ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

斑鳩はいかが?1

2018年09月10日 21時25分27秒 | ウォーキング

頑張って歩くのも夏の間は
かなり自粛していました。

でもねえ暑いのは平気なんですよ。
夏は大好きだし。
トライアスロンなんかで
真夏の炎天下でも楽しんで
いましたからね。

でもやはり、気持ちは平気でも
体が追い付いていけないような
感じになってきてるんだよね。

あんなに激しいスポーツを
やっていたので、
大丈夫、大丈夫と思ってしまい
体にそんなことないよと
言って聞かせるのが大変です。

そんな夏なんですが、
ようやく何となくピークを
過ぎ去ったように思いますね。

体によーく言うて聞かせながら
歩くのだったらもうぼちぼち
いいかもと思い、お盆も過ぎたこの日、
久しぶりの歩き旅を
実行することにしました。

では場所をどこにするか、
なんですが、まずは全く人のいない
ローカルな山とかはいけませんね。

少しでも人がいないと、
緊急時対応が自分に
必要になった時はあきませんからね。

となると街中なんですが、
少し田舎の町がいいですね。

奈良県当りがいいかもしれません。

広々とした田園地帯を
気持ちよく歩けるなんてのが
いいですね。

そうだ、斑鳩にしよう。
あそこなら見どころも多そうだし、
適度に田舎で気持ちよさそうです。

「斑鳩を旅するのなら 
春よりも秋がいい~」と
布施明は旅愁~斑鳩にて~で
歌いましたが、doironは
残暑の頃に歩きましょう。

「斑鳩を行きかう人は 
なぜかしら一人旅~」と
うたわれても構いません。

プラプラ一人で歩きに行きましょう。
聖徳太子が法隆寺を立てようとしたときに、
そこに「イカル」という鳥が



飛んでいたからというのが
「斑鳩」の名前の一説です。

逆に鳥の「イカル」という名は
「斑鳩」に由来するなどという
説もあってこの辺はよくわかりません。

まあとにかくdoironは山国ではなく
人の姿の多いこの地域を歩いてみよう
と思い出かけて行ったのです。

法隆寺を起点に考えますと、
その北東側は4年前に
すでに歩いています。

なので今回は北西側を
歩きに行きましょう。

まずは車で法隆寺に向かいます。

西名阪を法隆寺で降りて、
新御幸橋で大和川も越えて向かって行きます。

doiron家からだと40分くらいで到着しますね。

法隆寺の駐車場は参道の
入り口あたりに広大なところがあります。
修学旅行などでやって来る
大型バスなんかも何台も
止められるような広い駐車場です。



一回いくらの料金設定なので
遠慮なくウロウロできますね。

ではナビを入れて出発です。

まずは法隆寺の方に向かいます。



南大門のところに来ますと
さすがに観光客も朝早い時間で
お店も開いてませんが
数組たむろしています。



南大門の前で写真を一枚とった後は、
doironは中に入らず西側の道へと
進んでいきます。

あ、やっぱりこの辺のマンふたは
法隆寺なんですねえ。



法隆寺の南面を西に進んでいくと



右に曲がっていく道が現れます。
法隆寺に沿ってこの道を歩いていくと



西大門のところに出てきます。



普通はここを左に曲がって



西里を抜けて藤ノ木古墳に行くのですが、
この先に日本の文化財を
戦争から守ったといわれている
ウォーナー博士をしのぶ
ウォーナー塔があるというので
見ていきましょう。



