今なお激戦が伝えられているバフムートだが、第二次世界大戦中の1942年夏にはJG52(第52戦闘航空団)の第Ⅰと第Ⅱの各飛行隊が市の南西部に設けられた野戦飛行場に駐屯していたことが記録に残っている。(その同時期に、へルマン・グラーフとその舎弟たちの天下だった第Ⅲ飛行隊は、ロガネだかロガネ第Ⅲだかのハリコフ郊外にあった飛行場を基地にしていた)
同年10月に第Ⅲ飛行隊第7中隊でデビューしたエーリッヒ・ハルトマン。彼は、翌年の1943年8月にルーデル閣下のシュトゥーカ隊の護衛任務中に自分が撃墜した機体の破片に当たってしまい不時着するが、そこがロシア側のエリアだったことから彼はロシア兵に捕まってしまう。しかし彼はそのロシア兵相手にハッタリかましながら大脱走劇を展開、無事部隊に戻ってきたのだった・・・
という有名なエピソードがある訳だが、そこは今のウクライナ戦争の激戦地
なんとバフムート上空でのことだった
第Ⅲ飛行隊の基地があったクテイニコヴォエ村はドネツクの南東にあったので、かなり遠い距離を戻ってきたことになる。尤も不時着からの逃走劇を繰り広げたドイツ空軍戦闘機パイロットは彼以外にも一杯いるので、彼だけがスッゴイってわけではない。
結局JG52の全飛行隊が満遍なくこの近辺での戦いに関係してた訳だが、当の”三十三観音”以下飛行団のパイロットは今現在全員鬼籍入りしてるので、よもやかの地でまた戦争が起こって、あまつさえ激戦地になるとは知るよしもなかったのだった。
同年10月に第Ⅲ飛行隊第7中隊でデビューしたエーリッヒ・ハルトマン。彼は、翌年の1943年8月にルーデル閣下のシュトゥーカ隊の護衛任務中に自分が撃墜した機体の破片に当たってしまい不時着するが、そこがロシア側のエリアだったことから彼はロシア兵に捕まってしまう。しかし彼はそのロシア兵相手にハッタリかましながら大脱走劇を展開、無事部隊に戻ってきたのだった・・・
という有名なエピソードがある訳だが、そこは今のウクライナ戦争の激戦地
なんとバフムート上空でのことだった
第Ⅲ飛行隊の基地があったクテイニコヴォエ村はドネツクの南東にあったので、かなり遠い距離を戻ってきたことになる。尤も不時着からの逃走劇を繰り広げたドイツ空軍戦闘機パイロットは彼以外にも一杯いるので、彼だけがスッゴイってわけではない。
結局JG52の全飛行隊が満遍なくこの近辺での戦いに関係してた訳だが、当の”三十三観音”以下飛行団のパイロットは今現在全員鬼籍入りしてるので、よもやかの地でまた戦争が起こって、あまつさえ激戦地になるとは知るよしもなかったのだった。
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