台風21号と胆振東部地震の直撃受ける・・・
一週間過ぎても断水続く
エバ夫婦、元気に頑張っています!
★ まさかのWパンチ・・・
最初のパンチは、台風21号・・・
台風21号は、4日勢力を維持したまま徳島市に上陸した後、神戸市付近に再上陸し日本海に抜けた。
道内では、4日夜から広い範囲で風雨が急速に強まり5日朝には温帯低気圧に変わる見込みと言われて
いたが、非常に強い風は5日未明わが町にも容赦なく吹き付けた。
就寝する22時頃から時より家を揺らすような突風を感じつつ、このまま無事通過してくれと願い
就寝した。しかし、5日未明その風は半端なく目を覚ます。そして、ある異音に気が付く・・・。
最初は遠くでバタンバタンと屋根に何か当たっている音だったが、他所の家だろう?と思い過していた。
でもそうではなくどうもわが家の屋根に何かが当たっている音と認識する。
気になって起き上がり天窓から恐る恐る覗くと龍のような長いものが空に舞い上がって屋根に打ち
付ける様を目の当たりにする。
これはただ事ではないと着替え外に出て見る事にした。
生暖かい空気も突風が吹き荒れ、身の危険を感じる程だが、慎重にそっと屋根を見た。
わが家は、三角屋根でそのトップである「棟」という部分が剥がれ龍のように舞い上がっていたのだ。
棟の長さは10m以上あり舞い上がったトタン(龍)は、勢い良く屋根に打ち付けた。何度も何度も・・。
このままでは、天窓に当たって割れたり飛ばされたら近所に迷惑が掛かると思った。
一瞬風が収まった時垂れ下がったトタンの端が手の届く位置にあると分かり、柱に縛り付ける事にした。
ヘルメットにヘッドランプを付けザイルを持って再び外に出る。
タイミングを見計らいトタンが垂れ下がった時飛びついて掴んだ!(意外と簡単に掴めた・・)
直ぐにトタンをデッキの柱に寄せザイルを持って巻き付けた。
しっかり縛ってこれで安心・・・と思って家に戻ったが、何分もしない内に再び龍が舞う。
今度はザイルをもう一本用意して二ヶ所しっかり巻き付け、これで収まった・・・。
暴風によるわが家の被害は初めてだったが、深夜の騒動一部始終はこれで終わった。
9/06 北海道新聞朝刊より
9/5 未明 台風21号の暴風で飛ばされたわが屋根の棟・・・(9/05撮影)
経験のない激震だった
★ 一夜過ぎて次のパンチ・・・
まさか、まさかの出来事だった・・・
台風が去った5日は、一過の好天だった。
この日は久々に夫婦登山の予定日でもあったが、壊れた屋根の報告や手続きに追われ
山は何気に中止・・・。それでも翌日も休みだったので天気さえ良ければ次の山へと
考えていた矢先の事である。
6日午前3時08分頃。
突然の激震で飛び起きた!そして考える暇もなく次の揺れが半端なく立つ事も出来なかった。
でも寝室には大きなタンスがあるので、すぐに危険と感じ部屋の隅までなんとか移動した。
倒れるかも知れないタンスを注視し家中のものが飛び出しガチャガチャ割れる音も同時に耳にする。
大変な事になったと直感するも揺れが収まるまでどうしようもなかった・・・。
妻チーヤンも傍に居てケガは無かったが、揺れの凄さに怯え震えていた。
「ここは大丈夫だから・・・」と自分にも言い聞かせながら生きた心地はしなかった時間だ。
ようやく長い揺れが収まって、一息つくと事の重大さはすぐに実感する。
この時まだ電気が点き、隣の居間や台所の惨状を見るや足の踏み場が無いほどものが散乱していた。
確認するやすぐに停電となり暗闇となる・・・。
動揺と混乱はあれど、いつも近くには懐中電灯や山で使うランタンなどがあり灯りは確保出来た。
ガラスの破片がそこら中にあるのでベランダ用に置いてあるサンダルを履き、足場も確保した。
通常なら一階に同居する84歳の母親がいるのだが、たまたま入院中で留守だった事に安堵する。
何分か過ぎた頃、外からわが家を呼ぶ声がした。
