絵葉書ロマン譚 絵葉書資料館ブログ

絵葉書を通して、古き良き時代にタイムスリップ

松本かつぢ~大正・昭和絵葉書名作品集④~

2010-10-01 14:00:13 | 大正ロマン

戦前の少女たちの憧れと夢が詰った雑誌『少女の友』。
少女雑誌の金字塔ともいえるこの雑誌では、
当時を代表する挿絵画家が多数活躍しておりました。
その中で松本かつぢは、中原純一と肩を並べる
人気挿絵画家だったのです。





聖夜



当時流行りのイラストといえば、
おしゃれで色鮮やかな衣装に身を包み、
繊細で夢見がちな様子の美しい少女の姿でした。
かつぢの描く少女は、柔らかな線と丁寧な描写された画で好評でした。
しかし叙情画のスターであったかつぢは、
次第に叙情画以外の絵も描きたくなったそうです。

叙情画の繊細な美少女は表現の制限があり、
画家の思うようにかけないという欠点がありました。
そしてかつぢが生み出したのが、「くるくるクルミちゃん」です。
「くるくるクルミちゃん」は大きなリボンをつけた
おしゃまな女の子が主人公の漫画で、叙情画とは打って変わった
ユーモラスで明るいキャラクターです。





クルミちゃん
子猫とピアノ





二頭身の可愛らしい風貌に当時の少女たちも、
「可愛い!」と歓声を上げたことでしょう。
あっという間に人気キャラクターになり、
まんがの連載は30年以上、グッズも多数販売されました。


当時の雑誌の付録を見ても豊富な種類のクルミちゃんグッズあり、
人気の程を窺い知ることができます。
絵葉書も多数発行され、クルミちゃんもどきの
コピー商品まで出回るほどでした。
その後の活躍は雑誌だけにとどまらず、
絵本やベビーグッズのデザインまで手がけるようになったのです。






クルミちゃん
人形と鳩時計



かつぢの大胆な路線変更のおかげで、
キャラクター人気のはしりともいえるクルミちゃんが誕生したのです。
自分の絵を通して人々に笑いと喜びとを届けたいと思っていた彼の願いは、
彼の才能と努力と共に実を結んだのです。






次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!



次回は11月5日の予定です


蕗谷虹児~大正・昭和絵葉書名作品集③~

2010-09-03 14:00:02 | 大正ロマン
華やかでありながらどこか切なく、繊細な乙女心を描いた抒情画。
感傷的な余韻を残す懐かしくもロマンチックなイラストを、
抒情画と蕗谷虹児が名付けました。



蕗谷虹児は幼い頃から絵を描くことに関心を寄せ、
貧しい家庭でありながらも努力して才能を開花させていきました。
十四歳に日本画の尾竹竹波に弟子入りし、日本画を学びました。
その後様々な苦労を経て腕を磨き、ひたすら画家への道を邁進したのです。





建設を描く
平和堂上方屋




挿絵画を始めるきっかけになったのは、竹久夢二の紹介でした。
竹久夢二は持ち込まれた絵を見て才能を見出し、
『少女画報』の仕事を紹介しました。
そして彼の描いた挿絵が人気を呼び、
挿絵画家として時代の寵児となりました。

蕗谷虹児は狭い部屋で弟たちにアシスタントを
してもらいながら次々絵を発表しました。
彼の描く女性たちにはシャープで都会的な香りを放ち、
華奢でありながら洗練された美しさがありました。





焼土に立つ
平和堂上方屋 




その新しい感覚は若い読者に受け、
彼は少女たちが夢見る憧れの存在になっていったのです。
出版社に次々届いたファンレターの数や、
本格絵画の批評を主とする新聞に月評が取り上げられたことなどから、
当時の彼の人気を推し量ることができます。
また彼は絵だけでなく詩才にも恵まれ、詩集も数多く発表しました。
そのような実績から多彩な才能を伺い知ることができます。






復興の女神
平和堂上方屋




今回ご紹介しました「災害絵はがき」シリーズは、
災害の嘆きと祈りを表現しながらも、アールデコのモダンな美が漂います。
硬質でありながら上品さを感じさせる作品からは、
彼の高いセンスを感じることができますね。



次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!



次回は10月1日です


高畠華宵~大正・昭和絵葉書名作品集②~

2010-03-05 14:00:09 | 大正ロマン

梅も咲き、春の陽気が感じられるようになりました。
これから新しいスタートを切るのに良い雰囲気になりましたね。


大正から昭和にかけて躍進を遂げた大衆小説の人気と共に
挿絵などのイラストレーションも注目されるようになりました。
その中でも熱狂的な支持を浴びていたのが、高畠華宵です。



幼少の頃より画家になることを夢見た彼は、
様々な美術学校や画塾へ通い才能を養いました。
そして苦労の末、婦人薬の広告絵で一躍有名となり、
『少年倶楽部』や『少女画報』などの雑誌を中心活躍したのです。




高畠華宵 愛人 
処女の日の時枝
或る日の志摩子





彼の描く少年少女は見目麗しく、
清純さの中につややかな魅力が溢れていました。
細部まで描き込まれたタッチはエキゾチックで、
あでやかな色彩に目を奪われます。
またファッションの手本になるほど
モダンでおしゃれなスタイルも好評で、
一度描いた柄や着こなしは二度と使わなかったそうです。




高畠華宵画 涼風



流行の最先端をいく彼のデザインは
女学生やモダンガールたちの憧れの的。
彼に憧れが高じて一目会いたいと家出する人まで続出したそうです。




高畠華宵 武運を祈りて



彼が手がけたレターセットが女学生の間で大ブレイクしたことや
流行歌の中にも取り上げられたことから、人気のほどがわかります。



多くの人々を魅了し、こがれ愛された華宵は、
今でもモダンな時代を鮮やかに蘇らせます。


さて次回も素敵な絵葉書を紹介致します。
お楽しみに!