法隆寺の五重塔を遠くに
見ながら歩いていく道は
かなり山道になってきます。





地図ではこの辺りにその塔が
ある筈なんですが、ないですねえ。



う~ん、かなり山道に入ってきましたよ。
これはおかしいぞと、



思い始めた時でした。
道端の石の上に
「ヒョッコリ」と高齢おじさんが
座っているのです。



地蔵さんが動いたと思って
びっくりしましたねえ。



もしかして、顔つきから見ても
これは神の使いか、と思って
道を尋ねることにしました。

続く


勲章受章の祝賀会

2018年09月09日 21時40分39秒 | 最近の出来事

わが町の前々回の自治会長が
この度、国の勲章を受けました。
民生委員から始まり
民生畑、農業関係など多数の役員を果たして
受けた勲章は「旭日双光章」。

勲5等の勲章ということになる。

この栄誉をたたえて
記念パーティーを開こう
ということになったそうで、
昨日はそんな勲章授与の
祝賀記念パーティーに
呼ばれ出席してきました。

23日に開催される3時間走の
作業と役員会議だったのだが、
申し訳ないがこのパーティーに
出席させていただいた。

かなり大規模なパーティーで、
参加者は200人近くいたかなあ。



まあわが市の有名人が
ほとんど集まっておりましたな。

あ、私は有名人というわけではなく、
その人の町会の自治会で
会計という役員をしているから
とお呼びがあったものです。

場所は南海堺駅近くのホテル。
このまえ高校の同窓会が
あった場所ですねえ。

行きは同行者の息子の車で送ってもらい、
帰りは知り合いの車に乗せて
もらって帰るという、
往き返りは大変楽な参加でした。

別に写真の役割を頼まれている
わけではないのですが、
まあコンパクトカメラを
持って参加しましたね。

でもねえ、現場が暗くて
簡単なカメラだったので
ボケボケになってしまいました。
まあ、受賞者の了解を
もらっているわけではないので、
ちょうどいいかもしれません。

はっきりした写真は細工して
載せていきますしね。

現場に行って最初に目に入ったのが、
まずはこれ。



今回受けた勲章の展示です。

ああ、あの真ん中の日本の印は
天皇陛下が押されたんでしょうかねえ。
これから、この人には
地元の町会の町の掃除の時や
だんじりの前に立ってもらうときには、



胸にあの勲章をかけといて
もらいましょうかねえ。

まあ、それはさておき、
この勲章はいろんな人の
後押しがあって無事に努めてきたものを、
地元行政の推薦を受けて
受賞の運びとなったものです。

そのことは受賞者もよく
心得てはりましたなあ。

まあさすがに勲章を
受け取りはりるだけのことはあります。

市長も来られていましたし、



議員も多く来られていましたが、
台風災害の後始末中なので
皆さん挨拶だけで帰っていかれましたが、
まあそれはやはり仕方ない事でしたね。

私が市長でもそうしていたでしょう。

でもお気楽ナンバー1のdoironは、
すぐに帰ったりは絶対せず、
そこで出された食事を堪能し、
アルコールもたっぷりいただいて
しっかり?お祝いしてきましたよ。

フォアグラ、



キャビンはうまかったなあ。



ウニにも舌鼓です。



その後いただいた記念品は、
菊の御紋の入った食器類で、
ああ、これでしっかりダイエットを
進めていかなくてはと、
満腹のお腹をなでつつ
帰宅したのでありました。

勲章受賞(こんな言い方でいいのかなあ)
おめでとうございました。


西国三十三所 伏見の上醍醐寺4

2018年09月08日 21時00分43秒 | ウォーキング

醍醐寺から1時間かけて山道を登ると、
到着するのが上醍醐寺です。
ここには薬師堂(国宝)、開山堂(重文)、
如意輪堂(重文)、清瀧宮拝殿(国宝)など、
国宝、重要文化財に指定されている
数々の堂宇が点在しています。

しかしもともとは本尊は
准胝観音を祀る准胝堂だったのですが
これが2008年の8月に
早朝の雷によって焼失してしまったそうです。

そこは今修復中だそうで、
そこには本尊がありません。

なので、納経は醍醐寺の観音堂で
行うことになっています。
まあ一時間もかけて山道を登るのですから、
高齢者には大変だったようですね。

夏で暑いし、気候的にも大変なので
doironもここで納経してもらい、
上にはまた別の機会に行けたらいいかな。
桜の頃に来ましょうかねえ。

ではここで納経してもらいましょう。

16寺目の納経です。
書いてあるのは「准胝観音」と
書かれてありますねえ。



上醍醐寺の本尊の名前です。



この准胝観音は真言系では
6観音の一尊に数えられる
女尊となりますねえ。

これで三十三所の半分が終わりましたねえ。
またぼちぼち続けていきましょう。

さあ、ではまた入ってきた道を
戻っていきましょう。

時刻もまもなく正午となる時間ですねえ。
このお寺の周りもいっぱい
いろんな店があるというような
状況でもないので、醍醐寺の中の
お店でもあればそこで
食事をしていきましょう。