お隣のKさんだ。「大丈夫ですかぁ~」と互いの安否を確認するために声を掛け合っていたのだ。
チーヤンは怯えて「外に行かないで!」と言ったが、「すぐに戻るから・・」と外に出た。
二軒隣の家では、倒れた家具などで部屋に閉じ込められ消防と警察に電話したようだった。
すぐに救急車両が来てケガも無く救出され事なきを得たと後に当人から聞いた。
取り敢えず近所には大きなケガをされた方がいないと分かり、それぞれ家に戻った。
寝る事も出来ず、服を着替えて明るくなるのを待ちながら次に何をすべきか考えていたと思う。
この時、停電ではあったが水は出ていた。「良かった断水はしていないぞ」と安心していたら
隣のKさんから「浄水場の本管が破裂した」という情報が入った。すぐに断水するらしいので
出来るだけ水を確保した方が良いですよ!とアドバイスを貰いご近所にも伝える。
あるだけのポリタンクとお風呂に水を溜めた。
予告通り、30分も経たないうちに断水した。この時で水は約100㍑位確保出来て助かった。
地震直後に撮ったわが家の居間・・・
地震直後の台所・・・食器類が散乱している
★ 停電と断水・・・
停電は、7日の夕方に通電しました。
たまたま私の住む地区が一番早い復旧だったようですが、多くの地域はまだ停電中でした。
こんな時、いつも思うことが電気と水のありがたみですね。
電気が使えない=蛍光灯が点かない、冷蔵庫が止まる、炊飯器が使えない、携帯の充電が出来ない
水が出ない=風呂に入れない、洗濯機が使えない、食器類が洗えない、トイレの水が出ない等々・・
あって当たり前の世界、何気に空気を吸って吐く・・・不便とかそうでないとかの問題ではない。
それが当たり前・・・に過ごしている私たちなのだ。当たり前が当たり前でなくなった時
人は一様に戸惑い、対処に迷走する。
懐中電灯が無い、手袋が無い、ろうそくも無い、オール電化でガスコンロも無い、予備電池も
ラジオも無い、携帯のモバイル充電器も無いし、車にガソリンも入ってい無い・・・
更にポリタンクも無い、バケツも無い、保存タイプの食べ物も無く、飲み物も無い・・・。
無い無い尽くしとなれば打つ手も無い。
足りない物を補うために考えるのは、買い物だろう・・・
しかし、誰もが同じ。スタンドに走れば長蛇の列、店も被害を受けて閉店、開いていても欲しいものは
みな同じだから、あっと言う間に売り切れだ!
まだ動ける元気な人なら無駄足と分かっていても行動に移すことは可能だが、高齢者や体の不自由な
方なら不便を素直に受け止めるしか方法は無いかも知れない。困った時はお互い様と助け合う行いは
素晴らしい。不安で心細い中で近所の助けは励みになるものだ・・・。
翌日には、避難所も設置されたので取り敢えず安全で水も電気も食料もあるところへ行く事は
大事なことである。家が壊れていなくても水が出なければやるべき行動は意外と多い。
給水だけでも大変な労働、トイレの水だって一度に5~6㍑も使うのだからいくらあっても足りない。
それを独り暮らしの高齢者には無理な作業と言えよう。
9/07 の北海道新聞朝刊一面
9/07 わが町安平町は震度6強だった・・・(北海道新聞より)
9/07 被害は更に広がっていった・・・ (北海道新聞より)
★ 不便を感じない家内キャンプ・・・
アウトドアと言うより、登山では日常の生活をそのまま外に移行したものと考えている。
冷蔵庫の代わりになるものは氷や保冷剤、クーラーボックス。炊飯器の代わりに炊飯専用の鍋もある。
家庭のガスが使えなくともカートリッジ式コンロも山用のガスストーブも備え済みだ。
テントやシート、寝袋や防寒着などもすぐ手の届く場所に保管している。
食料も保存性の高いパックライスや乾燥レトルト米は元よりパックみそ汁やスープなども常時備蓄
してあった。夫婦二人なら3~4日くらい外に出なくても生活は出来ただろうと思っている。
