
仕組みになっているのです。
例えば
四暗刻
国士無双
字一色
大風子
大三元などです。
doironも生涯で役満は
5回しかしていません。
それがねえ、我が村の記録簿には
なんとこの一年で
20回もの役満が発生しているのです。
これってすごい確率だと
思うのですがねえ。
しかもそれが、
なんと通常メンバー9人の内
8人から出ているのです。
そう、doiron以外はすべて
役満を上がっているのです。
年末の国士無双一回で、
昨年のボードが満タンになり
今年になって新たなボードが
また作られました。
そこにはまだ誰も名前を刻んでいません。
で、この正月明けの休みに
トーナメント大会が開かれたので
今年こそは一番に名前を載せるぞと
みんな気合を入れていたのです。
土曜日と日曜日の午後に
その大会が行われました。
doironも順調に立ち上がり
最後の1チャンでトップを二回重ねて
無事終了。
やったー
一応初代のトップに収まりました。
でもねえ、役満はやはり出なかったのです。
これでまた今年の役満ボードは
まだ名前が埋まっていませんね。
ぜひ今年の一番はとってみたいものです。
ぼちぼちと休みの間に
行われるこの麻雀。
まだ会社で働いているメンバーも
おりますが、約半分は
ほぼフリーの状態。
子どもの頃に一緒に遊んだ
仲間たちが、今は雀卓の前で
脳トレに励んでいる
今日この頃なのです。
正月も開けて、
日常生活がいろんなところで戻ってきた。
歩く会、ジム、飲み屋も
もういつも通りに動いている。
そうして久しぶりにお友達にあったりすると、
いろんな話を聞くことになる。
ある人は正月前にお父さんが
ぶっ倒れたという話を聞いた。
屋外で急に意識が薄くなり、
意識をなくしたそうだ。
うわー、これは脳梗塞か?
大変なことになったあと
救急車を呼んだそうだ。
ところがその間に父親本人はすぐに目を覚まし、
どうしたん?と聞くんだそうだ。
いやあ、あんたはこれこれこんな状態
やったんやでと説明して
ようやく理解したそうです。
そのまま病院に一応運ばれたそうなのですが、
その時にお父さんが財布の中に、
自分の病歴や飲んでいる薬の
一覧表を入れているので、
それがとっても役に立った
ということだったそうです。
原因は脳梗塞でもなく「貧血」。
年齢とか考えても体を大事にしないとね。
で、その時のお父さんが
持っていた控えをその友達が見せてくれた。
何年にどんな病気をしたか
とかが書かれてある。
ああ、そういえば自分の父母の
そういうのも作って持っていたことがあるなあ。
doironさんも自分の体のことを
考えたら作って持っていたほうがいいよ
と教えてくれたんだよね。
さすがにこういう身なので
パソコンにはあるんですけどね、
財布なんかに入れておくのは
いいかもしれませんね。
それにしても「心筋梗塞」「脳梗塞」「痛風」・・・って、
まあ激しい病歴だこと。
友達はdoironさんに
メモのこと話してあげたよと
それをお父さんに言ったら、
さらに緊急連絡先のミセスの携帯とかも
書いといたほうがいいよと、
翌日アドバイスを付け加えてくれました。
いやあ、ほんまに家族総出で
心配していただいてありがとうございますね~。
つづいて、飲み屋さんでもこんな話が合った。
久しぶりに体調不良で
エイを休んでいた首Dさんと
待ち合わせて久しぶりにエイに行ったのだ。
最近はここでもN尾さん夫婦が来ており、
正月の旅行の話なんかを
いろいろと聞かせていただいたな。
で、もうひとつ首Dさんの体調の話もあった。
年末は治療の様子が結構体に
こたえているそうだったのですが、
新年になって慣れてきたのか
ましになってきたとのことです。
そして24日からの四国めぐりには
接触的に取り組もうとしてはります。
さらに2月の日程も決めなきゃねと、
相談をしたのですが、
まあ、体にこたえる治療のことがあるので、
無理しないでいいですよ、
もし場合によっちゃその時行けなくても
体調に合わせて個人的に
のんびり回るのもいいですから、
とアドバイス。
でも翌日、22日の巡礼ツアーを
選んでくれはりました。
無理せずに行きましょうねえ。
そんな風に正月明けの話も、
この年になってくると自分の体調のことも含め、
いろんな体調関係話が増えてきますねえ。
ま、仕方ないんでしょうねえ。
doironも今年はもう61歳になりますしねえ。
まあそんな周りの人のアドバイスや
体験をいろいろ聞きながら、
自分の体調もしっかり
管理していこうっと思っています。
さて、明日は信太山クロカン激走の応援と
夜は今夜に続いて麻雀トーナメント大会。
で、来週は京都と山行きひとつを
予定しています。
今年もしっかり体調に気を付けて
元気に遊んでいくのです~。
山の中のほうに入って、
こんな道標が出ています。
その下には、
おお~つわぶきが咲いているじゃありませんか。
そうかあ、神戸って
感覚では都市計画もしっかりしていて、
街の中から六甲山ろくまで
きれいに町が並んでいる
というのではなくて、
ちょっと山の方に入ったら、
こんな感じに昔風の狭いところに
家が建っていたりするんですね。
山の方に入ったつもりでも、
海辺の花がこうして咲いているくらいで、
意外に海から都会から離れていないんですねえ。
なのになんか空気の雰囲気も
とっても昭和な感じがします。
あれ?