ずっと歩いていきますと
駐車場のすぐそばに雨月茶屋
というお店があるようです。



あああそこがいいかなと思いましたが、
問題は値段ですね。

ざるそばいっぱ1000円
というのが限界点かなあ。

これ以上高くなって、
お昼定食3500円とかに
なったらいけませんね。

店の前に立ちメニューを見てみると、
おお~こういうお店にしては
リーズナブルですね。

ではここで食事をして帰りましょう。

doironが頼んだのは
茶そばの定食でした。
値段は、まあそこそこです。
品物が出てくるのを待ちながら、
店の中を見回してみますと、



あ、玄関の柱のところに
写真が張られてあります。
女の人が大きなお餅を
持ち上げようとしています。

こ、これはたしかこんな大会を
よくテレビで見たぞと思いながら、
お店のおかみさんに聞いてみますと、

これは五大力のお餅持ち上げ大会ですねえ。
と説明されました。
そう先ほど提灯があった金堂前の
広場で行われているそうです。

男女でこのお餅を持ち上げ、
どれだけ持てるかで
優勝者を決めるそうです。
男で150㎏、女で90㎏の
お餅を持ち上げるそうで、
おかみさんいわく

「あれは重たかったよ。
紅白の紐の向こうに手を
かけなあかんのに、
私は手前を持ってしまってん」とのこと

「え~、あの写真はおかみさんですかあ」
「そうよ~」とおっしゃるので
「じゃ一緒に写真を」と
撮影してもらいました。



小柄な女性なのにチャレンジ
するだけでも大したもんです。

「これはねえ、毎年2月23日に
行っているので来年参加したらどうですか」
と誘われましたが、

「あかんあかん。
そんな話をしただけでもうすでに
腰に違和感を感じています」
と断っておきました。

「五大力僧」といわれる
仏たちの祈願を受けることが
できるそうです。

とまあそんな話をしているうちに
飯が出てきました。



茶そばはなかなか美味でしたよ。

庭の石、ふすま絵、三十三所の納経、
そして最後の五大力母さんの茶そば
とまあまあ良かったお寺参りでした。

桜の季節に来るのが楽しみになりましたね。

この日歩いた距離は4.5㎏。
お盆の終わりに素敵なお寺を
楽しんできたdoironでした。

おしまい。


西国三十三所 伏見の上醍醐寺3

2018年09月07日 21時08分50秒 | ウォーキング

こうして様々な出来事を産んだ
「浮洲岩」は天下の名石として
「藤戸石」と名付けられ、
京にまで運ばれて足利義光は
金閣寺に設置しました。

そしてその後足利義政が
銀閣寺に移して置かれてあったのですが、
ついにそれに目を付けたのが
織田信長です。

天下を取るだろうといわれていた彼は、
その石を二条御所に運び
設置したようです。
天下を取る人はこの石に
関心を持ったようですね。

そして最後は豊臣秀吉が
醍醐寺三宝院に持ち込んで、
今の位置に据えたようです。

俵屋宗達もこの石を眺めたんでしょうねえ。

三宝院の庭のすべての景色の中で
圧倒的なオーラを放つ石でした。



いやあ、これを眺められた
というだけでここまで来た
甲斐がありましたねえ。

そしてこの石ですが、
もともと浮洲岩という名であった場所も、
今はちゃんと残っています。



岡山の藤戸にいつか見に
行かないといけませんね。

見事な庭を眺めた後は、
次に入館料800円の中に
含まれる霊宝館へと
回っていきましょう。

もしかしたら、万が一宗達の
絵画なんかも見れるかもねえ
と期待しつつ入っていきました。

中に入ると、いやあきれいに
整備されていますねえ。

写真は禁止とありましたが、
庭はいいのかなあ。



でもまあ遠慮して枝垂れ桜周辺で
水を撒いているのを
撮影しておきました。

なんといっても醍醐の花見を
催したところです。

じつはわが町のだんじりにも
この醍醐の花見シーンが刻まれています。

だから桜の木なんかは
きっちり守られているんでしょうねえ。

なにせ秀吉はこの花見に向けて
700本もの桜をこの寺に
植樹したそうです。

あちこちに桜や枝垂れ桜もあります。

桜の花の時期に来てみるのも
いいかもしれませんね。

この時霊宝館で入れたのは
仏像殿だけでした。
まあ結構見どころもあったのですが、
残念ながら宗達の絵なんかは
オープンされていませんでしたねえ。

聞けば、春とか秋の特別展示の
ようなときに見れたりするようです。

まあ、見たいのは宗達の
「舞楽図屏風」だけですけどね。

さあ、では伽藍エリアの方に
回っていきましょう。



伽藍エリアは醍醐寺の山の方にあります。

入り口のところで案内を見てみますと、
伽藍エリアに入ってその中の
参道をずっと登っていきますと、
上醍醐寺の方に出ていくようです。

では頑張って歩いていきましょう。

仁王門のところで切符の最後の
半ピラを切ってわたし、
杉の幼木が乱立する森の間の
