EBI印 近隣探索日記

休みの度に、近場をウロウロしては写真をパチリ。
徒然に撮った写真をUPしつつ、ゆるゆる更新します。

野蒜築港跡と東山道鎮台

2010年11月08日 19時50分31秒 | 日記
他の街の歴史も良い物だが、ごくごく近い場所にも同じ様に歴史があった。
時は明治。
明治天皇の東北行幸をきっかけとし、大久保利通が進めた、東北最大の国家プロジェクト。
野蒜築港。
今では、煉瓦橋の基礎と案内板とかしか残らないが、かつての街の跡は感じられる。


北上川、鳴瀬川、北上運河、貞山運河と水運に恵まれ、東北各地とのアクセスが抜群に良い場所なのだが、運用開始から2年で台風の為に被害が大きく使用断念。
明治15年から17年までの短い期間ではあったが、工事の開始は長崎、横浜より先に始まっていたらしい。



当時海運が中心だった為に、選ばれたようだが、今の目で見ると、此処はサーフィンのメッカ。
波が高いんだけどな~

惜しい。


もともと北上川の河口の石巻から、積み出された東北各地の米は、江戸で消費される米の約半数にも及ぶとの事。
石巻の賑わいは、奥の細道にも登場している位だし。
そして、石巻もまた惜しい街。
一時的とはいえ、東北の中心になりかけた。
戊申戦争の結果仙台藩が62万石から28万石に減らされ、石巻が紆余曲折、明治政府直轄になった。

その後、政府が東西に鎮台を設け。
西は、西海道鎮台(本営小倉 分営博多 日田)と東は東山道鎮台(本営石巻 分営福島 盛岡)を明治4年4月に決定。
しかし、明治4年8月に東京、大阪、東山、鎮西、北海道に変更。
東山は一時仙台、鎮西は一時熊本になり、石巻には戻ってくることはなかった。
結局石巻は書類上の編成で終わってしまったようだ。
その後、鎮台が師団に変わり、仙台第二師団に続いていく。

一時的でも、地元が歴史に登場する事は嬉しいものだ。
他の街へは、歴史を求めていくのに、地元の物には意外と振り向かないもんだな~。



今は、航空自衛隊松島基地があり、F2が飛んでる。