DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

ブログって面白いの?

2015-05-19 05:13:35 | 雑感

 ブログ書いているけど、なぜか今一気分が乗らない。「ブログしていて何が面白いのだろう?」との疑問が湧いてくる。「だれかが見てくれている。」のは分かるが、相手がさっぱり見えない。今は、ただ独白しているだけ。ただそれだけ。ただ、叫ばずにはいられないそんな心の内をただ吐き出しているだけ。まあ、そうすることで、振り返ることはできる。気に入らない相手、気に入らない社会、思うようにならない自分、そういったものに対して、今の思いをぶつけているだけ。そんな気がしてならない。

 まあ、見方を変えると、ブログを訪れてくれた人の数が増えると、何か嬉しい気もする。もっと増やしたい、もっと多くの注目を浴びたい、そんな衝動に駆られることがある。ブログは何か麻薬のような力、効果を持っているのかも知れない。ブログにはまるというのは、そういうことかも知れない。途中で、夢中になって書きたいときがある。ただ、「何か違うんだよな!」と思うところがあり、今一はまれずにいる。そんな私です。どう思いますか?

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妻はきれい好き!

2015-05-18 05:40:13 | 雑感

 きれい好きなことは良いことだ。だれでも汚れて汚いよりも、きれいにしている方が気持ちよい。きれいにすることは悪いことではない。そこには決してマイナスの意味合いはない。

 ところが、それにこだわり過ぎてしまうと、様々な問題が生じてくる。私も、これで苦労している。朝食の後、食器を片づけをテーブルにもどると、「まだそこにゴミが残っているよ!」と言ってくる。私は、ざっとテーブルを見るが、ゴミは見えない。「ゴミなんてないよ!」と言うと、「あるでしょ、そこに!」と言われ、視点をずっと低くしてよくよく見ると、小さな小さなパン粒が一個あった。「えーーーーーー(そこまで言うか?)」返す言葉がない。

 人によって、見え方は違う。大きなゴミがなければそれで良しとするか、小さな埃も問題にするかの違い。これが大きい。きれいにしようとすればするほど、小さな汚れが気になってくる。そして、それは、除菌にまでいく。菌が多すぎるのは問題だが、全くなくするのは不可能に近い。これは耐性の問題でもある。私にはゴミに対する耐性がある。多少、汚れていてもそれ程気にならないし、多少、本筋から外れても、それ程気にならない。良く言えば、中庸を弁えているとも言える。悠長に構えているとも言える。これって、ただ自分を合理化しているだけなのかもしれないが、妻と生きる上で、防衛反応との意味合いもあると思う。(疲れる、疲れる、疲れるって!)

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名刺がない!

2015-05-13 05:35:53 | 雑感

 仕事をしていた頃は、いつも名刺を持ち歩いていた。名刺を交換すると、すぐに相手の立場、自分との力関係等が瞬時に分かり、そして、自分がどういう立場で、どう行動すべきかが分かった。ところが、仕事をやめてしまうと、そういった枠組みがなくなり、非常に動きにくくなった。自分が名無しの権米で、周りにどう写っているのか、どう見られているのか全く分からない。そうなると、自分はどんな動きをして良いのか、皆目見当が付かなくなってしまう。人と会うたびに、自分はだれだれで、どんなことに興味を持っているのか、自分は何をしようとしているのか、示さなければならない。それはそれは大変なことなのだ。

 多くの人は、何もなく、普通にしているだけ、特に困ったということもないのだろうけど、私は特に職場の人間関係がほとんどを占め、職場の外の関係をほとんど持たないまま生活してきたからなのだろう。また、単身赴任が長く、ここにほとんど住んでいなかった。地域との関係も全くない、そんなところにポンと放り出されたようなもの。だから、動きにくさはこの上ない。これから、私はいったい何をすべきなのだろうか?

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カレーの好みの違い

2015-05-12 04:41:31 | 雑感

 カレー料理を食べてくなって、妻に「今日カレーで良い?」と聞くと、「うん!」との返事が返ってきた。新聞折込で、牛肉の安売り広告が入っていたので、早速スーパーマーケットで牛肉その他の材料を仕入れた。そして、料理を始め、玉ねぎを炒め始めた。すると、妻がすかさず、「脂っこくなるから、炒めないで・・・・あっさりしたのが好きだから・・・」と言って来る。

 いつものことだ。私が食べたいと思っているカレーと妻が食べたいカレーとは全く別物なのだ。以前に、市場に行って、牛筋を買い、圧力鍋でじっくり煮込んだカレーを作ったことがあった。自分としてはまあまあの出来だと思ったが、妻の反応は今一だったのを思い出した。

 が、しかし、作り始めてしまったものは途中で変えられないし、おいしい?カレーが食べたくて、牛肉を軽く炒め、圧力鍋に入れ、いつもよりも念入りに時間を掛けて、柔らかくなるまで煮込んで、ジャガイモとにんじんを加え、カレー粉を加えて、にんじんが煮えるまで、注意深くじっくり煮込んだ。カレーの味は自分としては満足のできるものだったと思う。でも、それを食べた妻の反応は今一で、「・・・あっさりしたカレーの方が好きなのに、・・・脂っぽい・・・」と不満顔。私のテンションは一気に下がった。

 いつものことだ。妻は、私が何を作っても、自分の好みと違うと、不満顔になる。すべてにおいて、こうなのだ。料理本のレシピを見て、何かを作り始めると、チラッと見て、口を挟んでくる。「あ・・・あ、これじゃ、私の料理の腕が上がるはずないだろう!」と、内心、居直るが、料理が上手でないのは分かっているので、「妻にちょっとかわいそうなことしているなあ・・・妻が好む食べ物を食べさせたい。」と思う。でも、自分の好みと違う味のものをおいしく作ることってできるのだろうか?

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物覚えが全然だめだ!

2015-05-10 10:04:17 | 雑感

 物を覚えるのが全然だめ!これはもう大分前からなのだが、物事が記憶されずに、どんどん消えていく。人と出会って、自己紹介されるが、それが全く記憶に残っていないし、テニスをやってもカウント(点数)を覚えていない。口に出して、言ってみると、その音が残っている。その音を頼りにいたときに、さっきこう言ったよな、それじゃ、カウントは何々だと数えていく。口に出さずに先に進んでしまうと、次に進んだときに何だったか、分からなくなってしまう。こんな単純なことでも、苦労するのだから、人の名前なんて覚えるのが大変だ。口に出して言ってみて、できれば書き留めてみるようにしている。そうすると、書いたという感覚と文字の形が記憶の中に残っていて、それが、思い出すときに助けになることが多い。

 私は、小さいころから、もともと記憶力がかなり悪かったように思う。忘れたことは記憶に残っていないのだから、自分としては、覚えていることが全てで、経験したことは覚えていると思い込んでいたふしがある。当時、自分の記憶力が悪いという自覚がなかったが、よくよく考えてみると、経験したことを全部覚えていたとしたら、それはそれは秀才そのもののはず。学校の成績は今一で、その辺に、思っていることと実際とに大きなずれがあった。これは成人して大分経ったころ、ある人が、劇など一度台本を読むとほとんど覚えていたという話を聞き、自分はなかなか覚えられずに繰り返し繰り返し、覚えるのに苦労していたのを思い出し、記憶力の弱さを痛感した思い出がある。

 メモを取って残しておいても、そのメモを取ったということ、そのメモをどこにおいたかということを思い出せなかったら意味がない。けれども、どうしても覚えておかなくてはならない時ってあるもので、そんな時は、口に出し、メモを取って、あらゆる手段で体に刻み込み、覚えるしかないんだろうと思う。

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