エバ夫婦の山紀行ログ

道産子60代、四季を通じて主に夫婦で登った北海道の山を中心に紀行文を載せています。アウトドア大好き夫婦。

序章、guchiパパの「自分史」

2021年11月09日 | guchiパパを偲んで
小出しをする前に逝ってしまった「自分史」について考える記事
私の「自分史」は、まだ早いのか?


2011.6.20 旧夕張ヒュッテの外に誕生した「五右衛門風呂」に入るguchiパパ・・後ろの建物が旧ヒュッテ

いまでも時々guchiパパのブログ「癌春(がんばる)日記」にお邪魔して、山行記録に目を通す事が
ある。現在のブログには、奥様の香奈子さんがguchiパパに代わって投稿してくれているが、亡く
なった2月と言えばコロナ禍でもあり、偲ばれる中葬儀は家族葬で執り行われた。

あれから約9ヶ月が経とうとしているが、私の中ではまだguchiパパは元気で、相変わらずの一人
旅をしながら全国を歩いている姿が目に浮かぶ。ブログの訪問者だって毎日1000人前後と言
うのは、生前と変わらないし、多くのファンが毎日更新するguchiパパのブログを楽しみに訪問し
ている証でもある。

コロナ感染拡大による緊急事態宣言の解除やワクチンの2回接種も全国で73%を超えるように
なり、見えない出口もようやく収束に向かっているのか?と期待も出て来る頃になった。そうは
言っても奥様はじめご遺族の方々の心情を察すると流れる時間は止まったままかも知れないし、
「偲ぶ会」はまだまだ時期尚早なのかも知れない。

guchiパパの投稿した「自分史」について考えるの記事は、2019.8.30の事だが、当時73歳だっ
た事を思えば、まだ64歳の私が「自分史について」考え、投稿する事は早いのかも知れない。
と言うか、わたしのような若輩者が自分史を語れるほど振り返る過去の物語は少な過ぎる。

guchiパパが、73歳にしてようやく考えようとした自分史は、ブログネタの切れた時に小出し
する予定だったようだが、ネタに困らない程毎日の投稿は正にguchiパパのエネルギ―源であり
小出しする予定の自分史は、亡くなるまでの3年間次の記事は出てこなかったのである。
当時、投稿したguchiパパの記事は以下の「坂口さんの自分史」をクリックすると閲覧出来るの
で、興味のある方は見て頂きたい。
「坂口さんの自分史」


2011.6.21 guchiパパと二人で登った滝ノ沢岳(1352m)・・・背景は前岳(1501m)と夕張岳(1668m)

★ 小出しの思い出・・・
guchiパパとの初対面は、2009年3月3日。
同年1月にHYMLに入会し、ブログの開設も同時期だったのはguchiパパのアドバイスが大きく
影響している。当時毎月行われていたHYMLの札幌懇親会、通称「ルック岳」にもguchiパパは
事ある毎に函館から駆け付け参加してくれていた。その時は必ずススキノの某駐車場で車中泊する
のだが、その後私も同じ駐車場に泊るのが常になった。

おしゃべりが大好きで、早口の弾丸トークは止まらなかった。でも、私のように最後まで呑み明か
し、ハシゴする事無く翌日の事を考えて時間になれば駐車場に帰っていた・・。

あのルック岳は、私の山人生を大きく変える沢山の出会いがあり、そこから得るエネルギーは莫大
だった。HYMLという組織と言えばそうなのかも知れないが、インターネットのメーリングを管
理する管理人 (複数人) だけが居て、縛り付ける会則も、会長をはじめとする役員も居ない。
北海道の山の情報をメールで交換し合い、共有するというメーリング組織を発案・結成したメンバ
ーの一人が guchiパパであり、当時としては画期的な情報交換の場だったと思う。 今でいうSNS
の走りだったと言っても過言では無い。会員も最大で800名を超えていた時期もあって毎日投稿
されるメールのやり取りは引っ切り無しだったのが、今は懐かしい。

HYMLが発足したのは1999年12月。もうすぐ22年目となるが、当時の創立メンバーそれ
ぞれも22年間の歳月を経ている訳で全員が後期高齢者となっているし、現在の山情報はYAMAPや
ヤマレコなどがあるので、HYMLでのやり取りは非常に減って来たのは否めない。

しかし、個人的にはもっとHYMLを盛り上げたいし、「顔の見える、出会いのメーリングリスト」
であって欲しいと思う。そのためにも「ルック岳」の復活を強く望んでいるし、地方での開催にも
期待したいところだ。

guchiパパを偲びながら、小出しするパパ情報やHYMLのエピソードは事ある毎に私も続けて行け
たらと思っている。