地震のあった夜は、まだ電気は点いていなかったが家の中でランタンを点け
冷蔵庫に残っていた食材で夕食とした。まるで家内キャンプである。
地震時の携帯電話も、たまたま満充電。二個あるモバイルバッテリーも満充電だったので停電後も
慌てず充電が出来たし、情報はほとんどラジオで把握することが出来た。
9/08 わが家の朝食です・・・
★ 甚大な被害は厚真町に集中・・・
電気が回復すると情報はラジオからテレビに変わる。
当初、震源地は安平町で震度6強と報道されたが、後に震源地は厚真町で震度7と訂正された。
そして、甚大な被害を受けたのも厚真町で大規模な山の崩落により多くの民家が土砂に押し潰された。
ケガ人も多く残念ながら死亡された人や行方不明者の数もどんどん増える報道が多くなった。
自衛隊や消防などによる捜索活動はすぐに始まったが、その規模が甚大で時間を要した。
余震も日に何十回も感じるほど多く、不安が収まることは無かった。
まさか自分の住む街で、まさかわが家が・・・
これまで日本中で発生した自然災害の報道をその度目の当たりにして来た。
これは他人事ではないと思いつつも、心の隅に「自分の街は大丈夫さ」という「他人事」の気持ちが
あったかも知れないと反省する。災害はいつどこでも起こり得ることを身を持って体験し、それが
どれほど生活に影響を及ぼし、体力を奪い精神力を減退させネガティブに落ち込むのか・・。
もし家族や知人がケガをしたり亡くなっていたら・・・と思うと胸が痛くなる。
厚真町で亡くなった方は36名、ほとんどの方は山の崩落で家ごと土砂に押し潰されたのが原因と
言われている。北海道では初めて震度7を観測し死者41名を出した北海道胆振東部地震。
今もなお1500名の方が避難所生活を続けている。
家族や親戚、友人知人を亡くされた方々、ケガをされた方々、家を失った方々・・・
心痛察するに余りある思いです。お悔やみやお見舞いの言葉を申し上げる事しか出来ない自分が
情けないですが、一日も早く心休まる日を迎えられることを切に望んでいます。
断水でも助けられた近くの公園にある湧き水
飲めるほどの清水・・・誰かが鉄パイプを置いて給水が楽になった
★ 断水9日ぶり・・・
14日午後、ようやく断水から復旧し蛇口から水が出た!
地震発生から9日目の復旧である。毎日毎日、近くの公園から湧き水を汲み、給水場から飲み水を
給水する生活が続いた。でもこんな事はたいして苦労ではない。ポリタンクやバケツを車に積み移動
するだけ。トイレ用の水は一日30㍑、飲み水や洗い水も30㍑あれば間に合っていた。
ここでも車が使える「当たり前」がすでに弱者から抜け出た発想みたいで、後に反省する点だ。
水以外で特に不便を感じる事はなかったが、敢えて探せば「乳製品やたまご、野菜の不足」だろうか。
カップ麺とパックライス生活が続いても一応お腹を満たし不謹慎にも毎夜ビールも飲めた。
被災地でありながら家にも被害を受けながら悠長に過ごす毎日・・・
台風で暴風を受け、大地震で家の中がメチャメチャになりながら・・・どこか他人事から抜け出せない
自分がまだ居る様だ。そんな気がする・・・。
今回の台風と地震では、反省やら教訓も多々あり色々考えさせられた体験だった。
多くの山仲間や友人知人、親せきからも心配して頂きメールや電話、ハガキでもお見舞いの言葉を
頂いた。自分では「大した事ない」と思いつつはやり心配してくれる仲間の気持ちに励まされた。
それだけで本当に嬉しいと素直に思う。
この場を借りて心配、応援して下さったすべての方に心から感謝とお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。エバ夫婦は、元気に頑張っています!
※ 9/15 一応、アップ終了とさせて頂きます。
一週間過ぎても断水続く
エバ夫婦、元気に頑張っています!
