🔶2022年度トライ・やるウィーク 歌敷山中学校の学生さんが絵葉書資料館の職業体験を実施しました🔶 2022-11-15 13:48:43 | 記事 絵葉書資料館にて2022年度トライ・やるウィークとして、歌敷山中学校の学生さんが絵葉書資料館の職業体験を実施しました。【絵葉書を選別する作業の様子】【館内を清掃する様子】館内掲示に掲示するPOPを学生さんに作成していただきました。どのPOPも個性とセンスが溢れる素晴らしいPOPです。こちらのPOPは絵葉書資料館・神戸ドールミュージアム・神戸時計デザイン博物館にてご覧いただけます。ぜひこの機会に、絵葉書資料館・神戸ドールミュージアム・神戸時計デザイン博物館にお越しくださいませ。
日本の近代化と植物4~ボタニカルアート~ 2018-12-29 07:34:25 | 記事 シクラメン 公徳 温室ができたことにより、自然と異なる環境下にて栽培方法を整えることができましたが、 それ以前の植物採取は主に押し花による保存やスケッチが主流でした。 ボタニカルアートとは、直訳すれば植物学の芸術。 古代から薬草を始め、様々な植物の情報や 資料を図にして残す方法は、世界各地で見られました。 正確な記録を残すために精密かつ詳細な描写が求められ、 特に植物画は大航海時代だった15世紀から16世紀に発展。 世界各地で新種の植物を発見しても、当時の技術では保存や輸送が限られていたことから、 標本するか細密画にして情報を持ち帰りました。 こうして集められた資料は、 あざやかな色彩を施して図鑑や図譜にして発行。 大変高価なリトグラフの本は貴族や裕福な商人に好まれました。 ボタニカルアートと日本の関係は、1 823年のシーボルトの来訪からといわれております。 シーボルトは日本の固有種を沢山記録し、「日本植物誌」を作りました。 日本には自然の美を愛し観察眼を鍛え、 独自の描写で表現した名画や名品が数多くありました。 そして西洋の技術を取り入れる中、 遠近法や陰影法を用いたボタニカルアートも 描かれるようになったのです。 このような近代植物画の技法は、 日本の美術界に新たな境地を開拓しました。 次回も素敵な絵葉書を紹介します。 お楽しみに! 次回は1月の予定です
モダンな流行生活10~靴~ 2017-03-25 16:29:11 | 記事 今では、当たり前のように使われている靴。 靴は足を保護する道具としてだけでなく、 素材や装飾にこだわるファッションの重要アイテムとして、 また人を魅了する小道具として世界中で発展しました。 幕末の頃、侍が西洋の靴を履くことは 恥ずかしい事として嫌厭されていましたが、 丈夫で動きやすいブーツの性能を認め、 軍靴を中心に日本にも浸透していったとのことです。 靴が絵葉書のように、庶民も履くようになったのは 関東大震災以降と推測されております。 日露戦争をきっかけに、 日本人の足にあう靴を国内工場で 生産できるようになりました。 しかし当時はまだ和服が主流で、靴を履くのは一部の学生や富裕層のみでした。 ですが関東大震災以降、 勤務服を中心に、 洋装が一気に広がりました。 それから既成紳士靴や 婦人靴が小売店でも販売されるようになったのです。 次回も素敵な絵葉書を紹介します。 お楽しみに! 次回は4月の予定です
モダンな流行生活7~新しい美人とメイクアップ術~ 2016-11-18 21:01:55 | 記事 ラブミーボンナ ラブミー白粉本舗 西洋様式の化粧が一般にも広まったのは、関東大震災以降と考えられております。 洋服に袖を通すとなると、やはりお化粧も西洋式メイクが合うとのことから、婦人向け雑誌を中心に紹介されました。 まず、一番変わったのが白粉でしょう。 それまで、真っ白になる白粉を襟元から丁寧にぬっていたのから、 地肌に近い色のカラー白粉(今でいうファンデーション)に変わり、 一重の切れ長から二重のぱっちりとした西洋風が 美人としてもてはやされるようになりました。 アイラインを入れて目を大きく見せる方法や眉の整え方など、 現代にちかいメイクが考案されたのも昭和初期からです。 より西洋風にみせる、モダンガールの派手な化粧は、 品がないと嫌い傾向もありましたが、 化粧自体は女性のたしなみとして受け入れられておりました。 現在とは化粧の考え方が違い、 女学生から化粧方法を学び、 清潔で身ぎれいな容姿を保つことが貞女の鑑とされております。 そのため、化粧の流行にとても敏感だったそうです。 次回も素敵な絵葉書を紹介します。 お楽しみに! 次回は12月の予定です
モダンな流行生活6~カチューシャの唄~ 2016-10-28 21:11:16 | 記事 芸術座員松井須磨子一派 実演 復活 カチューシャの唄 大正時代の流行歌の特徴とて、 新しい女をテーマにした歌詞が多く発表されました。 その背景に婦人解放運動に立ち上がり、 平塚らいていを中心に青鞜社をたちあげがあります。 彼女たちは活動の一つとして、演劇に力をいれました。 それまで演劇や映画の世界では、 男優が女役を演じることが常識で、 女優は賤しい仕事とされ、 不良か商売女と同一視されておりました。 青鞜社は女優を専門職として地位を向上するため、演劇を企画・上演につとめました。 「カチューシャの唄」も、島村抱月が須磨子のカチューシャの劇中でうたわすために 作詞島村抱月と相馬御風、作曲を中山晋平で制作しました。 日本の民謡のメロディに 西洋のメロディを折衷したものを、 と依頼され随分苦心したようですが、 完成した「カチューシャの唄」は 日本作曲家による、 はじめての洋風メロディの流行歌として、 全国的な名声と人気を獲得したのです。 次回も素敵な絵葉書を紹介します。 お楽しみに! 次回は11月の予定です