でも写真が変ですねえ。
おお~気が付いたら正方形で写す
スクエアになっていました。
写真撮影がねえ、
携帯だからいつもと雰囲気が違うんですよ。
それにこの日は友達と忘年会もあって、
それに合わせて歩くために
午後に出かけてきたから
太陽の位置もいつもと違って
光の加減も違うんだよね。
写真はやっぱり朝のほうが、
影とか光の明暗とかで
きれいに撮れるような気がするなあ。
まあでも仕方ないので
携帯カメラの設定を「写真」に戻して、
続けて歩いていきましょう。
紅葉もぼちぼち最後ですかねえ。
あ、自転車が埋もれています。
長いことほったらかして
山を歩いているんでかねえ・・・
じゃなくて盗難車かな。
doironのオジチャリ2号も
都会の片隅でこんな風に
なってるのかなあ。
小さな町のところに出てくると
掲示板があり、こんな注意が。
いやあ、今はもう蛇も
出てこないでしょうが、
こんな枯草だらけの道を
春に歩くときには
ちょっと勇気がいりますなあ。
おっ、道標です。
ここからは「烏原貯水池」の方へと
さらに山道が続いていきます。
う~ん、かなりこの辺り
もう夕方近くなってきて
暗い道が続いていきます。
えっちら、おっちら山道を
登っていきますと、
その貯水池の放水口の
ところに出てきます。
立派な施設ですねえ。
池もかなり立派なところ
なんでしょうと上がっていきますと、
おお~立派な貯水池です。
この池の周りには散策道も続いていて、
なかなかのいいところでした。
この池は、98戸141人が住む
「烏(からす)村」を買収して廃村とし、
その上に池を設けたところです。
その村は、昔は線香の材料づくりが
盛んだったようです。
買収された村の人はその痕跡を
残したいと、線香づくりに
必要だった石臼を寄付し、
それを石垣にしてほしいと
申し出られたそうです。
よく見ますと、池の堤防の中に
石臼が並んでいますねえ。
なんと合計160個の石臼が
使われているそうです。
ていうことは、もうこの地の人たちによる
線香産業は亡くなってしまったのかねえ。
この池の周りには公園もあって、
おお~ここにも亀石があります。
明日香のに比べたら
手作り感満載ですがね。
で、この辺で携帯のバッテリーが
もう怪しくなってきましたし、
日も暗くなってきましたので、
そろそろ下山しましょう。
公園の道を下がっていくと、
右にリボン道との分岐がありましたので、
次回はここからとなります。
神戸の山のふもとの
古い村をぼちぼちと
下りていきます。
おお~なんとこの家には
今もサンタが入っていきそうです。
広い道でバス停を見つけ、
調べてみると三宮へ戻りそうなので乗りました。
今日歩いたのはこんな感じ。
経路が次に歩いた友ヶ島に
続くという変なデータに
なってしまいました。
カメラ忘れたり、ナビがおかしかったりと、
年末はかなりくたびれていたようですねえ。
そうそう、それと
年末ジャンボ宝くじですが、
どうなったのでしょうか。
元旦の新聞で調べてみましたら・・・
へへ、内緒です~
祇園神社の階段をのぼって境内に上がると、
お茶屋さんがいっぱい並んでいます・・・
ではなく、どうも昔
京都に疫病がはやったころに
それを鎮めるために
祇園さんを立てることになりました。
その時に石を姫路から運んだ時に、
この地に一泊したことが、ここの
始まりとされているようです。
そりゃそうですよね。
舞妓さんがいっぱいいる
神社なんて聞いたことがありません。
この神社も社殿が建っているだけで、
無人でした。
あでやかなお化粧の舞妓さんが
おみくじ売ってるわけではありません。
そうそう、ここでは平清盛も
関連しています。