★ まさかのWパンチ・・・
最初のパンチは、台風21号・・・
台風21号は、4日勢力を維持したまま徳島市に上陸した後、神戸市付近に再上陸し日本海に抜けた。
道内では、4日夜から広い範囲で風雨が急速に強まり5日朝には温帯低気圧に変わる見込みと言われて
いたが、非常に強い風は5日未明わが町にも容赦なく吹き付けた。
就寝する22時頃から時より家を揺らすような突風を感じつつ、このまま無事通過してくれと願い
就寝した。しかし、5日未明その風は半端なく目を覚ます。そして、ある異音に気が付く・・・。
最初は遠くでバタンバタンと屋根に何か当たっている音だったが、他所の家だろう?と思い過していた。
でもそうではなくどうもわが家の屋根に何かが当たっている音と認識する。
気になって起き上がり天窓から恐る恐る覗くと龍のような長いものが空に舞い上がって屋根に打ち
付ける様を目の当たりにする。
これはただ事ではないと着替え外に出て見る事にした。
生暖かい空気も突風が吹き荒れ、身の危険を感じる程だが、慎重にそっと屋根を見た。
わが家は、三角屋根でそのトップである「棟」という部分が剥がれ龍のように舞い上がっていたのだ。
棟の長さは10m以上あり舞い上がったトタン(龍)は、勢い良く屋根に打ち付けた。何度も何度も・・。
このままでは、天窓に当たって割れたり飛ばされたら近所に迷惑が掛かると思った。
一瞬風が収まった時垂れ下がったトタンの端が手の届く位置にあると分かり、柱に縛り付ける事にした。
ヘルメットにヘッドランプを付けザイルを持って再び外に出る。
タイミングを見計らいトタンが垂れ下がった時飛びついて掴んだ!(意外と簡単に掴めた・・)
直ぐにトタンをデッキの柱に寄せザイルを持って巻き付けた。
しっかり縛ってこれで安心・・・と思って家に戻ったが、何分もしない内に再び龍が舞う。
今度はザイルをもう一本用意して二ヶ所しっかり巻き付け、これで収まった・・・。
暴風によるわが家の被害は初めてだったが、深夜の騒動一部始終はこれで終わった。
9/06 北海道新聞朝刊より
9/5 未明 台風21号の暴風で飛ばされたわが屋根の棟・・・(9/05撮影)
経験のない激震だった
★ 一夜過ぎて次のパンチ・・・
まさか、まさかの出来事だった・・・
台風が去った5日は、一過の好天だった。
この日は久々に夫婦登山の予定日でもあったが、壊れた屋根の報告や手続きに追われ
山は何気に中止・・・。それでも翌日も休みだったので天気さえ良ければ次の山へと
考えていた矢先の事である。
6日午前3時08分頃。
突然の激震で飛び起きた!そして考える暇もなく次の揺れが半端なく立つ事も出来なかった。
でも寝室には大きなタンスがあるので、すぐに危険と感じ部屋の隅までなんとか移動した。
倒れるかも知れないタンスを注視し家中のものが飛び出しガチャガチャ割れる音も同時に耳にする。
大変な事になったと直感するも揺れが収まるまでどうしようもなかった・・・。
妻チーヤンも傍に居てケガは無かったが、揺れの凄さに怯え震えていた。
「ここは大丈夫だから・・・」と自分にも言い聞かせながら生きた心地はしなかった時間だ。
ようやく長い揺れが収まって、一息つくと事の重大さはすぐに実感する。
この時まだ電気が点き、隣の居間や台所の惨状を見るや足の踏み場が無いほどものが散乱していた。
確認するやすぐに停電となり暗闇となる・・・。
動揺と混乱はあれど、いつも近くには懐中電灯や山で使うランタンなどがあり灯りは確保出来た。
ガラスの破片がそこら中にあるのでベランダ用に置いてあるサンダルを履き、足場も確保した。
通常なら一階に同居する84歳の母親がいるのだが、たまたま入院中で留守だった事に安堵する。
何分か過ぎた頃、外からわが家を呼ぶ声がした。
お隣のKさんだ。「大丈夫ですかぁ~」と互いの安否を確認するために声を掛け合っていたのだ。
チーヤンは怯えて「外に行かないで!」と言ったが、「すぐに戻るから・・」と外に出た。
二軒隣の家では、倒れた家具などで部屋に閉じ込められ消防と警察に電話したようだった。
すぐに救急車両が来てケガも無く救出され事なきを得たと後に当人から聞いた。
取り敢えず近所には大きなケガをされた方がいないと分かり、それぞれ家に戻った。
寝る事も出来ず、服を着替えて明るくなるのを待ちながら次に何をすべきか考えていたと思う。
この時、停電ではあったが水は出ていた。「良かった断水はしていないぞ」と安心していたら
隣のKさんから「浄水場の本管が破裂した」という情報が入った。すぐに断水するらしいので
出来るだけ水を確保した方が良いですよ!とアドバイスを貰いご近所にも伝える。
あるだけのポリタンクとお風呂に水を溜めた。
予告通り、30分も経たないうちに断水した。この時で水は約100㍑位確保出来て助かった。
地震直後に撮ったわが家の居間・・・
地震直後の台所・・・食器類が散乱している
★ 停電と断水・・・
停電は、7日の夕方に通電しました。
たまたま私の住む地区が一番早い復旧だったようですが、多くの地域はまだ停電中でした。
こんな時、いつも思うことが電気と水のありがたみですね。
電気が使えない=蛍光灯が点かない、冷蔵庫が止まる、炊飯器が使えない、携帯の充電が出来ない
水が出ない=風呂に入れない、洗濯機が使えない、食器類が洗えない、トイレの水が出ない等々・・
あって当たり前の世界、何気に空気を吸って吐く・・・不便とかそうでないとかの問題ではない。
それが当たり前・・・に過ごしている私たちなのだ。当たり前が当たり前でなくなった時
人は一様に戸惑い、対処に迷走する。
懐中電灯が無い、手袋が無い、ろうそくも無い、オール電化でガスコンロも無い、予備電池も
ラジオも無い、携帯のモバイル充電器も無いし、車にガソリンも入ってい無い・・・
更にポリタンクも無い、バケツも無い、保存タイプの食べ物も無く、飲み物も無い・・・。
無い無い尽くしとなれば打つ手も無い。
足りない物を補うために考えるのは、買い物だろう・・・
しかし、誰もが同じ。スタンドに走れば長蛇の列、店も被害を受けて閉店、開いていても欲しいものは
みな同じだから、あっと言う間に売り切れだ!