次回は4月2日の予定です


加藤まさを~大正・昭和絵葉書名作品集①~

2010-02-05 14:00:54 | 大正ロマン

立春を過ぎましたが、まだまだ寒い日が続いております。
風邪をひきやすい時期でもありますので、皆さんもお気をつけ下さい。



絵葉書は子どもから大人まで幅広く親しまれておりました。
今ほど印刷物が溢れておらず、
インターネットはもちろんテレビもなかった時代、
色鮮やかな絵葉書にどれほど心躍らせたことでしょう。
特に流行に敏感だった子どもたちの人気獲得のため、
多くの出版会社から活躍中だった、挿絵画家の絵葉書が発行されました。




帆船 春の夜の夢


娯楽雑誌は大正から昭和初期の間に多数出版され、
生活水準が高まるのと同時に、様々なジャンルの雑誌が刊行されました。
児童文学などを主に扱った、少年・少女向け雑誌もその一つでした。
子どもたちは主人公らが繰り広げる、
勇ましい冒険や美しい青春物語に夢中になりました。

そして文に添えられた数々の挿絵も、雑誌の人気を支えておりました。
物語のイメージを視覚化することで、
彼らの姿をよりリアルに想像することができたのです。




海辺のこども 岩の2人


加藤まさをも、そんな人気挿絵画家の一人でした。
大学時代に挿絵画家としてデビューし、
彼が主に『少女倶楽部』などの少女向け雑誌にて活躍。

人気を博した抒情画の特徴でもある、郷愁と哀切を伴う作風は、
繊細な心の移り変わりを詩情豊かに表現しておりました。
もの悲しさを宿した揺れ動く瞳を持つ上品な姿に、
当時の読者たちは深く共感を抱いたことでしょう。




谷のゆり


少女たちの心情を美しくメルヘンチックに表現した抒情画は、
通り過ぎる思春期の寂しさと、それを見守る優しさが、
胸を打つ作品に仕上げているのかもしれません。




次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!



次回は3月5日の予定です


ウィンタースポーツ~昭和・大正のスポーツ③~

2009-11-06 13:00:25 | 大正ロマン
肌寒い日が続くようになりました。
寒いからこそ体を動かしてあたためることが大事ですね。
今回はそんな冬限定のスポーツを紹介いたします。



一番モダンでおしゃれなスポーツの一つとして、
スキーやスケートは大変人気がありました。
日本に伝えたのは大使館や軍人など、日本に滞在していた外国人。




スキーと少年



氷上や雪山で遊ぶ姿に、物珍しさから見物人がぞろぞろ集まったとか。
そしてよほど好奇心が刺激されたのでしょう。
スポーツを興じる様子が新聞記事にまで取り上げられています。




高田 金谷山 小学生のスキー練習 新潟



雪の厳しい地方の学校ではスキーは、
冬の間の体育の授業として早くから取り入れられました。
スキー板を履いて元気いっぱいに授業を受ける姿が、
たくさんの絵葉書になっております。


冬場に思う存分楽しめるスポーツということで
大変な人気を呼び、すぐ各地でスキー場が作られました。
その人気ぶりをうかがい知る例として、
何と富士山でスキーに挑戦したという記事もあります。
挑戦者は駐在中のオーストリア人。
何でもオーストリアで大ブームだったこともあり、
日本で新たな記録に挑戦しようとしたのだとか。
スキーがどれだけ人気があり、注目されていたのか分かりますね。




スケートと少女




さてもう一つ冬を代表するスポーツと言えばスケートですね。
洋服の裾を靡かせ優雅に滑るさまは
ビジュアル面でも人気があったようです。
最新流行のモダンガールやモダンボーイの
スケートを興じる様子がイラスト化され、
広告などにも起用されました。


現在は室内で年中氷を張り、厚さも表面の滑らかさも
自在に管理できる人工のリンクがありますが、
当時は本当に氷の張った湖などで滑っていたようです。
氷が割れる危険性もあったので十分注意が必要でした。
しかし大正時代に一般にも広まったスケートは
おしゃれなスポーツとして人気が衰えることはありませんでした。




六甲山頂三国池大スケート場




スケート場の賑わいは観光スポットの
一つとして様々な絵葉書で登場します。
天然のリングで楽しそうに滑る、
人々の賑やかな歓声が聞こえてきそうですね。




さて次回も素敵な絵葉書を紹介します。
お楽しみに!





次回は12月4日の予定です