しばらくこのそばに住んでいたようで、
山で潮音を聞きながら
宋との貿易のことなどを
考えておられたそうです。
ここはこんな景色なんですが、
昔は静かだったんでしょうねえ。
調音が聞こえていたようです。
ここにはちょっと古いと
言われているこんな石灯篭や
一言願い事をすればかなえてくれる
一言石がありましたので、
先ほど買った宝くじをかざして
お願いしておきましたぜ。
では先へ進んでいきましょう。
道を歩いていますと、
地面に消火栓の蓋が目に入りました。
ああ~以前も神戸に来た時に
紹介しましたね。
こういうやつでしたね。
異人館街やワイン、神戸タワー、
花火、ロープウェイに紅葉、
羊にカモメとにぎやかです。
あれ?こういうのもあります。
ガス灯や港、異人館なんかが
描かれてます。
そしてさらにこういうのも。
これはシンプルですねえ。
でも三種類もあるんですねえ。
なんかの目印になっているのかな。
大火災、中火災、小火災用みたいな。
あ、そうそうそれにしても
年末の新潟の火災は大変でしたねえ。
あの時に焼け出された人たちは
大変な正月を迎えているでしょうねえ。
学生の頃、あのあたりから
来ていた学生もいたなあ。
無事だったかなあ。
火災には気を付けましょう。
リボン通りはこういう広い道を
ぶわーんと無信号で越えて、
対面の狭い路地裏のような
道に入っていきます。
神戸の街が見渡せる眺めのいい庭に、
これは何ですか?
人が乗れるわけでもなく、
犬を遊ばせるわけでもなく
正体不明の目立つ観覧車がありますよ。
いやあこうして歩いていると、
どんな理由があるのか
わからないような施設やおもちゃが
並んでいたりする家がありますよねえ。
そこから、え~これがリボン道?
というような狭い道を進んでいきますと、
山からドーっと水の流れている川の向こうに、
温泉が見えてきました。
いやあ、歴史のありそうな温泉ですねえ。
昭和な雰囲気が漂っています。
て言うか、ここの温泉は平清盛も関連しているし
太閤秀吉の許可印可状も
残っているそうです。
二人の天下人に知られたお湯だったのですねえ。
今は湊川沿いにあるから
湊山温泉というそうです。
中にはこんな下駄箱もあるそうですが、
普通の銭湯よりは若干高いそうです。
温泉橋という古い橋をわったて
正面に行きますと、
おお~午前5時から営業しているそうです。
いやあ、夜はもう9時過ぎには
布団に入っており、
夜中に目を覚ますような高齢者には
(近所にいっぱいいます)
ぴったりの温泉ですねえ。
まあ、doironは入ることもなく
道を進んでいきますと、
途中から右手にこんな風に
分かれて登っていく道のところに出ます。
おお~これがリボン通りです。
こんなに狭くてほんとにいいのかなあ
と思っていたら、ちゃんと道標も
立っていますねえ。
そこから少し広い道に出ると
古い神社に出ます。
そこが「大山咋神社」ですね。
ここの注意書きはうるさいですよ。
前から何度も言ってるでしょ。
「ですからのぼってはいけません」とね。
この辺りからみちは
本格的に山道になっていきます。
落ち葉が山のように積もった道を
進んでいきますよ。
フワフワしてて歩きやすい道ですねえ。
紅葉もきれいです。
続く
え~っと、いろんな占いの中で
宝くじに関することを聞きました。
もちろん当たるための
いろんな方策に関してですよ。
例えば
「買った宝くじは神棚に置きなさい」
とか
「ピコ太郎踊りをしながら買いなさい」
といった占いです。
まあそんな変な買い方はないのですが、
どうも「西の方で買いなさい」という
占いがありました。
ここから西の方といえば、四国か?
