絵葉書ロマン譚 絵葉書資料館ブログ

絵葉書を通して、古き良き時代にタイムスリップ

歌舞伎座~近代歌舞伎の幕開け~

2012-11-04 21:32:13 | 明治ロマン



歌舞伎座




明治時代に、歌舞伎を近代社会にふさわしい
演劇に改めようとする運動がありました。



その活動の一環で、外国人も鑑賞できる劇場建設が企画されました。
『東京日日新聞』の記者、福地源一郎と、
金融業を営む千葉勝五郎が手を組み、
明治22年の11月に歌舞伎座は開場されました。

文化の発信地として期待を背負う、
洋風クラシックな劇場が誕生したのです。
当初の歌舞伎座は天井から総ヒノキ造りの純和風の内装に、
巨大なシャンデリアを吊るす、和洋折衷な建物であったそうです。






その後4度も建て替えられ、
時代の移り変わりと共に存在し続けましたが、
2010年に老朽化により閉館いたしました。







次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!






次回は12月7日の予定です


鏑木清方と鰭崎英朋~近代絵画と絵葉書③~

2011-01-07 14:00:48 | 明治ロマン
新年明けましておめでとうございます。
お蔭様を持ちまして、
ブログも3年目の新春を迎えることができました。
これも皆様のひとかたならぬ、
ご支援の賜物と心より感謝致しております。

絵葉書を知って頂くために、精進致したいと存じます。
これからもご愛読頂きますよう、宜しくお願い申し上げます。



明治30年代、若い画家たちは各目的に応じた研究会を開きました。
浮世絵の衰退については以前、
美人画の大家たちの記事にて述べましたが、
新芸術を目指す一方で江戸文化を好み、
伝統を受け継ぎ新しい風俗画を目指す研究会、
烏合の会が明治34年に発足されました。





鰭崎英朋
新小説繪端書




研究会は挿絵画家が中心となって活動し、
鏑木清方や鰭崎英朋らも会員でした。
二人は人気を二分した挿絵画家で、
流行中だった新聞や小説など多方面で活躍し、
二人の描く美しい女性が明治期の
挿絵界を華やかに彩ったのです。

しかし二人の描く女性は非常に対照的です。
鏑木清方が清純無垢で純真な女性を描くのに対し、
鰭崎英朋は艶麗な美女を描きました。
二人は互いに良きライバルとして切磋琢磨したのです。





鏑木清方 
旅情




また彼らが活躍した時代に美人画は大きな変化を遂げます。
それまで浮世絵の影響が色濃く残っており、
美人は引き目鉤鼻で描くことが常識でした。
しかし若い絵描きたちは没個性的で現実とかけ離れた容貌から脱却し、
新たな美人を描く方法を模索しておりました。

烏合の会では、西洋絵画の研究が熱心に行われ、
主にラファエロ前派の作品などを教材にしました。
西洋化絵画への傾倒が人物をリアルに描くことに繋がり、
理想化されながらもより現実に近い写実的な美人画が登場しました。





鏑木清方
新小説にせ紫後編



今回紹介した絵葉書は二人が
挿絵画家として脂がのっていた時のものです。
挿絵画界に一時代を築いた二人ですが、
それぞれ違う道を歩むことになります。
鏑木清方は挿絵から離れて日本画を手がけるようになり、
展覧会画家として成功を収めました。
鰭崎英朋は挿絵の仕事に専念し、
新聞の相撲挿絵などでファンを獲得しました。



次回も素敵な絵葉書を紹介致します。
お楽しみに!




次回は2月4日の予定です


藤島武二~近代画家と絵葉書②~

2010-12-03 11:05:16 | 明治ロマン
藤島武二は日本洋画界を代表する大家の一人です。
彼は生涯かけて様々な画風に挑戦し、それぞれ時代に代表作を残しました。
画風に展開がある画家の批評をする場合、ある時期をピークとみなし、
いずれかの画風に評価が集まります。
しかし彼の場合はどの画風の作品も高く評価される稀有な画家でした。




トンボ(花と虫)

藤島は最初日本画を学んでおりましたが、
やがて洋画に転じ帰国した黒田精輝に指導を受けました。
そこで彼は外光表現というみずみずしく明るい画法を学び、
独自の表現へと目覚めていきました。
そして彼は浪漫的な装飾に満ちた代表作
『天平の面影』を明治35年に発表したのです。
今回紹介した絵葉書にも、当時の藤島らしい
装飾的な美しさで満ちております。
アール・ヌーヴォの影響を色濃く感じさせるこれらの絵葉書は、
渡欧する直前の明治38年に発行されたものです。





月の女神(三光シリーズ)


その中でも女性の描かれたこちらの絵葉書は、
『三光』と呼ばれるシリーズの一枚で、
「第一回日本絵葉書展覧会」にて一等賞金牌を獲得しました。
アール・ヌーヴォを意識しながらも、
和の情緒が盛り込まれており、真似するだけでなく、
新たな表現に挑戦し昇華していく彼の好奇心と
意気込みを感じさせる絵葉書です。




ハートと蛾(花と虫)


帰国後も彼は精力的な活動を続け、
印象派やイタリア古典絵画など様々な画法を習得していきました。
そして日本の近代洋画の構築を目指した努力は
大家と呼ばれる地位を獲得するまでになったのです。



次回も素敵な絵葉書を紹介致します。
お楽しみに!



