きれい好きなことは良いことだ。だれでも汚れて汚いよりも、きれいにしている方が気持ちよい。きれいにすることは悪いことではない。そこには決してマイナスの意味合いはない。
ところが、それにこだわり過ぎてしまうと、様々な問題が生じてくる。私も、これで苦労している。朝食の後、食器を片づけをテーブルにもどると、「まだそこにゴミが残っているよ!」と言ってくる。私は、ざっとテーブルを見るが、ゴミは見えない。「ゴミなんてないよ!」と言うと、「あるでしょ、そこに!」と言われ、視点をずっと低くしてよくよく見ると、小さな小さなパン粒が一個あった。「えーーーーーー(そこまで言うか?)」返す言葉がない。
人によって、見え方は違う。大きなゴミがなければそれで良しとするか、小さな埃も問題にするかの違い。これが大きい。きれいにしようとすればするほど、小さな汚れが気になってくる。そして、それは、除菌にまでいく。菌が多すぎるのは問題だが、全くなくするのは不可能に近い。これは耐性の問題でもある。私にはゴミに対する耐性がある。多少、汚れていてもそれ程気にならないし、多少、本筋から外れても、それ程気にならない。良く言えば、中庸を弁えているとも言える。悠長に構えているとも言える。これって、ただ自分を合理化しているだけなのかもしれないが、妻と生きる上で、防衛反応との意味合いもあると思う。(疲れる、疲れる、疲れるって!)