今は関東ローカルでの営業だけみたいになったトーリクが
ウイングルーフ31ft.コンテナで九州まで行ってた頃の奴。
牽引は車体更新機ながらPS22を載せていた、EF65 120(愛)
牽引する高速貨物B、61レは愛知区EF65の「花形仕業」。
コキ50000、60000、45500という当時のライナー列車の常連だらけの中に
トーリクのウィングルーフコンテナの為
態々コキ104が1両だけ使われていたのが目立つ。
今でこそ31ft.長尺コンテナでも
「第一種積載限界」云々とあるのは当たり前になってきたが
当時はそういう背高コンテナ、しかもウイングルーフタイプのは珍しく
JR貨物がかなり気を遣ったことが伺えた。
だがこのトーリクって会社は記憶が確かなら
一回業績不振で事業を縮小せざるを得なくなったことがあった筈
それでJRコンテナ利用から手を引いたと思った。
家頁をみるとそれこそ平塚から関東近辺での営業が目立つが
また越谷タ辺りからコアラのマークを飾るでっかいコンテナで
本線上に帰ってこないか、と思ったりしている。
ウイングルーフ31ft.コンテナで九州まで行ってた頃の奴。
牽引は車体更新機ながらPS22を載せていた、EF65 120(愛)
牽引する高速貨物B、61レは愛知区EF65の「花形仕業」。
コキ50000、60000、45500という当時のライナー列車の常連だらけの中に
トーリクのウィングルーフコンテナの為
態々コキ104が1両だけ使われていたのが目立つ。
今でこそ31ft.長尺コンテナでも
「第一種積載限界」云々とあるのは当たり前になってきたが
当時はそういう背高コンテナ、しかもウイングルーフタイプのは珍しく
JR貨物がかなり気を遣ったことが伺えた。
だがこのトーリクって会社は記憶が確かなら
一回業績不振で事業を縮小せざるを得なくなったことがあった筈
それでJRコンテナ利用から手を引いたと思った。
家頁をみるとそれこそ平塚から関東近辺での営業が目立つが
また越谷タ辺りからコアラのマークを飾るでっかいコンテナで
本線上に帰ってこないか、と思ったりしている。
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