風に吹かれたアン

旅歴、50年~世界中を放浪するのが夢。
40ヵ国は行ったけど、今年は再び中欧へ~

湘南ボーイ「添田 唖蝉坊」~「夢想・鳥込文士村」№13

2020-08-21 20:30:13 | 文学・映画・芸術


「添田 唖蝉坊(そえだ あぜんぼう)」は、文士村住人の「添田さつき」の父親である・・・ということは有名な話だ。
(★参考:5/6 添田さつきの鳥込の家~ 「夢想・鳥込文士村」 №5)

昨日、俳句の会で、「唖蝉」オシゼミ という言葉が出てきた。
へえ~、添田さつきの父親の芸名だ(笑)と、偶然に驚いた。

俳句をやっている人には、夏の季語なので良く知られているらしい。
私は、俳句超 ! 初心者なので偶然の一致が面白かった。
★「唖蝉」(おしぜみ)の意味:鳴かない雌せみのことである・・夏の季語。



そこで、色々と調べてみたら、唖蝉坊が神奈川県大磯町の出身だとわかった。


大磯から、東京の深川の叔父の家に預けられたのだ。
その後、演歌中興の祖とまで言われるようになったのである~
大磯の観光情報サイト、「イソタビ ドットコム」に、唖蝉坊のことが詳しく載っている。
  ↓
・・・「東京・下町育ちの小沢昭一さんは大の唖蝉坊ファン。歌う姿を目にしたことはないが、写真館を営む 明治生まれの父親が鼻歌まじりでよく口ずさむのを耳にしながら育ったそうです。
庶民の声を代弁し、権力や権威、特権階級を風刺してやまない心意気に引かれ、自らも「ストライキ節」 などを歌い、CDに収録しています。
 『唖蝉坊は生きている』( KING RECORDS )で小沢昭一さんの歌声を聞くことができます。」・・・



★★「あきらめ節」の歌詞も傑作!★★

♪ たとえ姑が鬼でも蛇でも 嫁は素直にせにゃならぬ
  どうせ懲役するよなものと 何も言わずにあきらめる

  借りたお金は催促されて 貸したお金は取れぬもの
  どうせ浮世はこうしたものと 私しゃいつでもあきらめる(^^♪

頭にくるようなことを、ユーモアを交えながら率直に歌っている。
スゴイナ~の一言です。


「 雲 」山村慕鳥 ~「夢想・鳥込文士村」№12

2020-08-08 20:25:50 | 文学・映画・芸術


抜けるような青い空を見ていたら、遠い昔に聞いた詩を思い出した。
・・・・・・・・・・・・
「雲」

丘の上で
としよりと
こどもと
うつとりと雲を
ながめてゐる

 おなじく

おうい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
 ずつと磐城平(いわきたいら)の方までゆくんか

あるとき

雲もまた自分のやうだ
自分のやうに
すつかり途方にくれてゐるのだ
 あまりにあまりにひろすぎる
涯(はて)のない蒼空なので
おう老子よ
こんなときだ
にこにことして
 ひよつこりとでてきませんか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★実際は、次の部分のみが強烈に記憶に残っていたのだが。。。。

「おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
 どこまでゆくんだ」
「おーい雲よ。。。」と、呼びかけている
のどかな感じが何とも言えない。



作者が山村慕鳥という、変わった名前だということは記憶していた。
この慕鳥が、凄い人だった。

★ 山村 暮鳥(やまむら ぼちょう)
1884年(明治17年)‐1924年(大正13年)は、群馬県で生まれる。詩人・児童文学者。本名、土田八九十(つちだ はくじゅう)、旧姓は志村。
家庭的には恵まれない環境で育つ。
1913年に、同郷の萩原朔太郎や友人の室生犀星と、詩、宗教、音楽の研究を目的とする「にんぎょ詩社」を設立。。。。       (ウィキペディア(Wikipedia))より
萩原朔太郎との交流があったことは驚きだ。40歳で亡くなったのが惜しい。  



最近、昔の日本の詩の豊かさに慰められることが多い。
小説とは違って、言葉に込められた余韻のようなものが感じられるからかもしれない。