まだ動ける元気な人なら無駄足と分かっていても行動に移すことは可能だが、高齢者や体の不自由な
方なら不便を素直に受け止めるしか方法は無いかも知れない。困った時はお互い様と助け合う行いは
素晴らしい。不安で心細い中で近所の助けは励みになるものだ・・・。
翌日には、避難所も設置されたので取り敢えず安全で水も電気も食料もあるところへ行く事は
大事なことである。家が壊れていなくても水が出なければやるべき行動は意外と多い。
給水だけでも大変な労働、トイレの水だって一度に5~6㍑も使うのだからいくらあっても足りない。
それを独り暮らしの高齢者には無理な作業と言えよう。
9/07 の北海道新聞朝刊一面
9/07 わが町安平町は震度6強だった・・・(北海道新聞より)
9/07 被害は更に広がっていった・・・ (北海道新聞より)
★ 不便を感じない家内キャンプ・・・
アウトドアと言うより、登山では日常の生活をそのまま外に移行したものと考えている。
冷蔵庫の代わりになるものは氷や保冷剤、クーラーボックス。炊飯器の代わりに炊飯専用の鍋もある。
家庭のガスが使えなくともカートリッジ式コンロも山用のガスストーブも備え済みだ。
テントやシート、寝袋や防寒着などもすぐ手の届く場所に保管している。
食料も保存性の高いパックライスや乾燥レトルト米は元よりパックみそ汁やスープなども常時備蓄
してあった。夫婦二人なら3~4日くらい外に出なくても生活は出来ただろうと思っている。
地震のあった夜は、まだ電気は点いていなかったが家の中でランタンを点け
冷蔵庫に残っていた食材で夕食とした。まるで家内キャンプである。
地震時の携帯電話も、たまたま満充電。二個あるモバイルバッテリーも満充電だったので停電後も
慌てず充電が出来たし、情報はほとんどラジオで把握することが出来た。
9/08 わが家の朝食です・・・
★ 甚大な被害は厚真町に集中・・・
電気が回復すると情報はラジオからテレビに変わる。
当初、震源地は安平町で震度6強と報道されたが、後に震源地は厚真町で震度7と訂正された。
そして、甚大な被害を受けたのも厚真町で大規模な山の崩落により多くの民家が土砂に押し潰された。
ケガ人も多く残念ながら死亡された人や行方不明者の数もどんどん増える報道が多くなった。
自衛隊や消防などによる捜索活動はすぐに始まったが、その規模が甚大で時間を要した。
余震も日に何十回も感じるほど多く、不安が収まることは無かった。
まさか自分の住む街で、まさかわが家が・・・
これまで日本中で発生した自然災害の報道をその度目の当たりにして来た。
これは他人事ではないと思いつつも、心の隅に「自分の街は大丈夫さ」という「他人事」の気持ちが
あったかも知れないと反省する。災害はいつどこでも起こり得ることを身を持って体験し、それが
どれほど生活に影響を及ぼし、体力を奪い精神力を減退させネガティブに落ち込むのか・・。
もし家族や知人がケガをしたり亡くなっていたら・・・と思うと胸が痛くなる。
厚真町で亡くなった方は36名、ほとんどの方は山の崩落で家ごと土砂に押し潰されたのが原因と
言われている。北海道では初めて震度7を観測し死者41名を出した北海道胆振東部地震。
今もなお1500名の方が避難所生活を続けている。
家族や親戚、友人知人を亡くされた方々、ケガをされた方々、家を失った方々・・・
心痛察するに余りある思いです。お悔やみやお見舞いの言葉を申し上げる事しか出来ない自分が
情けないですが、一日も早く心休まる日を迎えられることを切に望んでいます。
断水でも助けられた近くの公園にある湧き水
飲めるほどの清水・・・誰かが鉄パイプを置いて給水が楽になった
★ 断水9日ぶり・・・
14日午後、ようやく断水から復旧し蛇口から水が出た!