次回は1月7日の予定です


美人画家の大家たち~近代画家と絵葉書①~

2010-11-05 14:00:53 | 明治ロマン
明治時代より生活文化のみならず美術界も大きな転機を迎えました。
開国を機に貪欲な芸術家たちは表現を追い求めて、
積極的に西洋を学ぼうとしました。
そして必死に西洋の技法を学び、
取り入れ新たな時代の幕開けを担ったのです。

彼らは新しいメディアであった絵葉書の
デザインも手がけるようになりました。
自身の技術や美的センスを活かして、
質の高い美麗な絵葉書を世に送り出したのです。
そんな彼らの足跡を辿りたいと思います。




梶田半古
女学生



今回ご紹介するのは、水野年方と梶田半古です。
二人は富岡永洗と共に明治の日本三大美人画家と呼ばれ、
時代を代表する美人画家でした。
美女を描くことは古今東西に変わらず魅力的なテーマとしてあり続け、
日本でも鎌倉時代以来ずっと続いてきたと言われております。

明治以前は浮世絵が美人画の主流となっておりましたが、
文明開化以降どんどん人気が下降し、浮世絵師たちは
新聞・小説の挿絵へと活躍の場を移行しました。
水野年方の師であった月岡芳年も、歌川派の系譜を持つ浮世絵師でしたが、
やはり新聞の挿絵や小説の口絵などで人気を得るようになったのです。




水野年方
猫と美人



当時の小説は男女の繊細な恋や人間の複雑な心理を
題材にしたものが多く、挿絵も美人が要求されました。
彼らも小説の挿絵から出発し、
肉筆画を発表するようになりました。
近代美人画の先駆者である三人共通するものは、
西洋の影響が画風に出ていたことです。

それまでの美人画は日本の伝統に基づき、
浮世絵風ののっぺりとした白塗りの女性でした。
しかし彼らはベタ塗りだった肌に黄土を混ぜて質感を与え、
胡粉で鼻筋に反隈を施しました。
この新しい表現方法は美人画に現実味をもたせ、好評を得たのです。





水野年方
リボンを飾る女



絵葉書でも得意分野であった、美人が描かれております。
これらの美しい女性たちを見ると、
伝統を踏襲しつつ時代と共に新しい表現を模索した、
彼らの奮闘が偲ばれます。




次回の素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!



次回は12月3日の予定です


色気とアート~滑稽新聞絵葉書世界③~

2009-08-07 13:00:22 | 明治ロマン

蝉の鳴き声が賑やかですね。
雨上がりのムッとした熱気が、
いかにも日本の夏らしいです。



さて今回はいよいよ滑稽新聞の中枢とも言える、
お色気ギャグとアートについてお話いたします。


滑稽新聞は皮肉とユーモアを持ったコメントと挿絵で、
権力や世論を茶化して記事を盛り上げておりました。
その茶化し方として、人が恥ずかしがるお色気を選んだのです。
お色気好き、というとやはり世間的にあまり良い印象を持てません。
特に明治時代は道徳的配慮に大変厳しかった時代であります。


しかし彼はわざとお色気を好きだと公言して、
世間が驚く“癇癪と色気”を題材にした雑誌を刊行したのでした。




尻の衝突 なべぞ画



取り澄ましている人々の鼻を明かして、
雑誌を面白おかしく演出したかったのでしょう。
至る所にお色気や笑いをちりばめておりました。
そのため記事のネタになった人から顰蹙を買いました。
彼は名誉棄損やその他諸々の罪状で、何度も控訴されたのです。

ですが同時に様々な人々から高い支持を得ておりました。
雑誌の増刊号だった絵葉書世界にも、ナンセンスギャグがたくさんあります。





横町の評判娘




例えばこの床屋で髪をセットしている女性。
一見何てことはない普通の後ろ姿です。
しかしよく見ると右端から男の手が伸びて、娘の項をそっと撫でています。
よくある風景を一部切り取るだけで、フェチズムを感じさせる一枚です。





電車の釣革 なべぞ画




こちらはさらに冗談がきついもの。
電車の中で一人の美人が、釣革につかまっています。
周りの男たちは掴まるふりして、彼女に触れようと手を伸ばしています。
澄ました美女と男のちょっとヤラシイ顔がとても面白いですね。



また大人気だった理由は、単なる色物雑誌だっただけではありません。
笑いと色気を支えた挿絵には、芸術センスも溢れていたからです。





夏座敷




編集者であった宮武外骨が、世に蔓延る不正や権力に憤慨していました。
しかし同時に芸術を鑑賞して楽しむ心があったのです。
彼は芸術や骨董品の含蓄も深く、専用の情報誌まで作るほどでした。

そして彼は古いものだけでなく、新しいものにも積極的でした。
当時流行だった絵葉書のコレクターでもあったのです。




絵葉書の芸術性と面白さを熟知した彼だったからこそ、
個性的でハイセンスな絵葉書雑誌を世に送ることができたのでしょう。






*お知らせ*
絵葉書資料館にて新しい企画展を開催致します。

◆滑稽新聞『絵葉書に秘められた世界』展 ~明治時代の粋なアート~◆

開催期間は、平成21年9月3日~12月26日です。

滑稽新聞絵葉書世界の素敵な絵葉書が沢山展示する予定です。
お近くに来られた際には是非お立ち寄り下さいませ。




さて次回も素敵な絵葉書を紹介いたします。
お楽しみに!





次回は9月4日の予定です