でもなかなかそんな買い方は
ツアーの中ではできません。
なんか先達さんに、
「お遍路の時にそんな強欲なことは
考えてはいけません。
お大師さんの前で言ってるでしょ。
十善戒の中の『不慳貪』を思い出しなさい」
とさとされそうですな。
なので、そういうツアーはあきらめて、
自分で西の方に歩きに出かけて行って
そこで買い求めることにしたのです。
え~っと、西の方向で
歩くコースといえば、
あ、そうか「神戸山麓リボンの道」ですね。
今年は神戸港開港150年ですから、
ちょうど記念すべきパターンではないですか。
なのでそのこれまでの続きを、
宝くじを購入後歩いてみるか
ということにしたのでした。
ちょうど今のペースだと
三宮に行きその辺りから
地下鉄に乗って二駅ほど進む感じですから、
ちょうどいいでしょう。
むさぼりを離れ少なきを分かちます
という「不慳貪」な感じでは
全然ありませんが、
人間こうしていろんな自分と
向き合っていくのがいいのでしょう。
へへ。
この日はゆっくり電車で向かいました。
梅田から電車に乗って西に向かい、
三宮に到着です。
結構都会ですよ。
年末仕事で忙しく歩き回っている
人々の中で、
これだけ浮いて歩いていたら
神様も気を付けてくれるでしょう。
え?逆かな。
まあとりあえず駅近に見つけた
売り場で、年末ジャンボ
10億円バージョンを連番で
10枚購入しました。
うっしっし。
ではさっそく帰りましょう・・・
ではありません。
ここから歩きに行くのですよ。
でもねえ、ここで大失敗
久しぶりの街歩きと
宝くじに気を取られて
カメラを忘れてきました。
仕方ないので、携帯で撮影です。
バッテリーのこともあるので
歩くのは軽くにしておきましょう。
今回の目的地は、
前回最後に乗った「大倉山駅」まで
地下鉄で行って、
そこから大倉山公園を抜けて
さらに西に歩いていくコースです。
ん?さらに西に行くの?
そこで宝くじ買えばよかったかなあ
とちと心配しつつ地下鉄へと降りていきます。
この地下鉄「西神・山手線」は深いよ~。
それに乗って二駅進んだところで降ります。
おお~懐かしい。
今年の九月以来のリボン道散策です。
さっそく山方面に向かって
進んでいきましょう。
まず最初に入っていくのが、
大倉山公園です。
そうそう前回はここにある
都道府県の森を少し紹介しましたよねえ。
これをすべて回って見ていたら
ちょっと時間を取りすぎですね。
今回見かけたのは
「山口県ふるさとの森」です。
ああ~、萩のマラソンで
一杯見ましたねえ。
この森の前で
「あの時はつらかったなあ」
とか思いながらたたづんでいると、
まるで吉田松陰の関係者かと
間違われたらあきませんので、
早々に去っておきましょう。
北の出口から出て、
前回下ってきた道をのぼっていきます。
広い道に出たところで、
ありました。
これがリボンの道の道標です。
まずはそこにかかれてある
「祇園神社」を目指していきましょう。
も、もしかしたら
舞妓さんがいるかもしれませんね。
「あらまあお兄さん、ちょこっとお寄りやす。」
とかいってお守り売ってたら
買ってしまいそうですな。
おお~ここが祇園神社です。
え~っとかなり長い階段が続いてますよ。
頑張って登っていきましょう。
舞妓さんに会うためです。
あ、入り口の案内板に
説明が書かれてあります。
毎年、7月の13日から
20日の間にここで
「祇園祭」が開かれるようです。
これからはこういう日にち祭りを
しっかり控えて置いて
また訪ねる旅も面白いかもしれませんな。
続く。
さあて、正月三が日も終わりだあ。
ぼちぼち世間も動き始めるね。
まあ世間の休みに合わせて、
ぼちぼち過ごすのも
今日までかなあ。
箱根駅伝も終わったしね。
いやあ、青学はやはり強かったなあ。
他校が二次的な選手を置く中で、
青学はやはり復路にも一線級が残っているね。
7区の田村君の不調には
ちょっと驚いたけど、
まあ粒がそろっていたな。
不調者を抱えていても
二位にあれだけ大差をつけたからねえ。
8区の中盤ころにはもう決着も付いたなと、
歩いて二キロくらいのところにある