地震発生から9日目の復旧である。毎日毎日、近くの公園から湧き水を汲み、給水場から飲み水を
給水する生活が続いた。でもこんな事はたいして苦労ではない。ポリタンクやバケツを車に積み移動
するだけ。トイレ用の水は一日30㍑、飲み水や洗い水も30㍑あれば間に合っていた。
ここでも車が使える「当たり前」がすでに弱者から抜け出た発想みたいで、後に反省する点だ。
水以外で特に不便を感じる事はなかったが、敢えて探せば「乳製品やたまご、野菜の不足」だろうか。
カップ麺とパックライス生活が続いても一応お腹を満たし不謹慎にも毎夜ビールも飲めた。
被災地でありながら家にも被害を受けながら悠長に過ごす毎日・・・
台風で暴風を受け、大地震で家の中がメチャメチャになりながら・・・どこか他人事から抜け出せない
自分がまだ居る様だ。そんな気がする・・・。
今回の台風と地震では、反省やら教訓も多々あり色々考えさせられた体験だった。
多くの山仲間や友人知人、親せきからも心配して頂きメールや電話、ハガキでもお見舞いの言葉を
頂いた。自分では「大した事ない」と思いつつはやり心配してくれる仲間の気持ちに励まされた。
それだけで本当に嬉しいと素直に思う。
この場を借りて心配、応援して下さったすべての方に心から感謝とお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。エバ夫婦は、元気に頑張っています!
※ 9/15 一応、アップ終了とさせて頂きます。
日高や道東以外は地震は大丈夫と思っていましたが、胆振東部、甚大な被害となってしまいました・・・。
これからも油断できませんね。
山の仲間をはじめ友人、知人、親せきなどから多くのメールや電話を頂きました。
「困ったことがあったら応援に行くからね」
とか「何か足りない物ないかい?」とか
「これからも余震が続くみたいだから気を付けてね」など・・ありがたいものですね。
幸いケガも無く、家の損傷も少なかったので避難所を利用する事はありませんでした。
しかし、断水がまだ復旧せずそれなりに不便さは感じています。
でも、電気は点くしガスも使えれば水くらいなんとかなるさ・・の精神です。
山夫婦で良かったと・・・こんな時は思います 笑
まだ油断できませんが、元気に頑張っています!
台風に続くダブルパンチとは、、、
連絡がとれない間 無事なのか怪我をされてないかと心配でしたがブログも再開でなによりです。
小樽も3日間停電でしたがヘッ電つけてアルファ米食べてと山の続きみたいな生活でした。
一日も早く元の生活に戻れますように祈っています。
停電になっても断水でも生きる術は山での生活と同じで身に付いています。
なので、尋常でない揺れにはびっくりしましたが、家も人も無事なら不便なんて
なんとかなるものです。
今日、断水も解消し念願の水が水道から出ました。
これで日常生活に戻れそうです・・・。
知床岬も制し、増毛山道も行けたなんて良いなぁ~・・です。
9月に入ってまだ一度も山に行けないエバです。
少し前にも小さな余震がありました・・。
今も一日2~3度の余震がありまだ落ち着きませんわ。
でも皆さんのお陰で普段の生活に戻りつつありますので
ご安心ください。ありがとうございました。
何か計画がありましたら是非誘って下さいませ!
これで家が崩壊し、もう住めなくなってたら・・・
と思うとわが家の損傷はまだ軽い方です。
同じ街にはまだ多くの被災者が居て避難生活
を余儀なくされています。
自分たちの生活が普段に戻ってもちょっと走れば悲惨な状況は手に取れます。
Amigoさんの山に対する執念さを感じます。
とにかく登る、登って登る精神にはずっと前から脱帽してます。
これからも頑張って下さいね。
コメントありがとうです