(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

陸奥市川の3058レ

2020年02月11日 | ★★★┃ ロ┃ED75総合 |★★★
 まだ3088レや3092レ、3066レといった列車がナナゴ牽引で走ってた頃に、八戸発下り初電で上北町まで行き、そこから天間林の切通&踏切までフル装備背負って歩って、大汗拭いながらそれら貨レや485系「はつかり」を撮っては、また上北町の駅まで汗だくで戻って八戸行きの電車に乗って更に今度は苫米地近辺で、という撮影行を繰り返していた。
 多分、12系お座敷「ふれあいみちのく」が東青森(転)にいた758牽引だというので出掛けて、雪のため露出不足で撃沈して戻ってきた時かも知れない(後でデータ見ておく)。消化不良状態のまま八戸に戻る途中で、3058レがまだもう一本あることに気がついた。既にEH500牽引になってた3064レ(現、3050レ)は捨てて遣り過ごしていたが、ナナゴ重連のこの列車はまだ来ていない。急いで陸奥市川で降りてもと来た方向に向かって歩く。・・・雪は八戸近くまで戻っても降っていたが、露出は1/500が切れる位に上がっていた。
 3058レはP型限定運用には入ってなかった筈だが、何故か相性が悪くて「腹巻き」更新機が前、って事が多かった。尤も、当時はかなり「立ってる」スジだったから、出来るだけ回って来るように運用をシャッフル、調節してたのではないかと思う。
 だが、降りしきる雪の向こうから現れたのは

76+1002の重連。

 まだ生きてたのか・・・既にヤネガマの80代は85を除いて全滅、90代のそれにしても残り僅かとなってた時に、まさか76が生き残ってたとは思わなかった。
 「間に合った・・・」
 みすみす撮り逃して終わるかと思ってただけに、正直撮れてホッとした。
 この撮影後すぐに76は107と共に運用離脱して、貨レを牽いて走る姿を見ることは出来なくなった。その直前にしっかと自分のポジで撮れたのは、とても幸運な出来事だった。

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