静かな道を登っていきます。





前から歩いてくる人たちは
みんな上醍醐寺の帰り
なんでしょうかねえ。

まず最初に到着するのが
「金堂」です。



ここは秀吉が和歌山から
移築したもので、国宝になっています。

おや前の庭のところに
提灯が置かれていますねえ。
お盆の名残なんでしょうねえ。



実はこの金堂の前の庭では
ある大きなイベントが行われます。

そのことについては
あとで紹介しますねえ。

まあここでは本尊の薬師如来、
日光月光菩薩を拝んでいきましょう。

「おんころころせんだりまとうぎそわか」
と薬師如来の真言をあげておきます。

そしてその金堂の前にあるのが、
五重の塔です。



951年に完成した京都最古の
木造建築でこれも国宝になっています。



ああ、この前でカメラをうまく固定して
写真を撮っておきましょう。

う~んdoironのポーズが
左右逆だとよかったのですが、

他の参拝客の迷惑になりますから
遠慮しておきましょう。

でもねえ、お盆なのでもっと
大勢の客が来てるかと思ったのですが、
外国人も含めてさほど多くは
なかったですね。

そしてその先の日月門を
くぐろうとした時です。



この先にある観音堂が
「西国三十三カ所の納経書」
なんだそうです。

え~ここのお寺の納経書は
上醍醐寺ではなかったですか。
それがこの醍醐寺にあるって
どういうこと?と思ったら
事情があったのです。

続く


台風の爪痕

2018年09月06日 20時46分00秒 | 最近の出来事

またまた醍醐寺の途中に
台風のことを挟みます。

さすがに風神雷神のことを
書いただけのことはあります。
doironのブログも大騒ぎです。

ーーーーーーーー

台風の跡は後始末が大変でした。
曽根神社は、神社関係者と
祭りの青年団が協力して
かなり片付きました。
それでも困難です。



おっさん連中は役に立たないので
指示するだけですねえ。

あとは神社に隣接している屋根の大木が
乗ったお寺と



その横のお墓の修繕
くらいとなりましたが、
そこは老人会の集会所なので
そちらが対応します。
業者も入っていますので
徐々に片付いていくでしょう。

で、家の方なんですが、
これも修理が必要なのです。

まず屋根の瓦なんですが、
これはもう屋根の修理屋さんに発注です。
シートをかぶせるべきかどうか
事前に見に来てくれましたが、
これはひさしの部分なので
そのまま様子見だろうということになりました。

少しでも早く修理をお願いしたいものです。

で、そのひさしの部分の下の犬走りが
納戸になっており、そこは
波板で作ってあるのですが、
その屋根が落ちた瓦で
壊れてしまっています。

これは修理が必要です。
とりあえずは波板を追加で張り付けです。
近所の家の人に聞いて
処分すべき波板を少し分けてもらい。
それを適当な大きさに切って
旧の波板の下に張り付けていきます。

張り付けた後の感じはこんな具合で、
まあこれはこれで完成だ。



でもねえ、この場所に
たどりつくのが大変だった。

波板なので上には上がれない。
結局、今は引っ越しして無人となっている
隣の家の一階の屋根にあがり、
そちらに重心をかけたまま
倉庫の屋根垂木を持ち上げて
そのままブロックを挿入。
上部下部にくぎを打ち込んで固定。

いやあ、作業は楽でしたが
体制が大変。
もうクライミングの世界です。
おじさんクライマーの金メダル獲得です。

とまあそんな作業をしているうちに、
ふと視線を動かしますと、
うわ~、二階のクーラーの室外機がずれています。
これも直さないとちょっとやばい状態です。

で、その作業にまた突入です。

二階の窓から屋根の上に出て作業開始です。
この屋根がねえ結構滑るんです。
それにねえ屋根の上ってめちゃ熱い。
上からの陽光と下の瓦面からの
照り返しでもう頭がくらくらしてきます。
そこへもってきて足元不安ですからもう、
拷問のようなものです。
思わずトライアスロンの
ラン終盤30キロくらいを
連想してしまいました。

針金で強固に固定し、
支え坊の下に硬質ゴムを張り付けて
屋根を保護。
まあこちらも何とか作業を終えました。

ああ、これでまあ我が家の方も
落ち着きの方向やなと思っていたら、
携帯が鳴りました。

どうも神社のお寺の関係で
自治会で老人集会所として
保険に入っているでしょうとのこと。

ああ、そういえば二年契約で
そういう保険に入っていましたねえ。
自治会会計として保険料を
払っている記憶があります。

その話で・・ということでの呼び出しです。

ああ~こんな役員してると
もう全くいろんな役割が回ってきます。

「あの人はあんなん好きで
役員やってるんやあ」
なんていう人の気が知れません。
もう、ぼちぼちそんな役割も
卒業させてもらわないとなあ
とか思いながら手続き交渉です。

