(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

ちょっと振り向いて、98年の高崎線

2011年07月16日 | 一般型、特急型|\EF65総合/|客貨どっちも
 本当なら明日にしようか、明日どっか鉄しに出かけてそこからレポしたので更新するか、と考えてたんですが、生活は厳しい、されど記念は飾りたい・・・
 んで、過去ログ検索して、過去の1000回ごとの記念更新をみてみた。

どこにも行っていなかったので画像うpで終始していましたw

 ので、今夜更新。
 さて、さいたま新都心建設で排出される残土を輸送する、いわゆる「残土列車」が大宮操駅~熊谷(タ)間に、1997年1月~翌98年12月のおよそ2年間、走っていた。
 列車番号は97年改正時から98年10月改正時まで、定期列車扱いの5071~5076レ、そのほかは臨時列車扱いの9071レ~9076レ(要・修正)で、土曜・休日ウヤだったと記憶している。その辺は記憶頼みのところは追々(ry
 運転開始時は高崎機関区のEF641000代が牽引したが、すぐに同区のEF65にとって代わる。
 当然、当時のネタガマだった38、56(茶ガマ)、526(庇付き)といった連中も担当していた。自分も時々出かけてみたが、こんなのばっか。

↓茶ガマ「ゴロー」より2番若いだけの原色機、54

↓ヒサシはないけど特急色の524

 どや!と胸張りたいところなれど、当時の高崎区には他にも原色の一般型ロクゴもまだ多く在籍し、一次型の38、46といったあたりも現役だったので、ネタガマ以外はあまり見向きもされないような状態だった。
 こんなPFですら当時は結構な回数を撮ったが

↓後の岡山転属でブレイクする1038

 1038なんて、たぶんウチのポジ箱をあされば、5586レとかで先頭に立ったのがまだあるんじゃないかと。
 オマケですが503牽引の5764レを。
 国鉄時代の高崎線はそれこそ車扱貨物列車の宝庫で、”中学”卒業旅行の途中、高崎第二機関区の撮影会に行く際に115系電車の窓からガンガンすれ違うEF60、65貨物を見て感動したけれど、今は車扱ったってOTのタキ1000等ぐらいしか走ってないし、この5764レですら、今は撮りづらい時間にダイヤが変わったので、撮りに行くだけの魅力がかなり減ってしまった。
 また、この北本の森も昔は古いコンクリの架線柱がこのように現役で、撮影するのにいい間隔で並んでいたので、望遠で構えるとこんな感じに撮れたが、この98年の冬に植えかえられて望遠で構えるのが難しくなってしまった。

↓ホキ20+タキ20、あるかな?

 そんな次第で今回は3000回記念ってことで98年前半ごろの高崎線の65貨物で飾ってみた。


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