(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

全機撮ったとは言っても

2017年10月07日 | ぎゃらりぃ「チラ裏」
 15両いた内、ポジで撮った覚えのあったのはオク座で運転されていた「お座敷ざおう」を牽いた2ぐらいなもので、他はネガカラーか白黒、昭和60年3月改正で運用離脱した1に至っては110カートリッジのコンパクトカメラでしか、『板谷のヌシ』EF71が牽引する列車を撮ったことがなかった。
 ところがひょんなところから貨レを牽く6なんてのが今朝の箱ざらいで出て来たので、急遽サルヴェージ。


 貨物扱いをやってた名残の中線があるので上ノ山(現・かみのやま温泉)の駅で撮ったのは間違いない。列番はED78・EF71の重連牽引だった453レの続行列車で、EF71が単騎で牽いているから8453レでこれも間違いないだろう。
 けれど失敗が怖くて、ナイチの撮影にはポジは充てずにネガカラーだけを使っていた。だからポジで撮ったのは殆どないと言っていい訳だが、この時は何かの気まぐれでRDでも買ってカメラに入れたけど、意外と撮れなくてコマが余ってきたので「そろそろ板谷の貨レも消えるし・・・」とか軽く考えて、結果こんなのを撮ったのかも知れない。
 板谷を通過する貨レはこの平成元年~2年春まではコンテナ列車だけが2往復残ってるだけで、石油・セメント列車は仙山線を経由していた。しかし、山形新幹線の工事開始と進捗で平成2年3月改正ではすべての貨レが仙山線経由に変更され、EF71が貨レを牽く姿は見られなくなる。
 それから二十数年経った今、同時期に使ってたエクターなんかは色の退化が激しくて、当時の色を出すのに大汗かくのに、このコマはペッとスキャナに置いてからモノの数分で答えが出て来た。保存状態が余程よかったのに違いない。それを踏まえれば、あの当時からもっと研鑽を積んで、当たり前のようにRDPとか使っていたら、どんな作品が残ってたのだろうと思えば、「失敗したなぁ」とつくづく悔やまれる。

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