強風の吹き荒れた台風21号も
まったくえらい目にあわせてくれますな。

ようやく話が落ち着いた夕方、
町の状態はどうだろうと
散歩しつつ見て歩きました。

国道の大きな交差点も
停電でついておらず、
警官がずっと交通規制
していますので大渋滞です。



近所の知り合いの借家も
屋根にシートがかぶっています。
大家さんも大変だったでしょう。



うわーここなんか家の壁が
はがれたようで
すごいことになっています。



旧26号を歩いていきますと、
ここは歩道が家のごみで歩けません。



大きな公園も木が折れて
立ち入り禁止です。



とまあいろんな爪痕を残して
台風21号は昨日温帯低気圧に
なったそうです。

いろいろとありますが、
まあみなさん頑張って
生活を元に戻していきましょうね。


西国三十三所 伏見の上醍醐寺2

2018年09月05日 21時16分51秒 | ウォーキング

この国の特別史跡・特別名勝
となっている庭園は
醍醐の花見の時に豊臣秀吉が
基本設計をしたものです。

大きな複雑な形の池の周りに
島や滝や多くの石を配置した庭で、
彼の想いがいろんなところに
名所として刻み込まれています。

一番最初に庭を見たときに、
パッと目についたのが
一番近いところにある3つの石です。



庭の説明はどこにもかかれていないのですが、
doironは事前の説明を見ていたので
すぐにわかりました。

これが京都の街中を流れる
賀茂川の状態を表す

「賀茂の三石」だそうです。



向かって一番左端が、
賀茂川の速やかな流れを表す石です。



断層になってる白い部分が
川の流れの急流部分を表してますねえ。
なんかうまい具合に層になって、
浸食されていますねえ。

一昨年賀茂川を歩きました。
上賀茂神社から下鴨神社への歩き旅です。
賀茂川に沿ってずっと歩きましたが、
この川は生活排水が流れ込んでいないので
とてもきれいな川でしたねえ。

いろんなところで段差もあって、
水が勢いよく流れているところもありました。
そして真ん中の石が賀茂川の流れが
よどんで滞留している状態を
表しているそうです。



川魚も結構いそうな感じでしたねえ。

そして一番右端の岩が、



流れがぶつかってはじけている
状態を表すそうです。
まあそういわれれば
そんな感じもしますねえ。

でもねえ、これらの三石は
どこから持ってきたのでしょうか。
そしてどういう石なんでしょうか。
こういうことはネットにも
ほとんど書かれていませんねえ。

また折に触れて勉強しておきましょう。

今doironが庭を眺めているところは
三宝院の表書院というところで、
なんとこの建物は国宝です。



その前には蘇鉄が植わっています。

日本の庭に蘇鉄が植えられるのは
南蛮の雰囲気を出すためだそうです。
古くからそんな風に扱われていて、
蘇鉄が登場する日本の文献では
過去三番目に古く、
ここに蘇鉄が植えられたと
記載されているようです。

まあここにあるこの蘇鉄は
植え替えられたものかなあ。
そんなに古くないもんね。

そして池の中には島が二つあります。
ひとつは「鶴島」。



二つの島の向かって右側がそうです。
橋に架かった水路なんかで
鶴が飛び立つさまを表しているとか・・・
ふ~んて感じやなあ。

古い五葉松が植えられた島です。

そしてむかって左側が「亀島」
ここも古い五葉松が植えられています。
足元の岩がちょっととんがっていて
亀の頭のように見えるかなあ。

そしてここに架かる橋は
色々と工夫が込められ、
苔の色づいた橋になっているようです。

そして庭の片隅にあるこの
「唐門」も国宝なんだそうです。



黒い門に金色の模様が刻まれています。
さあこうして庭の周りや庭の中に
様々なものを見てきましたが、
最後にこの庭に置かれている
様々な石の親分について
書いていかなくてはなりません。

これが全体図で、



この中で一番目立つ石、
と言えばもうわかりますよね。
この石は「藤戸石」といわれています。



長い歴史と天下人との交流が
ぎっしりと詰まっている石です。

もともとこの石は瀬戸内海の
岡山県倉敷の「藤戸」という
ところにありました。
ここで源平合戦が行われたのですが、
この時源氏方の佐々木盛綱が
海を渡って戦をするために、
水深の浅いところを探したのです。
そこを馬で渡って攻めていこう
というものです。

するとある漁師から、
海の中に「浮洲岩」が経ってるところが
浅くて馬で渡れる
ということが知らされました。

それを聞いた盛綱は、
その話をした漁師を
「ばれないように」と、
殺してしまうのです。

この話は色々と位置付けられて
その漁師の物語は
「藤戸」として謡曲になったり
平家物語で歌われています。

続く


猛烈台風21号

2018年09月04日 22時15分37秒 | 最近の出来事

醍醐寺の途中ですが
今日の台風のことについて
ひとつ書いておきましょう。

まともに台風21号に出会ってしまった
という話しです。

ーーーーーーー

午前10時頃はほんとに台風は
来るのかなあと思うほどでした。
友達からメールが来ても、
今日は午前の会議が終わったら
すぐに帰宅します。
とか、今日は電車が動いてないので
休みですといったものだったのです。