信太森神社へ初詣に行きました。
そう通称「葛葉稲荷」と言われる神社です。
ミセスとテクテクと歩いていきました。
家を出て、あちこちで凧揚げしている
遺跡公園を抜け、
阪和線の方へと向かっていきます。
あ、こんな店もできてるなあ。
一度来てみようかな~
そこから、電車道沿いに進んでいくと、
ちょうど家の前に「カインズカフェ」の
シールを張っているK一ちゃんの
家の前を抜けていくと、
おお~見えてきました。
あの森が目的の神社です。
ここには、そうやなあ3年で
2回くらい来てるかな。
神社の森の中に大きな
夫婦杉があって洞があるので、
ミセスがずっと
「息子に奥さんができるように」
とお願いしてきました。
その甲斐あってか、
ついに彼女もでき、
今春に結婚を控えるようになったので、
そのお礼にとお参りしに来たわけです。
doironはついでに
子宝の洞にも「孫宝」を
頼んできましたぜ。
で、ここでは近所の神社では
もらわなかった「お守り」を求めました。
開けてみると・・・
おお~末吉です。
いいんですいいんです。
以前は大吉を~と願っていたのですが、
近頃は平和な暮らしの中で
大吉やなくても末吉くらいで
ちょうどいいのです。
ありがたくいただいてきました。
帰りはまた別の道を通って帰宅。
箱根は9区が走っていました。
ああ、もう間違いないねと
思っていたら、
ここで東洋大学が早稲田を逆転。
そうかあ、やはり実績から見て
層の厚さが違ったんやね。
東洋には三年ぶりの総合優勝は無理だけど、
まあ最後に粘りを見せてくれました。
この後は甲子園ボウルがあるので
見たいのですが、
残念ながら今日はこれから
我が村の麻雀大会があります。
何人も集まって大騒ぎ!
世間の休みに合わせて
ぼちぼちではありませんね。
これから今年最初の大騒ぎをしに
出かけてきます。
ああ~書初めもしたかったのになあ。
またそれは別の日に頑張りましょう。
ではポチポチと麻雀に行ってきまあす。
箱根駅伝を毎年テレビで
じっくり見ているのだが、
いつぐらいからこういう観戦を
しているのだろうと、
過去の実績をたどってみたら、
ちょうど今年で31年目に当たるようだ。
見始めたころは順大がとても強く、
4連覇を果たしたころだった。
あの箱根の山下りで、
史上初の1時間切りを果たした
中村選手は今は駅伝コーチをしている。
ほかにも奈良監督や藤田コーチなど
当時の選手が、各大学の関係者となって
時折画面に登場するのも面白い。
また奈良や上田など当時は選手として走っていて、
今は各大学の監督となってる人の
息子が選手として走ったりするから、
もう駅伝の観戦歴の長さがわかるってもんだ。
で、今年の往路がきょう終わった。
優勝は予想通り「青学」であったが、
次の芽が出てきているぞと
思っていた早稲田が
僅差まで来ていたのには驚いたね。
一区は、服部が強すぎて
彼の動向に合わせて
出だしの遅かったのが不満だったな。
パン、と同時にビューンと
飛ばしていく選手を見てみたいものだね。
二区は、青学の一色が
他を引き離すと見たが、
いやあこれも不調だったのか
まだここでも青学の飛び出しはなかった。
三区で、青学が区間賞を取り、
後の選手を見ていたら、
ああこれで決まったやろなと思い、
散歩に出かけることにしたのだ。
近所をエッチラオッチラ歩き
帰ってみるともう山登りが始まっている。
青学の選手の走り方は
意外にストライドで、
かなりゆっくりな走りに見えたが、
途中まで後続を引き離しているとのこと。
ふ~んやっぱり強いなあ
と思っていたら、
途中から後続がどんどん近づいてきた。
芦ノ湖に入った所の直線では、
もう後ろにその姿も見えている
状態ではないか。
ふむふむこれで明日の復路も
面白くなりそうだね。
今回、往路で最も期待していたのが
駒沢の中谷君だった。
故障も直って、西脇工で
高校トップをはっていたころの
雰囲気が戻るかと思っていたのだが、
区間27位。
いやあ、残念。
すごいものを持っているのに、
なかなかここというときに
爆発できないなあ。
とまあそんな具合に
今日もまた31年目の駅伝観戦でした。
明日も楽しみ~