何でもかんでも洗いざらい話せる相手っているの?私は妻にすべてを話しているかというと、決してすべてを話しているわけではない。それは、時には無用な波風を避けるため、時には相手を気遣うため、時には自分を守るためであったりする。妻にしても、同様だと思う。それは決して良いことではないが、どうしてもでてきてしまう代物だと思う。
ここで少し難しい話になるが、生まれてすぐの赤ん坊には、秘密がない。おなかが空いたら泣き、喉が渇いたら泣き、嬉しかったら笑う。しかし、それもつかぬまのことで、少しすると、相手の顔を見て、相手の表情の変化を楽しむようになる。そんな中、駆け引きすることを覚え、自分とは別の存在があることに気づくようになる。また、その場の雰囲気、相手の状態を見ながら、言葉を選ぶようになる。また、相手の状況を判断し、「今、言っても聞いてもらえない」とか、「今、言ったら叱られる」とか、判断できるようになる。中には、親の顔色を伺い、機嫌を損ねないように親に合わせてしまう子も現れてくる。こうして、思っていることをすべて話す、行動に表すことではなく、表現しないところが出てくる。これが、秘密の始まりであり、自己と他者の垣根であり、必要不可欠のものである。
ところが、秘密を抱え込むと、秘密を守ることに汲汲とし、素直に気持ちを表現できなくなってしまうという弊害をもたらす。自由な素直な交流を阻害するようになってしまう非常に厄介な「怪物」と化してしまう。こうなると、疑惑は疑惑を呼び、にっちもさっちも行かなくなる。全く困ったもんだ。