ところが11時頃になり、
急に雨風が強くなりはじめ、
午後1時半ごろからは
すさまじい風と雨が暴れはじめました。

いやあ、もう風神雷神を思い出させましたね。



一階にミセスといてると
家の周りの音が気になって
仕方ありません。

「あれ?植木鉢が倒れたかなあ」
「ウヒャーなんか飛んでるような音がする」ってね。

またたまに聞こえる何となく
金属っぽい音も「あれはなんだ」
と気になって玄関先から
外の猛吹雪の状態を眺めに
見に行ってしまうのだ。

まあ、もう見ていても
何もできない状態だしなあ。

では二階で座ってるかと
階段を上がっていくと、
ときおり吹きすぎる猛烈な風で、
家が震度2くらいにゆれています。

うっすら開けて窓から外を見てみますと、
うわー神社のクスノキが
枝ごと分離して飛び交って
行くのが見えています。

ご近所の人は大変だろうなあ。

それにしてもこれはすごい台風やなあ。
そのまま2階で震度2の揺れに
耐えながらようやく落ち着いてきたのが
午後3時頃だった。

そのころになって、
神社近くの友達から
「こんなえらいことになっているぞ」
と写真が贈られてきたので



合羽を着て見に行ってみたら、
ウヒャーこれはすごい。

神社内の直径10センチ程度の木は
バキバキに折れて飛び散っているし、
直径30センチくらいのイチョウの大木が
根っこから折れてしまっているのだ。



神社内には飛び散った落ち葉で
入っていくのも大変だ。

じゃ、本殿はと思ってみてみると
さすがにここは神様の居場所
みたいな感じで全然大したことはない。
さすがに本殿である。

こんな神社の状態に参っていると、
友達からいっぱいメールが来た。

「停電だあ」
「昔からの古い建物が壊れている」
「オズミンの首が折れている」



「南海の尾崎駅が火事だあ」
「お墓が倒れてる」
「だんじり小屋がつぶれて
だんじりが丸出しになってる」
「スーパー玉出がこんなになってる」



と被害状況がどんどんと入ってきた。

ああ、各地ひどいことになっているんやなあ。
この辺りは神社の木が
守ってくれたんかな
なんて思いつつ裏の公園に行ってみると、
ああ~ここも根こそぎ木が
何本も倒れている。







じゃ、自慢の高殿はというと、



これはまあ何とか無事だったのですが、
周りにあった小さな昔の家なんかが
壊れて寄り添っていたなあ。

ああ世間はひどいことに
なってたんやあと思いつつ
帰ってみると、ウヒャーdoiron家の
屋根瓦が10枚くらい
はがれているじゃないですか。



そうおもって周りの家を見てみたら
そんな家がたくさんありました。

しかもdoiron家では使ってないけど
建てたままにしていた
テレビのアンテナが倒れ、
そのアンテナ部分の瓦も
おかしくなっている用な様子だあ。

これは大変だぞとみんなに話しまわって、
瓦屋根修理の発注をすることにした。

瓦屋根5件分だ。

多分注文が多いだろうから
順番待ちになるよということだ。
まあ仕方ないだろう。
できるだけ激しい雨風が
ないことを祈っておこう。

自分とこの損傷については
保険がきくだろうなあ。

明日さっそく保険屋さんに
連絡してみよう。

50年以上前の台風なんかにも
似ていたというこの台風21号。
みなさんの家はどうでしたか?

