風に吹かれたアン

旅歴、50年~世界中を放浪するのが夢。
40ヵ国は行ったけど、今年は再び中欧へ~

ポーランド(Poland)への旅 №3・・・アウシュビッツ

2019-10-14 20:28:17 | ヨーロッパ (ドイツ・北欧・ロシア・中欧諸国)


「アウシュビッツ(独語)」(ポーランド語:オシフィエンチム)に行けたことは、
凄いことだった。


その場所・強制収容所は、今では普通の観光コースにも入っている。


 
  
訪問したからと言って、普通の「旅」と何ら変わらない。



今の世界にはもっと凄惨な場面があるだろう。


 
ただ、私にとってアウシュビッツ訪問は、歴史を「追体験」したような
貴重な体験だった。


公園のように綺麗に整備され、できるだけ恐怖からは遠くなるように
展示にも気を使っている。



その、さらっとしている分だけ、「真実の重み」がより感じられた。




★今回の「台風19号」に出会って

アウシュビッツ(オシフィエンチム)のことをどこまで書いたら良いのか迷っていた。

そこへ、台風19号がやってきた。
東日本各地の河川や人々の様子がニュースで迫って来る。
「命」の重みを知らされた。
言葉が出ない。


 
多摩川には、子供時代からのたくさんの思い出がある。
今は真摯に「命や自然」に向かい合い、祈りたい。



ポーランド(Poland)への旅 №2・・・歴史の重み

2019-09-29 20:31:10 | ヨーロッパ (ドイツ・北欧・ロシア・中欧諸国)


旅とは不思議なものだ。
私にとっての旅は、「人生」そのものになってしまった。

今までの生きてきた時間の中で何かを残すことがなかった。
キャリアと言えるようなものもない。
唯一、旅においてはかなりの時間とお金をつぎ込んで来た。
「旅のために生きて来た」感じもある(笑)



この中で一番印象に残っているのは、やはり20代の時の旅だ。
不安な未来に立ち向かうような「旅」だった。
今でも鮮やかに、大切に思い出される日々だ。


そして、今回のポーランドへの旅はその次に来るような
ある強烈な体験をした。







★8日間の旅の主な訪問地
1 グダンスク→マルボルク(世界遺産・マルボルク城)→トルン
2 トルン(コペルニクスの生家や世界遺産)→ポズナン→ブロツワフ
3 ブロツワフ(世界遺産・百年記念会館)→シフィドニツア(世界遺産・平和教会)
      →カルバリア・ゼブジドフスカ(世界遺産)→クラクフ
4 クラクフ→オシフィエンチム(世界遺産・アウシュビッツ博物館)
      →ビエリチカ(世界遺産・岩塩抗観光)→クラクフ
5 クラクフ(世界遺産・クラクフ歴史地区)→ワルシャワ(ショパンが良く行ったレス      トラン他)
6 ワルシャワ(世界遺産・ワルシャワ歴史地区)



初めての国だが、ハンガリーやチェコと似ているところがある。
何だか懐かしい気がした。



9月中旬から下旬は気候も爽やかで、お天気にも恵まれた。





ポーランドへの旅・・・№1

2019-09-26 20:37:34 | ヨーロッパ (ドイツ・北欧・ロシア・中欧諸国)


旅が好きだ。

今年は、まだ行ったことのない国に行こうと、急きょポーランドに
行くことにした。

旅の一か月前ぐらいに、ポーランド行きを決めた。
添乗員さん付きのツアーなので、言葉の心配もない(笑)
美味しいものを食べたり、美しいもの怖いもの・興味深いことなどを
思う存分楽しめた。

一人旅とはまた別の、ツアーの面白さも堪能できた。  


 
ポーランドは、ヨーロッパの真ん中あたりにある。
ガイドブックによると、
「ヨーロッパの東西を結ぶ交易路中継点に位置する。
そのため、諸外国による侵略・分割に繰り返し遭ってきた。
第二次世界大戦では主要都市が破壊されたが、戦後は美しい街並みへと修復。
不死鳥のように蘇ってきた国である」


 
★グダンスク(Gdansk)
 ポーランド最大の港街。14~16世紀ごろにはハンザ同盟の都市として栄えた。
聖母マリア教会他、当時の素晴らしい建築があり優美な街並み。





