風に吹かれたアン

旅歴、50年~世界中を放浪するのが夢。
40ヵ国は行ったけど、コロナで一時中断。
今年やっと復活~(笑)

「馬込文士村」が面白くなってきた~

2019-11-24 20:36:17 | 文学・映画・芸術

 
今週は、出かけてばかりで結構ハードな日々だった (笑)
ハードと言っても、どれもこれも好きでやっていることばかり・・・つまり「道楽」?
 
家族に言わせると、私は「好きなことをやって毎日遊んでいる」らしい。

悔しいので、最近は自分のことを、一人NPOだと思うようにしている(笑)

先日の、馬込文士村「演劇祭立ち上げイベント」は、楽しかった!
これを機会に、ワクワクすることが増えるといいな。


 
「馬込文士村」とは?

馬込村と入新井(いりあらい)村(現在の山王、中央付近)は、江戸時代までは農村地帯であった。


1876年に、東海道線(京浜東北線)大森駅が開業。
これ以降、現在の山王一帯は東京近郊の別荘地として開発された。 
明治時代の終わり頃、芸術家や詩人達が山王一帯に住むようになり、馬込文士村の原型ができ始めた。

主なメンバーは日夏耿之介、小林古径、川端龍子、伊東深水、片山広子、真野紀太郎、長谷川潔らがいる。
大正時代、彼らは「大森丘の会」を大森駅近くの「望翠楼ホテル」で頻繁に開いた。
 
その後、尾崎士郎が馬込に引っ越してくると知り合いの文士に声をかけ始めた。

誘いに応じて、萩原朔太郎、今井達雄、川端康成、衣巻省三、榊山潤、藤浦洸、
間宮茂輔、広津和郎、宇野千代、佐多稲子、吉屋信子、
村岡花子、室生犀星、三好達治ら、そうそうたる作家たちがやってきた。



その後も稲垣足穂、小島政二、佐藤惣之助、竹村俊郎などが住んだ。
だが第二次大戦勃発で、その歴史は終わったものとされている。
 
今では、彼らの書いたものを読むことも少なくなった。
でも、少し前の大森・馬込・池上エリアには、文学や芸術の香りが溢れていたのだ!嬉しい~
川端茅舎・西東三鬼の俳人らも、この地に住んでいた。
三島由紀夫も馬込の住民だったのだ。


 
世の中、効率ばかりじゃつまらない。
悩んだり回り道したり。。。
文学や芸術って、人間にとって一番大切なものじゃないのかな?

川崎に「浮世絵ギャラリー」が!

2019-11-14 20:28:36 | まち歩き♪


昨日、川崎駅周辺に行ってきた。
 
川崎駅は、横浜と東京に挟まれていて便利な場所ではある。
ただ、文化・芸術面ではそれほど訪れる機会はなかった。
久しぶりに「ラゾーナ」とは反対側の、川崎駅前タワーリバークというビルに行った。
 
4階に図書館があったので、今はどのような雰囲気か見に行ったのだ。
駅に隣接しているので、ちょっと雑誌を読むむのには便利だ。
 
買い物でも駅ナカが人気だが、駅の周辺に公共施設が集中しているのはありがたい。
図書館には、川崎市ばかりではなく神奈川県内の情報が、チラシなどで置かれていた。
私のように、市外からの訪問者にも便利だ。
このチラシで、川崎に「能楽堂」があることも知った。
それに、な・なんと「浮世絵ギャラリー」が12月にオープンするという。
 
高層ビルやゲーム・買い物の街だと思っていたが、「川崎、恐るべし!」
JR川崎駅北口周辺も、カフェやお店が増えてなかなか綺麗だった。

川崎を訪問するのが、楽しみになった。
 


「正倉院の世界」展で散財~

2019-11-11 20:49:40 | 日記・エッセイ・コラム


なかなか行けなかった上野の「正倉院」展に行ってきた。
 
土日は混雑しているし、平日は予定が合わなくて観覧できなかったのだ。

11月になってしまったので、
慌てて平日でお天気の良い午後に国立博物館を訪れた。
40分待ちだったが、日傘もあるし暑さもそれほど気にならなかった。
待ち時間にはスマホを見たり、本を斜め読みしたりしていた。

1300年も昔の文物を、この現代にまた見るということの不思議さを十分楽しめた。
「平螺鈿背八角鏡」や「白瑠璃椀」もすぐ目の前にある。
これらの一つ一つに、どのような歴史や物語があるかと考えると
気が遠くなるようだ。(笑)


 
やはり来て良かった!
今回は、自分へのご褒美にちょっと素敵な風呂敷やハンカチを買ってしまった。

毎日健気に生きている自分自身を褒めてあげよう!なんてね。。

これらを使う時、悠久の歴史を感じられるのだからコスパもいいのでは?(笑)



カレンダーはいいとして、風呂敷は家族にはまだ内緒だ。
「何に使うの?」と言われそうなので、引き出しにすぐしまい込んだ。
 


昭和の頃・・・千葉の行商のおばさん

2019-11-01 20:31:07 | 日記・エッセイ・コラム


朝の情報番組(テレビ朝日)で「千葉からやって来る行商のオバサン」を見た。
 
そう言えば、私が小学生だったころ、自宅に行商の女性が月に何回か来ていた。
もうそのころには、近所にお洒落なスーパーもあった。
戸越銀座や武蔵小山商店街も近かったので、
何でうちの母親が、わざわざその行商の女性から買っているのかわからなかった。
 

大きな荷物をしょって人懐こそうな中年の女性だった。
背中の荷物からは、手作りの大福や野菜が次々に出て来た。
大福のあんは、まだ小豆の粒々が残っていて「手作り~」という感じが楽しかった。
今回、この番組を見てあの頃を懐かしく思い出した。
 

母親はお茶を行商のおばさんへ入れ、二人で世間話をしていたのだろう。
私がそこに居合わせると、「大きくなったね~」などと声をかけられた。
子供だったので、
何だか恥ずかしくそそくさとおばさんの前を通り過ぎたことが多い(笑)
ああいう時代もあったのだ。

世間ではやはり、東京オリンピックで盛り上がっていた昭和の頃だった。
テレビの中の行商の女性は、ちょうど母と同じ年齢だった。