無事であればいいですねえ。


西国三十三所 伏見の上醍醐寺1

2018年09月03日 20時54分24秒 | ウォーキング

この春先から、昔の絵描き氏、
そう、ふすまなどへのお絵かきを
してきた人の物語を読み続けてきた。

狩野永徳、長谷川等伯、
葛飾北斎、若冲など多くの画家が、
どんな生活をしながら
どんな思いで絵を描いてきたか
なんて言うのをたっぷり読んだ。

8作ほどはあったかなあ。

名作といわれる絵を描いた時、
彼らの心に宿っていた魂を、
小説家はみんな見事に表現し、
それを物語に組み込んでいってたなあ。

そんな見事な作品と、
お絵かき本を見比べて
絵を目にしたりして
結構詳しくなった。

テレビの鑑定団なんかに出てくる絵も
かなり目利きになったなあ
と近頃よく思ったりするのだ、へへ。

そして一番最近読んだのが
「俵屋宗達」の本だった。
あの風神雷神を描いた人



前編、後編の二冊だったが、
楽しく読んだな。
そんな宗達の小説の後編に
よく出てきたのが、
「醍醐寺」というお寺だった。

宗達がいろいろと思い悩みつつ
「舞楽図屏風」という絵をかいて
納めた京都伏見区のお寺である。

まあ今もその絵はこの寺に
重要文化財として残っているのだが、
一般の我々がいっても
おがめることはないだろう。

本で見たらこんな感じ。



でもその話をしているときに、
醍醐寺のことが小説の中で
いろいろと語られていた。

あの秀吉が「醍醐の花見」をした
というお寺の様子。

庭に置かれた天命を語る名石、
賀茂川の流れを表す石群。

これらは、いまdoironが行っても
目にすることができるようだ。

これはやっぱり行かないといけませんね。

そしてしかもこの醍醐寺の上にある
「上醍醐寺」は西国三十三所の
お寺ときています。
なおさら納経帳を持って
いかねばならないですね。

そりゃあ、春先に行くのが
桜のことを考えたら
一番いいのかもしれないが、
暑さの中でさほど歩くこともできない
今の気候なんかに、
しっとりと気持ちを落ち着かすのに
出かけていくのが
ちょうどいいかもしれませんね。

まだ、小説の中の言葉や雰囲気が
残っているうちというのもいいものだしね。

とまあそういうことで、
西国三十三所の16寺目のお寺として
ここを訪ねていくことにしましょう。

まずは醍醐寺を目指して
車で走って行きましょう。

近畿自動車道から第二京阪に入ると、
そのあたりで高速の降り口の
宇治のあたりがもう大渋滞
という情報が出ています。

仕方ないので久御山あたりで
下に降りて移動していくことにしました。

まあ、お盆も終わりそうな日付であるから、
その辺の渋滞は覚悟しての移動である。

ナビに沿って一号線を移動し、
山科川を渡って醍醐駅から
寺方面へと向かって行く。

山手が近づいてくると静かな雰囲気になり、
醍醐寺の駐車場に到着する。

来る前は醍醐寺をまず見学して、
そこから上醍醐寺の方へ
車で移動してなんて考えてましたが、
案内を見ていたらどうも
そんな感じではなさそうです。

醍醐寺に車をとめて歩いていくのが
よさそうな感じですな。



まあ駐車場代も、五時間700円と
少し割高なんですが、
どうもそんな感じで皆さんが
お参りしているのなら、
doironもそうしましょうと、
止めて準備をしていくことにしました。



入り口のところで案内の地図を見ると、
駐車場から歩いていき、
まず三宝院というところに出ます。

この三宝院の庭というのが、
本日の目的の一つで、
ここは見事な庭を持っており、
ぜひともそれを見たかったのです。



三宝院、伽藍エリア、霊宝館の
合同入館券800円を購入し、
まずは三宝院の中へ入っていきましょう。



玄関で靴を脱ぎ、中に入っていきますと



広い部屋の周りは絵の描かれた
ふすまが建てられています。

長谷川等伯一派の作品もあるらしいです。

そしてそんな奥に見事な
庭園のあるところに出てきました。

続く


地図作成にとりかかってます

2018年09月02日 21時01分34秒 | 最近の出来事

ずっと前から思っていた。
自分の歩いた場所を地図に落として
一覧表にしてみたいなって。

まあ和歌山、滋賀県、京都府、
兵庫県など歩いたところは多いのだが、
とりあえずは大阪府を中心にして
地図をこしらえ、
そこに赤ペンで歩いたコースを
書き込んでいくのだ。

そうすることによって何か
メリットがあるかと言うと、
まず一つは自己満足のためですな。

「やあ、歩いたなあ。よしもっと頑張って
地図を赤ペンで真っ赤にしてやる」
とかいってはしゃぐのだ。

そしてもう一つは、地図を見ながら
「ああこの辺はあまり歩いてないなあ」
とかいって、これからの参考にするのです。

で、まずはそのための地図を
買いに行った。

多分国土地理院から
白地図が出ているはずだ。

でもねえ、最近はこういう地図を
常においてくれているところは
大変少ないんだよね。
まあ、大体本屋さんで手に入るのだが、
大阪では紀伊国屋が
一番たくさん置いているかなあ。