今回はレフ・ワレサ氏で有名になった「グダンスク造船所と連帯記念碑」も
訪れた。
まだ記憶に新しい歴史の一場面を思い出して、感動した。





★マルボルク(Malbork)
 世界遺産「マルボルク城」は、1274年にドイツ騎士団が建てた。

その後、城は第二次大戦中にソ連軍とドイツ軍の攻防戦で甚大な
被害を受けた。
現在は復元されて、私たちに中世の世界を思い起こさせてくれる。
 





若き日の「アメリカ・ヨーロッパ 放浪の旅」№2

2018-05-31 20:50:59 | ヨーロッパ (ドイツ・北欧・ロシア・中欧諸国)

色々なことを思い出す。この際、思い出したことを記録しておこう。

★★ナルビクのユースホステル(ノルウェー)


ここのユースは、今はもうなくなってしまったようだ。

雪深い中を鉄道で行ったので、ことのほか思い出深い。

私が泊まったのが、1978年。

(このBlogの「お題」参加したおかげで、昔のメモなどを見つけることができた)

結婚や度々の転居で、日記類はほんの少ししか残っていない。

ところが、ユースホステルの会員証が残っていた!!

その時代は、北欧やドイツなどは日本よりもかなり物価が高かった。

だから、安心して泊まれて値段が安いユースホステルは、

女性一人旅には本当に助かるのだ。笑)

日本で作った会員証は、外国でもそのまま使えた。

↓こけしの増補ページや日本語を見て、イギリス・ヨークのユースホステルのスタッフが

丁寧にスタンプを押してくれたのを思い出した。笑。


 

↓★「NARVIK」と赤いスタンプが押してある。

駅からは雪の中を歩いて、15分ぐらいかかった。

とぼとぼと歩いてやっとたどり着いたユースは、本当にありがたい。

そこで、嬉しいことに日本人二人に出会った。

彼らはそれぞれ男性一人旅だった。笑。

名前も忘れてしまったが、一人の人が松本清張の文庫本をくれた。

「読み終わったからどうぞ」って。

私は、その本を読んだと思うが。。。今はタイトルも覚えていない。


 

北極圏に位置するナルビクには、もう二度と行けないかもしれない。

もし行くことができたら、あのユースホステルがあった場所を探してみたい。

サラサラの雪の感触と、静かな通りを思い出す。


若き日の「アメリカ・ヨーロッパ 放浪の旅」かな~

2018-05-21 19:36:03 | ヨーロッパ (ドイツ・北欧・ロシア・中欧諸国)

1978年8月、成田空港からアメリカに向かって出発。

女性の一人旅がまだ珍しい時代だった。

社会では学生運動の余波が残り重苦しい雰囲気が続いていた。

不完全燃焼の暗~い青春を送っていました。笑。

 

★ロサンゼルスに到着後、オレゴン州でペンフレンドに会った。

彼女は、私よりかなり年上の既婚者。彼女の家には2週間ほど泊めてもらった。

「もっと長くいてくれていいのよ」と言ってくれて、今思うと優しい大らかなご夫婦だった。

 

彼女と別れてから後は、まったくの女性一人旅。アメリカ大陸をバスで横断。

ニューヨークからイギリスへ。

大好きなイギリスに1か月間滞在。

更に、ユーレイルパスでヨーロッパ大陸を放浪した。

5か月半の、今思うと冒険三昧の貧乏旅行でした。

お金はとことん節約していました。

貧乏旅行でしたが、命や安全には替えられないので、

「甘いことを言う、変な人には付いて行かない」ことだけは死守。笑。

ユースホステル・ゲストハウスを中心に宿泊。

ユーレイルパスで夜行に乗って次の街に行き、宿泊代を浮かしたのも良い思い出です。

色々な人に親切にしていただいたのが、心の財産になった。

★一番忘れられないのは、東西ドイツが分断されていた時の「東ベルリン」に行ったこと。

西ベルリンからチェックポイントチャーリーを通って、東側に行った。

その時の緊張感や光景が、今でも鮮やかに浮かんできます。

翌年の1月に無事に日本に帰国。

一生分の冒険をしたので、それからの人生は平凡に送っています。(笑)