別に「地図屋」さんみたいな店があって
常時販売しているなんてのは
ないと思うんやけどなあ。

で、仕方なく電車に揺られて
紀伊国屋なんかに行って
「白地図」を買おうとするのだが、
やっぱりこういう特殊なのは
なかなか置いていないのだ。

おいているんだとしても
たまに梅田に出るときに
寄ったくらいではたいてい
在庫がない状態となっている。

店に人に話すと、注文しておけば
取り寄せますよとか言ってくれるのだが、
これがねえ梅田まで出ていくとなると、
もうそれだけで予定が狂ってしまうんだよね。

じゃあ歩きとかあそびのできない
雨の日に行けばいいやんと
言っても白地図を持って帰るとなると
雨降りはちょっときつい。

そうなるとネットで買うという
手もあるんだろうが、
なんかちょっとこれも
めんどくさい気もするので
できずにいるのだ。

まあクリエイターを名乗っているのだったら、
地図をくるくるまいて
運べるケースみたいなのを
買わないといけないかなあ
とかいろいろと考えてしまうがね。

でも、そんな作業にまだ入れないでいる。

とまあそんなぬるい考え方も
ぼちぼち何とかしないといけない。

そこでここらでちょっと
何らかのアクションを始めてみるかと、
以前に買ってた大阪府の地図を
コンビニでゴニョゴニョとコピーをして、
それを模造紙にうまく張り付けて
白地図とまではいかないけど
灰色地図を作ってそこに
書き込むことにしたのだ。

今はお絵かきを展示している
部屋があるから、そういう作業も
しやすいしね。

書き込み始めるとねえ、
まあ市街地は地図を見ながら
書き入れられるのだが、
山道は書き込みにくい。

道路地図だからあまり山道なんか
書かれていないもんね。

こういうdoiron歩き地図の資料も



見ながら埋め込んでいくように
しているがなかなかである。

いくらかは塗りつぶして、
まだもう少しコースも残っているが、
現時点ではこんな感じになっている。



ちょっとわかりにくいが
やっぱりねえ、大阪南部は
かなり歩いて赤くなっているが、
北部の方は色が少ない。

今年の秋はこっちの方も
歩きに行くことにしよう
と参考にしながら考えた。

まあこうして地図作りも
いろんな課題が見えてきたりして
アクション始めてよかったかな
と思っている。

でもこれで仕上げではない。

こういう地図をもとに白地図に
コースを塗り、資料を
作成しないとねえ。

写真もいっぱいあるから、
それを絵にして歩き地図&絵を
展示してみるのもいいかもなあ。

西国三十三所お絵かき展の次かなあ。

今度大阪方面に絵具とか
買いに行く機会があれば
大阪府庁が作った白地図なんかも
あるかもしれないから、
谷町のそんな本屋に
行ってみようかなあなどと
いうのも夢をふくらませながら
今考えているところなのだ。


変装してないからね

2018年09月01日 21時22分26秒 | 最近の出来事

もう今日から9月です。
学校も新学期を迎えますね。
最近は、早くから学校も始まって
いるようで、近所の小学校も
もう始まっているようですね。

そんな季節なんですが
世の中色々と物騒です。
生きていくのに油断は
出来ませんね。

特にあの富田林の警察署から
逃げた犯人は今頃どこに
いるのでしょうねえ。

警察から自治会にも
チラシ貼りなどの要請が
あったりします。

警察も血眼になって探しているようで、
ちょっと人の通りが
多そうなところや
駅なんかにも張り込みを
続けているようですねえ。

警官の服を着てたら
よくわかるのですが、
どうも私服を着ていても
目つきなんかから
張り込みをしてるんやなあ
とわかったりするのです。

特にねえ、doironなんかには
よくわかるのですよ。

ちょっと遠くに歩きに行ったり、
近所に買い物に行ったりするとねえ、
よく警官にジロッと見られたりするんです。

そうあの犯人と背丈がそっくりなんです。
そこへもってきてこちらなんかは
歩く格好なので、帽子をかぶったり
サングラスをしたりしているので
まあチョコっと変装風なのです。

帽子かぶってなかったり
したらわかるんですよ。
こちらはあんなに髪の毛ないしね。
でもそれだってわざと減らしてる
変装だったりするしね。(--)

それにやはり体重がこちらの方が多い
ことからも違うと判断できるんですよ。
でもそれだっておなかに
タオルいれて太ったふりもできるやん。

まあそんな感じでやっぱり
張り込み警察にはじろっ
とみられて判別されるのですよ。

これがねえ、街中ならいいですよ。

田舎を一人で歩いているときに、
パトカーの中の警察官から
見られたりしたら、
変な汗をかきそうになりますよねえ。

パトカーとめて職質されたりしないか
一瞬身構えてしまうのですよ。

まあ、そんなdoironの異常くらいなら
警察もちゃんと見抜けて、
いままでそんなこともないけどね。

今日も奈良を歩いていたら、
ミニパトと交差点ですれ違い、
知らん顔して歩いてたら
その先でまたさっきのミニパトと
出くわしたなんてこともあったからねえ。

安全のコミュニティに
所属していることもあって
早く自首するなりして
世の中をもう少し平和に
してくださいよと
9月からの新学期の時期に
切に願うばかりです。